再インストール・2日目

で、2日目。
まずは、不安定さの原因追及から。きのうの晩、寝る前にふと思いついた実験をしてみました。なにかというと、BIOSいじり。一応、安定側に振るべく、top speedがDisableになっているのですが、これをEnableに。すると、安定しました(笑)。どうやら、安全側に振っていたために、タイミングがつかめなかったようです。つまり、うちのパソコンは、ギリギリのタイミングで動く方が調子がいいみたいということですね。誰に似たんだろう(笑)。
さて、本日の最大の難関は、DVD-RAMの書き込みです。
LGのものを使っているのですが、前に使っていたB’s recordのドライバを放り込んでみたら、×。いや、ドライブに附属しているドライバはあったのですが、InCDとか、あまり使い勝手がよくないとか聞いているので、慣れたソフトを使いたいなぁというもくろみがあったんです。でも、しゃーないですね。附属のファイルを入れてみました。そしたら、読み書きできました。そうゆうもんらしいです。これで、B’s recordともおさらばですね。もっとも、動けばいいわけで、文句はないです。
あとは、なんだかんだと必要なソフトを入れていきました。それにしても、いまとなっては使わなくなったソフト、たくさんあったよなぁ。そういうのをバッサリと切って、使うものだけを入れていったら、すごくシンプルになりました。
さぁ、あと残っている最大の難関は、iPodだわ。はぁ。なんでファイラーで転送するようにつくってないのかしら…。

で、わたしの午後は…

年末からの懸案であった、OSの再インストールに着手しました。
基本的には、データドライブとOSなんかが入っているドライブはハッキリとわけてあるんですが、今どきのmicrosoftがそんなことを許してくれる訳ありません。とりあえず、Cドライブの中のあちこちを探しながら、なんとかほぼデータは待避させました*1。で、いよいよIDE0のパーテーション操作。これであともどりはできません。あとは突き進むのみです。
それでもなんとかリセットを繰り返しながら*2、再インストールが終了。あとは、ツール類をぶち込むだけです。
それにしても、昔のツールはインストールが楽です。なにせ、好きなディレクトリに放り込んだらおしまいですから。今どきのツールは、レジストリをいじるので、setupファイルを探してきていろいろしなくちゃなりません。なんでこんなことになったのかなぁ…。
ところが、いろんなものを放り込んでいるうちに、だんだん不安定になってきました。気がつくと、謎のリセットとか謎のフリーズが幾度か。嫌気がさしたところで、1日目終了です。

*1:つっても、たぶんあとで「ふぇ〜ん」みたいなこと、あるんだろうなぁ

*2:含む、謎のリセット・フリーズ

つかの間の休憩

今日は上の子どもの誕生日。
年末に「たまには外食をしようか」という約束をしていたので、せっかくならこの日ということになっていました。
昼、近所のレストランへ。といっても、ファミレス系ステーキハウスですわ。しかも、昼時ですからランチメニューがあります。ひとりあたり、1000円弱で食べられます。それでも半年ぐらいぶりの4人そろっての外食。
窓際の席で、明るい外を見ながらのんびりとおいしいものを食べるって、すごくいいですね。後で食器を洗う必要もないし(笑)。
昼からは軽く買い物をして、下の子どもとパートナーは誕生日のケーキづくり。なにやらアップルパイをつくるとか。上の子どもは、それでも勉強。なにしろ、あしたは模擬試験ですから。
てな感じで、のんびりした一日が過ぎていきました。

やってもた…

職場へのバイク通勤の途中、赤信号で止まりました。で、足をついたんですが、いきなりバイクがグラッ。「あれれ」と思ったら、バイクは45゜くらいまで傾いています。踏ん張ろうと思ったのに、バイクの重さに耐えられない…。とその次の瞬間、こけていました。
立ちゴケですやんか…。
クラッチレバーがエビぞってしまいました。はぁ…。

これにはワラタ

最近のスパムはほんとうに凝ってます。たまについ読んでしまうんですが、今日のは爆笑!

subject:■私をスキーに連れてってスペシャル■

本日はスキーの日。

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1911(明治44)年の1月12日午後1時、オーストリアのテオトルホン・レルヒ少佐が新潟県の高田陸軍歩兵聯隊の青年将校にスキーを指導。雪中行軍用具としてのスキー導入でしたが、日本人が初めてスキーをした日なんだそうです。。
10日後の1月21日には同じ新潟県高田で日本最初のスキー競技会が開催されています。

URL

スキーは指導できないけど、別のコトなら指導できるな。

↓指導してみたいという方はこちら↓
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ちょっとした異変・さらに続報

今日用事で事務室に行ったら、「ちょっとちょっと」と呼びとめられました。「なにかな」と思ったら、扶養控除の書類を「これ、書いて下さいね」と渡されました。で、中を見ると、ついでに赤いタグの名札(笑)。「つくっときましたから、貼っといてください(笑)」
てことで、こそーり貼りかえました(笑)。まぁ、誰も気づかんだろうな。

教材づくり

3学期がはじまると、間もなく人権学習。といっても、1年間のまとめというか、2学期の振り返りというか。なので、2学期に生徒たちが書いた感想文とか質問文を「通信」という形で返すだけのことですから、たいしたことはないです。
それにしても、生徒たちは単刀直入な質問をしてきますね。「どうやったら差別はなくなるのですか?」みたいな。んなもん、わかるかいな(笑)。でも、それにこそ答えなくちゃならないわけです。で、わたしはわたしなりの考えは持っていますが、まだまだへたくそ。なので、2学期に講演に来てもらった人の言葉を借りることにしました。めっちゃいいです。

ここに、800人ほどの生徒さんがいるって聞いていますけれども、この中で、全員差別はあかんって思っているはず。でも、自分が優位に立ちたいとき、俺、あいつよりケンカが強い、俺はあいつより金持ちや、男前や。私はあの人よりもきれいや。自分が優位に立ちたいときに、必ず人を差別してしまう。
その差別というのは、俺は、正面切ってみるまでは、この体育館よりも大きいものやと思っていた。得体の知れんものやと思っていた。せやけども、ふと、差別と真正面から向きあうと、差別というのは、ちっちゃなもの。なぜかというと、すべての人間の心に入れるほどちっちゃいものなんや。人よりも優位に立ちたい、今俺は優位に立たないとあかんねやと思って、ものを言いたいときに、必ずその人の心の中に入ってくる。そんなちいちゃなもの。
俺は、そのちいちゃなものにおびえてきた。でも、これからは、そのちいちゃなものを消し去っていきたい。というのは、この中に、「俺は、ケンカ誰にも負けへんぞ」という人、「俺は力は人よりいっぱい持っている」という人、太陽を西から東に昇らしてみ、俺は頭賢いで、私は賢いでという人。今のこの時間で時間をとめてみ。そんなことはとってもやないけどできひん。それはなぜかと言うたら、自然やからなんや。でも、差別というものは、人間がつくったもの。人間がつくったから人間の手で崩せる。俺、そう思ってん。だから、こうやって、いろんな人に話を聞いてもらう。
さっきも言うたけども、差別というものは、されている側のものばっかりじゃない。しているものもいればされているものもいる。でも、されているものが、差別をしたことはないのか。必ずしたことがあるはずや。わしでもある。たとえば、女性に対する女性差別をしてきた人間や。障害者に対する障害者差別をしてきた人間や。俺が、そういうことに気づかされたのも、差別をなくそうという運動の中で気づかされた。だから、こんな勉強したってしゃあないやんけ、私ら全然知らなかったのに、丸田のおっさんが言うさかいに部落というものはこういうものやという見方をしてしまうやないかというかもしれんけども、自分の目で、はっきり部落というものを見てからものを言ってほしい。見もしないで、聞くだけで、こうなんやああなんやというのはやめてほしい。
今、差別を受けている側が、今度する側になるときがある。また、している側がされる側になるときがある。差別というのは、そういう形で人間の心を行き交うわけです。だから、今のままにしておいたら、差別というのは、なくならへん。
でも、こうやって話を聞いてもらって、みんなの心の中に、丸田という人間が恥ずかしい話をここへ来てしている。それはなぜなんやと言うたら、俺ら大人はもうええ。これからは、君らの時代なんや。君らがこの日本という国を支えていかなあかん。だから、君らにがんばってほしいな。せやからと言って、俺、手を抜くわけじゃない。俺も性根を入れてがんばる。でも、一人でやってたらたまに、しんどいときがある。もうええわって。でも、俺はいつも、こうやって真剣に聞いてくれるみんなの目を見て、ああ俺もがんばらなあかんなと思って、いつも学校を後にします。君らもこれから、いろんな人生を歩く中で、いろんな矛盾点やらいろんなものを感じると思うけれども、それを真っ正面から見て下さい。

しかし、すんません。いつも借り物ばっかりでm(_ _)m

ちょっとした異変・続報

でも、青いタグがなんとなくすわりが悪いので、事務室に行ったついでに言いました。
「あの〜、タグの色、変えてもらえません(笑)?」
「あ、いいですよ」
「別に、色を変えたからって、なにも変わらないんでしょ?」
「ええ、ぜんぜん(笑)」