京都に残るハンセン病の跡

その後、宮前千雅子さんの案内で京都に残るハンセン病の跡をたどるフィールドワークです。なんと豪華なことに、マンツーマンですよ。
まず行ったのは「長仙院」です。
ここにはかつて京都にあった「物吉村」のお寺にあった仏像なんかが移されています。そのことを示す「北御門院長棟堂 清圓寺」という札があります。仏像は真っ黒です。宮前さんは
ハンセン病の人たちが一生懸命護摩を焚きながら祈っていたんでしょうね」
と言葉を添えられました。
次に行ったのは松原通。ここ、かつての五条通とか。そういえば、そのままずっと行くと清水坂に行きますからねぇ。
ここの川沿いあたりが、かつての物吉村です。いまでこそ宮川町なんかがあってにぎわっていますが、かつては「野辺」だったところです。この一角に、「清圓寺」があったことを祀る小さな祠があります。

中にはちゃんとおいなりさんもおられます。
この一帯、「弓矢町」とか「轆轤町」という地名です。まさに、「つるめそ」であり「木地師」です。
わたしは、いわゆる「皮多系」についてはちょっとは勉強しましたが、「非人系」の歴史についてはほとんど知りません。というよりも、おそらくは研究段階なんでしょうね。それだけに、非常に興味深く感じました。

在日外国人生徒交流会

朝、目が覚めるとBんちゃんがいます。めっちゃ珍しいです。というか、はじめてか。どうやらYきみちゃんの面倒を見ていたようです。やさしいな。
それにしてもYきみちゃん、寝言とか悪態がすべて韓国語です。別にルーツ的にコリアンが関係しているわけでもないのに、第2外国語かなにかで韓国語を勉強するだけでこれだけできるとは。Bんちゃんが同時通訳してくれるから意味がわかるものの、すごいです。Bんちゃんも
「発音、完璧や」
とビックリしていました。

てなことをゆっくりしているヒマはありません。午後からは生徒交流会で高校生たちが来ます。あわてて片づけ開始です。

なんとか11時頃にまにあって、交流会開始。
今日のメニューは「徳島づくし」です。
メインはもちろん「ひっかり雑炊」。小松菜を洗ったり、ほその下準備をしたり、みそ汁の味つけをしたり、K野さんの指導のもと、子どもたちがつくります。そうそう、M木ちゃんが弟*1をおいていったので、手伝ってもらいました。その他、「豆入りのお好み」とか「入りカスの焼きそば」とか、「どこが徳島やねん」という感じのメニューですが、あきらかに徳島です。

今日は人数は少なめだけど、メンバーがおもしろいので、話が深まります。K野さんは自分の実践の話を、S輔も自分の生い立ちやとりくみの話を、小M木ちゃんも自分の生い立ちを、それぞれ語ってくれました。それに呼応して、京都の高校生も自分のことを語ってくれます。
きちんと語ってくれたら、他の人もきちんと語ってくれるんですね。今日の交流会がそういう場であってよかったなと思いました。

で、普通は交流会が終わったあとどこかに行くんですが、さすがに今日は体調が限界です。おとなしく帰ることにしましょう。

*1:小M木ちゃん

会議の過ごし方

今日は某在日外国人教育関係の会議。
午前の部は一時間くらいでサクッと終了。
昼ごはんを軽く呑んで、午後の会議に突入。
実は、午後の会議の議題にかかわるデータを持っているのがわたしなんですよね。なので、論議の最中にデータを更新するはめになるわけで。そうなると、もう、てんやわんやです。なにがいったいどうなっているのやら。
てことで、えらいめにあいました。
ふぅ…。

フィールドワークと講演

朝、へろへろです。でも、今日は午後から出張だし。
職場に着いて、
「昨日の〆は結局天一でしたわ」
と報告すると、みなさんから失笑が漏れます。そりゃそうだ。
午前の業務をこなして、午後から出張。今日は、わたしの「第2のふるさと」のフィールドワークと地元の人*1の講演です。
会場に着くと、会場の人がえらい剣幕です。
「車、何台来るねん!」
「そんなん、わかりますかいな。10台くらいとちゃいますか?」
「おまえなぁ!」
まわりの人たち、メチャクチャ怖がっています。でも、この人、ものすごく優しい人です。ただ、とりあえずワンプッシュしてから笑顔になるタイプなので、そのワンプッシュ中ということです。案の定
「頼んだで」
のひとことあとはずっと笑顔。いい人です(笑)。

で、フィールドワーク開始。案内人の方から
「おまえ、最後尾な。案内できるやろ」
と言われました。いやいや、無理ですよ。
そうか、6年前まで15年間、ここに住んでいたんだなぁ。家の前まで行くと、ちょうどお向かいの人が外出から帰ってこられたところでした。
「久しぶり〜」
「ごぶさたしています」
「変わらへんなぁ。またこっち来たら寄ってや〜」
「ありがとうございます」
みたいな会話です。

その後、ムラの歴史と現状と課題についての講演。
自分史とムラの歴史が重なるあたりについては、やっぱりその人にしか話ができないわけで、すごくリアルな話になりますね。でも、逆に言うと、全体をある程度知っている人間にしかそのリアルさは伝わらないかもしれません。もちろん、内容的には十分はじめて聞く人でもわかる話なんですが、「その先」はそれなりのことがどうしても必要になるのかな。まぁ、それはムラの歴史に限らないことだとは思いますが…。

てな感じで、あっという間の半日でした。
さて、今日は帰ってのんびりするぞ…。

*1:支部長ね

ふと思いついた

パートナーが
「もう時間ないで」
と促してくれます。ありがたい話です。車に乗せてもらって駅まで。で、西へ西へと移動。そう言えば、先週もこんなことやっていたなぁと思いながら、ついたのは佐世保。とりあえずホテルにチェックインして、そっこう着替え。で、ふと思いついた。

知〜らない〜街を、走ってみーたぁいー♪

ジョギング中毒者の歌ですな。
長い間走っていて、ある時から走らなくなって、はじめは忙しさにかまけて
「もうやめた」
と思っていたんだけど、一度走りはじめると、再び禁断症状がもどってきて、走らないとダメな気がしてくる。まぁ、中毒ですね。
てことで、佐世保の街を40分ほどウロウロ。
あー気持ちよかった。

はじめて聞いたかも

今日は午後から地元の研究会の総会。記念講演は、地元の教育連絡会の会長さんの話です。会長さんといっても、年はそんなに離れていないし、まぁチャキチャキの活動家&実践家です。まぁ簡単に言うと「名誉職」的な会長さんじゃないってことですね。
講演はわずか1時間。内容は、地元のムラの近世からの歴史と、自分史を交えた現代史。そして現状と課題。まぁ1時間では無理だろうなと思ってたら、やっぱり無理でした。そりゃ、ペース配分が前半長すぎますよ(笑)。
というのはおいといて…。
わたしはここのムラ、わたしの地元でもあったので、ここの部落史の本は持っています。で、かつて部落史の教材をつくった時に必死で読んだので、まぁ把握はしています。ふんふんふんと聞いていました。でも、後半の「自分史を交えた現代史」は、やっぱり迫力が違います。
「今にしてみたら、よぅこんなところで住んでたなと思いますが」
と笑っておられるのですが、ほんとうに「よう住んでたな」です。もちろん知識としては知っています。あるいは、他の人の話で聞いたこともあります。でも、やはり20年近く一緒に活動をしてきた会長さんが自分の話としてされるその内容は、ぜんぜん迫力が違います。
今回は尻切れトンボで終わってしまいましたが、近々フィールドワークと併せて話を聞かせてもらえるので、すごく楽しみ!

某研究会にて

午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。

某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。

某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。

はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。

まだまだ続く

で、向かったのは東九条。今日からあしたにかけて、在日外国人生徒交流会卒業生の会の新年会です。新大阪からの参戦組は、わたしを入れて4人。当然わたしが守山まで乗り越さないためのガード役です。てか、まだ9時やって。
で、会場に着くと、5人しかいない。しかも、うち3人はさっきまで新大阪にいた人たち*1です。いや、徳島から交流会に遊びに来るのも大概ですがね。でも、会のメンバーはIローとその妹のふたり。ダメじゃん。まぁいいや。とりあえず食べ物つくって呑みましょう。
そうこうしているうちにT―マスとNぎちゃん登場。
あまりにも人数が少なすぎます。さっそくT―マスはBんちゃんに電話。
「今日は強制や」
向こうでなにやらベタなギャグを言っています。みんなで腹を抱えて笑います。ダメ人間の集まりです。
12時をまわった頃、さすがにわたしはダウン。

*1:K渕さん、K野さん@徳島、K原さん@徳島

新大阪へ

朝、6時起床。外へ出るとこんな景色。

笑っちゃいました。
でも、とにかく帰らないといけません。雪道を延々とドライブしてお家へ。
にしても、なんで一番混んでるのが京都市内なんだ?そりゃぁ、道はまだ薄く凍結してるさ。そんな日にノーマルタイヤで走るのはやめようよ。スクーターはあかんて。タイヤがつるつるやし。ほら、自転車こけた。こわっ!

で、新大阪へ。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
最近大人の人の参加も多いのですが、それはそれでいいかと思いはじめました。いや、かつては大人の参加は極力絞っていたのですが、みなさん、「手伝いたい」と思ってくださっているんですね。そして、余計な口出しをされない。どちらかというと、子どもたちを見守りたい人たちなんです。だから、来てもらえばいいと思いはじめました。
で、交流会をまわすのは、20台くらいのサポーターの人たちです。子どもたちの会話をつなげるために、いっぱいいっぱい子どもたちに声かけをしてくれます。ほんとうにありがたい。で、わたしがやっているのはビールを呑むことと、チヂミを焼くことと、餃子の皮をつくることくらい。どんだけ楽やねん。
と思っていたら、やっぱり20台の人には深く心をえぐるツッコミはきついみたいです。こういう時が年季の入った人間の出番でしょう。
「で、君はこれからどうしたいの?」
とツッコミを入れます。
こんなところに来て「どんな音楽聴くの?」は必要ないです。いや、スタートとしては必要なんですが、15時をまわってそれは必要ない。じゃなくて、
「いまどういう状況に自分はいるのか」
「自分はなにに困っているのか」
「自分はこれからどうしたいのか」
「それをするにはどうすればいいのか」
「でも、あきらめることはできるのか」
そんなことを、言葉としてまとめながらみんなに向かって発することが大切なんだと思います。そして、聞いている人間はそれに返すこと。特に先輩たちは、自分の経験を語ること。そうやって継承がされていく。
それは1対1の関係ではできないことです。交流会だからできることだと思います。

今日も最後の1時間はハードでした。でも、これをくぐった時に、子どもたちの表情が柔らかくなり、笑顔が見えてきます。その笑顔を見るために、交流会を続けています。
ちなみに、わたしも身体がぐったり。いや、けっして飲み過ぎなんかじゃありません(笑)。