在日青年の話

今日は午後、在日外国人にかかわるセミナーがありました。まぁ、主催者なので行かなきゃなりませんわね。てか、パネラーのうちの1人はわたしが交渉したから、ますます行かなきゃなりません*1
で、こんな消極的な理由で参加したわけですけど、おもしろい話が聞けました。
正直言って、今の在日の青年(4世)くらいになると、いわゆる「被差別体験=個に向けられたファビア」というのはほとんどありません。あったとしても、その1世・2世・3世の経験とはぜんぜん違います。もちろん、「制度としての被差別経験」は山のようにしているはずですが、ある意味それって「スモッグ入りの空気」のような存在で、そうでない状況を経験しないとその存在にはなかなか気づけない。
そういう青年達にとって、それでも直面せざるをえないことは「自分ってなに?」ということです。あるいは、「人の価値とは何か」みたいなところとも言えるかと思います。
一方、在日をとりまく日本人の側にとって、在日とは、すでにもう「日本人」と同じととらえているんじゃないかと思うのです。ここでも、「制度としての差別」があることは知らないし、それが即、在日の人々の生活に直結しているということもよくわからない。なにより、「自分は差別していない」という、半ば確信のようなものがあるので*2、そうなってくると、「関心がない」わけです。
というところで、従来ならば成立していた「差別・被差別の関係」としての「在日・日本人」という関係が、どんどん築けなくなっているんだと思います。それでも、「在日」というのは存在し続けるわけで、まさにその存在は宙ぶらりんになっていってしまっているんじゃないかなぁと思います。
そんな中から、今回話をしてくれた2人は、「「在日」に従属する自分」から、「ありのままの自分」とその一つの要素としての「在日」へとはっきりと転換をしています。そんな二人の話を聞きながら、収録の時にソニンさんが繰り返し語っていたアイデンティティの持ちようを思い出していました。

ただ、一方で考えます。
本当にこれでいいんだろうか。本当に「戦争処理」は終わっているんだろうか。戦前〜戦後の「総括」はすんでいるんだろうか。単に風化しつつあるだけじゃないだろうか。「個のありよう」にすべてが回収されていくとしたら、それはあまりにもおそろしいという気がしてなりません。

*1:このあたりの「つきあい」とか「しがらみ」って、しんどいんだけど、でもこういうのを大切にすることが「つながり」を拡げていくことになるので、大切なですよね。

*2:差別・被差別の構造の上に乗っかって生活をしているという感覚は、なかなかわからないですね

大阪でフィールドワークとか

朝、1時間目の授業が終わったら、そのまま人権教育研究会の出張で大阪へ。
まずはリバティ大阪。
リニューアルされて、これで3回目かな。来るのは。でも、仲間と一緒に来るのははじめてです。まぁ、いまさらなんで「ほれ、あそこに写真があるやろ」とか、しょーもないツッコミを入れてました。まぁ、たいていの人は1枚は気づくのですが、もう1枚はなかなか気づきにくいやろうなぁ。なにせ、後ろの方で飲んだくれている写真やし(笑)。

他にも、ワークシートとか図録に載っているんですよね。はぁ…。
昼ご飯は、「浪速ならではの」ということで、「岳」に行ったんですが、なくなっていました_| ̄|◯。なんで、解放同盟の浪速支部に変わってるねん。てことで、「ニューなに和」に行きました。肉巻定食、うまかったです。つい、ごはんを全部食べてしまいました。ちょうど研究所の知りあいにあったもので、郵便配達をたのでしまったり*1、有意義な昼食でした(笑)。
午後は、太鼓集団「怒」のメンバーの話。
もともとは浪速の歴史について話を聞くはずだったのですが、講師の方が熱を出されたとかで、かわりに地元で地道な活動をしている人が話をしてくれました。たしかに、歴史を聴こうと思っていた部分については肩すかしを喰らった気がしますが、話の内容は、それはそれでよかったです。
「太鼓の作り手はいるけど、太鼓の打ち手がいない」という状況に、まずは外から疑問が来る。それに答えるようにして、だんだんと太鼓集団ができあがっていく。すると、逆に「太鼓」がアイデンティティを補強するみたいな感じ。あるいは、さまざまな差別的な状況と立ち向かっていく原動力としての「太鼓」。差別の壁を乗り越えていくための「太鼓」。言ってみれば「誇りうる文化」としての太鼓なわけです。そして、それを次の世代に伝えていく。
う〜ん。
ええ話やなぁ…。と思いながらも、「はたしてトランスに「誇りうる文化」はあるんだろうか」と思い、ちょっと複雑な気分。

*1:すんません

交流学習会・2日目

朝、責任者は責任があるので早く起きられたみたいです。でも、年寄りのわたしは、ちょっと寝坊気味。すんません。
と、横を見ると、きのうの夜、飲み過ぎでふらふらだった子が、「しんどい〜」とか言ってます。「ふだん、あんまり飲まないの?」と聞くと「飲みます。吐くまで」と殊勝な答え。若いな…。
とりあえず、わたしはシャワーを浴びて、朝食。和食か_| ̄|◯
今日のプログラムは、フィールドワーク。わたしの担当は「映画『パッチギ!』に見る東九条」。なかなか魅力的でしょう!で、案内をして下さるのは、東九条で生まれ育ち、いまも東九条マダンを中心的に担っておられる朴実さん。
いや、よかったです。ほんとうに。
いかに東九条というところが行政のみならず、「京都の人々」から放置されてきたところかということ。その背景にある朝鮮人差別の実態。そんなことが、街の中のあちこちにあるんだということがよくわかりました。でも、それって、ただ単に、東九条を散歩しただけではわからないんですよね。やはり、すぐれた案内人がいるからこそわかることなんです*1。これがフィールドワークというものなんだと思いました。ほんとうに勉強になりました。
街から帰ってきてからの話もすごかったです。「東九条マダン」という、民族文化運動をはじめる時の思い、はじめた時の苦労。いまもかわらない「同化と排外」の圧力と、それでもかわりつつある運動の成果。今、朴実さんが次の課題として考えられていること。そんなことが、やわらかい口調で語られました。でもね、その底流には、つねに「恨(ハン)」というのがあることも、ものすごく感じました。
そんな朴実さんと親しくつきあわせてもらっている自分*2を振り返るいい機会にもなりました。
そんなこんなで、あっという間に午前が終了。で、学習交流会は終了。
準備はいろいろあったけど、けっこう楽しかったし、あっという間にすんだなぁ。
で、一日半ほどあけた家に帰ると、そこには日常生活がありました。
昼ご飯は、東九条で「食べたい!」と思いながらガマンをしていたお好み焼*3。ビールを飲んだら、ほろ酔い気分→ちょっと昼寝。
夕方から子どもの数学を見て、ちょっとテレビを見て、明日に備えて寝ることにしましょう。

*1:あ、何回か散歩、ご一緒いただいた方へ。わたし、いままでの案内で何カ所か間違っていることがわかったので、また玖伊屋あけの朝にでもあらためてご案内いたします(笑)。

*2:日本人として、京都の人間としての

*3:うちの子どもが「たまにはカスを食べさせろ」と言っていましたんで(笑)

学習交流会・1日目

今日から明日にかけて、組合青年部の近畿ブロックの交流学習会とやらがあります。で、なぜかわたしもその運営スタッフになってしまいました。
まぁ、普通の組合であれば、わたしみたいな年寄りはさっさと青年部から出ているのですが、高齢化が著しいうちの組合では、「年齢他認」が原則でして、まわりが「あなたは青年部」と言えば青年部になってしまうというおそろしい状況があります。なので、なぜかわたしもまだ青年部らしい。
今日のわたしの担当は、開会行事の司会*1とチャング教室のコーディネート。
司会の方は、まぁなんということもなく終了。適当にネタを振ったけど、さすがに「開会行事」などというマジメなセレモニーではみんな笑ってくれませんでした_| ̄|◯
チャング教室はなかなかのものでした。もちろん、わたしは単にコーディネート役で、講師の方がおられるんですけどね。
なにしろみなさん、チャングを触るのがはじめて。そんな人たちに、チャングの基本的な知識からはじめて、基本的な打法、さらに立って叩くところまで、わずか3時間ほどでやってしまわれました。
はじめのうちはすごく緊張しておられた参加者も、3時間後には表情もほぐれてきて、チャングを楽しんでおられた感じだったが印象的でした。そうか、楽器にはそういう力があるんだ。
その後、夕食交流会。長〜いあいさつをするヤツもいるけど、この手の集まりではしゃーないです。たぶん、それでも短い方かな。交流会の最中に、チャング教室の発表会なんかもあって、けっこうもりあがった交流会でした。
その後、2次会。三条に繰り出して、しばし飲み。気がついたら閉店の時間です。
ここで他府県の参加者が「ラーメン!」と騒ぎはじめました。三条なんで、「長浜ラーメンかなぁ」と思ったのですが、えらい人混みで断念。で、ラーメン・ラーメン…。で、「そうだ!今出川に行こう!(笑)」タクシーで行きました。もちろん、みなさんかなりのカルチャーショックを受けておられたようです*2
で、宿舎に帰って、しばし歓談。その後、爆睡です。

*1:会議で「司会、誰やる?」ということになった時、みんなだまってしまったので、つい「んじゃ、やろうか」と言ってしまった(笑)。

*2:和歌山の人なんか、和歌山ラーメンとのあまりの差に(笑)

放り込まれたよ(涙)…

で、夕方新幹線に(笑)。
いや、車両に入った瞬間に「なんじゃ、こりゃぁ!」。ひたすら「黒い」です。なんともまぁ、oyajy(どうか「オヤジィ」と読んで下さい)な空間です。そりゃそうです。平日夕方の東京方面の新幹線なんて、そういう空間です。
問題は、「隣に座る人」(笑)。
わたしが席についてしばらくしたら、一人で移動しているらしい若いお姉ちゃんが座りました。まぁ、ホッとしましたね。おとなしく本を読んだり、ちょっと寝たり。
ところが、そのお姉ちゃん、名古屋で降りました。停車中、祈るような気持ちです。長い長い停車時間の最後に「すみません」と入ってきたのが、oyajyな人_| ̄|◯
あとは地獄です。新聞を読みはじめる。本を読みはじめる。それはいいです。その間、ずっと中間にある「肘掛け」を占領しています。しかも、わたしがそこから身体をよければよけるほど、より占領地を増やしていきます。
なんでそうやって、自分の領土を増やそうとするのかなぁ。と思いながら隣をみると、3人掛けの通路側の人、肘掛けから肘をはずしています。う〜む。
というの、まさにライブで書きました。はぁ…。

で、わたしの午後は…

年末からの懸案であった、OSの再インストールに着手しました。
基本的には、データドライブとOSなんかが入っているドライブはハッキリとわけてあるんですが、今どきのmicrosoftがそんなことを許してくれる訳ありません。とりあえず、Cドライブの中のあちこちを探しながら、なんとかほぼデータは待避させました*1。で、いよいよIDE0のパーテーション操作。これであともどりはできません。あとは突き進むのみです。
それでもなんとかリセットを繰り返しながら*2、再インストールが終了。あとは、ツール類をぶち込むだけです。
それにしても、昔のツールはインストールが楽です。なにせ、好きなディレクトリに放り込んだらおしまいですから。今どきのツールは、レジストリをいじるので、setupファイルを探してきていろいろしなくちゃなりません。なんでこんなことになったのかなぁ…。
ところが、いろんなものを放り込んでいるうちに、だんだん不安定になってきました。気がつくと、謎のリセットとか謎のフリーズが幾度か。嫌気がさしたところで、1日目終了です。

*1:つっても、たぶんあとで「ふぇ〜ん」みたいなこと、あるんだろうなぁ

*2:含む、謎のリセット・フリーズ

で、トランスの行き先は…

目指すは日本橋(笑)。ちなみに、一緒にいたゲイもレズビアンもFTMも、日本橋なんて行かないらしいです。
ま、わたしの主たる目的は、もちろんLOOXのハードディスクですけど。
それにしても、日本橋に行くと、妙に心が躍るのはなぜだろう。ウィンドショッピングをしながら、値札をじっと見て、価格を頭の中にインプット。あの店この店とふらつきながら頭の中で価格を比較。さらに横を見ると、スピーカーが並んでいたり工具が並んでいたり。いやぁ、いいっすねぇ。
で、結局sumsungの2.5inch、60Gのハードディスクと、2.5inchもいけるIDE→USBの変換器をお買いあげ。これで、LOOXをなんとかしようという算段です。
その後、id:mike_nさん*1千日前近辺の路地裏にある飲み屋へ。
振り返ってみると、結局トランスのこととかあんまり話をしなかったような気がします。どちらかというと、教科教育法の話とか、スキーの話とか武道の話とか…。
でも、それが大人同士の当たり前の会話っていうものな気もしますが…。

*1:実は、わざわざわたしに会いにカラフルまで来て下さいました。しかも、よく知らない日本橋を案内して下さいました。ありがとございます〜

月に一度の…

まぁ、厳密には月に一度もないかもしれないです。某外国人教育関係の会議です。
今日は会議の後「あしたを考える会」もありました。
まぁどうせ飲み会だろうとタカをくくっていたら、けっこうマジメにみんな話をしていました。中でも印象に残ったのは…。
最近、新渡日の子どもたちの課題が顕在化してきて、その一方で在日朝鮮人の子どもたちは同化が激しいし、さらに2重国籍を持つ子どもたちが増える中で、どんどん潜在化してきています。そんな情況の中で、新渡日の子どもたちのフォロー*1は、まさに「課題」として浮かび上がる一方、ますます複雑化する在日朝鮮人の子どもたちのアイデンティティのことなんて放ったらかしだったりします。
こんな情況の中の、ある先駆者のひとこと。

在日が見えなくなった?そんなもん、はじめから見えていないんだよ。そんなもんな、見ようとして、やっと見えてくるもんだ。

重かったっす。

*1:まさにフォロー

謀議…

謀議っていうか、実は打ち合わせですけどね。
来年8月に開催する全外教の生徒交流会の開催場所の第一候補地に行って打ち合わせをしてきました。で、ほぼ即決ですね。第一候補地から開催場所に、その場で気持ちが固まりました。
なんと言っても、受けいれていただく町の姿勢がすごくおもしろいです。間口が広くて好奇心が旺盛で、それを支える熱いもてなしの心とか、いろんなものが伝わってきました。多種多様なエスニシティを背景に持つ子どもたちが、ここでならゆっくりと交流が持てるという安心感がほんとうにあります。これから一年、いろいろとお世話になると思いますけど、よろしくお願いします。って、ここで書いてもどうしようもないのですが(笑)。
打ち合わせが終わったら、まずは散歩。この季節にありがちな電飾の町がありますので、そこをめぐってきました。伝統的な日本家屋をはしごを伝ってのぼっていくサンタさんの電飾のミスマッチが、なんともいえず楽しいです。これが単なる一軒の暴走だったらなんということもないのですが、この町では、気がつくとみんながやっていて、気がつくと「オサナリエ」という固有名詞ができているという。しかも、どの家がどんな電飾をしているかという地図入りのチラシまでつくっているという、まあ愉快な町になっています。
散歩のあとは、近くのコミュニティセンターで、なぜか宴会。鍋を囲んでみんなでワイワイと楽しいひとときを過ごしました。
それにしても、おいしい鍋をつつきながらも、なぜここで自分が鍋を食べお酒を飲んでいるのかわからないという、不思議な体験でした。実は、この町の人たちって、振り返ってみると、ほとんど瞬間しか出会っていないんですよ。にもかかわらず「いつきちゃん!」っていいながら、気がつくと篤くもてなしてもらっているという、それがこの町の人のあったかさ*1なんでしょうね。そんな不思議な気分のする鍋のひとときでしたが、本当に楽しませてもらいました。と同時に、この町とはこれからも長いつきあいがあるんだろうなという、そういう心地よい「つきあい」の予感があるひとときでもありました。

*1:=好奇心(笑)