天一デビュー

今日は下の子どもとパートナーは「餅つき大会」とやらで外出。残っているのは、上の子どもとわたしの2人。まぁ家で昼ご飯を食べるのがノーマルなんですが、せっかくなので子どもを天一に連れていこうかと。考えてみたら、うちの子ども、天一にまだ行っていないんです。
で、自転車に乗って、天一本店へ。
到着すると、並んでいますよ。寒空の中、しばし待って、店内へ。
わたしはとうぜん「こってり・並・ニンニク大・ネギ大・ノーマル麺」です。子どもは「煮卵・こってり・並・ニンニク大・ネギ大・細麺」です。あとはギョーザと◯ール*1
出てきた天一を見て、「うわぁ〜、ほんまにこってりやぁ」と驚きながら、ずるずると食べています。そりゃそうだわ。
でも、妙な違和感を感じたらしい。それは「お腹に優しい」ということです。
うちの子どもは基本的に脂っこいものを食べると、すぐにお腹にきます。ところが、天一のラーメンを食べてもぜんぜん大丈夫らしいです。
帰り道、自転車に乗りながらの会話。
子「今度来たら、「あっさり」を食べてみよ」
い「やめたほうがいいな。「あっさり」は天一と違う」
子「そうなんや」
い「まぁ、天一食べたいけど、一緒に行く人が天一食べられへん時に「あっさりもあるで」と言うためにあるメニューやな」
子「へー、なるほどなぁ。そう言えば、ぜんぜんお腹にきいひん」
い「そらな、天一のラーメンは野菜の繊維と鳥のコラーゲンでこってりしているんやで。油のこってりと違うねん」
子「そうなんや」
い「そら、「豚骨ラーメン背脂入り」の方がよっぽどきついで」
子「そうかぁ。ほな、こってりしかないなぁ」
い「そや、こってりや」
なんとなく、天一中毒者がひとり増えそうな気がしますね。

*1:わたしだけね

ある疑惑

まぁ邪推なんですけどね…。
ある「講師」のプロフィールを探すべく、いろいろネットを検索していたら、妙なことに気づきました。
その講師の方の「属性」のグループ*1はあるのですが、その講師の方、そこにまったく関係なく別のグループ*2を最近立ち上げておられます。で、その講師の方の過去のブログを見てみると、Aへのリンクはあるのですが、現在のブログにはAへのリンクはありません。また、Bのサイトを見てもAへのリンクはない。というか、AのサイトからもBへのリンクもありません。
で、Bのサイトを見てみると、かなり華やか。「マスコミに出た」とかいっぱい書いてあるし、リンク先もスポンサーが主体。ふぅむ…。
なんかきな臭いなぁ…。いったいこの講師の方*3と、Aグループの間になにがあったんだろう…。別途Bグループを立ち上げた目的はなんだろう*4
まぁ、こういうこと、どこのギョーカイでも、よくありますけどね(笑)。

*1:仮にAとしましょう

*2:仮にBとしましょう

*3:けっこうこの講師の方、かっこいいんですよね

*4:気がついたら選挙に出てたりして(笑)

忘れてた!

ここしばらく「論文」に気をとられていて、ルーティーンワークの1500字を書くの、忘れていました。やばいです。
ネタ拾いをしていないから、ぱっと思いつかへん。やばい…。

で、書けた(笑)

いやぁ、久々にマジで苦しみました。
エッセイとか駄文とか雑文なら書けるけど、論文はすんごい考えないといけないということが、よくよくわかりました。
で、提出したわけですが、「ご指摘下さい」とメールしたので、「指摘」がガシガシ返ってきたらどうしよう[1]((;゚Д゚))ガクガクブルブル

footnotes

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1 ((;゚Д゚

会議は続く

午後からも会議。今度が本番です。
ところが会議中にもいろんなメールが入ってきます。それの対応をしながらの会議って、端から見たらいやだろうなぁ…。まぁでも、それぞれ優先順位がつけられない緊急性を持っているので、しかたがないんですけどね。
にしても、全国から集まってくる人たちの「深さ」って、やっぱりすごいなぁ…。

で、帰還・雪と氷の世界(エピローグ)

バイトの子を宿に連れて行っているとスクールから電話。
「すぐにもどってこい」
「なにかまずいことをしでかしたかなぁ」と思いながら帰ると、スクールの皆さん、おでかけらしいです。なので、わたしもそのまま家に帰ることに。って、マジで今日はフリーが一本もなしか…。まぁ雪の上に立てただけでもいいことにしましょうか。
てことで、ふだんよりも1時間半早くスキー場をスタート。おかげさまで、1時間半早く家に着きました。
家には日常がありました(笑)。

初心者指導・雪と氷の世界(5日目)

昨日の夜、晩ご飯を食べていたら
「あした、レッスン入りました。初心者ね。小学校3年生」
と言われました。年長者の次は小学生の初心者ですわ。
てことで、今日はスキーはできないな…。
「宿のバイトの子もついでに教えてあげて」
ということなので、ふたりで出動。現地で子どもと会ってみると、まぁ元気なお子さんです。泣き虫よりは助かります。いや、寒いところで泣かれると、マジで困るんです。
子どもって、とにかく滑りたい。でも、滑るためには登らなくちゃならない。だから、早く登りたい。で、斜面の上に向こうとする。すると、後ろ向きに滑ってしまう。あるいは、歩幅を大きくとってしまう。すると、谷側の足が滑ってしまってうまく登れない。方向転換をしようとすると、一気に向きを変えようとするので、自分のスキーを踏んでしまう。
「いいかい。スキーは少しずつやる人が、結局はできるようになるんだよ」
と話をするのですが、これ、まともに聞いてくれないんですよね。まぁいいです。何度も失敗を繰り返して、自分の中から「少しずつ」という気持ちがわかないと、行動にはつながりませんからね。
一方、バイトの子はさすがに大学生。というか、かなり頭がいいみたい。
「なるほど、バランスをとるとまっすぐ滑るんですね。バランスを崩すと曲がれるんだ」
などとつぶやきながら滑っています。なので、飲み込みが早い。ぐんぐん上達します。
そんなこんなでばたばたやっていたら、午後にはリフトに乗れるようになります。すると、飛躍的に滑走距離が増えます。
はじめのうちはどうしても左のインエッジが立ってしまって、まっすぐ滑れなかった生徒さんも、気がついたらキレイにプルークをするようになって、いつのまにか曲がるようになっていました。
まぁ、初心者指導は怖くないところでたくさん滑らせることかな。
で、レッスンの最後に刷り込み。
「いいかい。しゃがまないで、立つ。前を見る。腕は下げる。この3つは忘れたらダメだよ」
いい姿勢を最初にしっかりと覚えることが、実は上達の最大の近道なんですよね。だからこそ、初心者指導が一番大切なんです。

にしても、腰が不安だ…。

高山病か?・雪と氷の世界(4日目)

朝起きると、メチャクチャ頭が痛い。てか、身体がしんどい。いろんなことをしようにも、動きが緩慢になってしまいます。
まずは朝起きてからの着替え。この時点でノロノロやってます。で、外へ出ると、雪雪雪。はぁ雪かきか…。
朝ご飯を食べたらスキーウェアへの着替え。この時点で、すでに滑るのがイヤになっています。
「スキーに行って、滑るのがイヤ?」と思われるかもしれませんが、イヤになる時があります。でも、滑らなくちゃならないんですよね。たとえ雨が降っても、風が吹いても、気温が12℃*1でも、滑らなくちゃならないんです。仕事ですから(笑)。
で、仕事ですから、お客さんの前では笑顔です。やれやれ…。
まぁ山に上がって4日目って、たいがいこんなものです。だって、標高1500mぐらいのところですから。「うぇ〜」と思っていた状態も、夜になったらずいぶんとマシになってきました。あしたには順応出来ているかな?

*1:雪国ではマイナスがデフォルトなので、プラスの時に「+」をつける

年長者の指導法・雪と氷の世界(3日目)

昼ご飯を食べていると、突然
「午後からレッスン入りました」
と言われちゃいました。まぁ、「アブレ」じゃなくてよかったよかった。
はじめてのお客さんはやっぱり緊張します。どういう人かわからないし、「しょーもないレッスン」と思われてしまったら、2度と来られませんからねぇ。
で、対面したのは50過ぎっぽいおじさま*1。とても物静かな方です。ただ、リフトの上で話がはずまないのが厳しい。なんしか、「沈黙に耐えられない」わたしですから(笑)。
でも、聞いてみると、かつてスクールに入った経験もあり、昔は毎週のようにスキーに行っておられたとか。でも、仕事が忙しくなり、家族ができ、徐々にスキーに行く回数も減ってきたみたいです。いまでは三が日にスキーをするだけらしいです。だんだんスキー技術を忘れていって、今ではすごく疲れるとか。
そうか、燃えておられたんだ。だったら、「いまの自分」はさびしいだろうなぁ。しかも一緒に滑る人がいない。
てことで、今回の目標は「一緒に滑る人になる」というところからスタートかな。それと、「思い出してもらう」ということ。それは技術だけじゃなくて、「スキーへの情熱」みたいなものを思い出してもらうことが大切なんじゃないかなぁ…。
半日のレッスンを終えて、夜に
「明日はどうされますか?」
と聞くと
「レッスン、受けたいです」
と答えてもらえました。うれしかったなぁ。

てことで、ちょっとお勉強。「シュビンゲン」というオーストリアスキー教程をひもといてみます。この本、すごい本です。かつて「生徒」だった頃に読んだら、何を書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。やがて「スキー教師」になり再び読んだ時、もう、本当に「目からヌリカベ」です。スキーの理論から、教師としての心構え、そして技術、指導法、ありとあらゆることが事細かに書いてあります。こんな一文がありました。

年長者はできるだけ転倒せずに、またケガをしないで滑りたいと思っている。転倒や特に起きあがることは、彼らに減退しつつある器用さや柔軟性を意識させる。彼らは恥をさらそうとは思わないし、また速く滑るつもりもない。なぜなら器用さや俊敏性の限界を感じているからである。むしろ、「体力を維持するためになにかを行う」という理由から、長い距離を続けて滑る。すなわち、彼らは上達したいというよりは、冬にも運動をしたいと望んでいるのである。
年長者は、スキー教師に、技術の指導よりも、人間的組織的な世話を期待している。彼らは自ら進んで行おうとすることが少ない。スキー教師はその点を理解して、彼らを励ましつつ滑降や新しい運動を行わせる必要がある。彼らが理解され評価されているという気持ちを抱けるように、スキー教師は彼らの心配や不安を詳しく聞いてやる必要がある。特に若いスキー教師は年配者を指導する場合、教える態度を変えなければならない。しかし、そうした人たちの手だてをして、彼らの人生を豊かにすることは非常に満たされることである。

かつてはわからなかったこの文の意味、いまならわかります。

*1:たぶん、性自認は聞いていない