今日は卒業式。てことは、いつもの通り、特殊任務です。
で、ややこしいの「例のあれ」です。でも、まぁ、うちんとこは皆さん理解があるので、わたしはそこにはまったくノータッチ。役割分担についても、「責任ある人」がやらないといけないので、「責任ある人」が、その任にあたっておられます。まぁ、わたしが担当したら、何が起こるかわからないですからね(笑)。
で、今日はというと、まぁ、なんかあったみたいだけど、ぜんぜんみんな気にしていなかったみたいです。どころか、終わったら、副校長は「ごくろうさん」、事務長は「ありがとう」です。事務長に「「なんか」を報告しなくちゃいけないとか」と言ってみると、「そんなんありませんよ」と笑っていました。
あぁ、のんびりした一日だ。いい天気だし…。
投稿者: ituki
あ〜、さっぱりした
忘却の彼方へ
謀議の中で
最近、謀議続きです(笑)。まぁ、今回の謀議の内容は、そのうち明らかになるし、それよりもなによりも、「明るい謀議*1」なんで、まぁいいか、と。
で、いろいろ話をしたんだけど、なんとなく自分の問題意識が少しすっきりしたかなぁ、と。
- トランスと同性愛の共闘の可能性
わたしは前から「特例法の本丸は非婚要件」と思っていて、そこに「共闘の可能性」があると考えていたんですよね。その延長なんだけど、「トランス」という作業が仮に(笑)「性別のありよう」を揺るがすものだとすると、それを「ペアリング」という側面から揺るがすものが「同性愛」なのかなぁ、と。逆に、「同性愛」が「ペアリング」を揺るがすものであれば、「トランス」も「性別のありよう」を揺るがすことを通して、「ペアリング」を揺るがす可能性を持つんじゃないかなぁ、と。
まぁ、こんなこと「今頃気づいたの?」と言われそうだけど、自分で気づくことが大切なんだろうなと思うわけですよ。
- MTFとレズビアンの共闘の可能性
結局、互いに自分の内にある「優位性」と「劣位性*2」みたいなものを出しあわないといけないなぁ、と。少なくとも、わたしは「男性」として生まれ、育てられたことによって、「いま」があるわけです。それがよかったか悪かったかということを抜きにして、それは認めざるをえない。で、「わたし」の「いま」を考えた時、きっとこの社会の中で「男性を優位とする」ところに乗っかって生きてくることができたわけで、だから「いまのわたし」がある。だから、それを認めなくちゃならないし、その資源を使っていかなきゃならないんだと思うのです。
大切なのは、じゃぁ、「優位性だけ?」というと、そうじゃないというところ。そして「劣位性だけ?」というと、これまたそうじゃないというところ。そういうことをひとつひとつ検証しながら、互いに差し出しあう中で、「共闘の可能性*3」が出てくるということ。
まぁ、こんなこと「今頃気づいたの?」と言われそうだけど、自分で気づくことが大切なんだろうなと思うわけですよ。
- 「笑い」と「涙」から考える共闘の可能性
いろんな当事者の講演を聞きながら、「涙が出てくる瞬間」って、何度も経験しています。でも、いつもどこか自分の中に「冷めた」ところがあることに気づいていたんです。「これってなんだろう」「自分って、すごく冷たい人間かな」とずっと思っていました。でも、そのことがあったからこそ、わたしは「ウケ」を常に意識しながらしゃべるようになりました。
これ、「関西人だから」と処理されがちなんだけど、もしかしたら違うのかも。もしかしたら、それって「共感」のあり方なのかもしれないと思ったんです。
そう考えた時、「涙」による共感は「他者への共感」なんじゃないかなぁ。簡単に言うと「あぁ、かわいそうな人がいる」みたいな。それに対して「笑い」による共感は「自分への共感」なんじゃないかなぁ。簡単に言うと「あぁ、あるあるある!」みたいな。
ま、ただそれだけのことなんですけどね。でも、わたしは「高座」をするとき、「わたしのことを理解してほしいなんてこれっぽっちも思っていない」んです。じゃなくて、「心の相似形」を探るための「ネタ」を提供しているつもりなんです。で、「あるあるある!」となった時、その人がその人自身を見つめる手がかりが出てくる。その作業と、わたしがやってきた/いる作業は同じなんですよね。そういう共感を探りたい。
今日の〆
夜は、大阪市内で謀議。
すごくしんどい話からはじまったことなんだけど、わたしにとっては豊かな出会いを与えられたかなぁと思います。そのオポチュニティを与えられたことにこたえるためにも、いっちょがんばろう。
核心をつく質問
午後からS県での中学で高座。
50分と言われていたけど、やっぱり無理でした。だって、ようやく1時間バージョンができたところで、それすらも「ぴったり!」と思うのは時たましかないんですよね。それでも、1時間5分で終わりました。みなさん、よく我慢して聞いてくれたものだ。
で、高座の後は、会議室で待機。すると、10人ばっか遊びに来てくれました。で、いろいろ質問を受けながら話をしていたのですが、さてそろそろ終わろうかと思った時に、いきなり飛んできた質問。
「女らしさってなんですか?」
瞬間空を見あげて…。
S県にはS県の女らしさがある。京都には京都の女らしさがある。そういうものを分析して、少しずつ積み重ねていけば、女らしさは演出できる。なので、それをしなくちゃならない時は、意識的にそうすればいい。したくない時は、抗えばいい。
でも、いずれ、それをいつもしなくちゃならない時が来る。その時に、どうしても我慢ならないんだったら、その時は闘う以外はないよね。
おそらくわたしとあなたとは、ある意味違う*1。でも、わたしは「男らしさも女らしさも拒否」をしている。その部分においては仲間だね。だから、ともに闘かわん!
またもアジってしまいました。やれやれ…。
*1:身体の問題かな
計算することと、計算することを放棄することと
この期に及んで、まだ危機感がないヤツがいます。「暴れてもいい?」と聞いて、5分後、暴れました(笑)。
まずは、手に持っていたチョークを思いきり床にたたきつけました。みんながシーンとなった次の瞬間、机の上にあった教科書を思いきり床にたたきつけました。さらに、教卓を一蹴り。ふた蹴り。なにが腹が立ったというと、歯がゆかったんです。この期に及んでも危機感がないヤツに、それよりもなによりも、怒られて静かになるヤツに。
お前らな、怒られたら従うんか。暴力には屈するんか。そんなヤツは最低や。いま、なにをするべきかを自分で考えて、ほんとうにやらなくちゃらないことを自分で選択しろ。そのためには、まず、人の話を聞け。それから判断しろ。必要な時には、暴力に対してこそ刃向かえ。
わたしはな、担任をしていた時、絶対にショートホームルームは休まなかった。それが一番大切やったからや。でもな、一回だけ休んだことがある。それは、朝鮮総連に対する不当弾圧に対する抗議行動をしにいった時や。「ホームルームよりも、抗議行動をすることの方が大切なんや」と言って、京都府警の前の抗議行動にいった。それがその時の自分の選択や。ニュースステーションにも抗議の電話をした。「しゃーないな」と練ればいいかもしれんけど、我慢できへんかった。いらん金と時間と労量を使こて抗議した。でも、その時それをしないといけないと思った。
支離滅裂です(笑)。
わたしはな、君たちに対しては権力者や。一見そうではないフリはしてるけど、40人の高校生をたったひとりで押さえつけられるのは、君たちに対して「評価する」という権力を持っているからや。
でもな、ホンマは、そんな形で君たちに数学の授業を聞いてほしいとは思ってへんね。たった一問解けた時に、「あ、気持ちいい」と思ってほしい。その気持ちの延長で、この役に立たん数学の授業を聞いてほしいと思ってるねん。
もう、なにがなんだかわかりません。
でも、いまなら切れてもいいと思いました。そのタイミングは計算をしていました。でも、その先は感情にまかせることにしました。支離滅裂であろうが、わけがわからなかろうが、そういう姿を、学年末の今出すことが大切だと思いました。だから、感情のおもむくままに語りました。そして、10分ほどたったら…。
普通に積分の授業をしていました(笑)。
やっぱり焼き付きだったorz
(T/O)
初心者指導
朝起きると、大雪。相当積もっているのに、まだ降っています。えらいこっちゃ。
でも、そんなの関係なく、今日は子どもをスキーに連れていく日です。なんもこんな大雪の日にとは思うのですが、大雪の日じゃなかったら雪がないスキー場に、他に休みがないわたしが連れて行けるのは、今日しかないというorz
上の子どもは先輩の卒業式に出るということで、下の子どもとパートナー、あと、どうしてもいきたいというわたしの母親を車に乗せて、京都市内唯一のスキー場に向けて出発です。
途中、京都市有数の難所を越えて行かなくちゃならないのですが、どこにでもチャレンジャーはいるものです。例えば、チェーンをはいているだけの救急車とか、すり減ったスタッドレスをはいているFF車とか。救急車にいたっては、途中、道を譲ってくれました。あんなのはじめてですよ。
さて、スキー場に着いたら、とりあえず子どものスキーをレンタル。なにせ、下の子どもがスキーをするのは今日が初めてです。わたしとしては、今日はスキーをしに来たというよりも、「初心者指導をしに来た」という割り切りが必要なわけで。まぁ、割り切ってしまえば、リフトが動いている横で長靴を履いていても、さほどストレスにならないというのが、逆に職業病みたいなものかもしれませんね。
それにしても、ビビリな子どもを親が教えるというのは、ほんとうはあまりよくないなぁと実感。なので、ここはあえて「親じゃない!子どもじゃない!」と割り切って、スクールのスタッフになりきります。
午前は1時間半ほどリフトに乗らずにそのあたりを歩きまわります。初心者指導で一番大切なのは、あせらないこと。ついリフトに乗せてしまいがちですが、ここであせると後が大変です。きちんと平地と平地に毛が生えたぐらいのところで慣れさせてから、リフトに乗せます。
というのは公式なのですが、なにせビビリなウチの子。リフトに乗せると「高いよ〜、落ちたらどうするの〜?こわいよ〜」と騒ぎはじめます。リフトを降りて、さて滑ろうと思ったら「曲がり方を習ってないよ〜」と騒ぎます。曲がり方なんて、そんなに早く教えるかい!後でパートナーに聞くと「なんか上の方から声がしてたわ」とのこと。そりゃそうでしょう。
でも、2本ほど滑ったら、だんだんとコツをつかんできます。なによりも、プルークを保ち続けることと、そのためにはどこにどう力を入れたらいいのかを、自分でつかみはじめます。すると、とたんに楽しくなるのがスキーです。
すると「もう一本滑りたい」と言いはじめます。リフトに乗って「こわい?」と聞くと「空を飛んでいるみたいで楽しい」とか言いはじめます。変わり身の早いヤツです。気がつくと、途中駅で降りていたのが終点まで乗っても平気になっていました。
さて、3時になったら撤収。子どもはまだまだ滑りたいみたいですが、このあたりで終わるのも大切です。はじめてのスキーでは、思った以上に体力を使っています。そして、山の天気は3時半くらいを境に急激に変わっていきます。「また来ようね」という担保のない約束をすると「いつ来られるの?」と本質を突いてきます。
と、楽しい一日を過ごして…。
夜、布団に入っている子どものところに行くと「まだ滑っているみたい。ワクワクして練られない」とか言っています。「でもね、寝なくちゃいけないよね。あとは夢の中で滑るんだよ」と適当なことを言いながら、布団を掛けてやると、そのうち寝てしまいました。
やれやれ…。
ビェンロー
- 材料…白菜・干しシイタケ・緑豆春雨・鶏のもも肉・豚のバラ肉・塩・一味唐辛子
- つくりかた…白菜は、鍋に入れるのにいい大きさに切る。白いところは鍋に入れ、緑のところはとっておく。干しシイタケはぬるま湯でもどしておく。春雨は水でもどして、適当な大きさに切る。鶏のもも肉は一口大に切る。豚のバラ肉も適当に切る。白菜を入れた鍋に水を入れて、火にかける。沸騰したら干しシイタケ・鶏・ブタを入れる。干しシイタケのもどし汁も入れる。40分ほどグツグツしたら緑のところも入れて、さらに煮る。最後に春雨を入れる。
- 食べ方…器に具をとって、塩と一味唐辛子で味つけをして食べる。汁を残しておいて、ごはんを入れて食べるのも美味。