異様な人数

いや、参列して下さった方がという意味ではありません。出席して下さった方の中のセクマイ率が高いんですよね。
実に、MTFがわたしを含めて4人。ビアンが1人。これ、あくまでも「わたしが把握している」という範囲です。トランスはともかく、ビアン・ゲイの人は他にもいたんじゃないだろうか。そうそう、弔電も他にもうひとりMTFから来ていたし。
まぁ、そういう人だったということなんでしょう。それが、朝日新聞の特集「家族」に出てきた

やがていつきは数学教師になって、淳子(じゅんこ)と結婚。学校に来ない生徒たちの家に通ううち、校区内の被差別地区に住まいも移し、地域とかかわるようになった。在日外国人の子どもたちを支える活動もしていると聞いた。理論家である昭夫にはできない実践だった。改めて口には出さないが「よくやっている」と思っていた。

そのいつきが、性別を超えるトランスジェンダーとして生きていくという。ならば自分から言うことはない。遠いところへ行ってしまう寂しさはあるが、「そこを信頼し、支えるのが親だろう」と思った。

それより前、同志社大時代の教え子がレズビアンだと明らかにした。同性愛者がキリスト教団の牧師になることへの慎重論もあった中で、受け入れられ、堂々と生きていることを、昭夫は誇りに思っていた。セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)としてのそんな生き方も、いつきを思うとき思い出した。

という記述にもつながっているんでしょうね。

あれから2日か…

今日は前夜式の日です。てことは、午前中はヒマかなぁ。ちょっと学校に行こうかなぁなどと思っていたのですが、完全に甘かったですね。
まずは、死亡届を書いて弟の家へ。単にコピー機があるからなんですけどね。その後、区役所に行って提出。かわりに火葬許可証とか斉場の使用願いなんかをもらいます。ついでに、今後必要になる書類の申請用紙をゲット。
実家に帰ったら、交代に、母親にわたしの家に行ってもらってお風呂に入ってもらうことにしました。なにせ、父親がもしもお風呂場でなくならなければ入れるだろうけど、ちょっとね…。
で、わたしは実家で待機。しばらくすると、花屋さんが来ました。って、約束の時間と違うよ。あわててわたしの家に電話して帰ってきてもらいました。
そんなこんなでバタバタしているうちに、徐々に家族が集合。教会に移動します。そうそう、わたしは軽食を買い出しに行かねば。しばらくすると、だんだんと前夜式のために各地から駆けつけていただいた方々がいらっしゃいました。
やがて、7時。前夜式の開始です。式そのものは、礼拝なんですが、途中4人の方々が自分なりの思い出を語って下さいました。そのうちのひとりの方の話の中に、とても印象的な言葉がありました。

かつて、自分の教会でイースター礼拝の時に説教をしてもらったことがありました。わたしは、歴史学者である土肥昭夫先生が、復活についてどのように語られるかにとても興味がありました。すると先生は言われました。「歴史には事実と真実がある。そして、復活はまぎれもなく真実である」と。

そして、8時半過ぎに前夜式終了。いろんな人と再会を喜びながらも、その底に流れる悲しみだけはどうしようもありません。
そして、9時過ぎ。教会に布団を運び込んで、もともとの家族4人の最後の宴会の開始です。父親の枕元にビールを持っていって、みんなで乾杯。教会の牧師さんも交えて、いろんな思い出話をします。泣いたり笑ったりの充実した時間を過ごさせてもらいました。1時を過ぎたあたりで、明日のこともあるので寝ることにしました。

忘れてた!

実は、夕方思い出しました。今日って血液検査!血中エストロゲンの値を調べる日でした。で、診察室で「男性ホルモンの血中濃度をはかりたいんです」と言うと、「どれだろう…」と探しはじめられます。どうしよう…。と思ったところで決意しました。Iちゃんさんに電話。「遊離エストロゲンというのもありますけど、エストロゲンでいいと思いますよ」と明快なこたえ。ありがとうございます。
覚えとこφ(.. )。

忙しいのかヒマなのか…

朝、目が覚めると6時。すごく眠りが浅かったはずなのに、身体はそれなりに動きそうです。なんかこういうの、あぶないです。
母親もそんな感じみたい。寝室から降りてきて、朝ご飯の準備をしています。「ごはんを食べる?」と聞かれたけど、昨日の夕食がすごく遅かったので、ぜんぜん食欲がわきません。すると、母親は、「お父さんに持っていってあげよう」と、これまたなんともいえないことを言います。
そうこうしているうちに、ようやく8時。今日とらなくちゃならない連絡先に連絡ができる時間にさしかかってきました。まずは、わたしの職場に連絡。続いて、司式をして下さる牧師さんや会場になる教会に連絡。9時をまわったところで、今度は動ける時間にさしかかってきます。まずは、警察医のところへ。「死体検案書」なるものを受けとりに行きます。続いて警察へ。署長のハンコがいるらしいです。検案書の半分は「死亡届」なので、いったん家に帰って書くことにします。が、ついビールを呑んでしまったので、区役所に届けるのは明日ということで^^;;
午後からは納棺式。
式そのものはあっという間にすみましたが、その後、前夜式と葬式のうちあわせ。ところが、全体像がイマイチつかめていないです。「ハァ、ハァ、ハア、そうですね。そうですね」といっているうちに終了した気がします。
その後、家に帰ってお風呂にはいることにしました。考えてみると、30日から入っていません。しかも、30日の夕食は焼肉でした。あぁ、さっぱりした。
で、お医者さんへ。無事血を抜いてもらって、実家へ。パートナーと弟の合作の夕食を食べて、ビールを呑んでるうちにどんどんおねむになります。耐えられなくなったところで布団を敷いて爆睡。

混乱の素

ところで、警察の人、わたしにいろいろ言うのですが、なんか雰囲気がおかしいです。あとで子どもに聞いてみると、子どもに「お父さんはどこにいるの?」と聞いていたそうな(笑)。

サドンデス

ぜんぜん「日常」じゃないんですけどね…。
家に帰って玄関のドアを開けたとたん、上の子どもが「じいちゃんがたいへんらしい」とえらい勢いでしゃべります。「なんやねん」「風呂場で倒れたらしい」
んなもんあかんやんか!
あわてて実家へ。
風呂場に行くと、たしかに倒れています。なんしか、呼吸があるかどうかを確認。わかりませんorz。心臓が動いているかどうかを確認。わかりませんorz。そのころにやっと119と連絡がつきました。電話口で「気道確保をして下さい」「息を吹き込んでみて下さい」「心臓マッサージをして下さい」立て続けに指示が来ます。息を吹き込んでみたり、心臓マッサージをしていると、救急隊が到着。AEDを使い、管を入れて心肺蘇生の開始です。
そうこうすると、警察が来ました。わかっちゃいるけど、えらい時に来るやんか。てか、完全に「結果」がわかった行動やろ…。そうこうするうちに、パートナーや子どもがやってきます。
やがて、収容する病院が確定。母親とパートナーが一緒に乗って搬送されていきました。
さて、わたしは警察の対応ですわorz。やがて、習い事をしている下の子どもを迎えに行く時間がやってきました。「そろそろ行くし」と警察を追い払って、一段落です。
子どもを迎えに行って、待ちながらパートナーと連絡をとりあいます。「救急処置室にはいった」「いま待っている」とか連絡があったのですが、やがて「19時15分心肺機能停止」という連絡が入りました。
遺体はそのまま警察署にまわります。わたしは子どもたちをつれて実家へ。実家に着くと、家の前に車があります。またまた警察ですわorz。
そうこうすると、病院に行った母親とパートナーと弟も実家に来ました。
警察はあちこち調べていろいろ聞いて、仕事が終了したらしく引きあげていきました。
あとは、検死が終わるのを「待ち」です。10時過ぎにようやく連絡が入り、警察署へ。検死結果*1を聞いたあとが、これがまた長いです。なんでも、調書の確認をしなくちゃならないらしいです。延々と待つこと小1時間。ようやく調書ができあがったらしく、確認ができました。
で、家に帰って別の車で身体が帰ってきました。寝慣れたベッドの上に身体を横たえてもらって…。すごく普通の顔をしているのが不思議です。
やがて、弟家族もうちの家族もみんな帰って、母親とふたりで午前1時の夕食。ビールを呑んでメールチェックをしたら、いつしか目が…。

*1:おそらく突然心臓がとまったんだろうとのこと。たぶん本人も「あれ」と思って「んんん!」と思ったら意識を失ったのではないだろうかとのことでした。

肝臓との勝負

今日は夕方から新大阪で最終打ち合わせ。
先日のトランス全国交流会の事後処理&打ちあげです。
事後処理の方はサクッと終了。その後、日之出の方々と合同の打ちあげです。
交流会に早い時間に参加して下さった方は食べられたと思いますが、「カスと菜っぱのたいたん」や「カスと大根のたいたん」をつくってくださったおばちゃん二人も参加して下さいました。お二人とも「交流会に参加させてもらってよかった」と口をそろえていっておられました。特に、お一人は「昔、うちの近所にもいはったわ。料理がうもうてなぁ。こないだあそこに行って話を聞いて、そうやったんかとやっとわかったわ」と言っておられました。なんかほんとうにうれしかった。
あと、最後の方に駆けつけて下さった方も、「いま、職場にFTMの人がいるんです。わたし、前回の交流会に参加させてもらっていて、あの時のことがあったから受けいれることができたんだと思うんです」と言って下さいました。

今回の交流会、部落解放同盟日之出支部との共催でおこないました。ですから、日之出の方々も「参加者」としてあの場におられました。そのことの是非をめぐって、実行委員会でも話しあいをしました。その中で勇気づけられた意見がありました。

外へ繋がっていけるコミュニティの状態にやっとなってきたんだなというのが感想です。
10年前まではやはり痛すぎて、傷が深すぎて、風がふくだけでも辛いみたいな業界って感じがしてましたが、そういう意味では成長したんだと思います。
東京・近畿圏以外の地域ではまだまだそういう部分は残っていると思いますが、人権に強い関西だからこそできることだと思うので、どんどんつながりを造っていくべきだと思います。もちろん当事者重視主義は残しつつ。

そして、あれから2週間経って、その通りだったなという気がしました。
中でつながることと外とつながること。深めることと拡げること。そのふたつを、とりあえず少しは実現できたのかもしれないと思いました。

てな感じでいい調子で呑んでいたら、帰れるギリギリの時間になりました。明日は仕事です。やばいぜ…。
結局ほんとうに終電でしたよ。
体、持つかなぁ…。

昼夜逆転

ふと目が覚めると5時。暖房が効きすぎて暑いです。なんか汗をかいています。喉が渇いています。ついフラフラと冷蔵庫に行き、目の前にあったチューハイをあけてしまいました。あぁ、久々のモーニングチューハイです。でも、これが飲めるところまで体調が回復しているんだなぁ…。
横では一晩起きていた元気なヤツらがなにやらしゃべっています。と、突然二人で出て行って、しばらくしてもどってきました。で、「どう?」とか言っています。
見てみると、FTMとMTFが服を交換しています。FTMの子のスカート姿…。なんかおかしい。なにがおかしいんだろう…。足さばきとか背筋の感じとか、結構似あっているわりに立ち居振る舞いがぜんぜんなっていない感じです。でも、ヤツは学校では現役女子高生なんだけどなぁ…。一方、FTMの子のジーンズ姿…。ぜんぜん男に見えない。さすがお水出身です。着こなしが「メンズを着ているおねーちゃん」なんですね。本人もずいぶんと気に入っているみたいです。それにしても、たいしたもんだわ…。
一緒に泊まっていた人が「7時にスタートしたい」ということだったので、6時過ぎから撤収開始。7時過ぎに撤収終了でお家へ…。
家に帰ったら9時前。そのまま布団にもぐり込んで次に気がついたら12時過ぎでした。