学校公開

眠い目をこすりながらも6時起き。いつものようにお弁当をつめて、7時過ぎには出発。なにせ、今日は学校公開です。この手の行事、とうぜん放送が必要です。なので、行かなくちゃならないです。
ここ数年、「生徒に選ばれる学校に」ということで、どこの学校もオープンキャンパスをしています。しかし、なんだかなぁと思うのですが。今日日京都の学校も塾にランクづけをされていて、そのランクに従って入試を受けてきます。まぁ、そういうふうになってまだ数年ですから、イレギュラーなことも多々ありますが、それでも、そうそう大きくはずれるわけではないです。
でも、今年の学校公開は少しよかったかもしれないです。いままでは、本当に教員が延々と話をするだけという、なんの芸もない内容だったのですが、今年はクラブ員が自分のクラブのアピールをするなど、少しは生徒が前に出る内容でした。実はこういうのが大切なんじゃないかなと思うのですが…。
で、半日そういうことをやっておしまい。あとは、たまりにたまった雑務を前にして、呆然としてのこりの半日が終わりました(笑)。

全国在日外国人教育研究集会神奈川大会・第2日目

今日は一日分科会の日です。でも、わたしは本売り。てか、実は分科会に出るのが、年々めんどくさくなっているんですよね。
かつては、分科会に参加して「あーだ」「こーだ」と言って、帰りの電車でも「あーだ」「こーだ」と言っていたのですが、最近は、なぜか血が騒がないんですよね(笑)。で、本を売ったり、知りあいが通ったら話をしたり*1するほうが性にあっている気がします。
ところで、本を売っていると「土地柄」というのがよくわかります。
関西では、集会中、常に人の往来があるし、あちこちで話をしている姿が見られます。ところが、関西以外では、休憩時間しか人が通らない。それ以外の時はものすごくヒマです。これは、分科会だけじゃなくて、全体会でも同様です。
おそらく、一般的には、集会とは「集会に参加する」ために行くのですが、関西でやると「集会に集まっている人に会いに行く」という感覚を持つ人がたくさん参加するのではないかという気がします。そういえば、この3月のG研の時なんか、ロビーにほとんど人がいなくて、わたしを含め数人のみがダラダラとしゃべっていたっけ(笑)。
そんなこんなで、無事一日が終わり、本も片づけて、後は帰るだけ。もともとの計画では、本を積んで車で帰ることになっていたのですが、幸いお友だちが本を載せて帰ってくれるということで、新幹線で帰れることになりました。あ〜、助かった…。
とにかく、これで宿泊をともなう移動はようやくおしまいです。

*1:というか、知りあいを待ち伏せして本を押しつける(笑)。

カムアウトのもうひとつの観点

自分の考えをまとめたり発展させるために、人と話をすることが有効なことが、わたしの場合はチョコチョコあります。
昨日の生徒交流会のことを話している最中に、ふと考えたことがありました。それは、「日本人からのカムアウト」ということです。
従来、どうしても当事者*1に対して、そうではない生徒*2は差別問題にかかわる時「随伴者的存在」あるいは、「支える人」というふうにしかとらえられてきませんでした*3。そうした、「マス」としてしかとらえられない「非当事者」というとらえかたはおかしいだろうと、先行研究などに触れながらずっと考えてきました。そのことに、昨日の「日本人交流会」がひとつのヒントを与えてくれたような気がしました。
つまり、「君のことを知っている」というカムアウトは「あり」だろう、ということです。いや、「なにをいまさら」という話なんですけど、これも「君との関係を変えていきたい」ということに他ならない態度表明なわけです。まさに、全朝教が「本名を呼び名のる」としてきた、それそのものです。そうなんだよなぁ…。まさに、原点だ!

*1:部落や在日外国人の生徒

*2:日本におけるWASP(笑)すなわち、「日本人」「男性」「部落外」ついでに「階層としてプチブルまたはブルジョア」かな?

*3:このあたりは、すでに先行研究があります。ね?こちゅかる子さん(笑)

夜は交流会

一応公式の「全国交流会」はあるのですが、体力が持たないので、お友だちがやる私的な小さい交流会に参加。机を囲んでのんびり楽しむ交流会が持てました。
そこに、沖縄で社会学を専攻している人も参加してくれました。
2時間ほど騒いだあと、数人でラーメン屋へ。しかし、おいしいけど食べられへんって。まぁ、元気な人たちだわ。
10時過ぎにホテルに帰ると、1回の飲み屋でみなさん呑んでおられたみたいです。一度部屋に帰って荷物をおいてからと思って、部屋にもどってベッドに座ったとたん、スイッチが切れました。

実は、全国在日外国人教育研究集会・神奈川大会・第1日目

交流会の2日目は、今年は全国在日外国人教育研究集会の1日目、全体会と重なっています。お昼頃に話しあいとかを終了して、全体会の会場へ移動。その後、全体会で2日間の論議の発表を生徒たちが行いました。ステージの上に、約100人の在日外国人(含む、日本人)の生徒たちが、一晩語り尽くして本当に疲れながらも、充実した2日間を過ごしたことを感じさせる姿が並ぶ風景は、やはり感動的ですね。わたしたち教員も、この瞬間を見るために1年間かけて準備をしていると言っても過言じゃない気がします。
生徒たちのステージのあとは、地元報告です。チャンゴありブレイクダンスありラップありのパワフルなステージです*1が、疲れ切っているために、ロビーで交流会の参加者達とダラダラ冗談を言って過ごしました。地元のみなさん、ごめんなさい。って、誰も読んでないか…。

*1:たぶん、参加者はついていけてない気がする(笑)

状況から再構築する感性

昨日の夜、教員のミーティングで出た話を実行委員の生徒たちに伝えたのですが、どうやらうまく伝わっていなかったようです。というか、やはり司会はむずかしい。
当然一人一人の持つ「しんどさ」には違いがあります。あるいは、そのしんどさを「しんどい」と感じるかどうかについても違いがあります。このふたつの「違い」が、自分の経験を時として「取るに足りない経験」「語るに値しない経験」としてしまうことがあります。その結果「なにかあった?」と司会がたずねても、誰もなにも答えないということが起こってしまいます。
自分の置かれた状況や経験から、「なにが理不尽であるのか」ということを感じとるには、やはり「感性」が必要なんだと思いました。その感性を磨くためには、自分と自分のまわりのことを分析できる力が必要です。でも、「理不尽な状況」から自分自身を防衛するために、そういう力がマスクされてしまう。その力をとりもどすことが必要かなぁと思いました。

タイミング

この手の交流会で、やっぱり困るのはお風呂です。部屋についてはすでに問題(笑)は解決しているんですけどね。
実は、今回の交流会では、部屋割りについて、性別欄に「男じゃない*1」と書いてあったにもかかわらず、男部屋にされていました。「はぁ…」と思ったのですが、友だちの女性教員達が「あれ?部屋割りが違うやん」「うちの部屋に来たらええやん」と次々に言ってくれて、無事、女性部屋に入れました*2
ところが、お風呂はやっぱりこうはいきません。みなさんには「あ、台所のシンクに水をはって入るし」とか言っていたのですが、やっぱりしょせんは無理とあきらめていました。ところが、プログラムの隙間で見事に誰もお風呂に入っていない時間がありました。すぐさまお友だちの「取り立て屋さん(なつかしい…)」が「前で見張っていたげるし」言ってくださったので、ご厚意に甘えて久しぶりに大浴場にはいることが出来ました。うん、めっちゃ気持ちよかった。

*1:これが最近のわたしの性自認

*2:部屋割りをした人は知っている人なので、「まぁ、わたしらみたいな人間は階段の踊り場がいちばんふさわしいんですけどね(笑)」などと言ったのですが、どうも皮肉に聞こえたみたいで、えらい謝ってはりました。

中間総括から・2「日本人が参加することの意味」

もうひとつ提起されたこと。今回初めて「ルーツ別交流会」を行ないました。参加者のほとんどは、自分と同じルーツを持つもの同士の出会いを喜んでいたようです。それが最も大きくあらわれるのは「言葉」。渡日からせいぜい数年しかたっていない生徒たちにとって、母語で話しあい冗談を言いあう機会はとても貴重なものです。わずかな時間ではあっても、そうした時間が設けられたことの意味はとても大きいかなと思います。
しかし、その一方「ルーツ別交流会」は2種類のマイノリティをつくってしまいます。
ひとつは、圧倒的に少数のルーツを持つ子どもたちです。せっかく「仲間」と出会いに来たのにやはりいなかったということの絶望感を、出会う機会を得た他のルーツの参加者の姿が倍増させると思います。
もうひとつのマイノリティは「日本」というルーツを持つ生徒たちです。「自分たちはなにを語ればいいのか」というとまどいが、そこにあります。いや、おそらくは、なんの働きかけもなければ、そう思ってしまうのはしかたのないことだと思います。
そんな、「日本というルーツを持つ生徒」の交流会にも、実は貴重な意見があったようです。それはこんなものでした。「自分は友だちが中国人であることを知っているんだけど、その中国人の友だちは自分が知っていることを知らない。どうやったら友だちが自分に話をしてくれるだろうか」。
ここにこそ、ひとつの本質があるように思いました。

中間総括から・1「しんどさを語ること」

夜に教員の総括。印象に残ったのは「司会をしている実行委員の生徒たちが、なんとか明るく軽くしていこうとしているけど、自分たちの経験をそんなふうにしゃべれるのか?」という提起。そりゃそうです。なにせ、オーバーステイや血縁関係にないから在留資格を取り消されて*1入管に収容とかいう経験までもっているような子らです。そんなに明るく語れるわけがないです。というか、他の場所ならともかく、「この場所」ならばそんなこと*2に気を使うことなく、しんどいことは「しんどい」と、素直に表現をしてもかまわないんじゃないかということなんです。
「しんどいことを明るく語る」というのがわたしの芸風*3ですから、これって逆行すると言えば逆行するのですが、たぶん、ほんとうにしんどいことはたぶんしゃべっていないんだろうと思います*4。なので、いまほんとうにしんどいと思っていることは、やっぱり明るくはしゃべれない可能性があります。それを無理に明るくすることは、たぶん不可能なんですよね。てか、きっと無理をしているのが伝わってしまうだろうと思います。それって、逆に痛々しいです。
今回の提起をされた方は、たぶんその痛々しさを感じとられたんだろうと思います。
「仲間」に対して、しんどさを隠さないということ、そのしんどさをマイナスに受けとめるのではなく、プラスに転化していける関係性(あるいは、「場」)って、やっぱり大切なんじゃないかなぁと思いました。

*1:日本の在留資格は「血統」に依存しています。なので、日本人と血縁関係があれば(たとえば実子)在留資格が認められますが、「連れ子」の場合は血縁関係がないので、たとえ親子であっても在留資格が認められないことがほとんどです。しかし、「家族=血縁」というのは、戸籍制度に基づく価値観であって、かならずしもこのような価値観は一般的ではありません。でも、入管はこれらをすべてひとくくりに「偽装」として、在留資格を取り消して、強制収容・強制送還の対象にすることがほとんどです。

*2:「明るくしなくちゃいけない」みたいな。

*3:というか、京都解放研の作風

*4:自分のことなのに「思う」というのは、自分では意識していないからなんですよ。