職場の帰り、ウトロにカンパを持っていこう、と。
で、ウトロの広場を通りかかったら、朝鮮料理の移動販売の車がたまたま来ていました。
そういえば、この車、尼崎から来ておられるんですよね。10年以上前から変わらず毎週来られるし、ウトロの人たちもいつも買っておられる。つまり、味は折り紙つきです。
てことで、わたしも当然ちょこっと買うことにしました。間引き菜のムルキムチと菜っぱの浅漬けキムチです。受けとった瞬間からふんわりといいにおいがしています。
しばらく移動販売のおじさんとよもやま話。なんでも、昔はZ2に乗っていたとか。すごいなぁ…。
その後、会長さんのところにカンパを持っていって、お家へ。
晩ご飯には当然キムチがでました。めちゃうまい!
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今日は朝からすごい雨。
それでも通勤手段はバイクです。まぁ、ブーツカバーとバイク用のレインコートとレイングローブをしていたら、自分が濡れることはまったく(!)ありません。それはそれでいいのですが…。
今日の雨はけた違いでした。道で足をつけないですね。なにせ、バイクは左の端を走らなくちゃならないのですが、そこは道路の水を排水するところでもあるわけで、場所によっては川になっています。しゃーないから、センターラインのあたりを走ることにしましたが、まぁムチャクチャです。
職場の近くに「池」があるのですが、見事にあふれていました(笑)。消防車も出動していました。やれやれ…。
で、帰り道。こちらも突然すごい雨です。もっとも夕方の雨はすぐに止みましたが…。
ところが、ふと朝からあった不安が首をもたげてきました。もしかしたら…。
と、近鉄伊勢田駅の近くを通過しようとしたその時、目の前を消防車が2台横切っていきました。しかも、1台の荷台には大きなゴムボート。このあたりでそんなものが必要なのは「あそこ」しかありません。やはり不安的中でした。
すぐに伊勢田の信号を西へ。やがて、消防車は見失ったのですが、行き先はわかっています。ウトロです。
ウトロの町内にはいると、やっぱり消防車がいました。あたりには、知っているオモニ・ハルモニたちが数人しゃべっています。奥の方には「守る会」の人もいます。
「さっきまでな、このあたり川やってんやで!」
「この間、ここの溝を掃除してよかったわ!」
口々にオモニ・ハルモニたちが話をしてます。わたしの姿を見て
「なんで急に来たん?」
「いや、すごい雨やし心配になって…」
「そうかぁ。ありがとうな」
いや、「ありがとう」って^^;;。顔出さなくてすんませんm(__)m
奥の方に行くと、床下浸水・床上浸水の家が多数あります。
6月の雨で床上浸水した家が、ようやくたたみも変えて一息ついたと思ったら、またまた洪水です。
なにしろ、ウトロのまわりには水路がたくさんあって、ウトロの中には水路がほとんどなくて、しかもウトロはまわりよりも一段低い土地にあります。さらに、梅雨時ですから、まわりの土地の保水力はほぼ限界。ですから、わずか30分の集中豪雨でも、すぐに水に浸かってしまいます。
そんなときでも、ウトロの人たちは
「いや、久しぶりやんか!」
「なにしてたん?」
「また落ち着いたら一回呑も!」
と暖かい声をかけてくださいます。
とりあえず、守る会の人たちと一緒に被害状況を確認して、撤収。
やがてメールが回ってきました。
昨日(7月8日)の雨で、またウトロ地区で浸水被害。床上浸水1戸、床下浸水数戸です。午後5時から6時のスコール(たった30分、40ミリ程度の雨)で、今回はウトロ地区の北側にある「伊勢田8号水路」(宇治市が管理)があふれ、集落の中央部付近で被害が出ました。(前回、6月20日の被害家屋は大丈夫でした。)宇治市からは消防ポンプ車2台がきました。町内会はすぐに消毒を宇治市に依頼します。まったく、もう・・・・・。
前回の被害で、被災した家の畳代の限定カンパを集めました。ほぼ目的を達したので一旦終了しましたが、これを再開します。カンパの振込先は、郵便振込01030−9−60413ウトロを守る会です。ウトロ町内会のお見舞いと一緒に、被災者に渡します。次回、ウトロ案内は7月12日(土)午前10時から12時、ウトロ広場(現地)集合です。ウトロ地区へは近鉄京都線、伊勢田駅から西にまっすぐ徒歩8分。ウトロ入り口絵看板を南にすぐ。私(Sさん)がご案内します。
もしもよろしければ、カンパお願いします。
絵を描いたのは誰?
今日は校外で研修会。午前はウトロに関する話とフィールドワークです。
話をしてくれたのは、いつもとは違って若い人。この方、なかなかの切れ者です。
一貫して言っておられたのは、「ウトロ問題の本質は「地上げ」という「事件」ではない」ということでした。
ともすれば、
日産車体が勝手にHに売った→Hは西日本殖産に転売→地上げ裁判
というふうにとらえられがちです。あるいは、せいぜいが「戦後補償」の問題としてとりあげられるでしょうか。ところが、今回話をしてくれた方は、その背景に「宇治市/京都府」もからめて話をしてくれました。
こういうことです。
「バブルがはじけて資金繰りがしんどくなった日産車体」
「金儲けをしたいHたち」
そして、「朝鮮人を追い出したい宇治市/京都府」
この三者がそれぞれの思惑を実現しようとしたところに、ウトロ地上げ裁判の本質があるということなんです。なぜこんな話が出てくるかというと、土地を売るにあたって京都府が許可を出した、と。その許可申請書には、ウトロの土地は「休用地」と書かれていたそうな。京都府は、ウトロに住民がいることを知っていて、ウトロの土地を「空き地扱い」として売却することを許可した。これ、とんでもないことですね。
まぁ、他にもいろいろ話をされましたが、かなりインパクトがありました。
つまり、ウトロ土地問題は、戦後補償という「過去から連なる問題」ではなく、「いま・ここ」の問題としてとらえないといけないということだと、わたしは思いました。
話のあとはフィールドワークです。途中、知りあいと会って「チューハイ持ってへん?」「そんなんあるかいな!」みたいな冗談を話しあったり*1、「今度宴会しよう」みたいな話をしたり。やっぱ、わたしはウトロが好きだなぁ…。
*1:ほんとうに冗談ですってば!
在日外国人生徒交流会
コンクールと並行して京都の在日外国人生徒交流会が行われていました。わたしも昼休み時にちょいと顔を出してきました。
今回はちょっと人数が少なかったものの、卒業生がパートナー・子連れで来てくれたり、高校生が兄弟を連れてきてくれたり、中学生の参加があった、現在ご懐妊中の方も夫婦連れで来てくれたりと、すごくアットホームな感じで過ごすことができました。
にしても、「はしご」はしんどいよ。
合宿の続き
昨日寝たのは午前3時過ぎ。今日起きたのは午前6時。
昨日の夜仕掛けておいたご飯をたきます。問題はおかずです。なにせ、昨日レシピを考えた時、今日の朝食までは気がまわっていなかった…。というか、気はまわっていたけど、「まぁええわ」で終わっていたんです。でも、いざ午前1時ごろになると、食材が何もない…。とりあえず、昨日の夜のうちに乾燥ワカメだけは買っておいてもらったので、残っていた玉ねぎと一緒にワカメスープでもつくりましょう。ご飯が炊けたところで、早めに起きた子らと一緒におにぎりづくり。
朝ご飯を食べたら、子どもたちは話しあい。わたしはというと、台所の片づけ。この交流会に限らず、この手の世話人グループ、率先して洗ってくれたり掃除機をかけてくれたりする人がいるので、すごく助かります。まぁ、そういう人しか世話人にならないという話もありますが。
で、子どもたちの話しあいに入ったのは、午前10時ぐらい。でも、この夏の交流会の概要の確認だったので、それはそれで大切かな。
なんだかんだで合宿終了は12時。みんな記念写真とかとっているのはいつもの光景。ほんとうに1泊2日でこれほどまでに関係が深まっていくんだなぁ…。
で、合宿
午前の会議が終わったら速攻お家へ。支度を整えて、京都駅へ。ちょっと早めに行って、ユニクロでお買い物。「ボーナスが出たら買おう」とパートナーには言っていたんだけど、いろんなものがダメになっていて、これ以上はもたないと判断です。
で、合宿の集合場所へ。
今日は全国から各地の在日外国人生徒交流会の実行委員が集まって合宿がある日です。いろんな経緯があって、場所は玖伊屋をやっている場所になりました。てことは、各種裏方はわたしにケテーイです(笑)。
まずは、遅れてきた人や迷子になった人の回収業務。
続いて、手配してあった貸し布団業者との折衝。
さらに、晩ご飯のメニューづくり→材料とレシピの確定→買い出し→下準備。
今回は、交流会らしく「ホーシュールー*1」「チキンアドボ*2」「粟米湯*3」「ナムル」で攻めることにしました。また玖伊屋でつくろう。
そこからあとは、延々と話しあい。それぞれが自分の話をはじめるのですが、10人ぐらいいるのに、ひとりあたり1時間とか話をしています。いつまで続くねん(笑)。途中から時間調整をしたはものの、終了したのが午前2時半頃。それからちょこっとお酒を飲んだら爆睡ですよ。
で、会議
今日の午前は、某在日外国人教育関係の会議です。夏の大会が近づいているので、やらなきゃならないことが山のようにあります。それでも、今年はモロに主催じゃないので楽です。去年はとんでもなかったもんなぁ…。
ケータイ警報発令中!
今日は教職員研修。
で、主催が生徒指導部と人権教育部という、まわりから見たら水と油みたいな両者です。でも、実は水と油じゃなくて、コインの裏表なんですね。わたしの尊敬する先輩教員は「やさしさの中に厳しさを」「厳しさの中にやさしさを」と言われます。まぁ、言ってみれば、前者が人権教育部のスタイルで、後者が生徒指導部のスタイルということになるでしょうか。「生徒」を軸においた時にスタイルの違いはあるものの、スタンスの違いはおそらくはないんです。
で、今回のテーマは「ケータイ」。
細かいことはおいておきますが、なるほどなぁと心の底から思いました。おもしろかった。
講師の方のスタンスは、まさに「やさしさと厳しさの同居」なんですね。そういうスタンスで生徒とつきあうことで、携帯サイトでさまざまな誹謗中傷をされた生徒とつながっていく。そのことを通じて、学級集団・学年集団・担任集団がつながっていく。そういう居場所を生徒が獲得することで、携帯サイトでの誹謗中傷にまどわされない子ども*1へと変化していく。
「携帯サイト」って、結局は単なる「場所」でしかないわけです。それが、今の状況の中で「特殊な場所」に思えるだけ。基本はふだんわたしたちの前で起こっているさまざまなできごとへの対処とほとんど変わらないということなんですね。
でもこれってこわいですね。だって、ふだん起こっているさまざまなことに対処できていなければ、ネット関係の「技術」がいくらあってもなにもならないということにほかならないわけで…。
つ・つ・疲れた
なんか、朝からとりたい連絡はとれないし…。必要ない連絡は入ってくるし…。
まぁさ、「はじめる」ことは簡単なんだけど、「続ける」ことはとてつもなくしんどいことなんです。それはわかってはいるんだけど、覚悟もできているんだけど。でもやっぱり時として疲れるわけで…。
まぁいいや。あしたの研究授業のネタを仕込んでおきますか。
人権教育をめぐる講演
今日は、某人権教育研究団体の総会。こんなんばっかしです。もっとも、この団体は職場の団体なんで、完全な仕事ですけどね。
で、午後は記念講演。大阪大学の平沢安政さんが講師です。
この人の話、前に聞いたことがあるんですけど、その時は、あまりにも流ちょうすぎて、「なるほどなぁ」とは思いながらも、「ちょっとうますぎるなぁ」という感じもしました。でも、今回はよかった。というか、こなれていた。まぁ、こんなことを言うのは失礼にあたりますが…。でも、考えが身体化していた感じがありました。
もちろん、平沢さんは研究者ですから、具体的な実践をご自分がしておられるわけではありません。なので「ここはこうしたらいい」というような話ではない。でも、さまざまなヒントをもらえたかなぁ。
いいレジュメだったから、そのエッセンスを一部紹介。
1、「反差別」から「人権文化の構築」へ
1)90年代以降の人権教育改革の視点
1、人権を「自分の課題」としてとらえるような学習の促進
2、人権教育学校をつくる
そのためには
→「社会の多様な資源(人、モノ、コト、運動)と連携し、協働する
2)「世界中に豊かな人権文化を築く」
1、「いつでも、どこでも、だれにとっても」=人権文化の普遍性
2、「反差別」から「人権文化」へ=否定形から肯定系へ
3、つくりだす人権文化
2、わたしの人権観
人権は普遍的な問題→共通する4つのレベル
1)個のレベル
自尊感情・自己実現
(あなたは自分のことが好きですか?)
2)他者関係のレベル
多文化共生
(あなたはさまざまな他者といい出会いを重ねてきましたか?)
3)社会関係のレベル
社会的承認・社会参加
(あなたはこの社会に対してよいインパクトを与えていますか?)
4)自然関係のレベル
持続可能な開発、地球環境との共生
(あなたは自然の恵みに感謝し、謙虚さを大切にしていますか?)
3、人権教育とは
1)人権教育の4つの側面
1、人権についての教育
2、人権としての教育
3、人権を通じた教育
4、人権のための教育
2)「力と資質」=知識・スキル・態度
知識=ex.リテラシー
スキル=コミュニケーションスキル
態度=水平的関係・自他の尊厳を大切にする・社会へのコミット4以下省略
一番「ふぅん」と落ちてきたのが2番だな。