仕切り直し

半年やってきたp4cの授業は、先週でひと区切りでした。今日からメンバーが変わります。さてと、後期のメンバーとはどんな関係がつくれて、どんな授業になるかな?
前期は、とにかくはじめてのことだったので、ほんとに手探りの状態からのスタートでした。とにかく「なにがはじまるのかな?」という「ワクワク感」を大切にしたいと思って、なにも説明せずにスタートしました。が、それがうまくいったのはせいぜいが1ヶ月でした。そのあとは「いったい自分たちはなにをさせられているのか」という疑問があったんでしょうね。そこではじめて「意図」を説明したけど、遅かった。あとは試行錯誤しながらの、とてもハードな授業が続きました。
もちろん、だからと言って、ダメだったとひとことでいうような話ではありませんでした。よかったことも多々ありました。だから、それはそれでいいのです。
で、今回は、あらかじめ「意図」を説明しました。そして、その意図を実現するために「考える」ということをしたいということも話しました。そしてそれが「役に立つ」とも話しました。きっとここからは、どちらかというと「考えるためのスキル」を身につける「ワークショップ」的な授業が展開されていくだろうと思います。
じゃ、それはp4cなのか?
「自分自身で、ともに」考えるためには、モチベーションや必然性がない時には、スキルが必要なんだと思います。「問について考える」「他の人の考えと自分の考えを比較する」「「なぜ?」と問い返す」などなど。
わたしは研究したわけでもなんでもないです。が、そのスキルを身につける過程で、きっと「sense of wonder」が、滲み出てくるんじゃないかって思います。
さてと。どうなるかな…。

ちょっとうれしい

今日はどうやらガッツリと仕事がありそうです。なので、朝の通勤時にタスクリストの作成。
職場についたら、できることからやっていきましょう。とは言え、今日は40分授業です。せわしないです。授業がない時間にまとまったことができません。
今日のとある授業は「管理職参観」。少しはタクティクスは考えたけど、いつもの通り想定外のできごとがあるから、そんなもの役にたちません。まぁそのあたりはこのセンセが言ってはることそのままです。教育の世界にPDCAサイクルはあてはまらない(笑)。でもま、そこからのリカバリこそが教員の力量です。「授業はライブ!」です。
で、授業の最後に「放送部員は急いで放送室に行くように」と指示。次の時間は生徒会選挙の立会演説会です。いやぁ、何年ぶりだろう。こうやって演説会ができるのは。
午後からは開票作業だの教科会議だの。その合間を縫って、プリントつくったり校正したり。
夕方には抜け殻になっていました。
でも、なんかうれしい。たぶんそれは立会演説会での子どもたちの発言がとてもしっかりしてたからかな。たぶん、覚えている人は誰もいないだろうけど、わたしは生徒会の方向をほんの少し変えたうちのひとりなんだよね。ま、そんな誇りはあっていいと思います。

出張のない出張日

火曜日は人権教育関係の出張日です。なので、全力で授業を入れないようにしてもらってます。実はこれ、年度当初に頭下げまくらなきゃなりません。
まずは、担当クラスの問題がある。つまり、必然的に持てなくなる種類のクラスが出てきます。すると、全体の担当クラスのバランスが悪くなる可能性が出てくる。さらに、火曜日の授業をはずすことで、同じクラスを担当する他教科の時間割が悪くなる可能性が出てくる。ついでに、わたしも4日間で5日分の授業をしなきゃならないので、他の日がめんどくさくなる。と言っても、少ないですけどね。でも、火曜日の授業をなくしてもらわないと、自習とか授業振り替えとかが頻発して、それはそれでたいへんになる。
ま、そんなこんなでほんとにお願いしまくって、ここ数年は火曜日授業なしを実現してもらっています。ほんとにありがたい。
でも、基本的には出張が入っているので火曜日はバタバタしているのですが、今日はほんとのほんとに久しぶりに出張がはいっていない火曜日になりました。
うわ、メッチャゆっくりといろんなことができる。なんか、他の人にもうしわけない。でもま、そんな日じゃないとできないこともあるし、明日からのために今日できることをしちゃわないと…。
ま、そんな感じで、のんびりガッツリと雑事をこなしましたとも。

メッチャしんどい中にも悪くないこともある

朝、身体が動きません。ダメです。1時間年休決定です。てか、そんなんでは足りないだろうな。いや、睡眠時間は充分なはずですが、そういう問題ではありません。
てことで、のろのろ起き出して、1時間遅れで出勤。

メールを開くと、とある雑誌の編集の方からのメール。これ、先日、必死の思いで削りまくった文章に、さらに「7行あふれてます」というご指摘をいただいて「力石徹の気分です」とメールしたのへの返事でした。

下記の件、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さながら蛇口に針金をかける白木葉子のような気持ちになってしまいました。大変恐縮です…。

とのこと。少し幸せな気持ちになりました(笑)。

授業に行くと、とある子どもたちからこっそりと「お酒くさいよ」って言われてブレスケアとMINTIAとマスクをとりに行ってきたり。で、マスクをしてMINTIAなめたら、目がスースーしたり。で、そのとある子どもが「MINTIAなめてみたい」って言うから、授業が終わってからひと粒あげてみたり。

夕方、ツラッティ千本に行って、10月からはじまる企画展「ヘイトスピーチあきまへん」のための展示品を持って行ったり。

なんか、体調はメチャクチャだったけど、案外悪くない一日だった気がします。

気を遣ってくれたかな?

今日は前期のp4cの最終日。Fぁよんさんと「とりあえず後半1時間は話しあおう」というふうに決めました。でも、はたして話しあいが成立するかどうか。
「話しやすいグループにわかれて」
と言ったら、みごとに制服でわかれたのはびっくりしました。
で、わたしはズボンはいてる子らのグループに入ってしまったのですが、正直こっちの方がやりやすいかも。なので、Fぁよんさんには悪いなぁと思いながら、話しあい開始。
テーマは「ふんいきがいいってなに?」。
なかなか相互の話しあいにはならなかったけど、みんなそれなりに話をしてくれました。もしかしたら、最後だから気を遣ってくれていたのかな。でも、たぶんそれだけじゃないと思いたい。みんな、少しずつ「話す」ことの練習が積まれて、「話せるようになった」あるいは「話してもいいと思えるようになった」。そう思いたいな。

大きな収穫

昨日、ふと「今年はまだ確認しに行ってない」ってことに気づきました。なので、行かねばと。てことで、ノンアルコール持ち寄り女子(笑)会ついでに行くことにしました。
車で山道を走ること小一時間。いつものお家の方に歩きはじめると、声をかけてきた人が…。なので趣旨説明。
「ここのおばあさんのしば漬けが好きで…」
「あー、今年はもう外界に持って帰って冷凍しちゃいました」
てことは、今年「も」漬けておられたわけです。そうだったんだ!そこで、さらにひと押し。
「それ、わけていただけませんか?」
「前にも来られましたね。いいですよ」
「やったー!」
今日はとてもいい一日です。
せっかくなので、ドライブ。途中ピクニックして、いろんな話をして。山道も確実・安全な運転です。
夕方、しば漬けをわけてもらいに行きました。うん、これで1年分あります。しかも、来年以降も手に入りそう。あまりにも大きな収穫がたくさんあった1日でした。

のんびり→次へ

のんびり朝起きて。
少し用事をして、午後からはゲンコです。うんうん考えて、ようやく完成か?でも、大幅に字数オーバーしてるからなぁ。
夜は母親が来て焼肉。
ワインがおいしいです。
さてと。次のゲンコにかからなきゃ。

毎日

今日も終業30分後にさっくりと職場を出ました。で、昨日と同じように京都市役所前へ。昨日は雨だったけど、今日は晴れてるから楽ですね。
で、家に帰って、某プロジェクトのためのスカイプ会議。
終わったら、ビール&晩ごはん。
食器を洗って、テレビです。もちろん報ステ探偵ナイトスクープ(笑)。でも、探偵ナイトスクープは途中で寝てしまいました。起きたのは0時10分。ん?0時10分?参議院の再開の時間じゃん。とりあえず、ふとんにもぐりこんでネットで中継を見て。そのまま2時18分を迎えました。
ま、しかたない。

さてと。寝る。そして明日起きる。そして、いつものように闘う(^^)

幾度も繰り返す

こんな風景は今にはじまったことではありません。ここを見ると、これまでに何度も何度も繰り返してきました。
例えば、すでに2005年、第一次安倍内閣が発足した時に、すでにもしかしたら来てしまうかもしれない「今日」あるいは「明日」を予想をしていたみたいです。そしてその1年半後、教育基本法改悪の日を迎えました。
あの時、わたしの仲間たちがたくさん国会前で抗議活動をしていました。わたし自身も京都市内でビラまきをしました。街の人たちの反応はとても薄かった。マスコミはほとんど報道しなかった。そこへの怒りを直接飲み会の席でぶつけたことは、今も忘れていません。あの時のわたしの怒りを、ぶつけられた人は覚えているだろうか…。
いまさら「ニーメラーの教訓」を持ち出すことにほとんど意味は感じません。
わたしはあれから10年間、たったひとりでもかまわないと思いながら、自分の日常の中で声を上げ続けてきました。
でも、社会は変わってきました。それは、2013年の特定秘密保護法反対のあたりです。もちろんあの時も反対集会へのまわりの反応は鈍かった。でも、少なくとも「教育関係者だけ」という状況ではなかった。というか、あの時SEALDsの原型ができていました。たくさんの学生たちが集会に参加し、わたしが知ってるシュプレヒコールとは違う「いまどき」のコールをしていて、笑いながらも新鮮さと頼もしさを感じていました。
そして今回の解釈改憲閣議決定への反対運動を経て、ほんとうに戦争法案が目の前に迫った時、ほんとうに多くの人が反対の声を上げています。
今日も雨の中、全国各地で抗議行動が行われています。京都では1200人のデモがありました。もちろん参加してきました。デモに意味がない?意味などどうでもいいです。怒りを表現すること、それを伝えることが大切です。それは、いつか生きてくる。
ヤツらはあきらめなかった。だから、こんな今になった。そのことを10年前に知ったわたしは、あの時決めた。
ぜったいにあきらめない。

そうそう、うれしかったこと!
一番前の子が、机の上に「京都高校生デモ」のビラを置いていたこと。
図書室で「デモの話、ツイッターでまわってきたわ」と言ってくれた子がいたこと。