久しぶりのフルタイム

「フルタイム」といっても「フルタイム・トランスジェンダー」のことではないです。てか、性同一性障害大国の日本では、フルタイムなんて死語になったかもなぁ。わたしがトランスしはじめた2000年あたりは、まだまだパートタイムが主流だったし、パートナーと子どもがいて教員やりながらトランスなんて、だれもやってなかったけどな。しかも住んでたのは人口9000人の田舎だったし。そんなところで子ども会もPTAの会長もやったしね。
けっこう「荒野を切り拓く」ことはしてきたつもりだけど、「君らはなにをやってきた?」って言われてもな(笑)。ちなみに、「一般の」人だけど「物は言って」きたけどね。
でも、こんなほとんど誰も見てないところで、話してもしかたないな(笑)。

て話ではなくて、仕事の話でした。
月曜日は避けられない私用のために昼から休んだし、火曜日は避けられない趣味のために朝に休んで昼から出張だったし。久しぶりに朝から定時まで仕事です。
やらなきゃならんことがそれなりにあるけど、なにからどうしていいかわからない状態です(笑)。
それでも、のつこつと仕事をしてるうちに信じられないスピードで時間がたっていました。これはヤバイな。
放課後は教え子(たまにお座敷で話すMって子の子ども)の子どもが質問に来たり。おぅ、複2次式の因数分解か!がんばってるなぁ(^^)。あまりきちんと教えないけど、自分で気づいて納得するのにつきあうのが、わたしのやり方だから、4問解くのに1時間くらいかかったけど、納得して帰ってくれたかな。

さてと帰ろう。
で、帰りの電車の中でいきなり職場から電話。うわぁめんどくさい。なんかしでかしたかな(;_;)。
と思ったら、「放送がかからない」とのこと。なるほど、それで放課後静かだったのか(笑)。
「とりあえず、調整卓の電源が入るかどうかをチェックしてください。入らなければ、コンセントとブレーカーをチェックしてください」
とだけ伝えたんだけど、地下鉄の中で
「あ!」
と気づきました。で、またまた電話がかかってきたので
「火事なんかの時の緊急放送のマイクがはずれるなどして、そっちがオンになってませんか?」
って伝えると、それが正解でした。
よかったよかった。これで明日の朝もいつもの仕事からスタートできますわ。

これでできる→定型句か

今日は午後から出張です。なのでついでに休みをとって、免許の裏にハンコを押してもらおうかなと。そんなことを思ってたら、時間的にパートナーの母親を病院に連れていくことが可能みたいなんで、そんな用事もしようかと。
てことで、結局、起床はいつもと同じ時間になってしまいました。なんのための年休やねん(;_;)。でもま、ええかと。
そんなこんなで押してもらいました。

これでレンタカー屋さんに連絡できます。

午後は某人権教育研究会の、まぁ言ってみれば総会です。第1回の総会は、小中高から1本ずつレポートが出て研究協議です。わたしは不文律的に決められた役割があります。去年一昨年もやりました。
で、今日もレポートが終わると会長やってる友だちが後ろ振り返って「言え」とか合図してきます。なんでこの歳で鉄砲玉やねんと思いながら発言です。
小学校のレポートは、掘り下げるとおもしろかったかな。メッチャしんどい家庭の子がいて、担任の時も家庭訪問してそのしんどさをわかってたけど、加配になって家庭訪問したら、担任時代の「わかってた」は「わかったつもり」だってみたいな。いろいろ質問したけど、最後に質問したのは「せんせいの変わり目はわかったけど、子どもも変わっていってて、その中で記憶に残る言葉とかありますか?」ってこと。すると「覚えてない」と。「覚えてないけど、やたら握手してたのは覚えてます」と。「そういう子でした。とにかくおもしろい子でした」と。
おもしろかったんやろな(笑)。
わかるわ…。
中学校のレポートは…。不登校の子どもにかかわるレポートです。ていねいです。とにかく家庭との連携をしっかりとられてます。でも、何となくそこが気になる。あれだけ家庭訪問とかやってたら、家族や子どもにすごいプレッシャーがかかったんじゃないかな。そんなことを思って質問したら、その子は不登校を脱出したんだとか。きっかけは「絵」だったとか。まぁ、きっちりとしたとりくみがあったからこそ、そのきっかけがあるんだろうけど、「なにやってんだろ、あたしゃ」って気分になるだろうな。あと、どうやら家族の仲がいいことも原因なのかな。学校からのプレッシャーをうまくいなしながらやってたんじゃないかな。そうなると結局は「家庭の教育力」なわけで「なにやってんだろ、あたしゃ」になるんですよね。
高校のレポートは、障害のある子へのかかわりです。これもていねいなとりくみをしておられます。もちろん当該の子だけじゃなく、まわりの子にも働きかけてて、進路も保障できてて、満点です。が、気になる箇所が…。「消極的なところがこの子が克服すべき課題」って書いてある。もちろん、それはそうなんだろうけど、その「消極さ」は社会的に強いられたものっていう観点はあったのかってことです。なので、そんな話とともに、事例として、「部落出身の子の低学力の克服のために個別のとりくみはしてきたけど、常にその背景に社会的な問題があることを心に刻み、それそのものをなんとかしなきゃならないと思ってきた」って言ったんですけど、それが気にくわない人がいたらしい。
「部落問題はあってはならない差別。それに対して障害は歩み寄りが必要なこともある」
出た「あってはならない差別」。定型句です。てか、まったく論点が違うし、わけわからんことを言われてですね…。
わたしが言いたかったのは「社会モデル」と「病理モデル」の話なわけです。それに対して「手話しか使わないって人がいるけど、それだったら関係が成り立たないから、妥協が必要」とかいう話は論外だし「車イスに点字ブロックはジャマなので妥協が必要」って話は読み筋が違う。果ては「多数者にあわせることも、場合によっては必要」だと。いや、手話の話は、そういう「妥協を強いる多数者」へのカウンターなんだってば。
さらに部落問題を特権化してる。なんでそうなるかなぁ。
もちろん「いや、だから」と反撃だけはしておきましたが、めんどくさいな。
幸い、レポーターは意図をわかってくださったみたいでホッとしました。
まぁでも、個々の問題をバラバラに捉える人と、個々の問題の個別性を踏まえたうえで共通するところを探す人がいるのかな。わたしは明らかに後者なんですけどね。
ま、そんなこんなで出張も終了。

夜は定例の会議→飲み会。
会議の前の「赤いガソリン」も定例です。
こちらはホッとするなぁ。

主体的で対話的な学び(笑)

今週末から今年度最初の定期試験、1学期の中間試験がはじまります。
わたしが担当しているクラスは、すでに試験範囲は終わってるので、今まで週末課題やゴールデンウィーク課題で出したプリントを印刷して、教卓に置いて、「ほしい人はとりに来い」ということにしました。さてと、みんなどう動くかな?
と、みんな、ウワーッとやってきました。ありゃ、みんな、やる気があるんだ(笑)。
ちなみに、今年の子ら、少しこわいので、というか、去年の経験があるので、この試験から点数をとらせようかなと。なにせ、去年、放っておいたらヒーロー続出で、最後に1点を争わざるを得ないことになりましたからね。
なので、まずは
「今回、ヤバイと思ってて、とにかく30点とれる気がしない人、手をあげて」
と、自主申告してもらうことにしました。ここで手をあげてくれるのがうれしいです。いや、ほんとに苦手で、だから手をあげられない子がいるのは当然です。でも、あげてくれる子がいたら「自分だけじゃなかった」って安心して手をあげられるようになります。
で、複数人いたので、5枚分のプリントのタイトルを書いたあと、
「30点狙いの子は、これとこれとこれをきちんとやるよーに」
とアドバイス。さらに
「質問がある人は前においで。どんな質問でもきちんと答えるよ」
と。いや、苦手な子は何を質問したらいいかなわからないんですよね。しかも、そんな子に限って「こんな質問してもええんやろか」と遠慮します。
でも、おかげさまで「実部とか虚部ってなんですか?」みたいな質問もしてくれて、よかったよかった。
さらに、普段遊んだり寝たりしてる子も、さすがにここではワイワイやりながらもプリント解いてるみたいだし、メッチャ苦手な子を前の子がめんどうみてくれたり。
なんか、ええ感じです。「主体的で対話的な学び」の空間があります。「深い」かどうかは知りませんがね(笑)。
たしかに定期テストをやめた学校もあります。もちろん、うちもやめたらみんな勉強というか学びを開始するかもしれません。でも、少なくとも「いま」に限定するなら、定期テストの一週間前は、こうやって和やかに勉強するんだから、「定期テストは動機づけ」って割り切れば、それはそれでええんちゃうんという気もしたりするわけです。

フィールドワーカー

今日は夕方からお出かけです。なので、それまではおべんきょしんきゃ。
てことで、今日も「猫の額」です。
昨日までは読書と決めてました。で、今日からは工事を開始します。
えーと、仕様書を見ると…。ふむふむ。「キー概念となる言葉の使い方が不明瞭」ですか。えーと、たしかに^^;;。よくこんな細かいところに気づかれるなと思うのですが、たしかにめっちゃ直感的な使い方をしています。で、よく読み込むと、ある言葉に「他動詞的」な意味あいと「自動詞的」な意味あいを持たせてしまっています。これ、自分ではわかりますが、他人からはわからんわな。
てことで、その言葉をふたつにわけてみると、意味あいはすっきりしました。が、困った。いままで「A1+A2=B」という言葉の使い方をしていたのを「A+B」にしちゃったものだから、「=C」となる「C」という言葉を見つけなきゃなりません。が、これが見つからない。えーとえーと…。
そもそも、自分は何をやろうとしてたんだっけ。そもそも「C」の中身はなんなんだっけ…。
魔宮に入った感じです。
しかたないので、換気扇のフードを掃除することにしました(笑)。そういや、年末に換気扇を掃除しました。どうやら「おべんきょ」が切羽詰まると、家が少しきれいになる傾向があるらしいです。
それでも、3時くらいにようやく魔宮脱出の方向性がわかってきてひと安心。

で、夜はロフトプラスワンウェストへ。今日は打越さんと岸さんのトークライブです。
打越さん、なんか、オーラがあるのかないのかわからないです。たぶん、すごいオーラを感じるんですが、それが出てこないキャラなのかな。でも、おもしろい。今回のトークライブがなにより重要なのは『ヤンキーと地元』という本は、社会学の本であるということを明確にしたということなのかな。まさに岸さんによる「解題」を聞くような感じでした。
でも、打越さんの話を聞きながら、いろいろ感じるところがあるんですよね。例えば10年間パシリをしながらフィールドワークをしていたという話。考えてみたら、わたしも「第2のふるさと」に15年いたよな。あれ、一種のフィールドワークかもしれません。あそこでインタビューしたりしていたら、なにか書けたかも。そういや、「おたふく」は11年行きました。あそこもフィールドワーク的に入りこんでたな。あ、いま角打にもフィールドワーク的に入りはじめてるよな。まだ1年半だけど。
たぶん、気質的に近いところがあるのかも。
あるいは、沖縄のヤンキーが「下が入ってこない」という話。まんま解放教育の世界です。わたし、ずっとパシリやったし、今もパシリである自覚があります。そのかわり、パシリなしでは成立しないしくみをつくってしまったから、まぁパシリには見えないでしょうけどね。で、かつては物理的な暴力は受けなかったけど、精神的にはかなりどつかれた気がします。
なんか、一度そんな話を打越さんとしてみたいな。
そんなふうに思ったので、トークライブの後、少し話をしに行きました。
い「あの、いつきと申します」
打「あー、奈良女子大学で自己紹介を聞きました」
マジか…^^;;。
てことで、とても実り多いトークライブでした。

心の強さ

今日は健康診断の日です。なので、授業はなし。ひたすら聴力検査をしたり、眼科検診の補助をしたり。はたしてこれが教員の仕事かとは思いますが、どうやら教員の仕事らしいです。でもま、ライトワークです。健康診断のあとは文化祭の打ち合わせ。それが終わるとすでに4時半です。なにもできない1日です。
で、いつも通り定時の5時に職場を出て、京都駅でA久○さんと合流。久しぶりのサシ飲みです。お店に向かう途中、京都府人教の前会長と伏見工業高校定時制元生徒指導部長のペアと出会ってビビるなど(笑)。なんでこんなところで…。
で、阿○Zさんと「10年前だよー」とか言いながら、積もる話をしてみたり。

そんな1日だったのですが、そんな1日を送れるのも「心の強さ」を持ってるからなのかな。
いや、ある若手教員が「5時に帰れる「心の強さ」がほしい」って言ってて、「わたし持ってまーす」って言ったら「いいですねぇ」って言われたんですよね。
ちなみにその若手教員はうちのセクションの部長です。ほんとによく仕事をするし、できる人です。だから仕事をしちゃう。そして、うちのセクションは仕事が終わらない。てか、他動的なのかな。まぁかつてわたしも「24時間365日アイドリング状態」な仕事のしかたをしてたから、わからんわけでもないです。
でも、そういう仕事のしかたを、たぶんこの日を境に変えました。5時に職場を出て、電車に乗って、おべんきょ場所に行く。それでも仕事はまわる。それでまわる仕事のしかたにする。そうしたら、仕事以外の世界が広がりました。そしてそれはわたしが豊かになることだったし、それは子どもたちにフィードバックされてます。
その若手教員、人間的にも仕事的にもすごい人だから、なんとかならないかなぁ。なんとかしなきゃなぁ。

慣れてきたのか、こなれてきたのか

今年も「世界人権宣言」の授業の日がやって来ました。
はじめてやったのが一昨年です。あの時は、それまでやってきた3年間のビックイベントができなくなった敗北感をバネに「負けてたまるか」の気分でやりました。でも、そういう時って、孤立無援な気分だったりするんですよね。あの時は子どもの感想に救われたよな。
去年は自分の心も少し溶けてたかな。でも、まだまだ「自分が!」って気持ちが強かったかもしれません。
おそらく今年は過去2年と比べてずいぶんと違う気がします。今年の1年学年団には信頼できる教員がたくさんいます。もとからいる人たちはもちろん、転勤してきた人の中にも「出もどり」の人がいて、しかもみんなどこかで一緒に人権を担当してきました。今年はきっとそんな人たちの支えの中でできるだろうなっていう予感がありました。
で、人権学習の時間がスタート。
はじめは整列やあいさつで「場」を整えてくれます。そんなあたりは担任団の若い教員が担当してくれます。そういうの、嫌いっちゃ嫌いだけど、でもありがたいっちゃありがたいです。
で、なんの前振りもなく、わたしにバトンタッチ。「ほ?」という感じですけど、そのままバトンをもらってしゃべくり開始です。
3年目といえど、1年に1回しかやらないネタなんで、忘れてます。もちろん復讐はしたし、いろいろ「新たな伝え方」は考えたけど、ところどころで出てきたスライドに「あ、これあったわ」ってなります。やはりつくった時が一番勢いがあるんですね。
でも、とにもかくにもビデオも含めて40分のしゃべくり終了。あとは感想文書きです。
でも、ここからがおもしろかった。わたしのあとマイクを持った教員が、自分なりの思いを語ってくれたり、突然整列させてくれた教員に感想を振ったり。その教員、突然のことでテンパッてSNSのことで説教はじめたり(笑)。わたしもマイクを持って「それ、感想ちゃうし」ってツッコミ入れたり。
なんか、任せっぱなしじゃなくて、自分たちもなにかしようと思ってくれるのがうれしいです。
たぶん1年目のわたしは突っ走ってた。2年目も必死だった。3年目になってこなれてきたのかな。
でも、何より大切なのは感想だ。

なんかもう…

統一地方選挙の後半戦。
わたしのところは先々週終わったので、ひたすら「見る」のみです。
しかし維新は強いな。いや、維新が強いんじゃなくて、「維新的なもの」に希望を持つ人が多いのか。まぁでも、この絶望感が漂うのは関西だけなのかな。沖縄はもちろん、関東でも「やった!」って言ってる人が多いから、そういう流れもまたあるのかな。
大阪12区の当選者が「大阪で成功した手法を全国へ」みたいなことを言ってて「かんべんしてくれ」と思ったけど、それができかねない状況があるんじゃないかと思ってしまうのは、やはり関西なのかなぁ。

「変態が世界を変える」

今日は複素数の最初の授業です。最初の授業の中身は決まってます。

まだ人類が言葉を持たない頃のことを想像してほしい。もちろん本はない。校舎もない。あそこに見える家もない。まぁ、木や山はあるね。
でも、生きられるよね。なんか動くものがいたら「ガンッ」ってやってムシャムシャ食べればいい。「おいしい」って思うかどうかはわからない。だって「おいしい」って感情は「おいしい」って言葉がないとわからないからです。たまにムラッとしてセックスしたら子どもが生まれたりもする。セックスを「気持ちいい」って思ったかどうかはわからない。だって「気持ちいい」っていう感情は「気持ちいい」っていう言葉がないとわからないからです。
でも、それはそれで幸せだったんじゃないかと思う。いや、それもわからない。「幸せ」っていう感情は「幸せ」って言葉がないとわからないからです。
でも、生きてた。それでいいんです。
でも、そんな中で「この世界を表現したい」って思う変な人があらわれる。ある人は「絵画」という形で表現した。洞窟の中の壁画だね。ある人は「音楽」という形で表現した。例えば、何かを叩いてみたりね。ある人は「星」で表現し、ある人は「宗教」で表現し、ある人は「数」で表現した。
そんな人は変だよね。だって、そんなことをしなくても生きられるんだよ?でも、表現したいんだよね。いらんことしぃだよね。そんな人のことを「変態」っていうんだ。
例えば、そこに他の場所と違う膨らんだ場所がある。それを伝えようとする。「あー」とか「うー」とか「ぼこ」とかね。
そうこうするうちに「ぼこ」の数を数えたいと思う変態があらわれる。「ぼこ、ぼこ、ぼこ」でいいのにね。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ」ってやるんだよ。こうやって「自然数」が誕生した。そうこうするうちに、あっちの「さんぼこ」とこっちの「にぼこ」を足したいと思う変態が出てくる。「いちぼこ、にぼこ、さんぼこ、よんぼこ、ごぼこ」って数えたらいいのに、「いや、離れてるから別々で、それをあわせたい」って思うんだ。おかしいよね。変態だよね。
そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは3人。いくつ余る?」って考える変態があらわれる。そんなこと考えなくてもいいんだよ。ひとつずつ食べて、あまったのはケンカで勝ったヤツが食べたらいいんだ。でも、「いくつ余る?」って考える。そうこうするうちに、「肉が5切れ、ここにいるのは7人。いくつ足りない?」って考える変態があらわれる。いいんだよ、そんなことをしなくても。ケンカで勝ったヤツから食べていって、負けたヤツはガマンしていたんだ。でも、そんなことを考える変態があらわれる。こうやって「マイナス」が誕生したんだ。
そうこうするうちに「肉が5切れ、人は5人。なくなった。でも、「ない」ってことをあらわしたい」って変態が出てくる。ないものはないんだ。てか、みんなが食べられて「よかったね」なんだよ。でも「「ない」ってどうやったらあらわせる?」って考える。そして「0」が発見された。発見したのはどこの文化圏の人だと思う?それはインドなんだ。
みんなは、「西欧文化圏がすごい」って思ってるかもしれない。でも、西欧文化圏のものの考え方では「「ない」ものをあらわす」ってことはできなかったんだ。それができたのはインドの文化・宗教・哲学だったんだ。
こうやって、「整数」ができた。
そうこうするうちに、「肉が6切れ、3人いる。ひとり何切れ?」って考える変態が出てくる。そんなことを考えなくてもいいんだよ。だって、「みんなひと切れとって、またみんなひと切れ」ってやればわけられるんだ。でも、考えるんだよね。そして「肉が7切れ、人が3人。余ったひと切れをどうする?」って考える変態が出てくる。いいんだよ。これまではケンカで勝ったヤツが食べてた。それでいいんだよ。でも「これをさらに3つに切って」ってやるんだ。そうやって分数が誕生して「有理数」という概念ができる。
そして、みんな幸せだったんだ。「この世はすべて「整数の比」であらわされる。ありがとう神様!この美しい世界を!」っ思ってた。
そんな時、またいらんことをする変態が出てくる。柱の対角線を測ってみて「どうする?これ、分数にならないよ」ってやっちゃった。その人はどうされたか知ってる?殺されたんだ。分数であらわせない数は「悪魔の数」なんだ。だからそんな数を見つけたヤツは殺されたんだ。でも、変態は世界中のあちこちにいるんだ。あっちでもこっちでも「どうする?」ってやって、とうとう無視できなくなった。こうやって無理数が発見され、「実数」という概念ができた。「実数」という概念ができたおかげで「2次方程式」がとけるようになったんだ。
こうやって、世界は変態が変えていったんだ。変態こそが世界を変えるんだ。
そして、新たな問を変態が考えた。「でも、x^2=-4が解けないじゃん」。いいんだよ。そんなこと考えなくても。でも、どうしても解きたい。どうやったら解けるようになるか。それを考えるのが、ここからのテーマです。

で、今回はさらに追加。

こんなこと考えてるの、いつきちゃんだけだと思ってるだろ?実は違うんだ。このビデオを見せたいんだ。

で、見せたのは、もちろん「Think different
さらにこんなプリントをつくったり。

ただ、あまりにがんばりすぎて、52型の液晶テレビを倒してしまってガラス割っちまったけどね(笑)。

続けることに意味がある

今日は4時間授業が詰まっています。フレッシュマンセミナーの影響です。
1学年分授業がないからええやんとなりがちですが、なくなるのは全部で48コマ。で、うちのガッコは持ち時間が週16時間がmaxなので、簡単のために平均15時間とすると、ひとりの教員が1日3時間授業をしている計算になります。てことは、引率教員が16人以下なら別にまかなえるやんという計算になるんですが。そして、例えば財務省なんかはそういう計算をするんでしょうが、そうはいかないってことです。
簡単に言うなら、ある引率教員が2・3年生の授業を担当していたらその教員が授業ができないぶん、だれかがそのコマを埋めなきゃならない。さらに、選択科目とか芸術や体育みたいな「帯」のうちのひとりが引率教員だと、その帯全部が授業できなくなるので、教員がいても授業がはめられず、そのコマを埋めなきゃならなくなる。なので、わたしのように持ち時間が少ない人間でも授業が詰まることになります。まぁ「総枠」では計算できないってことです。
でもま、はじめての授業なのでガイダンスをしてみたり。はたまた6人講座なので、和やかに楽しく授業をしてみたり。
そうそう。ベクトルの授業をしていると
「図形の問題を図形を書かずに解けるんだ!」
って突然叫ぶ子がいて、まわりの子が
「え!なになになに?」
「だって、計算でできるやん!」
みたいな会話があって、少し心が洗われました。

そんな感じで6時間目まで授業をして、ガッコを飛び出して、滝井に向かいます。今日は滝井の受診日です。診察時間終了間際に飛び込んで、いろいろと相談。
と、一本の電話が…。
「まんまる、あいてない」
へ?あいてない?
「とりあえず行きますわ」
ということで、診察終了(笑)。
あわててまんまるの管理人に電話して、まんまるに向かうと、無事あいてました。
が、人数が多い。それもはじめての人や2回目の人や、そんな人が多い。何が起こったんだ?
で、いつものとおり自己紹介タイムから宴会へ。ま、飲むのは数人ですけどね。でも、飲めない人は飲めないから、飲まなくても宴会です。ちなみにわたしはバックヤードでダラダラです。ふだんはチルドの餃子を焼くんだけど、今日はないから用なしです。
そんなバックヤードからみんなのところを見ると、みんなほんとに楽しそうに話をしています。そんな風景を見ると、みんなすごいなぁと思います。でも、そんな人たちがつながるのは「場」があるからですよね。
O田さんが
「継続は力なりっていうけど、ほんとにそうですね」
とひとこと。
まんまるの会のスタートは2006年。13年前です。発足当初の人はほとんどいません。つまり新しい人がどんどん来てるってことです。ある世話人が
「ここは手術をすべきとも言わないし手術はダメとも言わない。戸籍を変えるべきとも言わないし戸籍を変えないべきとも言わない。それがいい」
って言ってました。
ひとりひとりの考えはあるけど、それはそれ。自分の生き方にとどめておいて、相手にそれは提示するけど、そこまでにする。で、相手の話を聞く。
でもこれ。まんまるの会もそうだし、トランスジェンダー生徒交流会もそうだし、玖伊屋もそうです。それは別に「わたしがそう」ってわけじゃなくて、そういう人が集まることでそういう「場」ができる。で、なぜそういう人が集まるかというと、「長く続ける」ことで集まってくるのかなと。
そんなことを考えながら、今日は疲れてるので、少し早めに失礼することにしました。あとかたづけ、ごめんやけどよろしくね(^^)。