6時に目覚ましが鳴ります。きのう早めに寝たので、体調はまぁまぁ。
とりあえずモソモソ起き出してメールチェックと昨日の片づけ、あとは朝ご飯の準備です。なんかやってることが玖伊屋の朝と同じ気がするのですが、まぁそんなものなのでしょう。
そうこうするうちにみんなも起き出してきます。きのうわたしが寝てしまった後、どんな話になったのか、簡単に報告を聞いておきます。
朝ご飯を食べて、掃除をして、とりあえず「卒業生の会」も終了です。さぁ、昼ご飯を食べに行きますか。
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で、またまた交流会
高校生たちの交流会が終わると、続いて「全国在日外国人生徒交流会・卒業生の会」の開始です。こちらはまぁ楽と言えば楽です。わたしは呑みながら「いる」ことが仕事みたいなものでして(笑)。
にしても、今回はみんな出足が遅い!話をしながら待つのですが、全然来ない。思わず既に来ている連中が
「なにしてんねん」
と電話しまくりです。
それでも10時過ぎにはなんとかみんな到着。そこから晩ご飯づくりです。結局みんなで乾杯したのが11時過ぎ。呑みながら今日の議題を話していたのですが…。わたしは当然ダウンです。ふぅ…。
で、交流会
今日は「お座敷」と並行して「京都・在日外国人生徒交流会」をやっています。わたしがいない間に、卒業生にたのでいるんだけど大丈夫かなぁ。今日の作業は「キムチづくり」「タレづくり」で、これはまぁいいとして、初参加の子がいるという話だったのでそちらがちょっと心配です。
会場に到着すると、すでにみんなでわいわいと作業をしています。みんななんだかなじんでいて、誰が初参加なのか、わからない感じです。よかったよかった。
「お腹が減った」とか言う子がいるので、すぐに昼食の買い出しに行きます。せっかくなので、今日は野菜たっぷりの鉄板焼きにしますか。
作業が一通りすんだところで、お昼ご飯を食べながら交流。その後、ちょっと深めの自己紹介。最初に卒業生がきちんと話をしてくれるので、初参加の生徒もそれなりに話をしてくれます。
このあいだ、友達とケンカした。相手の子は最後に「中国人」と言った。その言葉を聞いて、何も返せなかった。
みたいな。卒業生達は、それぞれに自分の考えを返していきます。そういう子どもたちの姿を見ながら、やっぱりこういう「場」が大切なんだなぁと、つくづく思います。
やがて4時。そろそろ終了の時間です。次は3月だな。
近づいてきた
ここらあたりから、たてつづけに行事がつまってます。なかでも10月31日〜11月1日と11月3日の在日外国人関係の行事は、大量の下準備をしなくちゃならないので、もうワヤです。
きのうはきのうで、しょうゆだのみりんだのをドカンと買って、今日は発泡スチロールのトレイを買って。家では白菜の塩漬けもしなくちゃならないし*1。
平行して、あしたはうちの職場の人権学習。そこへ向けての準備もあるし。
正直言って、インフルエンザにかかるヒマもないです。
それが終わったら…。
あ、原稿が2本+1本あるわorz。
*1:これはパートナーがやってくれるm(__)m
ウトロ歴史資料館のための国際ワークショップ
午前中は自転車の手入れ。見栄えもちょっとマシになってきました。
で、午後からはウトロへ。
考えてみると、京都在日外国人高校生*1交流会が1997年秋にやった交流会では、東九条フィールドワークをしていたんですね。その時の写真がこれです。
当時はスキャンした写真を「どーせ」と思っていたので白黒で保存していたんです。
これ、参加者が東九条の40番地、いわゆる「堤防の街」を歩いている風景です。それが、いまや跡形もなくなっています。東九条に限らず、ほとんどの部落では地区改良前の風景は跡形もなくなっていて、とってつけたような*2町並みが並んでいたり、唐突な*3団地があったりというふうになってしまっています。
もちろん住環境が改善・整備されているわけで、それはとても喜ぶべきことなんですが、一方、「歴史」をなかったことにしてしまうことが可能になるわけです。
なので、ウトロでは「歴史資料館」をつくろうという話が、まちづくりの計画が持ちあがると同時に出てきていました。
で、今回は、丹波マンガン記念館の李龍植さんをお呼びして、歴史資料館をつくることの意味みたいな話をしてもらい、守る会からは田川明子さんに話をしてもらうというワークショップが開催されました。
李さんの話からは、政府がいかに歴史を消し去ろうとしているのかということが、ご自分の体験を通して、これでもかこれでもかと突きつけられました。また、田川さんの話は、ドイツにある小さな町の教会がもともとは強制収容所だったことから、町の人々がその歴史を保存するべく歴史の発掘をされた事例が紹介されました。
いずれの話も、「歴史」と向きあうこと抜きに今・これからを生きることができないこと、にもかかわらず、どんどん資料がなくなっていくことの危機感を語られました。
田川さんの話の中にあったエピソードを備忘のために書いておきます。
今から20年前に「守る会」ができた時に、あるハルモニから「なんで終戦の時に守る会がなかったのか」と言われた。
みなさん、「恨(ハン)」を抱えたまま死にたくはないのです。
その後いろいろあったので(笑)、断片的な記憶しかなくてわけわからんけど、ほんとうにいい話でした。
撤収
朝起きると、枕元に名刺があります。そうか、ヤツも来たのか…。起きてたらよかったなぁ。でもまぁ、うまくいけば来年会えるかもしれないから、それを楽しみにしておくことにしましょう。
今日は昼から用事があるので、早々に撤収開始。若い衆がそれなりに働くので助かります。まぁこういう「タスク」を繰り返すことで、チームがつくられていくんだと思います。プログラムってそういうことなんだろうなぁ。
秘密の焼肉
今日〜明日は、京都府内の某所で、某グループの焼肉大会です。まぁいろいろあるので伏せ字ではありますが、毎年この時期にやっているヤツです。
夕方某所に集合。やがて、続々となつかしいメンバーがやってきます。山の中なのでちょっと肌寒いのですが、これが焼肉とマッチします。みんなで昔話をしながら肉をつつくのは、やっぱり楽しい。
でも、あまり飲み過ぎるといろいろヤバイので、今年も10時ぐらいに布団にはいることにしました。布団の中でホッと一息ついたら、あっという間に寝てしまいました。
たまった原稿
この間、個人的なことがなんにもできなかったツケがここでまわってきます。これの〆切が昨日だったんですけど、ぜったい無理やし…。担当の方に、きのう「おたふく」から
「あした必ず」
と連絡していたので、絶対に今日出さなきゃなりません。まぁ、導入部だけは書けていたので、なんとかなりました。よかったよかった。
その他、もろもろ雑務をこなしているうちに一日終了。さぁ、今日は家でゆっくりしよう。
これが京都や!
午前、ひと遊びして帰ってきたら、パートナーも子どもたちもおでかけ。台所はそのまんま。またあわてて出ていったな。てことで、片づけ&ご飯を仕掛けてわたしもおでかけです。
向かうは円山野音です。
到着すると、すでにおめあてのパンタと岡さんの話は終わっていました。でもいいんです。この雰囲気を感じたくて来たんですよね。
京都市内に引っ越してなにがよかったかというと、こういう集会があったら、ヒョイといけること。まさに京都ならではなんだと思います。で、行けば行ったであちこちに知りあいがいます。ある人が
「互いの無事を確認する年1度の集まり」
とか言っていましたが、たしかに…。
そうこうするうちに、A久◯さんが登場。ふたりでのんびりと集会の時間を味わいました。
で、集会が終わったらデモ!これですこれ。
「反戦老人クラブの人は前!」
とか言われて、レインボーフラッグに身を包んだ人が走っていきます。そんなんあるんや(笑)。
円山公園を出た時は明るかったけど、四河を曲がる頃にはすっかりあたりは暗くなっています。
あんな旗やこんな旗が立っています*1。
「長いシュプレヒコール」は覚えられないのは相変わらずですが、久々のデモはやっぱり(・∀・)イイ!
*1:てか、リンク先のサイトの一番上の写真の真ん中の人、見たことあるぞorz