会議は続く

午後からも会議。今度が本番です。
ところが会議中にもいろんなメールが入ってきます。それの対応をしながらの会議って、端から見たらいやだろうなぁ…。まぁでも、それぞれ優先順位がつけられない緊急性を持っているので、しかたがないんですけどね。
にしても、全国から集まってくる人たちの「深さ」って、やっぱりすごいなぁ…。

で、帰還・雪と氷の世界(エピローグ)

バイトの子を宿に連れて行っているとスクールから電話。
「すぐにもどってこい」
「なにかまずいことをしでかしたかなぁ」と思いながら帰ると、スクールの皆さん、おでかけらしいです。なので、わたしもそのまま家に帰ることに。って、マジで今日はフリーが一本もなしか…。まぁ雪の上に立てただけでもいいことにしましょうか。
てことで、ふだんよりも1時間半早くスキー場をスタート。おかげさまで、1時間半早く家に着きました。
家には日常がありました(笑)。

初心者指導・雪と氷の世界(5日目)

昨日の夜、晩ご飯を食べていたら
「あした、レッスン入りました。初心者ね。小学校3年生」
と言われました。年長者の次は小学生の初心者ですわ。
てことで、今日はスキーはできないな…。
「宿のバイトの子もついでに教えてあげて」
ということなので、ふたりで出動。現地で子どもと会ってみると、まぁ元気なお子さんです。泣き虫よりは助かります。いや、寒いところで泣かれると、マジで困るんです。
子どもって、とにかく滑りたい。でも、滑るためには登らなくちゃならない。だから、早く登りたい。で、斜面の上に向こうとする。すると、後ろ向きに滑ってしまう。あるいは、歩幅を大きくとってしまう。すると、谷側の足が滑ってしまってうまく登れない。方向転換をしようとすると、一気に向きを変えようとするので、自分のスキーを踏んでしまう。
「いいかい。スキーは少しずつやる人が、結局はできるようになるんだよ」
と話をするのですが、これ、まともに聞いてくれないんですよね。まぁいいです。何度も失敗を繰り返して、自分の中から「少しずつ」という気持ちがわかないと、行動にはつながりませんからね。
一方、バイトの子はさすがに大学生。というか、かなり頭がいいみたい。
「なるほど、バランスをとるとまっすぐ滑るんですね。バランスを崩すと曲がれるんだ」
などとつぶやきながら滑っています。なので、飲み込みが早い。ぐんぐん上達します。
そんなこんなでばたばたやっていたら、午後にはリフトに乗れるようになります。すると、飛躍的に滑走距離が増えます。
はじめのうちはどうしても左のインエッジが立ってしまって、まっすぐ滑れなかった生徒さんも、気がついたらキレイにプルークをするようになって、いつのまにか曲がるようになっていました。
まぁ、初心者指導は怖くないところでたくさん滑らせることかな。
で、レッスンの最後に刷り込み。
「いいかい。しゃがまないで、立つ。前を見る。腕は下げる。この3つは忘れたらダメだよ」
いい姿勢を最初にしっかりと覚えることが、実は上達の最大の近道なんですよね。だからこそ、初心者指導が一番大切なんです。

にしても、腰が不安だ…。

高山病か?・雪と氷の世界(4日目)

朝起きると、メチャクチャ頭が痛い。てか、身体がしんどい。いろんなことをしようにも、動きが緩慢になってしまいます。
まずは朝起きてからの着替え。この時点でノロノロやってます。で、外へ出ると、雪雪雪。はぁ雪かきか…。
朝ご飯を食べたらスキーウェアへの着替え。この時点で、すでに滑るのがイヤになっています。
「スキーに行って、滑るのがイヤ?」と思われるかもしれませんが、イヤになる時があります。でも、滑らなくちゃならないんですよね。たとえ雨が降っても、風が吹いても、気温が12℃*1でも、滑らなくちゃならないんです。仕事ですから(笑)。
で、仕事ですから、お客さんの前では笑顔です。やれやれ…。
まぁ山に上がって4日目って、たいがいこんなものです。だって、標高1500mぐらいのところですから。「うぇ〜」と思っていた状態も、夜になったらずいぶんとマシになってきました。あしたには順応出来ているかな?

*1:雪国ではマイナスがデフォルトなので、プラスの時に「+」をつける

年長者の指導法・雪と氷の世界(3日目)

昼ご飯を食べていると、突然
「午後からレッスン入りました」
と言われちゃいました。まぁ、「アブレ」じゃなくてよかったよかった。
はじめてのお客さんはやっぱり緊張します。どういう人かわからないし、「しょーもないレッスン」と思われてしまったら、2度と来られませんからねぇ。
で、対面したのは50過ぎっぽいおじさま*1。とても物静かな方です。ただ、リフトの上で話がはずまないのが厳しい。なんしか、「沈黙に耐えられない」わたしですから(笑)。
でも、聞いてみると、かつてスクールに入った経験もあり、昔は毎週のようにスキーに行っておられたとか。でも、仕事が忙しくなり、家族ができ、徐々にスキーに行く回数も減ってきたみたいです。いまでは三が日にスキーをするだけらしいです。だんだんスキー技術を忘れていって、今ではすごく疲れるとか。
そうか、燃えておられたんだ。だったら、「いまの自分」はさびしいだろうなぁ。しかも一緒に滑る人がいない。
てことで、今回の目標は「一緒に滑る人になる」というところからスタートかな。それと、「思い出してもらう」ということ。それは技術だけじゃなくて、「スキーへの情熱」みたいなものを思い出してもらうことが大切なんじゃないかなぁ…。
半日のレッスンを終えて、夜に
「明日はどうされますか?」
と聞くと
「レッスン、受けたいです」
と答えてもらえました。うれしかったなぁ。

てことで、ちょっとお勉強。「シュビンゲン」というオーストリアスキー教程をひもといてみます。この本、すごい本です。かつて「生徒」だった頃に読んだら、何を書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。やがて「スキー教師」になり再び読んだ時、もう、本当に「目からヌリカベ」です。スキーの理論から、教師としての心構え、そして技術、指導法、ありとあらゆることが事細かに書いてあります。こんな一文がありました。

年長者はできるだけ転倒せずに、またケガをしないで滑りたいと思っている。転倒や特に起きあがることは、彼らに減退しつつある器用さや柔軟性を意識させる。彼らは恥をさらそうとは思わないし、また速く滑るつもりもない。なぜなら器用さや俊敏性の限界を感じているからである。むしろ、「体力を維持するためになにかを行う」という理由から、長い距離を続けて滑る。すなわち、彼らは上達したいというよりは、冬にも運動をしたいと望んでいるのである。
年長者は、スキー教師に、技術の指導よりも、人間的組織的な世話を期待している。彼らは自ら進んで行おうとすることが少ない。スキー教師はその点を理解して、彼らを励ましつつ滑降や新しい運動を行わせる必要がある。彼らが理解され評価されているという気持ちを抱けるように、スキー教師は彼らの心配や不安を詳しく聞いてやる必要がある。特に若いスキー教師は年配者を指導する場合、教える態度を変えなければならない。しかし、そうした人たちの手だてをして、彼らの人生を豊かにすることは非常に満たされることである。

かつてはわからなかったこの文の意味、いまならわかります。

*1:たぶん、性自認は聞いていない

陸トレ・雪と氷の世界(2日目)

晩ご飯を食べて一日の仕事がほぼ終わりになろうかと思うころ、スクールのお客さんが「ミーティングがしたい」と言ってこられました。まぁ、スクールの間は夜はヒマなので、みなさんとおしゃべりをするのも楽しいかなというところです。
で、久しぶりにスキーの技術ビデオなんかを見ながら、しばしのスキー談義です。
考えてみると、雪がたくさんあるところで育った人や、1シーズンずっとスクールで勤務している人よりも、わたしみたいに好きが高じて、非常勤でスクールのスタッフをしているような人間の方が、お客さん達にとってはいいのかもしれないと、ふと思いました。
だって、1シーズンの滑走日数が100日なんていう人のうまくなるなりかたは、普通のお客さんにはとうてい参考にならないと思います。わたしなんて、最も滑った時で年間20日かな。最近では10日滑るのが目標という程度です。そうすると、雪上にいない時にどんなイメージをつくるのかが勝負のカギになります。今考えると、雪の上に立てない間にほんとうにいろんなイメージトレーニングをして、体に「いい姿勢」「いい動き」をしみつかせていきました。てことで、今日はその一端をお客さんに披露。披露しながら、わたし自身も「こんなことを考えて「陸トレ」してたなぁ」と、振り返りながら整理をすることができました。

で、考えてみると、「伝える力」っていうのは、「特殊な環境*1」で達成した人よりも、「普通の環境*2」で達成した人の方が、より大きな力をもっているんじゃないかなぁと思いますね。それは、苦手な生徒に数学を教える力は、わたしたち教員よりも生徒の方にあるということと共通をしているのかもしれないなぁと思ったりもします。

てなことで、スキー談義の夜は更けていきました。ちょっと幸せかも(笑)。

*1:ある意味恵まれた環境

*2:ある意味恵まれていない環境

新雪を楽しむ・雪と氷の世界(1日目)

朝2時起床。2時半をまわったあたりに家をスタート。目指すは年始恒例の「雪と氷の世界」です。
途中仮眠をとりながら、なんとか8時半頃に到着。で、9時からレッスンです。与えられた班は12人構成。もう、わけわかりません。なんしかザッとみなさんの滑りを見て、「このあたりが課題だな」ということをやります。でも、ひとりひとりにコメントしていたら、時間がどれだけあっても足りません。とにかくどんどん滑ってもらいながら、気がついたポイントだけをちょこっとアドバイスです。
で、午前の最後はとっておきのコースにみなさんを案内します。長年来られているお客さんでも、なかなかご存じないコースがあります。そういうところにつれていくのもスクールスタッフの仕事なんだと思います。まぁ、「山」というシチュエーションの中で、安全に楽しんでもらう。そこにいろんな要素をまぶしていくのが「技」というものかなぁと思います。
てなことをしていると、あっという間に午前のレッスン終了。
午後からは人数が半分に減ったおかげで、集中的にレッスンができます。
スキーって、やっぱり「姿勢」が大切だと思います。かつては「姿勢」はスピードの中で結果的にできるものだと思っていましたが、それはエキスパートの話でしかないと、最近では思います。やはり、基本になる姿勢があって、それをもとに発展させていくんじゃないかなと。ということで、パラレルができるお客さんであっても、練習課題にプルークボーゲンを入れることにしています。今日も、午後から超緩斜面を使ってみっちりとプルークボーゲンを使った姿勢のレッスンをしました。でも、こういうのをやっていると、だんだんみなさん煮つまってこられます。てことで、最後はちょいとエンジョイスキー。まぁこういうのも定番のメニューですか。
レッスン終了後は、自己練習。「遊び」とも言いますが(笑)。せっかくの新雪、それも深雪なので、それを楽しまない手はありません。ちょっと腰が心配だけど、定番の新雪コースとかコブ斜面を飛び回りました。明日が少し心配だな…。
てか、眠い…。

35周年記念集会

で、会場へ移動。
まずは、沖浦和光さんの講演「大阪の「悪所」について 〜色町・芝居町・被差別部落〜」です。
沖浦さんの話は前から聞きたいと思っていたのですが、やっと聞くことができました。しかも、「ディープサウス」についての話です。
お好み焼きを食べていた関係で、ちょっと遅れたのですが(笑)、無事会場に到着。友だちのI岡さんがとっておいてくれた席に落ち着いて、話に集中です。話自体は、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、わけがわからないわけですが、でも、子ども心ながら「当時の空気」を吸ったことのある沖浦さんにしかできない話です。たしかに「名講義」でした。でも、最終的になんの話だったのかよくわからないわけですが(笑)。
講演のあと、質問に行きました。
「色町には男娼やMTFもいたと思うのですが…。そうした人々もおそらくは被差別民として存在していたのではないかと思うのですが、そのあたりについてはご存じですか?」
答えは「わからない」でした。やっぱりなぁ。なにせ文献がないらしいです。やはり、わたしたちの先輩についての思索は、順子姐さんが頼みの綱なんだなぁ。

分科会は「組織・社会変革につながる人権の学びを! アメリカ・ADL(反名誉毀損同盟)の多様性教育プログラムに学ぶ」というもの。
う〜ん。この手の「学び」って、参加体験型学習とかワークショップとか、そういうのが多いんですけど、わたし、基本的には苦手なんです。「精神」はわかるんですけど、それを具体化する時にどのような手法をとるかというのは別のことだと、渡しは思っているんですよね。
わたしは自分が話をする時に、基本的には「参加体験型」を意識しています。というか、そうならざるを得ない。「新しい知識を知る」という「だけ」なら、別に参加体験型を意識する必要はありません。ではそういう「講演」がつまらないかというと、わたしは自分の知的好奇心が刺激されるので、すごく好きなんです。まぁ沖浦さんの話がおもしろかったというのが、その象徴なわけで。でも、わたしの話は「知識をつける」という話ではありません。では、何を刺激するかというと、やはり参加意識を刺激したいわけです。じゃぁ、参加意識は「みんなで動いて」という手法だけかというと、それは違うと思っています。
「聞く」という行為には、受動的な「聞き」と能動的な「聞き」があるんだと思っています。「受動的な聞き」は、スピーカーと自分との関係を固定化して考えるものかなぁと思っています。そこではスピーカーは「他者」として存在します。それに対して、「能動的な聞き」は、スピーカーの語りは自分の語りとパラレルに存在します。スピーカーは「他者」ではあるのですが、それを触媒として「自分のストーリー」が自分の中で語られます。なので、スピーカーの語りは絶対化されない。「体」は動かないけど、「心」が動く。そういう語りをしたいと、常に思っています。きっとそこに「参加体験型」という「手法」は必要とされないんだと、わたしは考えています。
てことで、分科会の意図は充分に感じながらも、どこかに違和感を感じながらの分科会でした。てことで、あまのじゃくなわたしを許してくださいね>ファシリテーターのみなさんm(__)m

某シンポ

今日は午後から某在日外国人教育関係シンポジウムです。わたしは主催の側なので、かなり早めに出動。ところが、相方がいない。しゃーないので、勝手を知らないまま右往左往しながら準備を進めました。ようやく一段落ついたところで、お昼ご飯を食べようと思い外出。さて、速攻食べられる店は…。結局天一をあきらめて、なか卯ですわ(;_;)。牛丼食べている最中も電話はかかってくるわ、メールは来るわ。もう、ワヤです。
それでもなんとか開会の時間にはすべてがすんでいました。
あいさつ・記念講演とすんで、朝鮮初級学校からの緊急アピールです。むちゃくちゃな映像(動画はこちら)です。器物破損とか脅迫とか侮辱とか、いろんなことがなされているのに、完全放置です。誰かの家の見学ツアーとはエライ違いです。映像を見ながらクラクラ来てしまいました。
その後、外国籍の公立学校教員の差別的処遇にかかわるシンポジウム。みなさんの話を聞いていると、制度的なものだけじゃなくて、なんとも言えない、真綿で首を絞めるような「空気」がただようところもあるんですね。もちろんぜんぜんない職場もありますが。なかでも、
「一生懸命やっている。それは、できて当たり前というプレッシャーがあるから。もしもダメだったら「やっぱり朝鮮人だから」と言われるのではないかとおそれている」
という言葉に、深くうなずいてしまいました。まさに、マイノリティの先駆者って、こういうプレッシャーの中で、日々淡々と暮らしているんだろうなぁ。
深くうなずくこともあり、笑いもあり、いろんな世代の、いろんな校種のパネラーの人たちからの話を、ほんとうに新鮮な気持ちで聞くことができました。