「あ、木梨さんだぁ」→心に刺さるムラ

起床は7時。せっかく三次まで来たので走りましょう。ということで、ホテルから川を目指します。なんでも、三次の町って3つの川が合流しているらしいです。となると、すべての橋を渡りたくなるというものです。
まずは馬洗川に到着。ここから川沿いの道を走ります。寒い。手が冷たくなるような気温です。軍手持ってきたらよかったかもというくらいです。川の左岸は、ピンとこないですね。新しい町の感じです。と、だんだん町並みが古くなって、やがて神社が出てきました。なるほど。ここで西城川と合流しますが、そっちの橋を渡らずに、さらに先に進みます。なんでも今日の夜に花火大会があるそうな。本来夏にあるんですが、災害のために延期になって「災害復興花火大会」らしいです。あちこちで場所取りをしておられます。そんな中を走って、やがて江の川へ。すでに20分くらい走っています。てことは、このままもどっても40分走ったことになります。さらに向こうに行くと、かなりの距離になりますね。瞬間迷ったけど、行くことにしました(笑)。
江の川に沿った国道を走ります。うーん、やはりピンとこない。でもまぁ、向こうの橋まで行くことにしましょう。国道を右折して坂を下りると、「あれ?」と「レーダー」が起動。なんなんだろう、この感覚は。でもま、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。で、橋を渡ると、再び「あれ?」と「レーダー」が起動。まぁ確かに川の合流地点ですからねぇ。でもまぁ、寄り道もしんどいから、そのまま走り続けましょう。と、またまた「レーダー」が、今度はマックスに振り切れました。ここは避けて通れない感じです。なので、街中へ。しばらく走ると、なにやら建物があって、その前に大きな石碑があります。表を見ると「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と書いてます(笑)。
さらに走って行くと、左側に「ん?」と思う町並みがあります。神社があるから「あれ?レーダー」ではなさそうです。でも、なんか「ん?」なんですよね。うわぁ行きたい。けど、下まで下がってまたあがるのはキツイです。こんな時に走り込み不足が悲しいです。やむを得ず上の方から町並みを観察して、再び西城川の橋です。と、またまたなんとなく「レーダー」が起動。でも、このあたりになると、レーダー感度が慣れモードに入っていて、よくわかりません。そして、再び馬洗川の橋を渡ります。ここからは早くホテルに帰りたいので、下に降りることに。先ほどの神社のあたりを走るのですが、ここもなんとなく「感じる」ものの、町並みのこなれ感なのかなんなのか。そのまま駅のあたりまで走ると、「これは新しい町やな」と。たぶんそういうことなんですね。
てことで、ホテルに入って1Fからエレベーターに乗りました。と、2Fでとまって入ってきた人が…。
「あ、木梨さんだぁ」
すると、木梨憲武さんは
「ども」
とあいさつされました。さらに
木「走ってこられたんですか?」
い「はい、1時間ばっか」
木「じゃ、10kmぐらいですか。すごいなぁ」
い「いや、そんなたいしたことないです」
で、エレベーターが目的階に到着。
あー、びっくりした。

その後、筋トレ→お風呂→朝ごはん。がっつり食べてしまいました。
で、Kひらさんが来られたので車に乗せてもらい、三次の町を案内してもらいました。
い「今朝、走っているとき石碑を見つけました」
K「あー、そこに行かれたんですね。じゃ、行かなくていいですか?」
い「いや、もう一回、あらためて行きたいです」
ということで、あちこち連れて行ってもらいました。
三次のムラの生業は、基本的には「川漁」と「川の監視」らしいです。なので、必然的に川のそばに住んでおられます。あるムラにいたっては、堤防の内側にあったとか。あるいは他のムラにいたっては、堤防がなく、大雨で全戸が水没したとか。そういう中で、事業を使って「安全な町」へと変えていかれたとか。そりゃ事業は必要ですよ。
なんでも、駅のあたりはもともとは田んぼだったとか。そして、旧の町は馬洗川の向こう側で、さらにその奥にある小高い丘のてっぺんにお城があったとか。ちなみに「ん?」と思ったところはかつて遊郭だったらしいです。そうか、だから建物のたたずまいが…。
さらにその後
K「じゃ、今度は町の外のムラへ」
ということで連れて行ってもらいましたが、こちらはレーダーが起動しません。でも、そこここに「なるほど」と思うところがあります。
K「あそこに古い活動家が住んでおられて、もともとやってたのが博労で」
い「博労o(^^)o!」
みたいな会話をしながら、次のムラへ。
うわ、完全にまわりから隔離されています。ムラから外が見えない。逆に、まわりからもムラが見えない。でも、そういうところにも、「人々の営み」があるんですよね。なんか、いろんなことが頭の中をグルグルして、ものすごく心に刺さってきます。思わず黙りこくってしまいそうになりますが、それはそれでなんなので、いろいろ話。
K「じゃぁ、広島に向かいましょうか」
ということで、あとは昔話などをしながら広島駅まで送っていただきました。

ということで、広島のお座敷終了です。
帰りの新幹線にはやはり赤い服の方がおられたり。そうか、昨日、リーグ優勝が決まったのか。

取り出しの方法とかスモークとか

通勤途中にメールチェックすると、「モデレートせよ」というメールが入ってました。中身を見ると、こないだのブログへのご本人からのコメントでした。よくぞこんな寂れたところをと思ったのですが、とても大切なことを提起されてるので、やはりこれは真剣に返さなきゃ。とにかく考えて、時間ができたら返そう。
でも、今日は授業まみれです。てことで、「取り出し」開始。去年は2回ほど取り出しをしてカンフル剤を打てばよかったけど、今年はそういう感じじゃありません。たぶんカンフル剤を少し入れると効きすぎて遠くへ行ってしまう感じです。なので、問題をふたつやって「どっちかできたらそれでええし」みたいな感じでやりました。まぁ、去年は2回だったのを、今年は4回かけてやる感じですか。でもま、そのおかげで3人が限界だった取り出しを7人まで増やせたので、よしとしましょうか。

で、帰り道に買い物。車通勤だと駅のないところに行くのはできるのですが、電車通勤だと繁華街に行けるのがいいところです。今日は繁華街じゃないけど、京都駅でお買い物。なぜか下着や靴下に穴があくんですよね。同僚に「下着に穴、あきますか?」って聞いたら「あきませんよ(笑)」って言われたので、みんなあかないのかな。とにかく穴あきが増えてきたので、ここは総替えにしようかなということで、下着を6枚靴下6枚ゲットしました。これでしばらくもつな。

で、家に帰って「スモーク遊び」です。
facebookでIずみちゃんがポチったことを知ったこれ、わたしもポチりました。
すでに子どもたちはごはんを食べたあとでしたが、下の子どもが近所のスーパーに材料を買いに行ってくれました。そろった材料は「サーモンの刺し身」「6Pチーズ」「うずら卵の水煮」「バターピーナッツ」です。うずら卵とサーモンは水気を拭きとります。
で、ボールに入れて、ラップして、スイッチオン!

ゲホゲホゲホとなりましたが、やがてボールに煙が満タンになりました。ちなみに、満タンになったらパイプを抜いてしまうのがコツです。というのは、煙が薄くなった状態でパイプを入れっぱなしにすると、単純に空気が送り込まれて、煙が逃げてしまうからです。取説にはジップロックを使った図があるので、それはありでしょうね。
で、できあがったのを食べると…。

  • うずら卵
  • ほんのりスモークの味がついてます。おいしいけど、そんなに「おぉ!」って感じでもないですね。でも、やり方がまずかっただけかも。

  • サーモン
  • これはうまい!絶品です!スモークサーモンは塩味がきついし、薄切りにして食べる感じだけど、これは刺し身です。でも、ほんのりスモークの味がついていて、そしてフレッシュな甘みがあります。下の子どもが踊ってました(笑)。さらに藻塩をかけると、またおいしい!明日食べたらさらにうまいかも。

  • 6Pチーズ
  • これもうまい!サーモンもですが、基本冷熏なんですよね。だから難しいんです。でも、このやり方だと冷熏が基本です。時間を置くごとにおいしくなっていきます。と、上の子が「だから寝かせたほうがうまいって言ってるやろ」と。ごもっとも。

  • バターピーナッツ
  • はじめやった時は煙が漏れまくって味が薄かったので、もう一回密閉してやったら、ガッツリとスモークの味がついてました。わたしには渋い感じがしたのですが、上の子どもは「うまい!」って言ってました。
    いや、これはいい買い物をしました。
    よくM口さんのところで食べさせてもらいますが、シシャモとかタラコとかもやろうかな。

    不思議な光景

    1時間目は、やっぱり「取り出し」です。どうしたものかと思いましたが、とにかく「取り出しが自分にとって役に立つ」と思ってもらわないと、inclusiveな教育にならないので、ここはふんばりどころです。幸い明日もあるから、今日は三角関数のグラフだけをやることにしました。これだけならば15分で終われるので、3人グループと4人グループの2セッションできます。で、残りの時間はぐるぐるまわって質問受け付け。さすがに今日は手応えあったな。まぁそりゃ試験の2日前ですからね。
    とにかく、毎回のテストが足引っ張りにならないようにすれば、どこかで一発逆転も狙えるから、そこが目標ラインです。

    で、夜は北摂共和国のある市の人権担当者の飲み会です。いちおう「打ち合わせ」という名目ですが、相談もありーのよもやま話もありーの。
    それはそれでいいのですが、隣のテーブルの会話に、おそらく全員が耳ダンボでした。とにかくひたすらセクシュアリティにかかわる飲食店系の話が延々と続きます。飲んでる時の話題って、たいていくるくる変わっていくものなんじゃないかなと思うのですが、変わらない。どんだけその話が好きなんだというくらいに変わらない。ちなみに、話題を出すのは、当然そういう飲食店にいく人なので、男と思われる外見を持っておられる方で、そうなると女と思われる外見を持っておられる方は聞き役&相づち役&笑い役で、それがまたコントラストとしておもしろい。
    隣のテーブルに興味を持つのは悪いなと思うのですが、あまりにも興味をひいてしまうので、これはしかたないかなと。
    で、そろそろ帰ろうと思ったところで飛び込んできた単語が「トランスジェンダー」です。さっきまでの会話とどうつながるねんと思ったけど、たぶん一連の流れなんでしょうね。もちろん話を全部聞いてるわけじゃなくて、どうしようもなく飛び込んでくる単語が脳みそに蓄積していっただけなので、バイアスがかかってたんだと思うのですが、あまりにも唐突なので驚いたという。
    お店を出てからみんなで「あれはなんだったんだ」と話してたので、みんな同じ感想を持ったんじゃないかな。
    でもまぁ、考えてみると、例えばムラ中のお好みの話を暑く語るわたしも「あいつなんやねん」な存在だし、そこでの会話をとりあげるだけでその人がどんな人かなんてわかりません。かなりいろいろ知っている人が「ネタ」を話してたという可能性もかなりあるわけで、でもとにかく不思議な光景でした。
    てか、今日にしても、隣のテーブルから見たら「あいつらなんだったんだ」ってことになるかもしれないし、もっと言うなら、今日はかなりマトモなメンバーで、IずみちゃんとかK野さんとかKうさんとかHがしさんとか、その他たくさんの変態友だちと飲んでる時の会話を隣で小耳に挟んでたら、確実に「あいつらなんだったんだ」ってなるわけで、これはもう、お互いさまってことでしょうね。

    多文化、多様化への時代の流れはとめられない

    職場に着いて、事務室行って、京都新聞ひらいたら、あった(笑)。

    いくつかニュアンスが違うところもあったけど、概ねいい記事だなぁと思いました。そりゃそうです。2回取材に来られて、さらに確認の電話取材。ていねいに話を聞かれましたからね。
    最後のフレーズが一番言いたかったことなんですよ。それを最後に書いてくれたのがうれしかったかな。
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    やはり三角関数はむずかしいのか?

    高校レベルの三角関数なんて、ラジアンやって、定義をやって、相互関係やって、グラフやって、方程式不等式やって、加法定理やって、合成やる程度なので、ほんとに簡単なんですよね。ちなみに、ラジアンは数IIIでやる微積のためなんだけど、それは別として「そういう角度の考え方があるんだ」ってことは知っておいたほうがいいと思うのです。なぜなら、「度数法が唯一の方法=絶対じゃない」ってことを知ることで、それは「自分の既知の世界が絶対じゃない」ってことを知ることにつながるからです。てか、そもそもラジアンだと各象限間の関連づく角がすぐにわかるから、メッチャ便利なんですよね。
    で、こないだの画期的方法はともかく、それ以外のところもほとんど計算は不要で、使うのはほとんどが図形やグラフからの読み取りで、計算といえばせいぜいが「3平方の定理」くらいしかありません。まぁとても簡単だってことです。
    が、どうもそれが難しいらしい。なんでだろうと思うのですが、もしかしたら、図形が書けないのかな。てか、目盛りがとれない。具体的には、1/2と√2/2と√3/2の書き分けができない。んなもん、1/2は0と1のちょうど真ん中で、√2/2→√3/2というふうに1に近づくに決まってるんだけど、それがピンとこない。なぜなら数と量がつながってないからです。更に言うなら、水平線や鉛直線が円と交わる交点を考えると、中心から離れるに従って交点は近づくに決まってるんだけど、それもピンとこない。
    かつて解放教育の現場で「生活と知識がつながらない」ということがよく言われました。よく「対流」がとりあげられました。家にお風呂がある子どもは、お風呂を沸かすと上が熱くて下が冷たいからお湯が上に行くことがわかる。でも、ムラの子らは内風呂がなくてムラ風呂に行くから、そういうことには出会わない。だから、実生活体験と知識がつながらず、理解しにくいという話です。
    たぶんそれと同じなんだろうな。でも、そういうのって、どこでどういうふうに身につけたらいいんだろ。たぶん、日常に山のように転がってるんだろうけど、それをどうやったら意識化できるように伝えられるんだろう。
    たぶん、三角関数の問題が解けるって、そういう感覚的なことなんだろうな。

    図書館の自由に関する宣言

    この間、図書館について考えなきゃならないことがあるので、図書室学習のついでに司書の方に質問。というのは、前に『多様性と出会う学校図書館』という本にかかわった時に、司書の方が「情報へのアクセスの保障」と「プライバシー」に静かだけど熱い思いを持ち、うちの図書室はそれを表現している場として存在していることを、あらためて感じたんですね。で、それの資料が欲しいなと。
    すると、「これ」と言ってプリントアウトしてくださったのが、「図書館の自由に関する宣言」でした。

    図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
    第1 図書館は資料収集の自由を有する
    第2 図書館は資料提供の自由を有する
    第3 図書館は利用者の秘密を守る
    第4 図書館はすべての検閲に反対する

    もちろん、宣言には、その内容にまつわるいろいろなことが書いてあるのですが、それもすごいです。ちなみに、「国民」とありますが、それは日本国憲法にもとづいているからで「外国人もその権利は保障される」と書かれています。そして「検閲の拒否」です。まぁ「『はだしのゲン』問題」ってのがありますが、逆にあれがいかに図書館の自由を踏みにじる行為であるかということも、よくわかります。
    さらに、最後に
    「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」
    とあります。
    なんか「図書館すげー」と、あらためて思いました。この気持ちを、次のゲンコに織り込みたいな。

    抽出二景

    今日は授業まみれの月曜日。でも、図書室学習なので、普段と違う感じです。
    いま、2つのクラスを担当していますが、とにかく風景が違う。もちろん、与えられたクラスに全力を投入するのは当たり前なんですが、それの受け止めも「集団」によって異なるのも当たり前です。
    去年から、ヤバイ子については「教えあい」に頼れないので抽出をはじめました。が、この時の雰囲気が全然違います。ひとつのクラスは「〇〇さん、おいで」というと、まわりの子らが「ええなぁ」「わたしも行きたい」って言って、呼ばれた子もサッとこっちにきます。もうひとつのクラスは、まわりからそういう声は聞こえないし、呼ばれた子もなかなか来ない。言うまでもなく、前者のクラスのほうが苦手な子が少なく平均点も高いです。
    で、両者とも抽出は30分くらいにして、あとの20分は各自で勉強するようにしたけど、前者のクラスの子は勉強してたけど、後者のクラスの子はその後他の子にかまってたら遊んでました。「今やったことをその場で復習する」ことをしないんですね。別に生涯にわたって定着してほしいわけじゃないけど、とりあえず1週間くらい覚えててほしいんですよね。
    にしても、次の時間は図形的解法にチャレンジするつもりだけど、不安やな(笑)。

    初のインクルーシブ分科会はビミョーやな

    朝、目が覚めると6時半。休みというのになんの因果でとは思いますが、8時半には出ないといけないので、妥当なところでしょう。とりま、朝ごはんを食べてお風呂に入って、一段落して、出発です。
    今日は分科会。わたしはインクルーシブ教育の分科会を選択。去年は教育課程の分科会でレポートでしたが、勉強です。
    インクルーシブ教育というと、一般的には障害のある子とない子が同じ教室でともに学ぶという感じですが、ここではもう少し広義に使ってるみたいです。簡単に言うなら「exclusionではない教育」ってことで、昨日の講演にひきつけるなら「deprivationがない教育」ってことになりますか。なので、障害に限らず、例えば貧困や国籍や文化、さらにはセクシュアリティも含まれます。
    てことで、出てきた2本のレポートもひとつは障害にかかわるレポートで、もうひとつは定時制の授業料や教科書や給食費の話でした。
    で、障害にかかわるレポート、ビミョーです。たぶん、レポーターも「「成功」した事例」というスタンスでは出しておられないと思います。どちらかというと、のつこつしながらのとりくみを正直に出しておられる。まぁ、それだけしんどい教職員集団なんだろな。ちなみに、教育委員会は「定員内不合格は出すな」といいながら、支援員をつけるのをしぶって、それがメインの話題のうちのひとつになってました。が、ビミョーなのはここなんですよね。もちろん制度を勝ちとるのが大切なのは言うまでもないのですが、制度を勝ちとるためには「このままではアカンやろ!」ということを見せつけないとダメな時があります。と同時に、「インクルーシブ教育」って「ともに学ぶ」ことだから、支援員の支援で他の生徒と切り離されたらダメなんだと思うんですよね。それが切り離されてる感じなんですよね。レポーターは「去年はできてたけど今年は友だち関係がしんどいクラス」って言っておられて、それはそうかもしれませんが、やはり「クラス集団づくり」は大切なんだろうなと思うし、それができていないからこその今の状況なんだろうなと。ま、結論は「それだけしんどい教職員集団」ってことなのかな。
    そんなレポート。でもまぁ、実際に「おまえやれ」って言われたらできないだろうなと思うのはこないだと同じ話なんですけどね。
    で、次のレポートにはまったく入れません。ほとんど「定通部会」の様相を呈していて、ひたすら聞くのみです。でも、「そんな制度があるのか」とか「そんなふうにして押し通すんだ」とか「そんなに厳しい状況があるんだ」とか、いろいろ勉強になりました。
    てことで、分科会終了。
    で、全体会があって、すべての日程が終わりました。そのあとはもちろん昼ごはんです。澤田さんを誘ったけど、「あと」があるらしく、
    「授業の準備が」
    とか言うAっちゃんを
    「どうせ昼ごはん食べるやろ」
    と誘って、K原さんと3人でさっくりと昼呑み。
    帰りの新幹線の中では睡眠をとめられませんでした。

    まさか中止とは→今日もしゃべりすぎ→ネジに萌える

    てことで、今日は某人権教育関係の研究大会です。
    午前は記念講演。講師はいまをときめく白井聡さんです。でも、昨日の飲み過ぎでメッチャしんどい。なんとかしなきゃとつい買ってしまったのが「ドデカミン」。笑われました。
    それでもなんとか復活基調で、わくわくしながら待ってたら、まさかの講演中止。なにがあったのかと思ったら、なにやら突発的なトラブルがあったとか。しかたないな。残念だけど。
    ということで、とりあえず早めの昼ごはんといきましょう。こんな日の昼ごはんは、やはりラーメンですね。

    んー、塩辛くて化調の味が強いので、よくわからない味でした(;_;)。
    で、午後の分科会。
    1本目は第2のふるさとの中学校のレポートです。中身はADHDの子どもへのかかわりですが、とにかくていねい。ほんとにみっちりとかかわっておられます。本人や家族にていねいにかかわり、少しずつ行動が変化していく中で、のけ者にされていたその子がまわりから受け入れられていく。はっきり言って、かかわりにはツッコミどころがありません。となると、天邪鬼なわたしは斜めから切れ込みます。
    「その子本人が困ってることってなんでしょうかねぇ。あと、ほんとにその子、薬飲みたいんですか?」
    この質問の読み筋は、かつて出会ったADHDの子どもの経験なんですよね。その子、薬がイヤなんです。なんでも、「動きたいのに動けない」らしいです。「手足を縛った感じ?」って聞いたことがあるんですけど、それは違うらしいです。で、薬を飲まない。するとフルパワーが出せるそうです。でも、例えば怒りはじめるととめられない。ダメなのはわかってるんです。でも、わかっていてもどうしようもない。その「とめられない」ことがしんどいらしいです。もう、八方塞がりです。結局、どっちのしんどさをとるかなんですね。その時に、「とめられないしんどさ」は常にあるわけじゃない。でも、「動けないしんどさ」は常にあるわけで、結局「薬を飲まない」を選んでるのかな。つまり「困ってる」ですよね。で、人権教育的には「困ってるその子と、困っている状態でつながる」ことが大事なんじゃないかと思うのです。言いかえるなら、薬を飲むことで行動が変化し、その変化した子によって、周囲の評価が変わって受入が進むというのは、たぶん違うってことです。これ、メッチャむずかしいです。わたしにできるかというと、きっとできません。でも、そこをめざしながら、現実的な解として薬を使うこともあるということなんじゃないかなぁ。そんなことを考えました。
    2本目は、またまた中学校のレポートです。こちらは「ハイブリッドハーフ」のAさんとのかかわりです。はっきり言って、Aさん、すごいです。教員はなにもしてません(笑)。というよりも、どちらかというと、レポートした教員がAさんからひたすら教わってます(笑)。でも、これ、たまにあります。わたしもずいぶんと子どもたちから教わってきました。大切なのは、「自分は教える側」と意固地になるのではなく、子どもから教わることを拒否しないことだと思います。ちなみにAさんがレポートした教員にいろいろなことを話してくれるきっかけになったのは、人権学習で傷ついたことのようです。たしかに教員としては反省材料にはなるのですが、「それはそれでええやん」と思うのです。というのは、それも含めての「ワクチンとしての人権学習」だからです。そういう刺激があって、より深く自分のアイデンティティを模索できるんじゃないかと思うんですよね。
    で、わたしからの質問は、もちろん
    「ピアな存在との出会いはありますか?」」
    です。そしてえもちろん答は
    「ない」
    です。てことで、京都在日外国人生徒交流会と東九条マダンの宣伝なんぞをしておきました(笑)。
    3本目のレポートは、またまた中学校で、今年度の人権学習についてです。これ、そこにいたみなさんがぶち切れてました。いや「ちがいのちがい」をそんなに延々と話さなくてもいいし。いや「青い目茶色い目」の説明はいらんし。本人は「新しい知見があるわけではない」と断っておられましたが、そんなものはここではいらないんです。実践が知りたい。それは人権学習であっても同じなんですよね。しかも、いちいち途中ではさむ話がまたぶち切れる理由をつくっています。例えば、
    「識字をちょこっと扱ったけど、あまり深入りせずに、部落についても扱わず、学習権についてやりました」
    みたいな。隣にいた、長く社会教育畑で識字をやっておられたという方が、ガマンしきれずにムラのおばあさんから言われた
    「中途半端にやるならやらんといてくれ」
    という、まぁ定番と言えば定番の言葉を紹介してくださったのですが、これがまた届かない。しかたないので、わたしが説明です。
    「この言葉はですね、「やるな」という意味じゃなくて「しっかりとやってな」というエールなんですよ」
    さらにわたしからも質問です。1時間女性問題を扱っておられて、M字曲線とか賃金格差のこととかはやっておられるのですが…。
    「レポート中、「学校時代は男女の扱いに差はないけど」って言われましたが、ほんとうにないですか?」
    もちろん答は
    「女の子も委員長をやったりするし云々。だからないと思います」
    です。で、わたしからの切り返しは
    「「ない」と思うから「ない」と思ってしまうんじゃないですか?」
    です。例えば、ある英語の研究授業の時に、わたしが注目したのは、机間巡視中に立ち止まってアドバイスをする相手のジェンダーがどうだったかなんですよね。すると、男女で差がありました。まぁ、このケースではその差は単純に苦手な子の差があったということでしたが、一見当たり前に行動している中にジェンダー格差があるかもしれないということに自覚的になって、自らの行動を点検すれば、簡単に「ない」なんて言えないってことです。
    レポーター、黙ってはりました。まあ、ちょっといじめすぎたかもしれません。もしかしたら「順番なのでレポートして」っていうことで来られたのかもしれません。が、それにしても、あまりにも謙虚さがないレポートの姿勢だったので、ついぶち切れてしまったという…。
    その後の総括討論ではみなさんあまり話をされないので、いろいろ発言してしまったり。ただ、一番笑ったのは、新採2年目の方が、「いろいろ学べました」と言いながら、1本目と2本目のレポートに言及して、3本目については言及しなかったという。これ、大切なのは2年目の人ってことで、かなり辛辣ですよね。まぁ、そんな分科会でした。

    で、友だちに車に乗せてもらって京都に帰って、待ちあわせです。ところがなかなか会えない。おかしいなぁと思ったら、待ちあわせ場所をピンポイントで決めてなかったため、50mくらい離れたところで、お互いに「来ない」って思っていたという。
    で、駅の近くの居酒屋に行って、今度やるお座敷についての打ちあわせ。のはずが、気がつくと「ネジ、萌えます」で終わってしまいました。
    アカンな…。

    「次にとりかかる」と「脱力感」

    今日はガチの授業まみれです。1・3・4と授業があって、5時間目は自習カントク、6時間目は放送業務。こんな時は、空きの2時間目になにをやるかを決めるのがキモです。単純にPCの前でできること…。メールの送受信とデータ集めとプリントアウトかな。
    てことで、まずは金曜日にババっと書いてしまったゲンコを関係者に送付。いくら文責がわたしといっても、まぁそういうわけにはいきませんからね。
    で、次のゲンコに向けてのデータ集め。というか、7月にもらったメールにあったリンクを次々に踏んでいって、とにかく脳みそのモードをそちらにしていきます。どんどん自分が本来やらなきゃならないことからそれていく気もしますが、もしかしたら、それなりに沿ったところかもしれません。でも、新しい世界を見るのはおもしろくはあります。

    そんな中で、とある教員から報告を受けました。
    教「こないだうちのセクションで話をした時、「これとこれは不要なのでは。他にないか」という人がいてな」
    い「その「これとこれ」はなんですの?」
    教「同性愛とトランスジェンダーやがな」
    い「で?」
    教「そんなん、今から他の人とか無理って答えておいたし」
    い「ふーん」
    教「ま、報告や」
    こういうの、久しぶりやなぁ。このご時世に人権学習でトランスジェンダーや同性愛を扱わなくていいって
    考えてる人がいるんや。しかも、教科的には扱わなくちゃならないポジションなんですけどね。まぁ、わかりませんよ。実は本人がそうで、だからイヤってのはあるかもしれない。でも、それとこれとは別やしなぁ。てか、「やらなくていい」っていう人がいるからこそ「やらなきゃならん」のですよ。
    てことで、うちのセクションでその話をしたら、みなさん「はぁ?」とか言ってたから、きっと世界はそこまでは来てるんだろな。
    微風であっても、逆風が吹いた時に、そんなことがわかります。