新しい視点から部落問題を考える

今日は人権教育研究会の夏季研。午前は記念講演。講師は関西大学の石元清英さんです。
わずか1時間半の講演の中で、部落の現状・歴史、さらには「部落とはどこか」「部落民とは誰か」について語り、さらに人権教育への提言までいってしまうあたり、すごいです。
先日の板東さんの話もそうだったんだけど、いままで自明としてきた「部落」「部落民」は、実は自明のものではないんですよね。すごく簡単に言えば、
「まわりから部落とみなされたところが部落」
なんですよ。これって、完全な自己言及です。でも、そうとしか言えない。さらに、
「まわりから部落民とみなされた人が部落民
これもまた、完全な自己言及です。でも、これもまた、そうとしか言えない。石元さんは「血筋の間違い」をきわめてロジカルにあらわされます。2000年調査(だと思う)のデータである、「純ブラ85%」「半ブラ15%」として、いくつかの仮定をおきながらではありますが、5代前までさかのぼると、16通りのパターンができます。この16パターンの確率を計算されるわけです。すると、「純ブラ」の確率なんて、1%未満になったりします。つまり、血筋の問題ではないと。結局まわりからの視線の中にあるわけです。
ここに部落問題の「語りにくさ」が出てくる。
そういう意味で、石元さんは
「部落問題は応用問題」
と言われます。これ、どこかで聞いたなぁ。あぁ、藤田敬一さんだ。
「にもかかわらず、従来の人権学習では部落問題から入っていった」
まぁそりゃそうです。そこで
「例えばミソジニーみたいなものを扱って、人間関係の問題を考え、そこからの応用問題としてやった方がいいのでは」
という提起がなされました。ここで「いじめ」とか言わないところがいいですね。ミソジニーは、「女性vs男性」という対立構造でとらえるだけじゃなくて、女性自身の中にも存在しますから、単純な「差別・被差別」の構図になりにくい。
とにかく、この夏、わずか1週間経たない間に、ふたつの立場から「部落とはなに?」「部落民とはなに?」ということを聞けたのは、大きな収穫でした。

ちなみに帰られる石元さんを送りながら、
「どうしても人権学習では◯◯「を」教えると考えがちなんだけど、◯◯「で」を教えるというふうに発想を転換すると、けっこうどの問題をやっても、人間関係とか社会の話に持っていけますよ」
みたいな生意気を言ってしまったりしていました。

「性と生」分科会

今日は分科会の日。いろいろありましたが、やっぱり「性と生」分科会に出てしまうのはしゃーないですね。というか、助言者は中村美亜さんやし。
とにかく今はあまりすたすた動けないので、早め早めに行動しなくちゃなりません。さいわいここ数年でそういうクセができつつあるので*1、+5分程度早めに動けばなんとかなります。
会場に着いてしばらくすると、中村美亜さん登場。
「おひさしぶりです〜」
「あ〜、いつきさん」
覚えてもらっていた\(^o^)/
午前中はレポート発表・質疑応答と助言者からのコメントで終了。言いたいことは山ほどあるけど、「質疑応答」で「意見」を述べるのは反則だというポリシーがあるので、ガマンガマン(笑)。
昼食休憩の時に、鹿児島のまりあちゃんのお母さんと対面。ひとことで言って、おもしろい人やな。でも、考え方に共感することが多々あって、うれしかったです。
で、午後はグループ討論。20分ぐらいで6〜7人がひとことずつしゃべる…。てことは、持ち時間は2〜3分ですね。てことは、しゃべれる内容は、ほんとうにワンポイントですね。
で、各グループからの発表。
で、休憩。
なんでいままでダラダラと書いたかというと、このしゃべりのわたしが、約4時間、ずっと黙っていたわけで。てか、グループ討論の1分ぐらいですよ。
てことで、全体討論ではたまっていたものが吹き出てしまいました。司会者の方、すみません、すみません。

*1:仕事上の問題で、そうしなくちゃならなかった

ここからが本当の用事

裏の用事はそれはそれ。表の用事もあるわけで。
今日〜明日と、日比谷公会堂で「母と女性教職員の会 全国集会*1」がありまして。今日はその全体会の日です。
この「母女」、実は「行きたい」とは思っていたけど、ずっと「行きたい」と言いだせなかったものなんですよね。ひとつは、うちの教組の女性組合員が「行きたい」と言ったら、もちろんそっちが優先です。
でも、もっと大きな理由は、「わたしが行ってもいいのか?」ということなんですよね。1954年からはじまった「母女」の運動は、当時の状況を考えると、画期的だったし、組合という中での一大ターニングポイントとなったと思うわけです。そして、いまも「退職女性教職員」という形で、当時のことを知る人々も参加されます。
こういう集会に、MTFトランスであるわたしが参加するということは、それなりの自分の中の「思い」が必要だし、それよりもなによりも、みなさんの「受けとめ」なしには参加できないと思うわけです。少なくとも「自分は女になった」などとは、口が裂けても言えない。逆に言うと、「男」だったら、もっと敷居が低かったかもしれないなぁとも思うわけです。
そんな自分ではあるけど、やはり一度は参加したかった。なので、今回たまたま参加希望者がいなかったということと、日程があいたと言うことで、はじめて「母女」に参加することができたわけです。
で、全体会。いい!
なにがいいかというと、例えば開会宣言やあいさつの時、必ず「自分のこと」をひとこと言われます。それが実に活き活きとした内容です。ほんとうに血の通った言葉が出ます。そんなところにも「母女」にかける思いを感じます。
で、桜井千恵子さんの記念講演。おもしろい内容だったけど、途中で体調悪化。まだリハビリが足りません。しかたがないので、ちょっと外に出てソファーで横になります。
続いて、沢知恵さんのコンサート。いいですね。ほんとうにいい。「おんな」が「おんな」に対して放つメッセージが、これほどまでに優しいものかと思いました。いろんな歌があったけど、例えば「おんな」にとっての「若さ」ってなんだろう、「老い」ってなんだろう、そんなことを感じながら、いま、わたしのとなりにいてくれている「おんなたち」との関係が、だんだん腑に落ちてきました。
と、いろんなことを考えながら聞いていると、いきなり「えっ!」と思う曲がはじまりました。
「死んだ男の残したものは」
でした。

*1:「全国母女」と略

で、リハビリ第2段階

今日は午後から東京で組合の会議。
なんでXデー後1週間でそんなことを…。まぁしゃーないです。もとからあった予定ですから。というか、この程度を乗りきれないと、あとのいろんなことが乗りきれません。まぁ、壮大なリハビリということで。
会場に着いたら、さすがにほとんど知らない人ばかり。そりゃしゃーないです。基本「女性部長」の会議なんですからね。そんな中、それでも知っている人が数人。あと、わたしを知ってくれている人も数人。ちょっとホッとしました。
会議は淡々と進み、あっという間に終了。その後近畿ブロックの打ちあわせ。へーこんなふうにやってるんだ。打ちあわせもあっという間に終わり、その後
「呑みに行きません?」
と誘われたけど、今日は残念ながらパス。う〜ん、こういう展開になるんだったら、次回からは考えなくちゃ…。

ムラの子だけどブラクミンじゃない(かもしれない)わたしと解放運動

今日は人権教育研究会の夏期研修会。午前は元IMADR職員の板東さんです。今日のタイトルは、その講演のタイトルです。
内容は、かなりプライベートなことなので、ここには書きませんが…。
ほんとうにいろいろ考えさせられました。まぁ結論的にいうと、アイデンティティ的には「辺縁群がおもしろい」ということです。
考えてみると、「部落内居住者」って、いろんなパターンがありますね。まずは「純ブラ*1」「半ブラ*2」「ノーブラ*3」(by 角岡さん)と、とりあえず3つのパターンがあります。で、それぞれに対して、例えば「運動をしているか」「出自を語っているか、隠しているか」「パートナーは部落民か否か*4」「進路はどうか」「階層はどうか」など、さまざまな要素があります。そこに部落外居住者まで含めると、もうなにがなんだかわからなくなります。なにが言いたいかというと、それぐらい「部落民」は多様であるということです。
ところが、こうした中で「部落内居住の純ブラ」は、アイデンティティのゆらぎがあまりない。まぁ「中核群」ってことですか。しかも、この人たちは、他の要素についてあまり問われない。まぁ大切な要素として「被差別体験」というのもあるんですが、若年層においてはどんなものだろう…。で、さらにこうした「中核群」は、「部落民とは誰か」ということを分別する基準を持っているみたいです。
こういうことを考えるたびに、かつて聞いた朴実さんの講演のあるフレーズを思い出します。

ある朝鮮人の集まりにいった時、日本名を名のる韓国籍の人から「お前は朝鮮人ではない」と言われた。そこで「朝鮮人とはなにか?」と問い返すと「それは国籍だ」と返された。
しかし、日本名を名のり朝鮮人であることを隠している韓国・朝鮮籍の人間と、日本国籍ではあっても民族名を名のり、民族文化を取りもどそうとしている人間のどちらが朝鮮人であろうか。
(こんな感じだったと思う)

きっと朴実さんに
朝鮮人とはなにか?」
と問うたら、
「それはなぁ…」
と言いながら、その後は延々と語るか絶句するか。少なくとも、ひとことで言いあらわせるものではないということだけは伝わってくるような語り口になるんじゃないかと思うのです。でも、そこにこそ「アイデンティティ」があるような気がしてならないのです。結局延々と語り続ける以外ないということなんだと思います。でも、だからこそ、人間の存在はおもしろい。
まぁ、こんなこと「運動」にはならないんですが、でも、「人を変えるのは内圧」と考えるわたしにとって、「人(含むわたし)を変えること」=「運動」なわけで、やはりこのあたりを避けて通ることはできないと思うわけです。
てなことを考えさせてくれる、とてもいい講演だった気がします。

*1:両親とも部落民(ここで、その「部落民」ってなに?っていうのは、とりあえずおいておきます

*2:片親が部落民

*3:両親とも部落外出身

*4:以内というのも含めて

寝たきりでできる仕事開始

明日大阪である某セミナー。直前まで迷いましたが、大事をとって休むことにしました。関係者の皆様、わがまま言ってすみませんすみません。
その代わりといってはなんですが、セミナーで話をするはずだった内容を原稿にして送ることにしました。まぁ、自己紹介ややってることの紹介や今考えていることあたりの話なんで、さほど考える必要はないのですが…。
と思って書きはじめたのですが、これがけっこうたいへんでした。
やっぱり、考えることと、しゃべることと、書くことは、まったく違いますね。「書く」ためにはずいぶんと整理して、かつある程度筋道を立てる必要があります。やはり口から出任せしゃべるのとはぜんぜん違います。結局昼頃からとりかかって、途中、モトGP見たり、「燃えよドラゴン」を見たりしたものの、完成したのは午前0時オーバーでした。
担当者の方、すみませんすみません。

SORDへ

放送コンテストでお世話になったSORDへ、久々に行ってきました。目的は、JASEのニュースレターの配達です。
放送部の子どもたちが果たせなかった「思い」を、せめてわたしが子どもたちに代わってやらなきゃなぁという思いで書いた内容が、今月号の「つれづれ日記」です。それをぜひとも読んでほしかった。
SORDのみなさんは暖かく迎えて下さいました。それどころか
京都府予選で落ちたのは、子どもたちにとっていい勉強だったんじゃないですか」
と、これまた優しい*1お言葉です。たしかにそうです。「負け」から学んでほしいですからね。
SORDのみなさんと中岡さんは、この27日に富士山に挑戦するとか。今日もその準備の真っ最中です。そんな時間をちょっともらいながら、けっこう有意義で楽しい話ができました。
子どもたちはこれからSORDに遊びに行くことはあるかな?たぶんないだろうな。でも、わたしはたまに顔を出してみよう。そんな空気を持っている「場」ですね。
とりあえず、富士登山、がんばれ〜!

*1:厳しい?

サポート(その2)

それでもとりあえず、昼前に家をスタート。駅までパートナーが送ってくれたけど、車を降りがけに、思いっきり頭をこづかれてしまいました。怖いよぉ…。
で、大阪へ。ここで、M木ちゃんとYちゃん*1に合流。あ、UIコンビももちろんいます。で、「かかし荘」へ。
しばし「はなちゃん」とか「K坂さん」とかと話をしながら、大阪の生活についてよもやま話。
やがて時間が来たので天王寺へ。ここでT原さんと合流。
まずはお好み焼き屋で大阪の高校生活について話。
5時頃になったところで
「河岸を変えましょう」
ということに。ちょうど京都からUITトリオのTさんも登場。さらに、なぜかBんちゃんも合流。いよいよ異種格闘義戦の様相を呈してきます。
とは言え、今日のメインテーマはYちゃんのサポート*2
「どんな絵がほしいの?」
「あ、いかにも相談している感じが…」
「了解。みんないい?1・2・3・Q!」
これで、T原さんがいきなり相談をはじめるのがすごい。Bんちゃんもしっかり聞き役にまわっています。で、わたしはコーディネーターをするフリをしながらM木ちゃんにも話を振ります。みんな役者です。おかげさまで、無事ロケも終了。ってか?

*1:米子の現役ニューハーフ

*2:と、それをしている風景のロケ

ちょっとマジメに

続いて東九条へ。UIコンビからUITトリオになって、とりあえずインタビューとか。
基本的にはインタビューはしない方向みたいなんですけど、やっぱり落ち着いてまとめた話を聞きたいとか。そりゃそうでしょう。さらに言うと、今しかだめな話もあるわけで(謎)
にしても、クーラーの音がうるさいからとクーラーを切ったもので、暑いのなんの…。
インタビューの後の打ち上げのビール&チューハイのおいしかったこと。もっとも、打ち上げ会場も扇風機しかないけどね。
暑いさなかに、会話も暑い。
U「バブルのあとに生まれたヤツって、夢がちっちゃいんだよな」
I「え、そんなことないですよ」
U「あるって。お前ら、世界征服の夢とか見てないだろう」
D「あ、あるある。世界同時革命とか、今でも考えてる」
U「な、お前ら、そんなこと考えてないだろう」
I「た、確かに」
でも、考えてみると、大学の頃って、こんなんだったよなぁ…。

サポート(その1)

この3連休、サポート第1回目です。
今回は、2年ほど前に中国から来た子どものサポート。と言っても、なにをするわけでもなく、友だちにつきあってサポートの付き添いをしただけのことなんですけどね。
にしても、たいへんですわ。いや、たいへんなのは本人です。
学力はあるんです。わかればぜんぜんOK。ところが、日本語がわからないから、問題文の意味がわからない。だから答えられない。
ほんまに「学力」ってなんやねんと、つくづく思いました。なんとか高校に受かって欲しいなぁ…。