玖伊屋がはねたあとは…

午前のちょっと遅めの時間まで後かたづけ。その後、IちゃんとかM木ちゃんとかといっしょに、おたふくへ。
ちょっと時間が早くてまだあいていません。中の人に聞いたら「11時半から」ということだったので、しばし「中」と「外」の境界あたりをお散歩。
11時半ちょうどにふたたびお店に帰って、お好みタイム。いつものように、「男」と「女」の境界で混乱されるみなさんに、ひとしきり盛りあがらせていただきました。と、そこに「なんか会ったことがあるなぁ。どこかの集会で」というおじさま登場。「あそこですか?ここですか?」と話をしているうちに、夜間中学の教員であることが判明。めちゃくちゃ共通の知人が多いじゃないですか!そのあとは、ギョーカイ話でしばし大笑い。詳しいレポートはこちらをご覧下さい。
帰り、Iちゃんの「やっといつきさんが笑ってくれてホッとしましたよ」という言葉に、ちょっと泣きそうになりました*1
ほんとうに、今回の玖伊屋ではいろんな人の「暖かさ」が身にしみました。ありがと!

*1:M木ちゃんも同じこと書いてくれていたよね。

ちらし寿司の具

とりあえず、混ぜ込む具は「しいたけ」「かんぴょう」「にんじん」「おあげ」かな。それ以外に「みょうが」と「菜の花」もいれましょう。上には「錦糸卵」を散らせばいいかな。
ちらし寿司の具は、すべて別々に味つけをしなくちゃなりませんが、味の薄いもの・脂気のないものからやれば、ひとつの鍋でつくることができるみたいです。
まずは、ダシ・シイタケのもどし汁・砂糖・醤油を入れた鍋でニンジンの味つけをします。柔らかくなったらニンジンを出して、そこに砂糖と醤油を少し加えてかんぴょうの味つけです。それが終わったら、かんぴょうを出して、砂糖と醤油を少し加えてシイタケの味つけです。さらにそれが終わったら、砂糖と醤油を少し加えておあげの味つけをすれば完了です。
なるほどなぁ。
ミョウガと菜の花はみじん切り。これらをすし飯に混ぜ込んで、錦糸卵を散らしたら完成。

これもリハビリ?

帰りに少し買い出しをして、お家に帰ります。で、今晩の食材の準備です。今晩は「ちらし寿司」でもつくりましょう。春ですからね。てことで、夕方までのんびりと調理をしました。にしても、なんか段取りが悪いです。やっぱり疲れているのかなぁ…。
夕方になって、家を出て会場へ。
実は、今日は玖伊屋だったりします(笑)。
なんか、「こんな日」に行くのもどうよと思うのですが、パートナーも「仲間と会って気を晴らしたいんやろ?」と言ってくれました。なので、行かせていただこうと。
会場に着くと、まだ誰も来ていません。
ごはんを仕掛けて、ぎょうざの皮を練って、小芋の皮を剥いて…。しばし「孤独」を楽しませてもらいました。
そうこうするうちに、徐々にスタッフみたいな人(笑)とか「お客さん」とかが来られます。会場はにぎわってきましたが、厨房は今回はなぜか大忙しです。やはり、仕込みにえらい時間がかかります。
今回のテーマは「お花見弁当」。ちらし寿司以外に、「小芋のたいたん」とか「炊きあわせ」とか「菜の花のカラシ和え」とか「ひじき」とか。そこになぜか「水餃子」も加わるわけです。そうそう、最後の方には「かんぴょうカルボナーラ」も出しました。
で、11時が過ぎたあたりから、和室でまたーり。すでに何人かの方はわたしの状況を知って下さっていて、やっぱり気を使って下さっています。そのあたりがうれしいです、ほんとうに…。
そうそう、今回は東京から来た人はもちろん、和歌山から来てくれたお友だちとか、遠くは高知から来てくれたお友だちもいたりして、そういういろんな人がいる「空気」を楽しませてもらいました。テンションはそうとう低かったですけどね(笑)。
で、時計が3時頃になったところでダウン。

リハビリも開始

今日はさまざまなところが「営業時間」外の日なので、「事後処理」ができません。なので、とりあえず、リハビリを開始します。
てことで、朝一発目から職場に行って、新年度の情報収集をすることにしました。さいわい机の上にはさほど高くない山。職員会議の資料もまだ本格的に動きはじめている感じではありません。よしよし…。
何人かの同僚に会いましたが、みなさん神妙な顔であいさつをされます。困ったな…。

穴を埋めること

かつて、大学時代にこんなことを教えてくれた人がいました。
「愛とは不在を感じること」
いま、その言葉がよくわかります。
書類的にも「穴」があくわけですが、心にも「穴」があきます。そして、心の「穴」は、おそらくふさがることはありません。でも、いろんな人と語りあい、自分と父親の間にあったさまざまなことを振り返りながら、その「穴」を埋める作業をしていきます。それは、「不在」をかみしめながら受けいれていくことなのかなと思います。
ちょうど、傷口にかさぶたがはり、新しい皮がはっていくようなものなのかな。その皮は「もとの皮」ではない。そしてやっぱり「傷口の記憶」は残るけど、傷そのものは「癒される」。そんな感じのものなのかもしれません。

事後処理開始

「ひとりの人間がこの世からいなくなる」ということにともなって、これほどたくさんのことがあるとは思いませんでした。書類上「いなくなる」=「穴があく」ことにともなって、社会保障のこと、その人の所有していたもののこと、その他諸々、さまざまな整合性をとるために、ものすごい煩雑な手続きが必要になります。それをこれからやっていかなければなりません。
ここでネックになるのは、それぞれの手続きをするセクションの「営業時間」です。これが、わたしの営業時間とバッティングしています。なので、わたしが具体的に動けるのは今日と月曜日だけ。
さて、どこから手をつけるか…。
なんしか、膨大な「山」を少しずつ崩していく以外方法はなさそうです。

復活の日

エントリを見ていただいたらわかるように、単純にRZが復活したというだけの話です(笑)。
なんしか、今日からはあちこち事後処理のために走りまわらなくちゃならないので、早々にバイクを引き取りに行きました。伝票を見ると、前回と今回であわせて1回分の工賃です。しかも、そうとうに値引きがしてあります。さらにお金を払おうと思ったら、端数を切って下さいます。バイクを引き取りに来て下さったのも「つきあいやしな」とのこと。ほんとうにありがとうございます。
ベアリングが変わって、オイルポンプが350用になって、たしかにエンジンが軽くまわっている感じです。気をつけよ…。

昔の名前で出ています(笑)

こういう時って、「わたし」が生まれてから出会ってきたたくさんの人々と出会う時でもあります。これがまた、ややこしい。
弟はみなさん簡単に認識されます。「久しぶり」「この度は…」「弟さんですよね。ぜんぜん変わらないわね」などなど、懐かしむように声をかけておられます。続いて「お兄さんは?」。
すると、弟は「あそこに」。
「へ?いや、お兄さんのお嫁さんと違てお兄さん」
「あそこ」
「いや、あなたのお嫁さんと違てお兄さん」
「だから、あそこ」
「へ?いや〜、えらい変わらはって、ぜんぜんわからんかったわ〜」
でもそこからは
「いや〜、けんちゃん、久しぶり」
と、ごく気軽に声をかけて下さいます。わたしのほうもだんだんめんどくさくなってきているので「あ、お久しぶりです。謙一郎です」と自己紹介をするようになりました。
まぁ、どのみち「連続」が大切と思っていますから、そこを否定しちゃいかんのだろうなぁと思います。
もちろん、わたしが「いつき」として生きている事を知っている人たちは、わたしのことを「いつきさん」と呼んで下さいます。
結局、「いつき」が「わたし」であると同じくらいに、「謙一郎」も「わたし」なんだろうなぁ…。

最後の日

朝、教会の中で目が覚めます。考えてみると、ほんとうに子どもの頃、教会学校のお泊まり会かなにかで泊まって以来ですね。窓の外ではウグイスがきれいな声で泣いています。空気は4月はじめ特有の「ピン」とした緊張感を持っています。すごく心地よい朝です。ちょっと寝不足気味ではあるけど(笑)。
とりあえず、宴会のあとを片づけて、午後からのお葬式ができるようにイスを並べ直してと。そうそう、棺の上に置いてあるワインも回収しなくちゃね。いったん家にもどってお風呂に入って支度をします。
昼前に再び教会に集合。父親の弟さんも来ておられます。まいったなぁ。「ずいぶんかわったなぁ」を連発されてしまいました。そりゃ変わりましたよ(笑)。
やがて、告別式。
聖書の箇所は父親の好きだった「フィリピの信徒への手紙 3章12節〜」です。

フィリピの信徒への手紙

  • 03:12

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

  • 03:13

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

  • 03:14

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

  • 03:15

だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。

  • 03:16

いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。

そういえば、たまぁに父親の説教を聞いたことがありますが、この箇所はよく使っていました。そうそう、大学の頃チャペルアワーで聞いた「冬の日を走り抜こうではないか」という説教の時も、たしかこの箇所だったよなぁ。
聖書の箇所はもう一個。「使徒言行録17章の一部」です。

  • 17:32

死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。

  • 17:33

それで、パウロはその場を立ち去った。

  • 17:34

しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

牧師さんの話の中で、父親の「仕事」がたくさん紹介されていました。その中には「ヤスクニ」「天皇制」という言葉があちこちにちりばめられています。自分がかすかには知っていたはものの、やはりそこにまで至っていなかったさまざまなことがよみがえってきます。いや、大学の頃には「興味」でかじっていたようなことなんでしょうか。でも、そのことを深く追及せずに今まで来てしまったよなぁ。
もっかい自分のスタートラインに立ち直そうかなぁ…。
話のあとの讃美歌はこれです。

讃美歌 121番「馬槽のなかに」
由木 康 1923 ”Mabune” 安部正義 1930

まぶねのなかに うぶごえあげ
木工(たくみ)の家に人となりて
貧しきうれい 生くるなやみ
つぶさになめし この人を見よ

食するひまも うちわすれて
しいたげられし ひとをたずね
友なきものの 友となりて
こころくだきし この人を見よ

すべてのものを あたえしすえ
死のほかなにも むくいられで
十字架のうえに あげられつつ
敵をゆるしし この人を見よ

この人を見よ この人にぞ
こよなき愛は あらわれたる
この人を見よ この人こそ
人となりたる 活ける神なれ

実は、ある場所に書いてあった愛唱讃美歌は別のものだったんですが、先ほどのフィリピ書とセットになって、この讃美歌をよく選んでいました。
そんなこんなで、やがて告別式も終了。最後に献花です。「親族だけで」と言われていたけど、外に行ったらわたしの「仲間」たちがなんとも言えない顔で立っています。「こいつらと一緒に献花をしたい!」という思いがこみあげてきて「入ろう!一緒に花をあげてよ。その方が喜んでくれるよ」と呼びかけました。みんな入ってくれました。
そして出棺。
斎場に行って火葬に…。
骨になった姿を見て、「なんかあっけないなぁ…」という思いがわいてきます。お骨を拾って残った姿と別れ際。小さな声で「バイバイ、またね」とつぶやいて、すべてが終わりました。
斎場からの帰り、骨壺と遺影を持って同志社の横を通って教会→実家へ。まぁ、再びいつものルートで家に帰ってきたということです。
「最後の日」は、実は「はじまりの日」でもあります。いまごろ、きっと天国で、先に逝った研究仲間と仲良く議論をしていることでしょう。

やったね!

ところで、死亡届には届出人の欄があります。わたしが持っていったので、やっぱりわたしの名前になります。性別欄がないので(笑)、生年月日を西暦にする以外は書きにくいところはありません。
で、「これ」と出したのですが…。
「あの…。届出人はご長女ですか?」
\(^o^)/
「あの、戸籍上は長男です」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ、長女と言ってもらってうれしいです」
「あ、そうですか(笑)」
なごんでいただけたかな(笑)。
ちなみに、窓口には「印鑑登録証明申請書等から性別欄は削除しました」という張り紙があります。で、根拠として「特例法」があります。ふぅむ…。