直線番長、またか…

確かに、ドカは速いです。でも、わたしはやっぱりロッシを応援します。
アナウンスを聞いていたら、おもしろいことに気づきました。というのは、ストーナーに対するコメントは、ストーナーという表現とドカティという表現が半々。でも、ロッシはあくまでも「ロッシ」です。
考えてみると、ロッシって、パワーのあるホンダから、「コーナーリング性能はいいけどパワーがない」というヤマハのマシンにあえて乗り換えて、チャンピオンシップをとってきたんですよね。そういう意味では、自分に何らかのビハインドを与えながら、それをクリヤしていくという態度なんだろうな*1
ちなみに、わたしは「力と技、どっちをとるか」といわれると、躊躇なく「技」をとるタイプです。だから、仮面ライダーは1号が好き(笑)。

さて、いよいよヨーロッパラウンド。ロッシのパフォーマンスが見られるかな。

*1:そういえば、ミック・ドゥーハンも、最後の年はあえてピーキーなマシンを選択していたっけ

GW前半2日目・ダレこんだなぁ

今日は、4・29。20数年前だったら某教会とか某公園で人の話を聞いたり散歩をしたりしていたんだけど(笑)、なんかすっかり家にいるようになってしまいました。なんか、どんどん楽をするようになってきている気がします。でも、楽をするとあともどりができないんだな…。

評価は誰に向かうのか

ふたつ目は、「全国学力テスト」のこと。
あの、膨大な労力は、なんのためにあるんだろう。テストの結果をどう評価するんだろう。
わたしのちっぽけな日常のテストのことですが…。
わたしにとっては、日常にやる「確認テスト」と、いわゆる「定期考査」というやつ、ぜんぜん意味づけが違います。
「確認テスト」というヤツは、「最低限到達してほしいところにどれくらい到達していないか」という指標に使います。なので、そこで「到達していない」ということがわかったら、それはモチベーションとしては「わたし自身への評価」として返ってくるわけです。そして、それを「放課後補習」という形で生徒に返していく。
一方、定期考査というのは、まぁいってみれば生徒に挑戦状をたたきつけるようなものです。「さぁ、どれだけやってくるかな?」と試してみる。当然100点を取られたら悔しい。だからこそ、「生徒の評価」になるわけです。
もう少し言い換えるならば、「定期考査」は「到達度」を試すためのテストであるのに対して、「確認テスト」は「不足度」を試すためのテストという感じでしょうか。ちなみに、「入試」というヤツはわたしは自分でつくったことはないのですが、コイツは完全に「序列化」をするためのテストですから、また観点がまったく違います。
で、それぞれに、評価されるものも違うわけです。
ところで、「全国学力テスト」って、いったい、誰が、何を評価するためにやるテストなんでしょうか。実は、わたしにはよくわかりません。というより、わかっているんだけどね。「どこかのえらいさんが、生徒の正答率を通して、現場を評価する」ってことなんだろうな。
でもね、じつは「えらいさん」こそが自分を評価しなくちゃならないんだよ。でも、そのあたり、旗振り役はわからないだろうし、実施者は「わからないふり」をしているんだろうな。

自分の役回り

今日はふと考えた小さなことが3つ。とりあえず、それらを列挙してみます。
まずは、通勤途中にふと頭に浮かんだのが「自分の役回り」です。
これは、かつて「腐れ縁」さん*1から言われたことなんですけど、「アジテーター」と「オルガナイザー」てことです。いずみちゃん曰く「いつきさんはオルガナイザー」…。
たしかに…。というか、自分的には「アジテーターになるほどの頭のよさがない」てことのほうに納得をするんですけどね。いや、「頭のよさがない」というより、「情報収集能力がない」という方がいいでしょうか。そんなことをつらつらと考えると、昨年度、わたしにまわってきていた役回りが、わたしにとっては荷が重かったのかもしれないなぁ、と。もっと地道なところで、コツコツダラダラとやることの方が、身の丈にあっているのかなぁなどと…。

*1:ここでいいのかな?

選択するということ

朝、ふと考えました。
物事を選ぶということは、同時になにかをあきらめることですよね。そんなことはみんなわかっていることなんだと思います。
でも、「ベストの選択」を追及するがあまり、ついつい「あきらめる」という側面を忘れてしまいがち。だから、「80%のベター*1」をめざすことがちょうどいいあたりなんじゃないかなぁということ。すると、残りの20%*2が「あきらめの部分」ということは織り込み済みになるし、その20%*3も「自ら選択した」ということになる。

ま、それだけのことなんですけどね。

*1:60%でもいいけど

*2:あるいは40%

*3:40%

まいったなぁ…

応援していた市議候補が落選です。もう一人、選挙区が違うんですけど、なんとなく心の中で応援していた人も落選していました。まぁ、某政党の読みの甘さといえばその通りなんだけど、なんだかなぁ…。

まぁ予想通りだけど…

なんでも、I原がA野に大差をつけて勝ったそうな。これでまた、ヤツの圧政のもと、苦しむ「仲間」の4年間がはじまったわけね。
投票率は44.9%だったとのこと。この低さもたいていですわ。でもこの人たち、きっと「今のままでいい」という消極的な意思表示なんでしょうね。もしも「変えなければ」と思うなら、投票に行くだろうから。
おそらく、圧倒的多数の人にとっては、自分自身に直接の「火の粉」がふりかかってきていないんでしょうね。でも、きっと真綿で首を絞めるような政治なんだけどなぁ。そのことに、たぶん慣れきっているんだろうなぁ。もしかしたら、そういうのが逆に心地いいのかもしれない。でも、そのことがわかった時には、すでに首は絞まりきっていると思うんですよ。
ま、これがあの街の有権者の選択だったということですね。

回復の過程

おとついの最初の_| ̄|◯は、その夕方バイク屋さんに行って無事回復。
ふたつめの_| ̄|◯は、なかなかやっかいです。でも、ようやく回復の糸口を見つけました。
ひとつは、その事象を個別の事象としてとらえるのではなく、大きな枠組みの中でとらえていくこと。もうひとつは、その事象を絶対的なものとしてとらえるのではなく、個別の事象としてとらえること。そのふたつのことを同時に行うことで、少しずつ「回復」をしてきています。「回復」をしはじめると、先ほどのふたつのことをよりしやすくなります。
このあたりのこと、もしかしたら「リソース」になるんじゃないかなぁと思います。もう少し落ち着いてきたら、「いろいろリソース」に書いてみようかなぁなどと…。
みっつめの_| ̄|◯は、このあたりのことが解決していけばぜんぜん問題のないことなので、OKかな。