あきらめることと、フォロー

今日は久しぶりになんということもない一日です。スケジュール的には…。てことで、買い出しなんかもちょこっとして、さっさと家に帰りましょう。紙とペンでできる仕事は電車の中でやればいい*1

なので、久しぶりにパートナーとゆっくり話。
もしかしたら「可能性がある」ってしんどいことなのかもしれませんね。なぜなら、いずれも可能な状態で、ひとつを選ぶということは、残りを選ばないということですから。ちょうど「nCr=nCn-r」みたいな(笑)。
となると、わたしみたいに選択の余地がない人間は、ある意味楽に生きられる。でも、一見選択の余地がないけど、実はあって、それは「プラスアルファ」だったりするわけです。で、その「プラスアルファ」をひとつ選ぶたびに、自分が持っているなにかを捨てる。
わたしはたぶん、「プラスアルファ」を山のように選択をしてきたんだろうなぁと思いました。で、そのたびに、少しずつ少しずつなにかを捨てる、あるいはあきらめてきたんだろうなぁと。でも、そのことに気づいてこなかった。なぜだろうと、今考えると、わたしが捨ててきたものは「わたしが捨てても誰かがフォローしてくれるもの」だったのかなと。もっと有り体に言えば、わたしのわがままを誰かが尻拭いし続けてくれたということなのかなと。
まぁ、たいがいな人生だと思うし、それに気づいた今もあともどりしないという最低な人間なわけです、わたしは…。

でも、どうやら、今新たに選んだ「プラスアルファ」はそういうわけにはいかないようです。なぜなら、それは直接的には誰もフォローできないということなんです。でも、それよりも大きいのは、それを選択した結果、処理しなくちゃならないことが、自分の能力の限界ギリギリのところにきているんだということを、それを選んではじめて気づいたということなんです^^;;。
知らず知らずのうちに、いろんなことが自分の「器」からこぼれ落ちている気がします。でも、いろんな人がフォローをし続けてくれています。
ここから、さらに自分の処理能力をあげられるか?それもしなくちゃならないでしょうね。でも、たぶんわたしは幸せ者なんやろなぁ。それに気づいた限りは、そのことに感謝しながら「プラスアルファ」をやりきらなきゃ。

*1:除く、成績処理関係(笑)

「いい話」と「ええ話」

最近、駅までの自転車漕ぎ5分間がけっこう寒くなりました。でも、身体がピンとして、気持ちいいんですよね。まぁ、そんなことを言ってられるのも、そのあと電車が暖かいからだという話もありますが…。

で、今日は1年生がキャリア学習なるのがあって、そいつの放送セットをしなくちゃなりません。セットしついでにずっといたのですが…。
この子ら、先週と今週、2週続けて講演なんですね。なんか、先週のほうが長かったけど聞いていたような気が。たぶんこの子ら、「いい話」よりも「自分の話」の方がよく聞くのかなぁ。
いや、今日の講師の方はメッチャ話はうまいし、時間の読みもピッタリだし、話の内容もフォーカスがピタッとあっていて、すんごいよかった。ほんとに「いい話」だったんだけど、その「よさ」は、それを「いい」と理解できる状況じゃないとわからないんですよね。まぁ、簡単に言うと、メッチャ体調の悪い時にヱビスを飲んでも味がわからないという感じ(笑)。
そういう意味では、先週の話は時間配分もメチャクチャやし、話し方も不慣れだし、「講演」としてはイマイチだったかもしれません。でも、子どもたちにとっては心に残ったかもしれないし、わたしはなんか
「ええ話やなぁ」
と思ったという。まぁ、それだけのことなんですがね。

育てるとおもしろそう〜あたしゃピンやなぁ… 

今日のおべんきょは、おべんきょ仲間の発表です。なにやら、おべんきょ仲間の最終目標が、かなり壮大になりそうなので、センセもわたしものけぞっていました。でも、ほんとうにできたら、きっとおもしろくなりそうです。てか、最終目標の手前の時点でおもしろいデータが出そうです。なんか楽しみ…。でも、きっと前途多難だな。まぁそれはわたしも同じか(笑)

で、おべんきょのあと、センセの部屋でしばらく雑談。
センセもいろんな経験をしてこられたようです。で、わたしもそう言えばいろいろあったよなぁ。センセもわたしも、後ろ盾なんてひとつもないピンの人間です。依って立つ根拠は「存在」ではなく「実践」です。だから、けっこうシンパシーを抱いてしまいます。
にしても、「正しさ」に揺るぎのない人を、時としてうらやましく感じることがあります。あるいは「スティグマ」を武器に生きられる人に、時としてうらやましさを感じることもあります。わたしはとてもじゃないけど、そんな生き方できない。もっとも、したくもないですが。
いちおう「物言い」に対する裏づけはとったけど、いらんことで消耗するのはイヤだから、適当に流しましょうか。

たとえ荒野であっても種を撒く

中倉さんの講演を聞いたのは3年生です。で、1年生は来週の講演のための予備知識を入れる講義。2年生は沖縄研修旅行へ向けて、沖縄にかかわる学習です。ともに「学習」なので、当然のことながら子どもたちの食いつきは悪いです。たぶん担当されている担任の先生方はすごく苦労をされたし、もしかしたら徒労感すら持たれたかもしれません。
でも、放課後に生徒と話をしていると、ちゃんと話の内容を覚えている子もいます。
「あっ!」と思いました。もしもあの学習をしなければ、この子に知識は伝えられなかった。やったからこそ伝わったのです。だからこそ、やった意味があった。
そりゃ、誰もが楽しんで知識を吸収できる教材をつくれたら、それにこしたことはありません。でも、そんな「普遍的」なものってあるんだろうか。少なくとも、わたしの力量ではとても難しい。
その時に、「聞かないからやめる」なのか「ひとりでも聞く子がいるならやる」なのか。効率を求めるなら前者です。でも、わたしはそうはありたくない。
例え荒野に種を撒くが如き営みであっても、だからこそやる意味があるのかなと、ふと思いました。

ぶっ飛ぶってこのことか…

今日は授業と体育祭準備に明け暮れて、デスクワークがほとんどできませんでした。レポート(T_T)。原稿(T_T)。おべんきょの準備(T_T)。
なのに、なぜか大阪で呑み。
だって、N成高校のH下ちゃんの誘いとあれば断るわけにはいきません。
てことで、待ち合わせの飲み屋に直行。こういう時のための電車通勤やなぁと、ちょっとうれしくなります。
しばらく待っているとK島高校のS々木さんが来られました。
「去年の全同教で喝入れてはりましたね」
「んなことしてませんってば。ちょっと質問しただけです」
みたいな会話をしていると、ボチボチと人が集まりはじめました。
やがて、本日のメインゲスト?のM田さん登場。地元ですごい活動をされている方とのことです。ちなみに、スイッチがはいるとたいへんとのことなので、今日の目標はスイッチを入れないことです(笑)。
M田さん、入ってくるなり言いたい放題です。あまりにも気持ちよすぎます。ついついこちらのスイッチが入ってしまいます。第二のふるさとでのことや、交流会のことなど、実践と言えるかどうかはわからないけど、やってきたことを紹介しながら話にからんでしまいたくなります。
向こうのスイッチを入れる前に、こっちが入ってしまいました^^;;。
それにしても、あまりにも考えていること、やっていることがすごいので、さらにからんでみました。
「M田さん、そんだけやりたい放題してたら、後継者いないでしょ。どないするんです?つくろうと思ってないんですか」
答えは
「そんなもん、考えてへん」
のひとこと。
「後継者をつくろうなんて思ったら、政治的になる。「お前、後継者な」とか指名したりするんやろ。お山の大将になる」
なるほど。と、S々木さん。
「そうですねん。で、こういう人に感化されて、僕ら「この人を生かさなあかん」と思って広げるんですよ」
すげえ!すごいよ!
好きだからやってる。やりたいことをやる。そして、それに執着しない。そんなM田さんだからこそ、人が集まってくるのか…。
すごい人と会わせてもらいました。
ありがと!H下ちゃん。今日は会えなかったけど、また呑みましょう。

時間と引換に失うもの

今日は所用があって、車で通勤。そのおかげで、ふだんよりほんの少しだけ寝坊ができます。
で、車で走りはじめると…。
なんもできない(T_T)。
帰りはあちこち寄って買い出ししたりします。すんごい便利。しかも、家に着いたの早い。
でも、なんもできない(T_T)。
時間をかけて動くことって、ぜいたくなんやなぁ。

いろいろ考えるなぁ

今日は同僚の結婚式です。
パートナーからは
「結婚式は発展していくためにとてもいいからね」
と言われて送り出してもらいましたが、なんか複雑な気持ちです。
もちろん、同僚のことは精一杯祝いたいし、それはそれでいいのですが…。
基本的に結婚式っていろいろ考えてしまうんですよね。いや、ジェンダー的にどうかということももちろんあるんですが、それ以上に、やはり自分のこと、あるいはパートナーとわたしとの関係を考えてしまうんですよね。それが少ししんどくて、少々足どりが重いです。そうそう、靴が窮屈なのもありますけどね(笑)。
会場に到着したら、知りあいが誰もいません。まぁええです。ひとりは慣れています。持ってきたプリント*1を読みましょう。と、同僚たちがやってきました。
そうこうするうち、結婚式スタート。同僚は牧師の子どもなので、当然のことながらキリスト教式です。う〜ん、礼拝は久しぶりやなぁ。父親のお葬式以来かな。で、やってきました、お定まりの式文。

あなたはその健やかな時も、病む時も、この人を愛し、敬い、慰め、助け、そのいのちの限り、堅く節操を守ることを約束しますか。

あー、そう言えば、21年前にこれにたいして返事をしたっけなぁ。
これ、返事をするのは簡単ですけど、実践するのはとてもむずかしいです。上り調子の時はいいんですけど、下り基調になると、ついつい
「もーええわ」
となってしまう。あるいは、上りでも下りでもない、淡々とした日常において、それでも「愛し、敬い、慰め、助け」続けることって、実は常にそのことを意識し続けること、あるいは相手の存在を意識し続けることが必要になります。なかなかそのことがむずかしい。
はたして自分は、過去どうだったのか。今どうなのか。そしてこれからどうあろうとしているのか。
まぁ結婚式って、こういうことを考えさせるためにあるのかもしれませんが、個人的にはそこにまんまとはまってしまうあたりが情けないです^^;;。
そんなことを考えながら、パーティー開始。
いろいろはしゃいでいる人たちを見ていると、なんとなくアウェイ感がつのってきます。でもまぁそれでいいんでしょうね。たぶん、そういう年齢であり、そういう時期なんだと思います。考えることはやめたくありません。

そんなこんなで、無事パーティー終了。その後、京都に移動して、もう少し呑み。さらに夕方から呑みに行く猛者もいましたが、わたしはフィニッシュです。さぁお家に帰りましょう。
でも、ほんとうに「考える」という意味で、いい結婚式に出させてもらいました。感謝ですね!

*1:金曜日のおべんきょのネタ