どの角度から語るのか

今日はウトロのフィールドワークです。
大雪注意報が出て、京都府南部にも小雪がちらつく今日、なにが悲しゅうて外を歩くねんって話ですが、夏に日程を決めたのでしかたないんです(笑)。
今日お願いしていた講師はもともとはS藤さんって方だったんですが、体調を崩されて、急遽T川さん*1って方がピンチバッターです来られました。
T川さんの話、とてもよかったです。
もちろんS藤さんの話はウトロの現実をとてもていねいに話されて、すごく勉強になります。それはそれでとても大切だと思います。それに対して、T川さんの話は「守る会」としての話なんですね。つまり、支援者としてウトロをどうまなざしてきたのか。そして、自分にできることはなんだったと考えたのか。そして、支援者として今後ウトロにどうあってほしいのか。そんなことを話されたように思います。
これ、一歩間違えると「当事者の主体性をさしおいてなにを」みたいはことになりかねないのですが、きっと、いや、絶対にそうはならない。なぜなら、ウトロと守る会はそういう関係をつくってきたからです。その何人かのうちのひとりがS藤さんでありT川さんである。そして、T川さんの「役割」は、たぶんT川さんが語られたことなんだろうなって、わたしなりの20年のウトロとのつきあいの中から感じました。

ひとつの町をめぐって、いろんな語り口がある。ひとつの物事には多面的な見方がある。そんなあたりまえのことを、今日再び感じさせてもらいました。

*1:外川さんではない(笑)。って、わかんねーよな^^;;

階段をひとつ上がる

去年は「折り返し点」とか言ってしまって、
「いつきさん、100歳まで生きるつもりなんだ」
って笑われちゃったわけですが^^;;。
これからの一年は、たぶんかなり勝負をかける一年になる気がします。少しひるみそうなところもあるのですが、そこはそれ。「折り返しの2年目(笑)」です。
少しワクワクする52年目のスタートです。

積み上げからの転換点

今日の午前は人権の観点から学力を考える会議でした。
課題はてんこ盛りなんですが…。
学力の定着をはかるって話があって、そのために、日単位、週単位、月単位、学期単位、年単位でていねいに振り返りながら積み上げていくということが提案されていました。
まぁ、それはそれですごい労力もかかるし、すごいことだなぁとは思うのですが…。でも、なにかひとつ釈然としないものが残りました。
それは、「貯め方」だけでなく「使い方」のスキルをつけないといけないんじゃないかなぁってことでした。もう少し言うなら「使い方」を教えることで「貯める必然性」みたいなものが内発的に出てくるんじゃないかみたいなことなんです。
「問題」を解くって、ひとつのスキルだけでできるものもありますけど、それは、たとえば試験だったら「1番」だけで、「2番」以降は複数のスキルを組み合わせなくちゃならない。その時に、既存のスキルを組み合わせて解いていくわけです。で、それらはひとつひとつは小さなスキルで、たぶん既習のものなんだけど、逆にその小さなスキルを使うことに気づかなければ解けない。と思ったときに、「貯める」ことに軸足を置きすぎるとまずいんじゃないかなぁとふと思ったのです。でも、もちろん「なにもない」のはまずいわけで、「貯める」こともまた必要かなと。
と考えたときに、それぞれの発達段階で、「貯める」と「使う」をどうバランスよく配置するかってことを考えるのも大切かなぁと思ったという…。
なんかよくわからんな^^;;

92年目の日に寄せて

3月3日と言えば、やはり「全国水平社創立大会」の日ですよね。ま、もともとひなまつりにぶつける気はなかったみたいですが、紆余曲折の末3日になったとか。
まぁそれはいいとして。
「あの時代」に
「此際吾等の中より人間を尊敬することによつて自らを解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である」
と宣言したってすげえなと思います。
でも一方、ちと待てよと…。あの頃って、いわゆる「大正デモクラシー」の時代です。「差別があたりまえ」の時代から「差別はアカンやろ」という時代へと転換していく時代のうねりの中に水平社もあったと、わたしは考えています。
で…。
それから92年たった今、「あの時代」と今と、どちらがどうだろう。
水平社博物館を襲撃する人もいます。大阪人権博物館(リバティおおさか)の展示に知事が介入し、さらに補助金を切って廃館に追い込もうとしています。大阪国際平和センター(ピース大阪)の展示に政府が介入する時代です。ヘイトスピーチや差別落書きがそこここにあります。それどころか、総理大臣は「緊急事態で人権停止」と言う時代です。
たぶん、水平社ができたあの時代よりも、今のほうがダメな気がします。
でも、ひとつだけいいことがある。それは、水平社があったあの時代を知ってるっていうことです。「差別はアカンやろ」という時代をつくってきた人たちがいたということを知ってるってことです。
だから、いま「差別はアカンやろ」という声をあげる人がいて、それをあたりまえと思える人がいる。
歴史を学ぶ意味はそこにあるのかなと思います。

まぁだから、そういう歴史を学べないように、歴史を修正しようとする人がいるわけで、国が決めた歴史を教科書に載せようとする人がいるわけだけどね。

夜、最寄りの駅で降りて歩いていると腕をつつかれました。振り返ると、そこには知らない人。
「カウンターされてるんですか?」
「え?あー、これ(笑)」
リュックには缶バッチと藍染めのバンダナ。首にはマフラー。だれでもわかりますよね。
「Yさんから「地元にもカウンターやってる人いるよ」って聞いてたんです」
「あー、たぶん、それ。わたしのことです」
「じゃまた、カウンターの現場で」
みたいな会話。
「思い」や「行動」を日常に持ち込み形にした時、人と人とが出会うのかなぁ…。

たぶん、根本的に冷たいんだ

今日は卒業式。ま、いつものように淡々と仕事をこなすわけですが…。
わたしがいる校内セクションは、まぁヤンチャな子らを相手にするわけです。で、そんな子らこそがかわいいっちゃかわいいんです。
ま、それはそうなんですけど…。
明るい大きな声で
「ありがとうございましたー!」
とか
「お世話になりましたー!」
とかやっていて、同じセクションの人も
「おう!がんばれよ!」
とかやっているのを遠くで見たりしているのです。
まぁうちのセクションの人はとても分厚いかかわりをする人たちで、そらだけに子どもたちもなつくんですね。
ま、そんな風景を横目で見ながらおべんと食べて、いろんな用事をして…。
まぁ、わたしのかかわりの薄さというか冷たさというか。どこかで距離をおいてるんですね。
なぜだろう…。
まぁ、めんどくさいとかいう話もあるわけですが、たぶん「自分の人生を生きるのは自分」みたいなことをどこかで考えているのかなぁ。その子の中にあるわたしの存在を極力消して、でも「言葉」だけは残る。そんなことをしたいのかなぁ…。

たぶん、根本的に冷たいんだ

今日は卒業式。ま、いつものように淡々と仕事をこなすわけですが…。
わたしがいる校内セクションは、まぁヤンチャな子らを相手にするわけです。で、そんな子らこそがかわいいっちゃかわいいんです。
ま、それはそうなんですけど…。
明るい大きな声で
「ありがとうございましたー!」
とか
「お世話になりましたー!」
とかやっていて、同じセクションの人も
「おう!がんばれよ!」
とかやっているのを遠くで見たりしているのです。
まぁうちのセクションの人はとても分厚いかかわりをする人たちで、そらだけに子どもたちもなつくんですね。
ま、そんな風景を横目で見ながらおべんと食べて、いろんな用事をして…。
まぁ、わたしのかかわりの薄さというか冷たさというか。どこかで距離をおいてるんですね。
なぜだろう…。
まぁ、めんどくさいとかいう話もあるわけですが、たぶん「自分の人生を生きるのは自分」みたいなことをどこかで考えているのかなぁ。その子の中にあるわたしの存在を極力消して、でも「言葉」だけは残る。そんなことをしたいのかなぁ…。

言葉は誰かがつくってる

昨日のネガティブシンキングなことを思い出して、めいっぱいテンションが下がった朝ですが…。
自分の内側にある力に気づき、それをとりもどすことを「エンパワー」というなら、自分の中にある力を奪われるのは「デパワー」かなぁなどと思った次第です。ちなみに、人権教育の文脈で「デパワー」という言葉は聞いたことがないので、「これは一番乗り!」と思ってググってみたら、出てくるわ出てくるわ。なんか、凧とかヨットの用語みたいです。なんでも、風の力を弱める仕組みみたいです。
と、その時「あ!」と思いました。
わたしの人権学習の教材は、基本的には「自分が話をするならこんなふうにしゃべるだろうなぁ」というのをプリントに落としてあるんですね。つまり、自分用にカリカリにチューンしてあるんです。

例えば、自分用にカリカリにチューンしたバイクは特性が尖ってて、たぶん他の人にとってはとても乗りにくい。もちろん、「同じ方向性」を持つ人にとっては「これわ!」とくるんでしょうけどね。つまり、はまるレンジが狭く、好みの差が大きい。なので、一般的なバイクはデチューンすることで特性をマイルドにして、誰もが乗りやすいものに仕上げています。

そりゃ、わたし用にチューンした教材で授業やれと言われたらきついわな。かと言って、いちから教材をつくれと言われても、それはなかなかきついかとも思います。てことは、「フルパワー」ではなく「デパワー」した教材をつくらなきゃならんということですね。

しかし、これがむずかしいんですよね…。
てか、フラストレーションたまるかも^^;;。

ネガティブシンキング

なんか、まわりとの温度差にすべてを投げ出したくなる瞬間があります。子どもたちに「ベスト」とは言わないまでも、できるだけ「質の高いもの」と、いろいろ工夫し苦労しているんですが、それがダメらしい。
今日はお酒の量が増えそうです。

てなことを、とある人につぶやいたら
「そんなもんでお酒の量が増えたら、ボクなんてアル中になるで」
と言われました。ごもっとも…。

どっちが特殊か?

今日は進路と人権がコラボの研修会です。わたしは久しぶりにここにレポートを出すことになりました。内容は「労働」なわけで、まぁ、いろんな本のパクリ集です。
で、とある学校の「キャリア教育」のレポートを聞いていたのですが、めまいがしてきました。
「修学旅行は生徒たちがすべて企画します。制限は予算で「15万円以内」となっています」
それ、ほぼ無制限じゃん(笑)。
「本校では受験の学力ではなく、真の学力を」
もしや、解放の学力?
まぁいいです。特殊な存在から学べるものはほとんどありません。まぁ、たまに「でっかい気づき」はもらえますけどね。
と思ったんですが…。
もしかしたら、うちのガッコも、いろんな意味で特殊なのかなぁと、ふと思ったり^^;;。