今年はなぜか少しコミットメント・事前合宿(1日目)

何が悲しくて、休みの日に限って5時前に目が覚めるんだと思ったけど、どうやら風が強くてパタンパタンいってる音で目が覚めたみたいです。
なんとか7時くらいまでウトウトして、そこで起きあがって外に出ると、猫の額の屋根が崩落してました(笑)。

しかたないので復旧作業。今回はかなり本格的に崩落してたので、直すのも根本的です。それならせっかくなのてついでにビーチベッドで寝ても雨がかからないように、少し屋根の位置を調整してみたりして、普段の倍な30分ほどかけて復旧終了。

この屋根は、強風が吹くとあえて崩落するようにできています。まぁそうすることで家本体を守ってます。チキチキマシン状態ってことです。
そこからは昨日つくったオリーブオイルのマヨネーズをつかってポテサラをつくったり、はたまたスクランブルドエッグをつくったり。せっかくなのでマフィンにはさんで朝ごはん。
で、しばしおべんきょです。なにせ今週、「やろう、やろう」と思っていたけど、まったくできませんでしたからねぇ。
と、子どもがやってきて「昼めしつくろか?」と。ありがたや。やはり休みの昼ごはんはトゥンセラーメンです。

うまいわ。その後、しばし本を読んだらスタートです。

今日は全国在日外国人生徒交流会の事前合宿です。とは言え、会場は東九条ですけどね。にしても、ここ4週間で玖伊屋をやって卒業生の会京都・在日外国人生徒交流会をやって…。ここに来るのは3回目か…。どんだけ東九条に来てるねん。
今日集まった生徒は全国から6人。この夏の全国交流会のリーダーとして各地からセレクトされて来た子らです。さらに夜には卒業生も来てくれます。引率教員も気心のしれた人ばかり。楽といえば楽な交流会です。
それでもはじめは初対面なので、少し固さが見られます。でも、自己紹介→深めの自己紹介をしていく中で、少しずつ固さがほぐれてきました。
やがて晩ごはんづくり。ちなみに、子どもたちのエスニシティを考えてメニューを決めるのがわたしの役割です。今回は「パパ・レジェーナ@ペルー」「タヴク・サルマス@トルコ」「チキンチョウミン@ネパール」そしてフィリピンは定番の「アドボ」です。ちなみにトルコ料理は子どものリクエストで「ラハナ・サルマス」に変更になりました。今回考えなきゃならなかったのが、ハラルのことと牛肉が使えないことと、アレルギーかな。そんな時の味方は鶏ですね。
買い出しから帰ってきた食材、山のようにあります。食べられるのか?それでもみんなでワイワイつくります。わたしも玉ねぎのみじん切りをしたり、卵の殻をむいたり、ジャガイモの皮をむいたり、はたまたお米をキャベツで巻いたり。普段はあまりやりませんが、今日はなんとなく手伝いです。
ようやくできあがりかかったところで、わたしは撤収。マダンセンターに泊まったら、絶対に寝るのが遅くなるし疲れがとれません。そろそろ身体が悲鳴をあげかかってます。
ごめん。明日また来るし^^;。

今日も交流会

朝、あまり起きたくないけど、目が覚めたからしかたないです。布団の中でゴロゴロ。とにかくしんどいです。それでもS水くんが起きてきたので、なんとなくタイカレーラーメンをつくってふたりでわけわけ。でも、みんななかなか起きてきません。しかたないので、「ほろよい」をあけて、昨日の残りの鍋に火を入れて、朝ごはんです。
それでもそうこうするうちに、みんな起きてきて、グダグダと話。でも、あんまりゆっくりはしていられません。今日は11時から「京都・在日外国人生徒交流会」です。今回はどれくらい来てくれるかなぁ。
そうこうするうちに、Aっちゃん登場。Aっちゃんのところの生徒が来て、うちの生徒も来て、卒業生のOンニョンさんも来て、ゆるゆると交流会がはじまりました。まずは買い出し。今日のメニューは定番チヂミと水餃子、そしてトマトと卵のスープです。
わたしの担当は、水ぎょうざの皮をこねること。これはメニューが決まった瞬間にやらないと間にあいません。
1時半くらいにようやく完成。机の上に並んだごはんを見ると、いかにも交流会です。
 
みんなでいっぱい食べて、みんなでいろいろ話をして。「えー、話することない」とか言っていても、つっこめばいろいろ話があるはずです。そんなふうにして、2時間ほど自己紹介。そして片づけ。
最後に全国に行く人を決めて、今日の交流会は終了。
帰り道Sゅんすけと一緒だったけど、さすがに「呑みに行こうか」とはどちらの口からも出ませんでしたwww。

自然なこととしておこなわれている

今日は組合の女性部委員会なる会議です。東京に来ているのはそのためです。ちなみに、各県の代表者が参加してるんですが、基本的には女性部長が出席してます。
てことで、朝7時に起きて、とりま25分のラン。し、しんどい。だいたい走りはじめて一週間を過ぎたあたりに「しんどいなぁ」と思う日が来ます。走りはじめは「走りはじめた」っていう気持ちが、ちょっとうれしかったりするんですが、一週間もたつと「なんでこんなことやってるんだろ」ってなってきます。でも、それだけじゃなくだ、一週間たつと、自然とペースがあがってきます。実際、走りはじめた5月24日は1km8分でしたが、今日は6分30秒です。しんどいに決まってます。でも、そのうちこれがコンスタントになっていって、やがて6分を切るようになるんですよね。
で、帰ってきて、シャワーを浴びて、朝ごはん。食べ過ぎた。

そんなこんなで、会場の「日本教育会館」へ。
全国から続々と人が集まって来られます。中には何人も知り合いがいるのが不思議です。てか「いつきさんだ」みたいな反応があって、それもうれしいです。
やがて開会。開会あいさつで
「今回は男性に見える方がひとりおられて、○○」
というのがあって、ずっこけました。というのは、男性に見える方がひとりおられたからです。つまり、わたしは「そちら」にはカウントされてないってことです。
さらに昼ごはんは近畿ブロックの人たちと行ったのですが、ここでも
「男の人、いたよね。いままであった?」「さぁ」
みたいな会話がされていて、ここでもわたしは男カウントされてないというか、自然に女カウントされています。
ちなみに、会議が終わったあとに
「女性部長をされてるんですね。ありがとうございます」
とか言われて、思わず
「そうなんです。すみません」
って答えたら
「なぜ謝るんですか?」
って笑われました。
なんか、ここでは「トランス女性は女性」ということが、自然に行われているんだなって、あらためて思いました。

で、会議の方はというと、女性部の総会です。昨年度の総括と今年度の方針の確認です。ただ、質疑もあるし討論もあるし。なので、わたしも
「原案に賛成だけど、問題提起を」
って前置きをして
「教室の中にセクシュアルマイノリティの子どもがいるのと同じように、職員室の中にもいます」
ってことを話しました。ちなみに、わたしが入っている「きょうと教組」では、10年以上前から性別欄の代わりに「性自認欄」を使ってます。そんなことの紹介とか、「選択的夫婦別姓」のことに触れられていたので「同性婚」のことや、法的に同性婚がない状態でも、制度的に同様の扱いがなされるように文科省や教育委員会にもとめていくことなんかの重要性を伝えておきました。
そうそう、stn21の宣伝もちゃっかりしておきました。

ま、そんなこんなで、初参加の女性部委員会も終了。あとは大阪のHらさんと軽く打ち合わせをして、品川のピザ屋さんに行って、ワインをクイッと飲んで、新幹線の中の人になりました。
さてと。帰ろうかな。

新たな気づきのおさんぽ→玖伊屋

朝起きて、とりあえずランニングです。1km7分です。まぁええとこかな。3km走れば20分ちょいってところです。
そして、猫の額で朝ごはんを食べて、読書。気持ちいい。
昼前にスタートです。
今日は前々から「やりましょう」と言ってた車いすユーザーのおふたりとのおさんぽです。
とりま、11時半に集合。最初に昼食を食べようと思ってる「糸ちゃん」のグーグルストリートの写真を見せて「ここ、入れますか?」とおふたりに確認。
「行けるでしょう」
とのこと。よかった。次にトイレの確認。「生きセン」と「多文化交流センター」と「マダンセンター」かな。でも、マダンセンターは狭すぎるとか。なるほど。
そんな準備のあと、出発です。日差しが強い。
「こんな日に設定したの、誰や」
とか言いながら、できるだけ日影で説明を試みることにしました。
今回は集合場所が七条なので、ふだんとは逆コースです。てことは「ストーリー」の組み立ても変わります。まずは簡単に部落史を紹介して、そこから「貧困≠差別」みたいな話をして、その証拠となる建物を案内するところからスタートです。でも「排除されてた」って証拠もあるわけで、それも案内。
ここで問題発生です。案内板が読めない。車いすユーザーには奥過ぎて高過ぎる。なるほどな。
で、ここからいよいよ「差別との闘い」の話です。まずは柳原銀行です。が、ここでまたまた問題発生です。あまりにもバリアフルです。それでも1階には長ーいスロープで入れるらしいですけど、2階は絶望的です。うーん。
お次は「石碑」です。が、またまた問題発生です。説明文は石碑の裏側に彫ってあります。ここにアクセスできない。
こちゅかるさんに写真を撮ってもらってあとでシェアする方法をとりましたが、やはり直接見ること、つまりアクセスできることが大切なんだよな。
そんなことを考えながら、「糸ちゃん」へ。半分は食べたいのと、半分は宴会ができるかどうかの偵察と。うーん、完全な定食屋ですね。
でも、「赤」と「白」はあります。

「こごり」もあります。うまいわ。

「鍋焼きうどん全部入れ」はダシが絶品です!

ここでゆっくりとランチタイム。
なんでもY田さんが足を虫に噛まれたとか。かゆいかゆいと言ってはります。介助者さんがポリポリしてはります。が、なんでも施設だと怒られるんだとか。
「こんなつまらないことで呼ぶな」
って言われるとか。いや、つまらなくないし。
「痒くてかけないのはしんどいよねー」
って話になったので、思わずこの時のあとに経験した「幻肢痛」の話をしたり。
「それはたいへんでしたね」
って言われたので
「まぁでも、こんなことやった、こんな時にしか経験できないから、幻肢痛を楽しむしかないですよー」
って笑っておきました。
で、午後は九条の案内です。こちらは通常の流れでまわります。なので、パッチギ!橋とか40番地跡とか。
と、途中でOか山さんが笑っておられます。曰く
「コースが読めない」
路面がうねりすぎていて、車いすのショックが強すぎるらしいです。なるほど、点字ブロックのことは知ってたけど、「道にお金をかけずに放置する」ことそのものが、車いすユーザーから街を自由に動く権利を奪うんですね。
そして、午後の最後が「ひかり公園」なんですが、ここが自転車止めがあるんですよね。
と、Y田さん
「入れる気がする」
と言って、教習所のS字みたいな感じで中に入ってしまわれました。すごい!なので、無事説明ができました。

おさんぽのあとは崇仁新町の「やきやき」でビールです。いや、ビールが水分じゃないってことはよくわかりました。ビールを飲めば飲むほど喉が渇きます。しかたないので、裏メニュー&氷水でその場をしのぎました。そんなことをしてると、姫路からG藤さんが来られて、一緒に玖伊屋へ。

今回の玖伊屋のメインイベントは障子の張り替えです。先にIちくんが古い障子を剥がしてくれてたので、そこに貼るわけですが、ここでG藤さんが腕をふるわれました。まさか美術の教員とは知りませんでした。
さぁ、あとは飲もうか。わたしがやったのは、鳥のもも肉を焼くのと、胸肉の酒蒸しをつくるのとだけでした。
でも、いいんです。今回は同僚が子ども連れで来てくれたので、とてもうれしいです。
そんなこんなで夜が更けていくのですが、たぶん11時前にダウンしたな。記憶がない(笑)。

再起動

今日から1学期の中間試験がはじまります。が、昨日の呑みすぎでなにげにしんどいです。幸い、1時間目はカントクなし。なので、忘れていた雑務をするなど。
2時間目は受け持ってる6人講座です。ここ、去年は学年トップを走り続けた子もいたりするんですが、たぶん驚くほど点が取れないだろうな。それは、例えば小学校の頃は100点を取り続けていた子が中学校に入るととれなくなるみたいなものです。つまり「できて当たり前」から、そうじゃなくなるという、ただそれだけのことです。
試験が終わってしばし寝かせて、採点開始。あっという間に修了です。さすがに「できて当たり前」のところはきっちりとってるけど、そうじゃないところは、まぁそれなりです。でも、なかなか解いてきてくれるのでうれしいですね。
で、2時ぐらいに、突然「久しぶりに走ろうかな」という気持ちになってきました。
やはり「登山中」は、どうしても走ろうという気になりません。てか、ずっと走っていて、どのあたりで走らなくなったのか考えてみたら、肉離れした日からですね。で、年末は「おべんきょ成果」だったし、正月はノンアルのラストスパートやったし。とてもじゃないけど、走る気分じゃありませんでした。でも、3学期になって、子どもたちが「走り」の授業になったので、ちょこっとつきあったけど、校内ロードレースが終わると「走り」の授業がなくなるので、そのあたりで気持ちが切れて、なんとなく走らなかったんですよね。
それが、最近「やばいな」と。お腹がプクプクになってきています。これは絞らねば。
ということで、突然「走ろう」気分になったわけです。
ところが、まわりの人から「今は暑いからやめておけ」と全力でとめられました。なので、4時までガマン。4時になってグランドに降りると、誰もいません。そんな中をゆっくりゆっくりと、6周走りました。距離にして2kmちょい。時間は17分ほど。てことは、1km走るのに8分もかかっています。でもいいんです。そこからです。
走り終えたら少しだけ筋トレ。
なんかうれしい。

これでできる→定型句か

今日は午後から出張です。なのでついでに休みをとって、免許の裏にハンコを押してもらおうかなと。そんなことを思ってたら、時間的にパートナーの母親を病院に連れていくことが可能みたいなんで、そんな用事もしようかと。
てことで、結局、起床はいつもと同じ時間になってしまいました。なんのための年休やねん(;_;)。でもま、ええかと。
そんなこんなで押してもらいました。

これでレンタカー屋さんに連絡できます。

午後は某人権教育研究会の、まぁ言ってみれば総会です。第1回の総会は、小中高から1本ずつレポートが出て研究協議です。わたしは不文律的に決められた役割があります。去年一昨年もやりました。
で、今日もレポートが終わると会長やってる友だちが後ろ振り返って「言え」とか合図してきます。なんでこの歳で鉄砲玉やねんと思いながら発言です。
小学校のレポートは、掘り下げるとおもしろかったかな。メッチャしんどい家庭の子がいて、担任の時も家庭訪問してそのしんどさをわかってたけど、加配になって家庭訪問したら、担任時代の「わかってた」は「わかったつもり」だってみたいな。いろいろ質問したけど、最後に質問したのは「せんせいの変わり目はわかったけど、子どもも変わっていってて、その中で記憶に残る言葉とかありますか?」ってこと。すると「覚えてない」と。「覚えてないけど、やたら握手してたのは覚えてます」と。「そういう子でした。とにかくおもしろい子でした」と。
おもしろかったんやろな(笑)。
わかるわ…。
中学校のレポートは…。不登校の子どもにかかわるレポートです。ていねいです。とにかく家庭との連携をしっかりとられてます。でも、何となくそこが気になる。あれだけ家庭訪問とかやってたら、家族や子どもにすごいプレッシャーがかかったんじゃないかな。そんなことを思って質問したら、その子は不登校を脱出したんだとか。きっかけは「絵」だったとか。まぁ、きっちりとしたとりくみがあったからこそ、そのきっかけがあるんだろうけど、「なにやってんだろ、あたしゃ」って気分になるだろうな。あと、どうやら家族の仲がいいことも原因なのかな。学校からのプレッシャーをうまくいなしながらやってたんじゃないかな。そうなると結局は「家庭の教育力」なわけで「なにやってんだろ、あたしゃ」になるんですよね。
高校のレポートは、障害のある子へのかかわりです。これもていねいなとりくみをしておられます。もちろん当該の子だけじゃなく、まわりの子にも働きかけてて、進路も保障できてて、満点です。が、気になる箇所が…。「消極的なところがこの子が克服すべき課題」って書いてある。もちろん、それはそうなんだろうけど、その「消極さ」は社会的に強いられたものっていう観点はあったのかってことです。なので、そんな話とともに、事例として、「部落出身の子の低学力の克服のために個別のとりくみはしてきたけど、常にその背景に社会的な問題があることを心に刻み、それそのものをなんとかしなきゃならないと思ってきた」って言ったんですけど、それが気にくわない人がいたらしい。
「部落問題はあってはならない差別。それに対して障害は歩み寄りが必要なこともある」
出た「あってはならない差別」。定型句です。てか、まったく論点が違うし、わけわからんことを言われてですね…。
わたしが言いたかったのは「社会モデル」と「病理モデル」の話なわけです。それに対して「手話しか使わないって人がいるけど、それだったら関係が成り立たないから、妥協が必要」とかいう話は論外だし「車イスに点字ブロックはジャマなので妥協が必要」って話は読み筋が違う。果ては「多数者にあわせることも、場合によっては必要」だと。いや、手話の話は、そういう「妥協を強いる多数者」へのカウンターなんだってば。
さらに部落問題を特権化してる。なんでそうなるかなぁ。
もちろん「いや、だから」と反撃だけはしておきましたが、めんどくさいな。
幸い、レポーターは意図をわかってくださったみたいでホッとしました。
まぁでも、個々の問題をバラバラに捉える人と、個々の問題の個別性を踏まえたうえで共通するところを探す人がいるのかな。わたしは明らかに後者なんですけどね。
ま、そんなこんなで出張も終了。

夜は定例の会議→飲み会。
会議の前の「赤いガソリン」も定例です。
こちらはホッとするなぁ。

やはりうれしい→やはり楽しい

何が悲しくて日曜日なのに5時に目が覚めるねんと思うのですが、飲んだ翌日ってこんなもんですね。ちなみに、6時に目覚ましをかけてるので、ほんの少しだけ睡眠。
で、7時前にスタート。向かうは第2のふるさとの近くの教習所です。この日に入所して、5時間乗って、今日が卒検です。もっとも前回がなかなかだったので、少々不安ではありますが…。
てことで、待合室で、頭の中でコースを走ります。9時10分から説明開始。その後、検定です。緊張します。ちょっと脚が震え気味です。まぁ緊張もあるけど、たぶんシートの位置がひとつ後ろなんだな。まぁしかたないです。とにかく左折の脱輪を気をつけることですね。それさえなんとかすれば、なんとかなるでしょう。
で、コースを最後までまわって、車を降りて、検定員から「合格です」とのお言葉をいただきました。よかった…。
ちなみに、もうひとりの人、メッチャクチャうまいんだけど、あとで「条件に「眼鏡等」って書いてあったけど、メガネしてなかったぞ…」と思い出すなど。どうなったんだろ…。
で、午後は関西インクルーシブ教育研究会です。はじめて参加したのが1年弱前です。そこから、できるだけ参加したいと思っているのですが、一度参加できなかったら「次回日程」の決定に参加できないので、なかなかやっかいです。今回はたまたまあいていたのでラッキーでした。
ただ、遅れての参加で、「たぶん文献購読には間にあわないだろう」とタカをくくっていたのですが、順番が文献購読があとになったみたいで、本を読まずに参加するという、最悪の参加のしかたになってしまいました。それでもここの論議はあちこちに飛んでいくので、それなりにからむことができるのがうれしいです。今回の文献は『ウェルビーイングを実現する学力保障―教育と福祉の橋渡しを考える』でしたが、「ウェルビーイング」と『「力のある学校」の探究』の関連性あたりなら論議に参加できるかな。
てことで、
「「力のある学校」って、2003年ぐらいから出してきはったけど、あれ、その前年の2002年の同和施策の法切れの中で「やってきたぞ!」「意味があるんだぞ!」ってことをアピールして、「同和教育から人権教育へ」という流れの中でも同和教育を位置づける、ひとつの方略だったんじゃないですか?」
みたいな発言をしてみるなど。
でも、これはけっこういいところをついたみたいでした。
そこから「アカウンタビリティ」のこととか、「人権教育の生き残りのさまざまな方法」とか、あちこちに話が飛びまくって、今回も終了。
あー、楽しかった。

回復擁護運動や公衆衛生から考える新しい薬物乱用防止教育

今日は、某人権教育研究会の総会です。事務局員なので、早めに会場に行って、机移動です。事務局って偉そうにふんぞり返ってるように見えるかもしれませんが、実態は肉体労働をやってます。要はパシリです。
午前は、まぁ総会です。大切なんですけど、こっちは会長とか副会長とか事務局長とか会計の出番です。わたしは特に役目もなく。
ただあれやな。まぁ人権教育「研究」会やからかもしれないけど、オチがなんとなく「心がけ」になりそうなのがモヤっとするな。でも、それでも、攻めてはいるんですよね。なんとなく「口だけ人権大切」な動きに必死で抗ってはいるんですよね。まぁ、そんかことを感じる午前。
午後は記念講演です。こちらがわたしの出番です。いや、もちろん講師じゃないです。来てもらう講師を考えるのがわたしの役割です。
今回は木津川ダルク加藤武士さんです。
加藤さんとのつきあいはどれくらいになるかなぁ。はじめてリビングライブラリをやったのが5年前ですね。でも、その時は、わたしは加藤さんのことをあまり知りませんでした。ただ、「書庫」の自己紹介の時にひっくり返りかかりましたけどね。でも、とにかく「ダルクの人に来てほしい」だけでした。その後、子どもに話しておられる内容を知ったり、それゆえに東九条マダンでお会いしたり、facebookでつながったりする中で「すごい人だな」と思いはじめました。一方、「薬物乱用防止教育をやれ」という声があちこちからかかってきて、まぁうちのガッコでもやるわけですが、なんだかなと。簡単に言えば
「薬やった人間は落伍者」「依存の人間は落伍者」
という扱いなわけです。そうすると、わたしの友だちが何人か否定されちゃう。
たぶん依存の話で大切なのは、「なぜ依存になるか」って話で、そこに人権の問題が絡んでくる。
そんなことを考えて加藤さんに来ていただいたんですが、おもしろかった!
もちろんある程度わかってはいたけど、そういう漠然とした感じじゃなくて確信を持たせていただいたことがいくつか。
まずは「依存」のとらえ方のリフレーミングは、障害の医療モデルから社会モデルへのパラダイムシフトと同じであるということ。なので、依存の問題を合理的配慮と結びつけて考えられるということ。そして、ダルクがやってることは当事者研究であるということ。てことはパラムの会ともつながるということ。
そして、ダルクがやってることの対局にあるのが「学校」だということ。間違いを許さず、間違えたら怒る。つながりではなく競争。もしかしたら学校が依存をつくるんじゃないかって思いました。
最後の質疑応答で、さらに加藤さん個人の話をしていただいて、たぶん聞いてた人は、いろんなことがつながったんじゃないかな。
うん、今回来てもらってよかった。てか、明日はうちのガッコに来ていただくんだわ。10月の終わりのリビングライブラリにも来てもらえるし、うちの子らは幸せだぞ(笑)!

で、帰りについ角打ちに寄ってしまいました。
もちろん、理由は玖伊屋明けの話をしに行くためなんですが、そんなことやってるヒマはあるのかと。でも、日程を考えると、今日しかないなと。

なごみます。今日も全力でとばしてるおっちゃんがいます。そのおっちゃんに文句を言うための愛犬「小鉄」とははじめての対面です。

つい頼んでしまった「スジ大根」。

うまいわ…。
幸せな午後に続いて幸せな夕方を過ごして、さあ帰っておべんきょだ!
と思ったけど、できるわけないよな(笑)。

泣いた

今日はウトロでタルオルムの芝居「ウトロ」の上演です。てか、その前に「ウトロ・家族の家」の上映があって、その前にフィールドワークがあるんですけどね。
で、もちろん「ウトロでイベントがある」となると、出番があるわけです。ということで、部員を3人引き連れて、放送機材を持ってウトロへ。と、すでにタルオルムのみなさん到着されています。えーと、あと25分でゲネプロ?マジか。
ということで、あわてて放送セット。今回は、会場案内用にハンドヘルドのワイヤレスを1台。タイピンマイクが4台必要とのことで、うちから3台、タルオルムの団長金民樹さんが1台借りてこられて、あとはiphone2台を接続します。
それにしても、タイピンマイクは癖がありますね。電波の飛がイマイチです。その割に感度が高かったりします。スピーカーからかなり離れているのにメッチャハウります。どうしたものか…。と、フォトグラファーの方が
「2階にスピーカーを設置したら?」
とのお言葉。ナイスです。
「行け-!」「急げ-!」
てことで、スピーカーを担ぎ上げました。ゲネプロの最初は放送が使えなかったけど、途中からは使えることになって、ホッと一息です。
芝居を見ていると、これ、前に聞いた。ちゃんへんさんのライフストーリーじゃないか。これはおもしろそうです。と、続々とフィールドワーク参加者がやってこられます。そんな中に久しぶりのN江さん。今日の部員の中にN江さんの教え子がいるので「ほらほら」とご対面。そんな中もゲネプロは進んでいます。ちゃんへんさんのライフストーリーから一度離れて、ウトロの闘いの話へ。ウトロ農楽隊のシーンで
「あれ、やってたよ」
と。てか、今日のわたしの服はこれですからね。

家をつぶされるシーンでは田川さんが泣いてたり。
「あかんわ、あれはあかん」
そりゃそうです。
まぁそんなこんなでゲネプロも無事終わり、タルオルムのみなさんはダメ出しされながらの昼食タイム。
わたしもしばしダラダラして、14時半から本番開始です。本番開始前、民樹さんが
「緊張してきた」
と笑われます。プロには遠く及ばないものの、わたしにも経験があります。
「わかります。わたしも教職員劇やっていて…」
「それはすばらしい!」
みたいな会話。
そして本番。うわ、主役のタイピンマイクが入ってない!直前のチェックでは音が出てたのに。いったいどうなってるんだ?とにかく、舞台からはけた瞬間スイッチのチェックをしに行ったけど、大丈夫です。謎や。でも、幸い、主役の方の声はメッチャ通ります。民樹さん
「このままいきます」
ときっぱり言われます。カッコイイ!
芝居「ウトロ」はマダン劇です。なので、途中、客も参加します。そんな最後のシーンは満月の夜のシーン。願い事を木にくくりつけたら願いが叶うっていうシーンです。いろんな人が、それぞれの願いを木にくくりつけています。もちろん、わたしのところには来られません。が、やっぱり願い事は考えてしまいます。ふと
「もう一回、みんなでチャンゴを叩きたい」
と思った瞬間、涙腺が決壊しました。時間を20年ぐらい巻き戻さなきゃならんですからね。
そんなこんなで、終演。いい芝居を見せてもらえました。
芝居の後は記念写真。マダンにウトロの人たちが呼ばれたのはいいんだけど、なぜかわたしも呼ばれてしまいました。うーん、まぁええか。「農楽隊」というアイデンティティはありますからね。

そして、もう一枚!

てことで、終了。さぁ、片づけだ。

片づけを終えて、機材をガッコに持って帰って、パートナーと合流。夜は組合の呑み会です。
楽しく呑んで、帰りに崇仁新町へ。ここでちょぼ焼きをつまんで、崇仁の中をプチフィールドワーク。パートナーは夜の崇仁を歩くのは初めてで、
「ここ、どうなんの?」
「芸大になるからなくなるよ」
みたいな会話。
それにしても、かなり呑んだわ。たぶん、家に帰ったら寝るな。

「変態が世界を変える」

今日は複素数の最初の授業です。最初の授業の中身は決まってます。

まだ人類が言葉を持たない頃のことを想像してほしい。もちろん本はない。校舎もない。あそこに見える家もない。まぁ、木や山はあるね。
でも、生きられるよね。なんか動くものがいたら「ガンッ」ってやってムシャムシャ食べればいい。「おいしい」って思うかどうかはわからない。だって「おいしい」って感情は「おいしい」って言葉がないとわからないからです。たまにムラッとしてセックスしたら子どもが生まれたりもする。セックスを「気持ちいい」って思ったかどうかはわからない。だって「気持ちいい」っていう感情は「気持ちいい」っていう言葉がないとわからないからです。
でも、それはそれで幸せだったんじゃないかと思う。いや、それもわからない。「幸せ」っていう感情は「幸せ」って言葉がないとわからないからです。
でも、生きてた。それでいいんです。
でも、そんな中で「この世界を表現したい」って思う変な人があらわれる。ある人は「絵画」という形で表現した。洞窟の中の壁画だね。ある人は「音楽」という形で表現した。例えば、何かを叩いてみたりね。ある人は「星」で表現し、ある人は「宗教」で表現し、ある人は「数」で表現した。
そんな人は変だよね。だって、そんなことをしなくても生きられるんだよ?でも、表現したいんだよね。いらんことしぃだよね。そんな人のことを「変態」っていうんだ。
例えば、そこに他の場所と違う膨らんだ場所がある。それを伝えようとする。「あー」とか「うー」とか「ぼこ」とかね。
そうこうするうちに「ぼこ」の数を数えたいと思う変態があらわれる。「ぼこ、ぼこ、ぼこ」でいいのにね。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ」ってやるんだよ。こうやって「自然数」が誕生した。そうこうするうちに、あっちの「さんぼこ」とこっちの「にぼこ」を足したいと思う変態が出てくる。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ、よんぼこ、ごぼこ」って数えたらいいのに、「いや、離れてるから別々で、それをあわせたい」って思うんだ。おかしいよね。変態だよね。
そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは3人。いくつ余る?」って考える変態があらわれる。そんなこと考えなくてもいいんだよ。ひとつずつ食べて、あまったのはケンカで勝ったヤツが食べたらいいんだ。でも、「いくつ余る?」って考える。そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは7人。いくつ足りない?」って考える変態があらわれる。いいんだよ、そんなことをしなくても。ケンカで勝ったヤツから食べていって、負けたヤツはガマンしていたんだ。でも、そんなことを考える変態があらわれる。こうやって「マイナス」が誕生したんだ。
そうこうするうちに「肉が5切れ、人は5人。なくなった。でも、「ない」ってことをあらわしたい」って変態が出てくる。ないものはないんだ。てか、みんなが食べられて「よかったね」なんだよ。でも「「ない」ってどうやったらあらわせる?」って考える。そして「0」が発見された。発見したのはどこの文化圏の人だと思う?それはインドなんだ。
みんなは、「西欧文化圏がすごい」って思ってるかもしれない。でも、西欧文化圏のものの考え方では「「ない」ものをあらわす」ってことはできなかったんだ。それができたのはインドの文化・宗教・哲学だったんだ。
こうやって、「整数」ができた。
そうこうするうちに、「肉が6切れ、3人いる。ひとり何切れ?」って考える変態が出てくる。そんなことを考えなくてもいいんだよ。だって、「みんなひと切れとって、またみんなひと切れ」ってやればわけられるんだ。でも、考えるんだよね。そして「肉が7切れ、人が3人。余ったひと切れをどうする?」って考える変態が出てくる。いいんだよ。これまではケンカで勝ったヤツが食べてた。それでいいんだよ。でも「これをさらに3つに切って」ってやるんだ。そうやって分数が誕生して「有理数」という概念ができる。
そして、みんな幸せだったんだ。「この世はすべて「整数の比」であらわされる。ありがとう神様!この美しい世界を!」っ思ってた。
そんな時、またいらんことをする変態が出てくる。柱の対角線を測ってみて「どうする?これ、分数にならないよ」ってやっちゃった。その人はどうされたか知ってる?殺されたんだ。分数であらわせない数は「悪魔の数」なんだ。だからそんな数を見つけたヤツは殺されたんだ。でも、変態は世界中のあちこちにいるんだ。あっちでもこっちでも「どうする?」ってやって、とうとう無視できなくなった。こうやって無理数が発見され、「実数」という概念ができた。「実数」という概念ができたおかげで「2次方程式」がとけるようになったんだ。
こうやって、世界は変態が変えていったんだ。変態こそが世界を変えるんだ。
そして、新たな問を変態が考えた。「でも、x^2=-4が解けないじゃん」。いいんだよ。そんなこと考えなくても。でも、どうしても解きたい。どうやったら解けるようになるか。それを考えるのが、ここからのテーマです。

で、今回はさらに追加。

こんなこと考えてるの、いつきちゃんだけだと思ってるだろ?実は違うんだ。このビデオを見せたいんだ。

で、見せたのは、もちろん「Think different
さらにこんなプリントをつくったり。

ただ、あまりにがんばりすぎて、52型の液晶テレビを倒してしまってガラス割っちまったけどね(笑)。