5時半ごろにスキー場を出て、あとはひたすら京都へ。途中、渋滞で1時間ほどロスをしたものの、11時頃にはようやく京都着。小腹が減ったので、つい、友だちにメール「会議室行こか?」「らじゃ」ということで、会議室へ直行。ところが、黄色回転灯がついていません。日曜日は定休でした_| ̄|○。しかたがないので、本店へ。濃いぃところを食べながら、濃いぃ話をして無事「会議」終了。さて、帰ろう…。
家に帰ったら、みんな寝てました(笑)。
投稿者: ituki
スキースクールのあんちゃん・続き
昨日の生徒さんは2人。今日は一人帰って、残るはひとりだけ。しかも、うまい方の生徒さんが残ったということで、さてどうするか…。基本的に「なにか技術を教える」というよりも「斜面によって技術を使いわける」というレベルになるので、けっこう担当するのは難しいんですよね。
で、決定。
午前は、シュビンゲン全種類の総復習。シュテム・パラレル・シェーレそれぞれの山開きと谷開きでまずは6種類。それ以外に心身・ジャンプ・屈脚で合計9種類。なので、9本連続の急斜面は必至です(笑)。それ以外に足慣らしとか移動とかでとにかく滑りまくりました。
午後は、コブと38゜くらいの凍った急斜面*1の攻略法。状態の安定とバランス、そしてエッジングの練習ですね。
なんでも生徒さんが言うには、「ギンギンに滑り込んだら、リフトがとまる前に「帰ろう」という気になるかもしれないので、よろしく」とのことですので、まぁその期待に応えるべくこちらも最善を尽くすということで…。でも、3時頃にはたいがい滑るのがイヤになっていました(笑)。
レッスンが終わったら、スタッフトレーニング。イヤになったはずが、フカーツするのが悲しい性です。ふたたびコブ斜面にいって、若手をちょこっといじめて、あとはロングクルージングをしながらエッジの使い方の説明。てなことをやっていると、あっという間に4時半。
ということで、ものすごく濃密な2日間が終わりました。
そうそう、若手スタッフに「立っている姿は女性に見えへんか?」と聞くと、「微妙ですが、まぁ見えないことはないですね」とのお言葉。「滑っているときは女性には見えへんやろ?」というと、「まぁ、斜面をしゃぶり尽くすようなことをしていたら見えませんよ」とこれまたありがたいお言葉。まぁええねん。どう見えても…。
*1:ただし、短いです
スキースクールのあんちゃん(笑)
早朝、お友だちの家をおいとまして、山にこもりに行きました。
山に行くと、たしかに白銀は白銀ですが、おととい雨が降ったらしくて、道とか駐車場とか、あちこちに氷が張っています。てことは、当然ゲレンデもアイスバーンですね(笑)。
でもまぁ、担当した生徒さんが1級*1持ちとかゴールド*2ねらいみたいな人たちなので、まぁいいかと。
午前は、せっかくですからアイスバーン。圧雪してあるところは、まぁそれでも「ガリガリガリ」程度ですむのですが、わたしの行っているスキー場は圧雪していないところが多いのがいいところで、そういうところにいくと、「あ〜」と声を出すと「アワワワワ」となりそうなぐらい荒れてます。ここをまずは一滑り。さすがにみなさん「きつい〜」と叫んでおられました。それでもなんとかこなしてくるところは、さすがですね。
午後からはコブ斜面。どうやらみなさん、コブが苦手なようです。フラットなバーンではエレガントに力強く滑ってこられるのですが、コブになるとガタガタ。まぁ、アイスバーンかコブか新雪か湿雪あたりで「差」を見せておくのが、わたしの常套手段なんですけど。コブはコブの滑り方があるので、そのあたりのコツを伝授。あとは自分で練習しておいて下さいね。
しかし、おかげさまで丸一日楽しませていただきました。生徒さんはどうかわからないけど、でもまぁ、ふだんプライベートで来ていたら絶対に入らない斜面だからこそ、そういうところに行くのがいいんです*3。
ということで、スキーそのものは楽しいのですが、とにかくここでは兄ちゃんなんですよね。もちろん同僚のスタッフには話がしてあるので、それはそれでかなり楽なんですが…。でも、夜に仕事をしながらちょこちょこ話をしていると、どうもオーナーのパートナーさんはうすうす感づいているみたいだなぁ…。まぁそらわかるわな…。
で、職場から直行
夕方仕事が終わったら、そのまま車に乗って、どういうわけか長野県まで走りました。今日の夜は、長野県のお友だちの家にお世話になりました。で、メールチェックしようと思ったら、H”圏外。あしたはもちろん移動しますが、そこはますます圏外。てことで、日曜日の夜まで圏外みたいです。
出たらしいっす
座談会・変わりつつあるトランス/GIDの意識と行動(下)
いまこそトランスジェンダーのロールモデルを
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2006-3/ss0603-4.htm
人間として・補足
トイレに入る瞬間ですね、なにかが生まれてくるのは。今朝、トイレに入ろうと思ったときに、ふと思い出しました。
そういえば、昔「わたしのことを「人間として」見てほしい」と愚痴っていたことがありました。あのころは、「◯◯をやっているいつき」としてしか評価がされていなかったという思いが強烈にありました。「担任をやっているいつき」「在日の子らにかかわっているいつき」「部落の子らとバタバタやっているいつき」etc,etc。そうじゃなくて、「「単なるいつき」じゃあかんのかい」、「「単なるいつき」には価値がないのかい」、「◯◯をやめたら価値がなくなるのかい」と思っていたんですよね。
「人間として」ということにこだわった、もう一つの深層心理は、そのへんにあるのかもしれない…。
やっぱりこの時期か…
今日は、放課後久しぶりの補習でした。この間の確認テストでアウトだったのが4人。全員きているのですが…。
いま、図形のところなんですよね。「円周角」とか「円に内接する四角形」とか「接線と弦のなす角」とか、まぁそういうところです。ここの分野、答えの書かせ方が難しいんです。うちの生徒たちは、もう、答え一発なんです。「どうやってその答えが出たか、書いてごらん」というのですが、「書けへん」なんですね。ひどいときには「なんとなく」とか。
うちの生徒たちの一番大きな問題点はこのあたりじゃないかと思うのです。「なぜそう考えたか」ということを、きちんと説明できない。これ、まだ数学だからいいんですけど、その子の行動にかかわる部分とか、生き方にかかわる部分でも、説明という作業ができないんです。それでいい場合はいいのですが、アカン場合もたくさんあります。
なので、「説明」というトレーニングが必要かなと思い、いま思い切って「説明が必要」と強調しています*1。で、「答えだけだと半分に減点!」と言いまくっています。
さすがに子どもたち、きつがっています。でも、わたしとしては「あの子たちならば」という思いもあることは否めません。「オレ、赤点とらへんかったらええねん」という子に「君はそんなレベルじゃない」と言い続けることは、大切だと思うのです。
でもね、そういう要求をされることに、生徒たちは慣れていないみたいですね。つい「ええやん。めんどくさいやん」と言ってきます。それに対して、一人ひとり、一回一回「それは違う」と言い続けなくちゃならないわけです。どうやら、そんなことをやっている教員はわたしだけみたいなんですよね。すると、「なんで先生だけ」とくる。まぁ、「よそはよそ、うちはうち*2」と言い切るのですが…。
ヤバイのは、進級が危ぶまれている子ですよね。補習でも「ボーッ」としています。中学のことも、どんどんどんどん忘れていく感じ。「もしかしたら、この子、退化していってるんじゃない?」という感じですよ。
そんなこんなで、やっぱりイライラしてくる。すると、自然に怖い顔になるみたいです。生徒たちが「今日の先生、こわい」と言います。「んなことないよ」と笑顔で返すと、「その笑顔が怖い」って。どーゆーことやねん。
去年は「ホルモンのせい?」とか笑ってたんですけど…。
もう一回気分を立て直さなくちゃ…。
「人間として」
昨日、大阪のH市でちょっと話をしに行きました。
幕間から見ていると、この方が最前列に陣取ったりして、かなり緊張しました*1。
で、いつもの通り、口からでまかせの漫談をして、いちおう1時間半+αの話が終わりました。司会の方が「質問はありませんか?」と言われたのにこたえて、この方が「ハイ」と挙手。それはないっすよ…。
曰く「子どもが大きくなってくると、なかなかいままでみたいにうやむやな感じではいけなくなってきますよね。子どもたちや子どもの学校のPTA、あるいは地域の中でどうされていますか?」という感じの質問。きついところを突いてこられました。
で、わたしの答え。
「わたしはトランス前もトランス中もずっと同じ場所で住んでいました。なので、みんなわたしのことを知っています。そんな中でトランスをしてきた。いま、別の場所に引っ越したけど、やっぱり少しではあれ、いまだに子ども会の手伝いはしに行きます。PTAも自分なりに積極的にかかわりました。上の子どもが6年の時は会長もしました。会長として何ができるか考えたとき、みんなが楽しんでくれるPTAにしたいと思いました。そんなわたしを、みなさんは受けとめてくれていたと思います。結局、大切なのは、男であるか女であるかよりも、こんな言い方はしたくないんだけど、やっぱり人間としてどうあるかということなんじゃないかなと思うのです」。
で、終わった後の飲み会。「この方」は帰られたのですが、若い参加者たちとの見ながら、「人間として」ということをめぐってしばらくやりとりがありました。簡単に言うと、こういうことだと思います。
みんながみんな「人間として」すぐれた生き方ができるとは限らない。でも「人間として」という言い方をしてしまうと、結局「(すべてのトランスに)人間としてすぐれた生き方をしなくちゃならない」と言うことになってしまうのではないか。
まぁ、たしかにそれはそうなんです。ちなみに、わたしが人間としてすぐれた生き方をしているかというと、どっちかというと、人間のクズとして生きているので、吐いたつばが自分にかかってしまうんですけどね。
でもね、トランスであることも、実は「わたし」という人間の一属性でしかないんですよね。だから、そのひとつの属性のみでわたしを測ることはできないんです。「カテゴライズ」を拒否して、「自分」というそのものを他者に差し出そうと思ったら、トータルとしての「わたし」をどうしていくかということにしかならないんじゃないかという気がするんです。
「トランスだからしかたがない」というのは逃げだと思うし、イヤなんですよね。もちろん「トランスだけどがんばっている」というのも違うんです。ただ単に、「トランスであるわたしは◯◯だ」ということなんです。で、この「トランス」には別の言葉*2が入ってもいいんですよ。トランスであることも、その程度のことでしかないというふうに考えていかないといけないんじゃないかということなんです。
そうすると、結局残るのは「人間として」になるんじゃないのかなぁ。
おまけつき
朝、車を運転しながら、今日の1時間目の授業について考えていました。で、ふと気がついて、コンビニに車を止めました。で、買ったのはチョコレート。
いや、前から「先生、14日、チョコちょうだいな」と言う生徒*1がいて、「んなもん」と言っていたのですが、なんか気になっていたんですよね。
そういえば、この1年、この子らと一緒にバタバタやっていて、楽しかったよなぁと。そのお礼はしてもいいかなぁと。でも、単に渡すのもおもしろくないなぁと。で、考えたのが、ラッピングの紙なんです。
学校に着いたら、あわてて印刷。内容は「方べきの定理」のプリントです。こいつでチョコをラッピングして、「おまけつきの宿題」を出そうかと。
1時間目、みんな眠いです。でも、わたしは焦りました。なにせ、「宿題」まで持っていくためには、そこまで授業を進まないといけないわけで。こちらが必死になってやっているのが伝わったのか、連中、「今日のいつき、なんでこんなにまじめやねん」という泣きそうな顔で、必死でノートをとります。で、最後に「じゃ、宿題渡すしね」とみんなに「おまけつき宿題」を配ると、とたんに教室が明るくなりました。よかったよかった。
そうそう、一人つぶやいている生徒がいました。「初めてもらったチョコが、先生のか…」ごめん。
*1:♀
火を吹く〆切
昨日の玖伊屋でも笑っていたのですが、マジで〆切って「ゴムのように伸びる」んですよね。って、感心していたらアカンけど。
先日、「17日には入稿したいのでよろしく」というメールが来て、「2〜3日中には」「この土・日には」と返事をしたのですが、土・日に原稿が書けるわけがないです。かといって、平日に書けるかというと、仕事がひとつはいると、それでアウトです。なので、月曜日の今日、まだ原稿を提出していません。
で、「ゴムのように伸びる〆切」は続きがありまして…。「切れるときはぱちんと音を立てて切れる」というのが、とりみきによる言説です。で、わたしさらにあとに「伸びれば伸びるほど、切れたときが痛い」と続けます。
ところが、「詰め」が浮かんでこない時って、ほんとうに浮かんでこないんです。どうしようと思いながら、なかばあきらめて単純作業をはじめたその瞬間、「詰めのフレーズ」が浮かびました。ここで一息ついたらせっかく浮かんだフレーズがどこかに行きます。あわててパソコンの前に行って打ち込んで、メールで送ってようやく10月頃から懸案だった原稿*1が終了。
しかし、担当の人、送っても返事をくれないのよね…。怒ってるんだろうなぁ…[1](( ;゚д゚)アワワワワ。
*1:ただし、作業にかかったのは1月中ごろだったりします
footnotes
↑1 | (( ;゚д゚ |
---|