全同教・0日目

さぁ、あしたからいよいよ全同教の大会がはじまります。今年はどんな出会いが待っているのかな?
にしても、いつの間にか全同教の大会自体から何を得るかというよりも、そこでどんな人と会えるかなと言うのが楽しみになっているという^^;;
でも、考えてみたら、レポートもまた、レポートを通したその人やその地域との出会いなわけだから、それはそれで正しいのかもしれません。

てことで、今日は遠方からの前泊組の人と事前合宿。
なにせ、今年は奈良なので、半分以上無理矢理「京都で前泊して!」と誘致した次第です。
夕方、到着した方々を京都駅まで迎えに行って、荷物を置きに行く間も惜しんでタクシーに飛び乗って、向かうは「おたふく」です。なにせ、今回の主賓(笑)はムラの方。でも、小さいムラの出身の方で、町のムラ*1をほとんどご存じないとか。なので、ムラ・人・お好みに出会えるこの店が一番いいと判断したわけで。
昨日のうちに予約しておいたので、カウンターの一番いいところをあけておいてもらえました。とりあえずビール・マッコリで乾杯の後、「ホルモン煮」「スジしょうが」「洋食」「こごり」そして、もちろん「カスのお好み」を堪能します。やがて、7時ちょうどからカラオケ開始。
もう、なにがなんだかわからないままに、お店のお客さんが一体となって盛りあがるのはいつもの風景です。みなさんに味わってもらえたかなぁ…。

で、閉店後、東九条に移動。しばし呑みながら、いろんな話をして、気がつくと爆睡。
今回も「バクダン濃いめ」が効きました(笑)。

*1:変な書き方だけど、極めて正しいのですよ

オールロマンス事件の虚構と真実

今日は、京都部落問題研究史料センターの部落史連続講座第2回目です。
前回は11月7日でして、この日は川口くんや阿久澤さんと呑んでいたので行けませんでした。
で、今回のテーマは「オールロマンス事件の虚構と真実」。話されるのはオールロマンス事件の研究者として有名な前川修さんです。
わたしは今回の案内をどこかで見た最初の時から、もう、ワクワクしていました。なんといっても、京都のあるいは日本の部落解放運動というか同和行政のあり方のひとつのターニングポイントとなった「事件」ですから。
とういことと、もうひとつ前々から気になっていたことがありました。それは、
「オールロマンス事件(1950年)から行政闘争が始まったと教えてきたけど、同対審答申の1960年までの10年間なにがあった(なにをしていた)のか?」
ということなんです。これ、部落史の資料をつくる中で、どうしても気になっていたことなんですよね。中世〜近世、あるいは戦前あたりについては、それなりに「ネタ」があるんですが、オールロマンス以降については解説書レベルではほとんどないんですよね。まぁ、『京都の部落史』あたりを読めばいろいろあるんでしょうけどね。

で、ワクワクしながら会場に行って、好位置キープ。軽くお腹に者を入れていると「いつきさん!」という声。ひょいと見ると、阿久澤さんです。ありゃぁ〜、こんなところでというか、京都在住なんだなぁ。
てことで、話がはじまります。

  • オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争はわけて考えている

「オールロマンス事件」を知っている人は多いけど『特殊部落』を読んだ人はけっこう少ないという話。たしかに差別小説としては有名だけど、これほど小説として読まれていないものは、他にはないんじゃないだろうか。
では、著者杉山清次はどういう意識で書いていたのか。
『特殊部落』に描かれている「風景」は、明らかに朝鮮人の姿*1。また、闇米のシーンなんかは部落の話。このあたりについて、前川さんは資料を用いながらていねいに解説されていきます。
質疑応答の時にも出てきたのですが、戦前から東七条への差別事件は頻発しています。こうした「世間の常識」の中で生きていた杉山清次さんの意識と、自分が職務上知り得た現実*2が一体となって、「なんかすごいところ」を暴露しようとしたんじゃないか。そして、その「すごいところ」に「特殊部落」という名前をつけた。
つまり、杉山さんにとっての「特殊部落」というのは、いわゆる「部落」をさすわけでもなく、朝鮮人の集住地域を指すわけでもなく、「世間の人々の知らない世界」みたいなものだったんじゃないかという指摘です。
ところが、これを「部落の姿」*3として、放置した行政の責任を問いながら、地区改善要求の根拠にしていった。これが、「オールロマンス行政闘争」。つまり、『特殊部落』という小説そのものや、その著者杉山清次の意識、あるいはその背後にある社会のまなざしといったものへの差別性を問うならば、それは「オールロマンス事件」といえるのかもしれないけど、それを行政闘争の契機*4にしていったという意味で、小説『特殊部落』をめぐる問題と切り離して考えるべきなのではないかというように、わたしは聞きとりました。

  • 一枚の地図はなかった

「一枚の地図」の話はあまりにも有名で、映画でも見た気がするし、わたしも教室で教えていました。でも、あれ、どこで読んだんだろう。
前川さんは、「別にあったかなかったかはどうでもいい話」と前置きしながらも、例えば『京都の部落史』の中に「地図」にかかわる資料が収録されていない理由を師岡さんの「いくらさがしても資料がなかった」という言葉をひいて「わたしはなかったと考える」と話されました。さらに、あの話の出典として東上高志さんの『差別』の一文を資料として提示しながら、「オールロマンス行政闘争」当時の京都市の部落の数と、東上さんが書かれた時の部落の数のズレを指摘したり、行政側に残された火事の件数や衛生的に問題のあるとされた地域の数と当時の部落の圧倒的な差を示されます。そこから、東上さんの文書を「あれは歴史文書ではなく啓発文書」とばっさりと切られます。
しかし、「一枚の地図」の話を否定することは、実際には解放運動側と行政側の戦前にはじまる地区改善事業への長い長いとりくみを発掘することでもあるのです。わたしたちは戦前・戦中・戦後それぞれに断絶があると感じがちですが、行政レベルで言うならば、人も計画も、すべて連続しているようです。「オールロマンス行政闘争」は、そういう息の長いとりくみの中での、とても大きいターニングポイントと捉えるべきであるという定期というふうに、わたしは理解しました。

  • オールロマンス行政闘争の功罪

わたしは「光と影」くらいにとどめているのですが、ここは「功罪」とずばりと言われました。
「功」はもちろん、同和事業の画期的な前進です。
問題は「罪」のほうです。先にも書いたように、消防局が出した危険地域の数や衛生局が出した改善を必要とする地域の数は、部落の数の10倍以上の数でした。にもかかわらず、それらの地域は放置された。その典型としてあげられたのが東九条でした。
前川さん自身、東九条の中に住み、東九条の中で働き、東九条の中で運動をしておられる方です。東九条の住宅環境を改善するための施策を京都市に要求しても、「京都市は無理である。住宅地区改良法による予算は、すべて同和対策にまわっている」という返答があったとか。実際に、東九条市営住宅が建てられたのはここ数年ですし、まだ3棟しか建っていません。そして、そういうアンバランスが、法切れ後のあまりにも強い逆風をまねていているのではないか。そういうことを「顛末」と表現されました。
なんというか、前川さんの言葉の中に、一種の「恨」を感じました。

  • どこから見るのか

前川さんの話に対していくつかの質問が出ました。
ひとつは
「オールロマンス行政闘争は、結局は、行政内部の地区改善事業をしたい人たちとしたくない人たちのヘゲモニー争いであったと考えることができるのではないか。とするならば、今もまた、逆の意味で同じことが繰り返されているのか?」
というものでした。
これ、かなり辛辣な話だなぁと思いました。でも、そう受けとることもできますよね。
で、もうひとつはムラのおばちゃんの質問というか意見です。
ひとつは、
「オールロマンス事件は、(行政側のきっかけではなく)運動側にとってのきっかけだったのだ。あそこで元気をもらって運動をやったから、さまざまな施策がなされたのだ」
というものでした。
まぁ…。なんというか…。「その時、その場所」にいる人間はこう感じるだろうし、それはそれでひとつの真実かもしれない。でも、それを歴史という形で見た時、「それだけ」がクローズアップされるとするならば、そこにはなんらかの「意図」があるんだと思うのです。その意図に対して、さまざまな方向から光をあてないと、歴史から学ぶということはできないんじゃないかなぁと思うのですが…。
さらに、話の途中で前川さんが「低位性は部落だけにあるのではない。誰かが貧困であるとするならば、その原因がどうであれ、等しく保障されるべきである」という話をされたことに対して、次のような話が出てきました。
「他の貧困はそれが解消したらそれでいいかもしれないが、部落の貧困は、解消されても差別は残る」
あぁ…。久しぶりにこのフレーズを聴いたなぁ。
これに対して、前川さんは
「そのとおりです。だからこそ、差別をなくすためにともに闘っていきましょう」
と返されたのですが、おばちゃんにその真意をわかってもらえたとは思えないですね。
部落史の見直しが提起してきたことのうちのひとつは、貧困と差別をわけて考えるということだったんじゃないかと、わたしは思っています。つまり、貧困な状態の解消は、部落であろうとなかろうとやるべきであって、どこか・誰かを特別扱いするべきではない。そして、それとは関係なく、差別と闘いましょうというラブコールを前川さんは送っているんだと思ったのですが、たぶんそのラブコールは届かなかったんだろうなぁ…。でも、それを責めることはできないんだと思うのです。だって、まさに貧困と差別の中を生き抜いてきたおばちゃんにとって、それが現実であり、そこから物事を見つめ、考え、闘うわけなんですよね。

ん〜。いろんな意味で刺激的な講座でした。
次回も楽しみ…。

*1:どぶろく工場(マッコリのこと)や砧の洗濯シーン、長キセルなど

*2:当時、九条保健所勤務

*3:糾弾要項の中に書いてあるようです。

*4:「ネタ」と言ったらいいすぎかな

交流会の朝

朝早くに生徒が起きる音がしたので「なんだ?」と思ったのですが、どうやら顔をつくりに行ったみたいです(笑)。しばらく布団の中でゴソゴソしていたのですが、エイヤッと起きあがって、朝ご飯の仕込みです。といっても、きのうの扁炉をあっためて、あまったお米をおにぎりにして、卵焼きを焼いておしまいですけどね。
ひとつだけ工夫をしたのは、扁炉の味つけのバリエーションかな。塩・唐辛子だけじゃなくて、ミソをしょうゆを入れてお湯で溶いておいたのも出して、「みそ汁ふうにもできますよ」てことにしました。お椀におにぎりを入れて、ミソをちょいとたらして扁炉のスープをかけると、かなりおいしいです。
あとは、生徒たちの話を聞きながら、ネットサーフィンなんぞやって、合宿も終了→解散です。

で、生徒交流会の合宿

ちょこっと質疑応答にも参加して、その後、全国在日外国人生徒交流会の生徒実行委員による事後合宿です。会場が東九条なもので、わたしが行かなきゃどうしようもないわけで…。
で、わたしの役回りは何かというと、基本的には実働部隊なわけです。具体的には、買い出し・食事担当ですね。って、玖伊屋といっしょですけどね。で、晩ご飯が終わったら、すでに「クズ」になりかかっているので使い物にならないのも玖伊屋と一緒ですわ。
今回のメニューは、水餃子とチヂミと扁炉です。在日のソンセンニンがチヂミにしこたまプッコチを入れたから辛い辛い。でも、あっさりなくなりました。扁炉はさすがにおいしいですね。でも、15人に対して白菜2玉はちょっと多かったらしいです。まぁ残った分はあしたの朝ご飯だからいいんですけどね。
なんだか夜中まであーだこーだと話をしていて、そのまま沈没。

ラインはどこに?

今日は、まずは教育研究集会。といっても、他府県ではどうか知りませんが、うちのところは、まぁアットホームなもんです。
午前はレポート発表。うちに組合、レポートの質はけっこう高いんじゃないかなぁ。てか、一番質が低いのはわたしのか(笑)。
まぁそれはおいといて…
で、午後は池田賢一さんの講演「違憲と洗脳のスローガン”早寝早起き朝ご飯”」です。
まぁ、多少センセーショナルなタイトルではありますが、中身はなるほどと思わせる内容です。
簡単に言うならば、「大切なことやし、考えていかなあかん話やけど、例えばこんな法律つくるのは違憲やぞ!」ということです。そのあたりから、「憲法の本質は第99条にある」とか、フランスの行政の学校に対する考え方とか、いろんな話が紹介されました。なかでも「子どもの実態にスタイルをあわせていく」というフランスの感覚はかなり考えさせられました。講演時間が1時間というのは、そうとうもったいなかったですねぇ。
あ、タイトルは、「法律が個人に干渉するラインをどこにひくのか」というあたりのことなんですが…。

若いっていいわね…

起きられるかと思ったけど、起きてしまうのがしんどいところです。
とりあえず、お風呂に入って目を覚まして、しんどい身体にむち打って朝ご飯。その後、地下鉄に乗って大阪へ。
今日は「トランスジェンダー生徒交流会」の日です。
事前に新しい参加者が来るという情報が来ていたのですが、今回は本当に多かった。おかげさまでK子ちゃんの奮闘もあって、笑いありの自己紹介、涙ありの経験談の交流など、すごく深い話もできました。ありがとね!って、読んでねぇか…。
にしても、中学生のMTFですよ。まぁかわいいことかわいいこと。ま、いいんだけどね…。

交流会が終わったら、恒例の打ちあげ。
だけど、さすがに2日間の疲れが出てきたのか、わたしはほとんど呑めず。7時過ぎに解散という、歴史的な一日になりました(笑)。

課題はてんこ盛り

今日は朝から夕方まで某外国人教育関係の会議。
この会議、まぁいろいろあるけどやっぱり「すごいなぁ」と思います。
だって、各地で最前線でさまざまなとりくみをしている人が集まるわけで、ほんとうに各地であるいは全国で課題になっていることが生で伝わってきます。
例えば、「日本版US-visit」のことであったり、「韓国籍教員の「副主任」就任拒否問題」であったりといったことについて、情報交換を行ったりとりくみの提起があるんですよね。
にしても、そういう論議を聞きながら、「ほんとうに自分はなんにもやってないなぁ」「メチャメチャええ加減な人間やなぁ」「ここに自分がいててええんやろか…」という気分になってくるんですよね。いや、ほんとうに。それくらいすごいんですよ…。

東九条マダン

6時半起床。7時半出発。8時現地着。
まずは大量の荷物を下ろして、出店準備。
でも、生徒が全然来ないよ…。そうこうするうちに、卒業生*1から場所の問い合わせの電話が入ったり、別の卒業生*2から「東寺まで行ってしまった」とかいう連絡が入ったり、それなりに人が集まりそうになってきました。やがて、中学生が友だち連れできてくれたり、なんだかんだと人が集まって、活気が出てきました。

それにしても、マダン当日に働かなくちゃならないことが増えてきたなぁ。それって、生徒の集まりが悪いということなんですよね。てことは、やっぱりなにか新しい方向を考えていかないとやばいんだろうなぁ。

なんてことを考えていたのは昼頃までです。そこからは、極楽とんぼのように、あちらの知りあい、こちらの知りあいと、知りあいを渡り歩きながら、いろんな情報交換をしたりする時間が過ぎていきます。まさに、これが「マダン」なんですよね。

で、3時過ぎ。そろそろ売れ行きが落ちてきました。おそらく、最後にもう一押ししたらもうひと売れするんだけど、そこまでやると撤収がたいへんです。なにせ、炭火の焼肉の処理の一番たいへんなのは、「炭の処理」ですから。なので、今年は早めに撤収を開始。
おかげさまで、明るいうちに撤収ができました。
車を家に置きに帰って、服を着替えて、ふたたび出撃。

*1:子連れ

*2:彼氏連れ

キムチとタレの日

今日は、11月2日にある東九条マダンの準備の日です。
11時開始ですが、わたしは一足お先に会場へ。下準備です。
キムチとタレをつくるには、ニンニクが全部で12〜13房必要です。これらをすべて皮むきしなくちゃなりません。「どうしようかなぁ」と思ったのですが、房の根元のところを包丁でバッサリとやって、水の中に放り込むことにしました。試しにむいてみたのですが、これがむきやすい!
そうこうするうちに、鳥取のお客さん達が大阪から到着。ニンニクむきに参加してくださいます。「なかなか生徒が来ないなぁ」と思っていたら、中学生の子がやってきました。この子、小学校・中学校といろんなしんどい経験をしている子で、それだけにちょっとしっかりしているというか、やんちゃというか、そういうところを持っています。でも、この子がいる限り、京都の交流会はあと6年は安泰だな、と。てか、こういう考えをしているから交流会が広がらないのか…。
やがて、世話人の教員や第1世代の参加者も来てくれて、ボチボチと佳境に入っていきます。会場の台所は、タレとキムチの臭いでいっぱいです。あぁしあわせ(笑)。
やがて、去年のタレ*1を使った焼肉と、チヂミ・ワカメスープで、みんなでダラダラとおしゃべりをしながらの昼ご飯。
食後は、今回のメインイベント、ヤンニンのすり込みタイムです。けっこう地道でたいへんな作業なんですが、みんなでしゃべりながらやれば、それなりに楽しめます。在日のハルモニ達が、おしゃべりしながらのんびり作業をしておられるのがなぜなのか、すごくよくわかります。
てなことをやっているうちに、そろそろおひらきの時間。後かたづけをやって、今年の仕込みも無事完了。あとは、当日を待つばかりです。

*1:常温保存でも1年間充分に持ちます

3連発

  • 朝の出来事

先日、ウトロの町内会長さんから「音響、頼むわ」という電話がありました。
ふだん役立たずのわたしが、お世話になったウトロの方々に恩返しできる数少ないチャンスですから、これは万難を排して行かなくちゃなりません。
てことで、卒業生数人に声をかけてウトロへ。
なにやら今日は、韓国本国から踊りと合唱の「激励」に来られる日とか。音響をやるのに何も知らないわたしもたいがいですが(笑)。まぁそんなシチュエーション&午前なので、もちろんアルコールは×。なんとなく手持ち無沙汰なところへ、ビニール袋を下げたハラボジが一人。なにやら、銀色に光る缶をそれとなく配っておられます。と、わたしのところへも。「ほれ」。思わず建物の影に移動して「プシッ」「ングングング」。やっぱりモーニングはやめられません(笑)。
と、「今日はバイキング形式で」とか言って、広場に並べられた韓国料理の数々。チヂミ・チャプチェ・キムチ・ムなどなど。これがまたおいしい。キムチとモーニングはこれまたあいます。なんかホワワンといい気持ちになったので、会長さんに
「よぅまわりますわ」
と言うと、
「あたりまえや。アルコールと唐辛子は相性がええねん。昔、労働者はな、焼酎に唐辛子入れて呑んでたんや」
との貴重なお話を聞かせていただきました。今度からそうやったら安くあがるんや(笑)。

  • 昼の出来事

先日、前に住んでいた「ムラ」の方から「芋掘り、手伝ってな」という電話がありました。
ふだん役立たずのわたしが、お世話になった「ムラ」の方々に恩返しできる数少ないチャンスですから、これは万難を排して行かなくちゃなりません。
午前に手伝ってくれた卒業生&ウトロで合流した鳥取からのお客さんと一緒に、芋掘りの後の昼食交流会*1。の会場に乱入。すでに手伝わなくちゃならないところはほぼ終わり。にもかかわらず、わたしたちが到着したら
「昼ご飯、食うたか。まずは食べ」
のひとこと。海鮮丼&きつねうどんの昼食からスタートです。その後、
「せっかく来たんやから、みなさんに楽しんでもらえること、なんかせえや」
というお言葉をいただいたので、思わず大学時代のリーダーにもどってハンドリングゲームをひとつ披露。それなりに楽しんでいただけたかな。
やがて、3時頃から会場の撤収。とはいえ、大人数でやっているのであっという間に終了です。その後、主催者の方の家に行って、宴会。ここのムラの方々、おいしいものを食べるためには手間ひまを惜しまれません。工夫して、てをかけてつくられた食べ物は、ほんとうにおいしい!そして、これまたおいしいお酒。
なんだか今日は、食べて呑んでばかりな気がします。

  • 夜の出来事

名残は惜しいけど、5時半頃にムラを出て、京都市内へ。
今日は12月に某所でやる高座の打ちあわせです。
打ちあわせの相手は、これまたムラの人。打ちあわせそのものは瞬間で終わって、そこからは延々とムラを取り巻くさまざまな話。なんだか時間はあっという間に過ぎていきます。気がつくと、11時前。兵庫県から来られているので、そろそろ帰らないといけません。
ということで、夜の部も終了。

なんしか、1日食べて呑んでいた日でしたよ。

*1:ムラの人と作業所の人の年2回やっている交流会