いままでわたしは学校ではほとんど「カミングアウト」ということをしてきませんでした。もちろん「ほとんど」なんで、した人もいるんですけどね。した相手っていうと、例えば管理職*1、信頼できる教員*2、なんとなく気のあう生徒*3あたりでしょうか。こういう人たちって、たぶん「トランスであるかどうか」ということよりも手前のところでのつきあいがあるんじゃないかと思うんです。なので、トランスであることを話しても、とくに何かが変わるわけじゃないんです。
この間のフジテレビの時に、特にカミングアウトをしていない理由として「「トランスジェンダーのいつき」じゃなくて、「一人の教員としてのいつき」のひとつの属性としてトランスジェンダーがある」という感じのことを言いましたが、たぶんそのことだと思うのです。
ただ、ここ1〜2年くらいカミングアウトをしても変わらない人というか、生徒たちが増えてきたなぁという気がします。なので、去年担当した生徒たちには、1年間かけてゆっくりとゆる〜いカミングアウトをしてきました。
ゆる〜いカミングアウトというのは、「わたしはトランスジェンダーです」という言葉を使わないカミングアウト。既存の言葉に頼らずに、自分の生きてきた軌跡や自分が考えていること、自分が見る風景を伝えていくことかなぁ。そんなことを通して「わたし」という人間を伝えることができればなぁと。その先に、もしかしたら「トランス」という言葉が出てくるのかもしれないです。
まぁ、ヒントは学校中のあちこちにちりばめてあります。『婦人公論』のコピーとか『セクシュアルマイノリティ』は保健室にあるし、『30人…』は図書室にあるし。22年勤務している学校ですから、卒業アルバムを見ればわたしの変化は一目瞭然。なにより、生徒たちの前に「物体(笑)」が存在しています。わかる生徒にはわかると思うのですが…。
で、今年。まだ時期は6月です。まだまだゆっくりと子どもたちとつきあう時期だなぁとは思っていたのですが、今日は火曜日に時間割変更で授業に行ってもらった振り替えが返ってきた授業があって、しかも暑くて気が乗らない日。そこにたまたまフジテレビのDVDがあるという*4、これまたなんだかなぁな状態です。そういや、あの番組には生徒たちも登場しているんですよね。
てことで、暑いさなかの5時間目。25分ほどビデオ鑑賞会にしようかと。生徒に見せるのははじめてです。ビデオはおろか、その他諸々の情報は、これまで一切クラスの中で自分からは見せていないんです。どんなことになるかなぁ。
で、前半は「2次関数の標準形変形の確認テスト」です。その後、DVDスタート。
まずは「性同一性障害」というタイトルを見た瞬間、生徒たちは大爆笑です。「なんや!そっち系やったんかぁ!」。そうかやっぱりわかっていなかったか。まぁええけど(笑)。思うつぼやんけ。ところが、Sさんの場面になると、一同シーンと水を打ったように静まりかえります。思わず、「なんでわたしの時は爆笑で、Sさんの時は静かになんねん!」とツッコミを入れました。すると「だって、知ってる人が出たら笑うやん」。ごもっとも。やがて、ウチの学校の校舎がうつります。「おー!うつったぁ!」続いて補習のシーン。「あ、あれ、◯◯ちゃんや!」「あれ、オレ!」と大騒ぎです。その後も、みんなで爆笑しながら*5、あっという間に25分の番組終了。
わたしからの〆の言葉。「まぁそういうことや。でも、番組見せたんは、君たちがはじめてで、まだこうやってクラスで見せたこと、一回もないねん」「ほな先生は、ウチらのことを信頼してくれてんの?」「まぁな」で、チャイム。
さて、片づけじゃ。
投稿者: ituki
またもや今日も…
今日も放送部にお客さん。取材です。今日はえらく眠いし、残っている生徒も少ないし、イマイチノリの悪い感じでしたが、それでもテンションの高い生徒もいたりして、1時間ほどかけて終了。う〜ん、個人的にはすみませんでした。マジで今日はテンションが低かったんです>記者さん
そうそう、月曜日の取材の分の記事が出たみたいで、これでいよいよ職場までが特定できるところまで晒されてしまったということになります(笑)。学校で見たのはある地域紙の記事ですが、まぁえらいことになってきたなぁ。
家に帰ってもう一社のwebを見ると記事がありました。まぁ、これ、なくなるのが時間の問題なので、こっそりいただいておくことにしました。
スランプから浮上せず
舞鶴で人権教育の研修会
午前中は、舞鶴引揚記念館の見学です。ふと肩から提げているかばんを見ると「愛国心拒否」などというバッチがついていましたが、まぁええかということで、そのまま入館。
なんというか…。「被害者」としての側面がとても大きい記念館でした。まぁ、軍属にしたって、当時の為政者による被害者という側面はあるのはあるのでしょうけど、「自虐史観(笑)」を持つわたしとしては、なんだか居心地が悪いですね。「引き揚げ」についてはたくさんの展示があるのですが、たとえば、「棄民」としての中国残留婦人・孤児のことについてはほとんど触れていないし、記念館のすぐ前で沈没した「浮島丸」については展示どころか記述も一切なしです。まぁ、平和を希求するためにつくられた記念館なので、それはそれでいいのですが…。なんだかなぁ…。
そうそう、浮島丸の遭難碑とはあまりに違うお金のかかり方でした。
午後は、在日にかかわる戦後史についての講演です。午前の見学で抜け落ちていたことが、ここで分厚くフォローされました。さらに、差別にかかわる歴史を「加差別・被差別の歴史」としてのみとらえるのではなく、「差別との闘いの歴史」という観点で話されたのが印象的でした。部落史についてもそうなんですけど、「こんな差別をされました」という話から学ぶこともたくさんあるわけですが、「そんな差別に対してこういう闘いがありました」ということがとても大切なんだと思うのです。そして、何より大切なのは、たとえば部落史ならば「部落外の人々」の、在日のことならば「日本人の人々」の闘いの歴史に触れることこそが、わたし(たち)にとって、もっとも学ぶことが多いのではないかなぁと思います。
残念ながら、こうした人々の姿は往々にして歴史の中に埋もれてしまっています。そうした歴史を丹念に掘り起こしていく作業がやはり大切なんでしょうね。と同時に、いま、わたしたちがやっているさまざまな実践を、記録として残していくことも、歴史への問いかけとして大切なのかもしれないですね。
えらいことになってきた…
朝、学校に行って放送コンテストで2位になったことを報告。教職員のみなさんから暖かい言葉をもらいました。やがて昼過ぎ、副校長*1がツツッとやってきて「放課後、放送部のことで地元の新聞が取材に来るし」とのことです。
実は、放送コンテストで全国に行くのは、まだ3回目なんです。でも、部門で優勝した時も取材なんて来なかったけどなぁ。よほどネタがないのか、学校のイメージアップなのか。まぁ、どっちでもいいです。
放課後、新聞記者が来ました。「えっと、このタイトル*2、なんて読むの?」生徒たちも「さぁ…」。「どんな内容なの?」「えっと…、なんと言ったらいいのか…」。まぁのんきな取材です。しゃーないので、一通り説明すると、新聞記者の雰囲気が変わりました。
新聞記者「実はね、僕ら、とりあえず全国に行くということで来たんです。内容、なにも知らないんです。へー、そんな内容だったんですか。ちょっと一回聞かせてもらえますか?」わたし「ほな、アンプとスピーカー準備しよか。実はわたしもはじめて聞くんですよ」。
で、聞いてみました。あかんわ。ナレーターの音量レベルはガタガタ。もうちょっと変化をつけないと、聞いててあきるで…。と思っていたのですが、記者のみなさん「いや〜、わかりやすくつくりましたね」てな感じで、えらいのめりこんでます。そこから、「なぜこのテーマでつくろうと思ったの*3」とか「つくっていて困ったこととかどんなことだったの?*4」とか「先生は、なぜこのテーマでいこうとおもったのですか?*5」とか、いっぱい質問を浴びてしまいました。
結局、「5分くらいで取材を終わろうとみんなで話していたんやけど、えらい時間がかかったなぁ」とのこと。1時間半でっせ。最後でみんなの写真をとって取材終了。
それにしても、これ、1位の学校よりたぶん扱い大きいで…。どないやねん。
で、放送コンテスト決勝
どうやら、朗読部門は予選落ち。ラジオドキュメント部門は決勝に残ったようです。ということは、結果の確認のために閉会式まで残らなくちゃなりません。えらいことになりました。
2時から始まった閉会式。講評だのなんだのが長々とあって、結果発表は4時頃。で、驚愕の結果。ラジオドキュメント部門が第2位でした。そうそうテーマ点をねらうと昨日の日記に書きましたが、タイトルは「Teacher♂? or Teacher♀?」。早い話が自爆ネタです(笑)。ずるいといえばずるいのかもしれませんが、それにしても、全国ですよ。どないやねん…。
なにが悲しゅうて…
朝、携帯のけたたましい音が鳴ります。「いま何時?」と聞くと「6時」という返事。んなアホな。起床の時間まであと1時間あります。とにかく2度寝あるのみです。ウトウトしていたら再度携帯の音。今度は7時の目覚ましのようです。起きるしかありません。しかし、いったいいつになったらゆっくりと寝られる日が来るんだろう…。
とりあえず、ふとんをたたんだり、コーヒーを淹れたりして朝の時間が過ぎていきました。
子どもたちは燃えています。なにせ、夏には100人規模の全国交流会があります。先輩たちから引き継いだこの交流会を、いかにいいものにしていくかという話しあいですから。でも、引率教員はしんどくてしかたがない。完全に脱力状態の教員が、あちこちで倒れていました。もちろん、わたしもその一員でしたけどね(笑)。
んなことで、昼過ぎに話しあい終了。記念撮影をして解散です。
並行してもうひとつ
放送コンテストと並行して、全国在日外国人生徒交流会の事前合宿です。参加者は遠くは神奈川、さらに卒業生のうち一人は沖縄からの参加です。合宿という限りは、泊まりなわけで、今晩は寝られそうにないなということですね。
昼過ぎに各地から集合した後、自己紹介とかアイスブレーキングとかをして、夕方から晩ご飯づくり。それぞれのエスニシティの料理をつくります。まぁ、メヌドをフィリピンの生徒が、チヂミをコリアンの子が、水ぎょうざを中国の子が得意なのはわかるのですが、「チャプチェが得意!」と手をあげたのがペルーの子だったのには笑いました。なんでも、去年の交流会で食べて以来気に入って、しょっちゅう家でつくっているそうな。うれしいですね。
2時間ほどばたばたやって、完成。さすがに各府県からの代表者の集まりです。見事なできばえと味でした。そうそう、せっかく沖縄から帰ってきた卒業生がいるわけですから、わたしからは歓迎の意をこめてゴーヤチャンプルーをつくりました。
あとは、ひたすら話しあい。公式の話しあいが11時過ぎに終わったからといって、そこで寝るわけがないです。なんだかんだでいろんなことを話していました。その間、話の流れでわたしのことも何人かの生徒に話すハメになりました。それはそれでよかったようです。これまでもここ数年女性部屋で寝ていたのですが、どうやら正式に子どもたちの受け入れ態勢が整ったようでした。
結局、2時過ぎにようやく就寝体制が整って、2時半頃にはみんな落ちました。
放送コンテスト・予選
放送部にとっての年に一度の公式戦「放送コンテスト」がありました。エントリーしたのは、朗読部門とラジオドキュメント部門。さてさて、どうなることやら。
つっても、朗読部門は練習している姿を見たことがないので、まぁ推して知るべしですね。ラジオドキュメント部門のほうは…。テーマ点を稼ぐ作戦で行きました。
それにしても、当たり前と言えば当たり前なんでしょうけど、著作権関係のクリアのめんどくさいこと。台本ができるのなんて、〆切の間際です。音源が決まるのも〆切間際です。しかも、著作権関係のクリアにはそれなりの時間がかかります。なので、〆切間際は例年火がついてしまいます。今年は、著作権をクリアするために、音源としてはオリジナルのみを使うということにしたようです。まぁ正解でしょうね。
もっとも、あたしゃスタッフで走り回るのが基本なので、朗読とか番組の評価とかぜんぜんわかりません。てことで、コンテストの最中はヒマヒマです。さいわい、会場へは車で行けるので、会場の駐車場に車を置いて、しばし昼寝の時間をとらせてもらいました。
ちなみに、今日の予選の結果は明日になるまでわからないそうな。
DVDキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
フジテレビからDVDが届きました。さっそくパートナーと見ました。
なんというか…。よくこんなに細かいところをとっていたなぁと感心しました。というか、そういうところをうまくつなぎあわせながら、うまくひとつのストーリーを追及していったという感じだったかなと思います。
実は、特例法の子なし要件のことが、もともとの番組づくりの意図だったようなんです。だから、Sさんとわたしという子蟻がピックアップされた。もちろん、特例法のこととか子なし要件のこととか、ずいぶんと話をしたし、撮影もされました。でも、番組の中では「要件」をあげただけで、そのことに対するSさんやわたしのコメントは一切入りませんでした。たぶん、あえて特例法や子なし要件についてSさんやわたしの考えを「言葉として」出すことをやめたんじゃないかと思います。そうじゃなくて、「姿」で描こうとしたんじゃないかと思うのです。さてさて、「思い」を届けることはできたかな…?
細かい事へのツッコミとかは、またおいおい*1。
そうそう、ひとつだけ訂正ね。パートナーが「大人になったやん」と言ったあと、わたしが「籍、はずしてね」という返事をしたところがあります。あれ、まちがいです。正しくは「大人になったやん」「赤飯炊いてね」です。ま、型どおりの「返し」ということで(笑)。
*1:やるかな?わかんない