ここからが本番

ホテルにチェックインをして、速攻街の中心街へ。
ここで新たに4人の方々と合流。本格的な呑み会の開始です(笑)。
それにしても、高知の女性はよく呑みます。そして、よくしゃべります。そして、よく楽しみます。
なんかもう、ワイワイガヤガヤとひたすら呑んで食べてしゃべって、2次会へ*1
2次会はカラオケ。久しぶりです。元来カラオケが嫌いなわたしも、すでに1次会の段階でこわれかかっています。みなさんが歌われるのを聞いて、こわれました(笑)。歌いまくりました。b-girlさん、「あした、声出ますか?」と心配して下さいます。まぁ、明日は明日の風が吹きますわ。2時間ばっか大騒ぎしたところで、M越さんが「ぎょうざ!」と叫ばれたので3次会へ(笑)。
へ−.高知も屋台が出るんだ。そこで食べたぎょうざのパリッとしていておいしいこと。さらにラーメンもなかなかの味です。ものすごい満足!
で、解散。M越さんと一緒にホテルまで歩いて、玄関にたどり着いたのは覚えているのですが、あとは記憶にありません(笑)。

*1:と省略しているのは、話の中身をぜんぜん覚えいてないから(笑)

はしご

ここで待ってくださっていたのがM越さんとそのお友だち。
実は、M越さんに「行きたいんです」というと、「ちょうどいいわ。友だちがいるから案内してもらう段取りしてあげる」と即答が帰ってきました。なんという軽さ…。
まずは、児童館へ。たまたま外から帰ってこられた指導者の方が、中をあけてくださいました。一歩中にはいると、「あぁ、ここはここのムラの子どもたちの「ホーム」なんだなぁ」という空気が感じられます。なんだか空気が柔らかくあたたかい。そういう「ホーム」をつくり守られている地元の方々のとりくみが伝わってきます。
そしてお散歩開始。
しばらく歩いていると、お好み焼き屋さん発見!しまった、昼ご飯を食べてきてしまいましたよorz。と、ここで案内してくださっている方が「ここのたこ焼きは最高やき」と紹介したが早いか、「今焼けてるの、全部包んだって」と店の人に言います。まいった…。
続いてお寺へ。かつてはここで子どもたちの学習会をしていたこともあったとか。ほんとうに手入れが行き届いています。お寺を大切に守っておられるんやなぁ…。ここには、宿毛出身の青年で、京都の宇治にあるモミジ谷で自死をした池上誠さんの追悼碑があります。

死の果てにやすらぎはない。生の闘いの彼方にこそ部落の解放があり、自由がある
若人よ
再び悔恨と挫折の道を歩むな
起って人の世の熱と光を求めよ

とあります。
続いて、自彊館あとへ。いまは神社の横にある単なる草原になっていますが、かつてここに建物があり、さまざまな文化活動をしたり、その延長線上として教科書無償化の闘いの発祥の地にもなったところです。「闘いを風化させてはならない」という思いで、その後子ども会で立て看板をつくったりもしておられます。
ムラ全体は、改善事業が行き届いているので、「かつての姿」はまったくありません。それでも、注意深く見ていくと、あちらこちらに「痕跡」があります。その痕跡をたどりながら、かつてのムラの姿に思いを馳せ、今の姿へと変えていく闘いに思いを馳せるひとときでした。
ここで案内してくださった方とお別れ。
続いて、「夕焼けが美しい」で有名な北代さんがおられた場所に移動。
道を走っていると、とつぜん「あ、改良住宅」と気づきました。そこがムラでした。b-girlさんは「二戸一ってなに?」と言っておられます。そうか、知らないんだ。M越さんとわたしでしばし説明。
で、解放会館の前で途方に暮れてしまいました。なにせ、来てみたはものの、あたりを知っている人は誰もいません。とそこで、K村さんとM越さんがそれぞれ知りあいに電話。すると、急遽お一人来て下さることになりました。なんというフットワーク!「ちょうど洗濯物をたたんでるところやき、よかったわ」とのことです。
ちょこっとあたりを教えてもらって、その後たこ焼きを食べるのにちょうどいい海岸を教えてもらいます。途中、ビールを調達して海岸へ。風は強いけど、すごくいい天気で気持ちのいい夕方です。
海の風を堪能したところで、ふたたびもとの場所へ。

まずは軽く…

朝、とりあえず朦朧としながら起床。ようやく地下鉄に乗って京都駅へ。地下鉄車内で切符を見ると、時間を10分遅く見ていたことが判明。かなりあせります。しかも、荷物を見たら、メガネケースが入っていません。てことは、これからコンタクトのみか…。
で、バスに乗車。5時間後、南の国に到着しました。
迎えに来てくれたのは、12月にお世話になったK村さんと、ここのところなんだかチョコチョコ会っているb-girlさん。
なんしか、お昼ご飯を食べようということで、「広め広場」へ。いやぁ、感動しました。いい街です。高知は。昼間っから呑んでいる「クズ仲間」がたくさんいます。もちろんわたしも「クズ」になります。
小一時間昼ご飯を食べて、「教科書無償化運動のふるさと」へ。

語る時・書く時・表現する時

今日は、職場の歓送迎会。のはずでしたが、2〜3日前に、年が明けてからしばらくかかわってしまった(笑)タスクの最終謀議が入るという連絡が入ったので、そちらに急遽スイッチ。実は、この春転勤された管理職にはすごく世話になったので、お礼の一言も言いたかったのですが、まぁ、同じ京都の教員ですし、ひとりはメルアドも教えてもらっているので、また機会もあるか、と。それよりも、やはり「謀議」の方は、ここで一段落という位置づけもあるので、やはり優先順位が高くなります。
集合時間はとうてい間にあわない時間なので、「遅れる」と連絡はしたものの、遅れを取りもどすべく駅から大阪市内の某所まで走り、事務所のドアを開けようとすると、いいにおいが…。って、みんなすでに呑んでるのか(笑)。ちなみに、「いいにおい」の正体はキムチでしたよ。
でも、呑みながらもいろんな話。例えば、昔話*1を聞いて「いい時代でしたね」という若い人に「それは違う」とクギをさす人とか、重信房子がどうとか、「実録 連合赤軍」がどうとか…。で、そのあたりから、最近凝っている「最大公約数か最小公倍数か」みたいな話に突入したり。いったいなんの会議だ、ここは(笑)。
てな話をしていたのですが、やがて、「タスク」の事後処理の話をめぐって、「当事者性とはなにか」みたいな話に突入していきます。
発端は、「経験を書物にあらわすこと」みたいなあたりなんですが、そのことから「当事者(被害者)が当事者(被害者)にとどまり続けることの危険性」という話が出てきました。これ、けっこう大切な話かなと思います。
なんというか…。自分自身のことを「歴史として語れる」って、とっても大切なんじゃないかと、わたしは思うのです。例えば、わたし自身のことについて言うならば、わたしが高座で話をしていることは、実は私にとっては、すでに「歴史」として評価が固まり、一定程度相対化できている部分なんですよね。でも、今この瞬間に起きていることは、おそらくは、質疑応答では話ができても、それをひとつの高座話にもっていくには、まだ早い気がしています*2。なぜ、そう思うのかというとですね…。
こんな言い方をしたら「あれ」ですが、わたしになんらかの「語り」を求める人は、わたしのに「当事者性」を求めるわけです。でも、わたしが当事者性を獲得した瞬間に、わたしは「当事者」としてそこにいる人たちから疎外され、「特殊な存在」に押し込められてしまいます。そして、それは「語られるわたし」が「わたしの実像」とズレはじめ、そこに「いつきという虚像」ができるはじまりにもなります。それが一番こわいんです。
わたしが、わたしの「歴史」として固まった部分を話しているうちは、わたしはわたし自身を相対化できているんですよね。なので、そこにいるのは、ある意味「生身の当事者」としての「わたし」ではないんです。そうすることによって、わたしは「当事者性」から逃れることができます。そうすることによって、わたしは同時に「いつきという虚像」からも逃れることができます。そして、そうすることによって、「生身」=「単なる人間のクズ」の「わたし」であり続けることができる。
じゃ、もしもわたしが「虚像のいつき」に安住したらどうなるか。きっとわたしのことですから、「虚像」に自分を移行させていくんだと思います。ただ、人々の求める「虚像」って新陳代謝が激しいと思います。「旬」の時は、まぁ言ってみれば一瞬です*3。すると、わたしはどうなるかというと、ちょうど「はしごをおろされた状態」になるわけです。でも、虚像に自分を移行させてしまうと、わたしは「そこ」でしか生きられなくなる。まぁ言ってみれば、依存ですわ(笑)。

とまぁ、むずかしいことを書いてみたけど、結局、「単なる呑んだくれのいつき」が一番居心地がいいってことですね(笑)。

あれ、なんの話だったっけ?

*1:デモ話とかK炎ビン闘争の話とか

*2:そういや、うちの父親も1985年頃「1970年は歴史じゃない」と言っていたなぁ…

*3:そう言えば、某国営放送の「◯ーとを…」も(ry

なんだかよくわからないけど…

2日ほど前に「いつきさんが出た番組のDVDがほしいって言ってる人がいるんだけど」というメール舞い込んできました。なんでもパソコンと一緒にお亡くなりになったそうな。で、どういうわけかそのDVDを渡すために呑みに行くことになってしまいました。
D町柳で待ち合わせて近くの店へ。
とりあえずブツを渡して用件は終了。そこからは延々とダベリながらの呑みの開始です。
相手の人も教員なんですが、働いている職場が「同系統」なんですよね。なので、「そうそうそう!」と話がはずみます。と同時に、ぜんぜん違うところも多々あります。なにせ、相手の職場はお隣の大都会。街の「すごさ」はケタが違います。ただひたすら「すげぇ…」と感嘆するばかりです。やはりうちの職場は田舎だわ。でも、田舎でよかったです。さすがに「やのつく人」を相手に渡りあうのはしんどいです。

てな感じで話をしていたら、あっという間に11時。なんでもあちらは越境通勤をしておられて、さらにその向こう側の県まで行かなくちゃならないらしいです。あわててお店を出てバイバイです。
で、わたしは近いですから余裕です。電車に乗って、サクッと座ってホッと一息。で、気がついたら2駅乗り越していましたorz。運転手さんに*1「すみません、乗り越したんですけど」というと、「あ、次に来た電車に乗って下さい」とのこと。ありがたいです!向かい側のホームに移動して*210分ほど待ったら、やがて電車が来ました。2駅もどって降りようと思ったら、この電車の運転手はさっきの人でした(笑)。なるほど、そういうことなのね。

*1:ワンマンカーなんで…

*2:この電車、始発駅と終着駅以外はぜんぶ無人駅です。

さっそくやっちまったorz

1年生の授業も、今日で3回目。
はじめのあたりって、ものすごく簡単な話ばかりです。
でも、その簡単な話の中にとても大切なことが含まれています。
たとえば、単項式と多項式の話って、実はわたしたちが「整式」をどうとらえるかということなんだと、わたしは思っています。あるいは、「同類項」っていうのは、何を基準に「同じ」と見るのかということを学んでいるんだと思っています。ここでそうした「整式のとらえ方」をきちんと学習しておくと、後々とても話が進めやすいと思っています。なので、わたしはそうとうゆっくりとすすむことにしています。
さらに、整式の扱い方に付随して必ず話をするのが、「足し算/引き算」と「かけ算/わり算」の違いの話です。
「四則演算をふたつのグループにわけてごらん」という質問をすると、よくあるのが「足し算/かけ算」と「引き算/わり算」というわけかたです。で、理由を聞くと「増えるものと減るもの」という答が返ってきます。これ、おそらくは足し算の計算からかけ算を導入していくことの弊害じゃないかと思っています。
元来、足し算とかけ算はまったく違う演算だとわたしは考えています。これは、単位を考えてみればすぐにわかる。足し算における「単位」は「たすもの/たされるもの/こたえ」すべてが同じになりますが、かけ算はそうはなりません。
それと、大切なことは、「単位元が違う」ということです。
最近は「単位元」を教科書では扱わないんですが、これ、すごく大切なんだと思うのです。というのは、単位元は、たいていの場合省略されているからなんです。
いや、省略するのは簡単なのですが、省略されているものを見つけることがたいへんなんですよね。
シチュエーションによって、「1」が省略されているのか「0」が省略されているのか。「×」が省略されているのか「+」が省略されているのか。それを見わけることができないと、えらいことが起こります。

こんなことは、実は数学の問題だけじゃないですよね。
社会の中にも「省略されていること」「隠されていること」がたくさんあります。それを見つけること。そのためには、ほんとうにアンテナを張り、その感度をあげないといけない。

てことで、ついつい黒板に

省略されているものを見つけることが大切!

って、でかでかと書いてしまいましたよ。

踏み絵を踏ますのは誰?

夜、ある本の出版記念パーティーの実行委員会がありました。
なかなか実務的な人が集まっていたので、非常に話は早く進み、あっというまに骨子が決まりました。よかったよかった。
で、そのあと呑み(笑)。
ギョーカイ裏事情(笑)なんかも話ながら、やっぱり普段思っていることが頭の中を行き来しはじめました。
それは、「踏み絵を踏ますのは誰の仕事か?」ということです。
例えばこんなことです。

「君がyo!」とかが鳴ったら、座る。で、あたりを見渡す。仲間だと思っていた人が立ったままだった。そしたら、その人に向かって「お前、なんで立ったままやねん!」と怒る。で、「そーゆーのは、戦線として後退してるぞ!」と糾弾モードに入っていく。

もちろん、これはあくまでも「例」です(笑)。
でも、こういうの、たくさんありますよね。

某公共機関に交渉に行く。窓口で対応した人の態度が悪い。なので、その対応した人に対して怒る。

とかいうのもよくあります。
でもね、例えば公共機関の人だって内面でどう思っているかはわかりません。もしかしたら、交渉に行った人たちにシンパシーを感じているかもしれない。でも、職務上、やむを得ずそういう態度をとらざるをえないのかもしれない。これは、「君がyo!」も同じこと。
座るか立つかは、個人の思想や生き方の問題ですが、それぞれの人々がその時にどういう行動をとるのかということについては「折りあいのつけかた」の問題だと、わたしは思っています。そこに対して「語りあう」ことはできるだろうけど、「批判」や「避難」を、そう軽々とできるのだろうか。そう思うのです。
ある物事について、どういう態度・行動をとるのかという「踏み絵」は、元来「向こうの側」がすることだと、わたしは思っています。にもかかわらず、「こちらの側」で「踏み絵」を設定し、それによって「こちらの側」が分断をされていくとすれば、それはあまりにもやりきれない。

最大公約数で闘うのではなく、最小公倍数で闘っていかなきゃ勝てないよ。

長い1年がはじまった

今日は1年生の初授業。
すでに2年生の授業は数回やっているのですが、まぁ知っている生徒もたくさんいるし、向こうもこっちのことを知っているので、そんなにお互いに緊張感にまみれた状態ではありません。
それに対して、1年生は、ほぼ初対面。そして、なんといっても「授業」としてはまったくの初対面です。さてさてどうなるか…。
とりあえず、わたしの授業の受け方の説明からスタートです。
前に書いたかもしれないけど、わたしは数学(他の教科でもかな…)の授業は、次の5つのものがセットになっていると考えています。
「テーマの提示」→「説明」→「例」→「問」→「答あわせ」→最初にもどる
この中で、「テーマの提示」と「例」が大切だと、生徒には話をします。
それぞれにかかる時間は、だいたい
30秒→ケースバイケース→5分→3分→1分
というところでしょうか。
最近では、「説明」にかける時間も相当減らしていて、そのぶん問いの時間の保障と答あわせに時間をかける傾向があります。なので、おそらく1サイクルで本当に聞かなくちゃならない時間は、せいぜい6分程度でしょうか。これが2〜3サイクルで授業が構成されています。その、「集中」と「弛緩」をうまく組合せながら授業を受けると、あまり疲れずに効率的に授業を受けることができる「はず」なんですよね。
まぁ、そんなことを話ながら、でもおそらく生徒たちの関心事はぜんぜん別のところにあるはずです(笑)。でもわたしはその「関心事」への答は、「時が来る」までは言わないだろうと思います。だって、話せば長くなるもん(笑)。

さて、長い長い1年がはじまった。

ソロ

毎日毎日バイクに乗っているわけですが、通勤経路はあまりにも退屈です。なにせ、地図上で見たら、経路はまっすぐ。実際に走っても、30kmの間で曲がり角が8つだけです(笑)。おかげさまで、狭いところをまっすぐ走るのはうまくなりそうですがね(;_;)
で、バイクらしい走り方にそうとう飢えているんだと思うんです。なので、思い切って、朝、練習に行ってきました。向かうは、R162〜R477。まぁ、京都近辺のツーリングコースの定番です。
タラタラと走っていると、たまに数台で走っているグループに遭遇します。みんな大きいの乗っているなぁ。でも、あたしゃ250ccで満足満足。
直線をグォォッと走っていく人たちの後ろ姿を見ながら、わたしは慎重に走ります。だって、点数があまり残っていませんから(笑)。
その代わり、ワインディングロードになってもあまりスピードは落としません。だって、指定速度は一緒だし(笑)。走っていると、だんだん感覚が蘇ってきます。アクセルをあけていくと「あ、そんなもんだよ」とキャブが返事を返します。サスが吸収し切れなさそうなショックは、自分の腕を使って吸収します。ひたすらバイクとスピードと路面の「調和」を意識して走ります。そして、自分の体はそれを実現するためのバランサーという感じ。
通称「赤橋」まで行くと、いるわいるわ。たくさんバイクがとまっています。なかには、トライアンフとかMVなんかもあって、「すご…」という感じ。
ほんとうはここからさらに奥に進むといいんですが、時間もありません。引き返すことに。
しばらく走っていると、いきなり排気音が大きくなりました。ひょいと後ろを見ると、インナーサイレンサーがちょこっと顔を出しています。えらいこっちゃ。ガソリンスタンドがあったので、「ねじ、下さい」。てきとうなねじを見つけてくださって固定してもらいました。「あの…」とお代を聞くと「じゃぁ…。50銭もらいましょうか」。ナイスなひねりをしてくださいます。バイクは人と出会えるのも楽しいですよね。
そんなこんなで家に帰ると午前10時過ぎ。ちょうど家族が起き出してくる時間です。
さて、今日も家族サービスの日ですわ。

大きくなったなぁ

車を動かす用事というのは、単純に家族の送り迎えです。まぁ、ふだんパートナーに駅まで送り迎えをよくしてもらっているので、その恩返しというか…。
ちなみに、今日は下の子どもの習い事の発表会。行くのは迎えだけにしようかどうしようか、ちょっと悩んだんですけど、せっかくだから「バイクで見に行く→バイクを置きに帰る→車に乗りかえて迎えに行く→載せて帰る」という2往復することにしました。
ところで、なぜ習い事の発表会を見に行くのを躊躇するかというと、まぁ、成育歴的(笑)にいろいろ内側にあるのはあるのですが、それをさっ引いても、子どもの発表のできばえに期待ができないという_| ̄|◯。で、実際見てみると、なんだ、思ったよりできばえがいいやんか。ちょっとホッとしました。そりゃそうかもしれません。ヤツ、体の使い方をぜんぜん知らない感じだったんですが、さすがにこの4月で5年生。ちょっとはわかってきたのかもしれません。