病院巡り・H方

授業や会議をサクッと済ませて、いったんお家へ。しかし、病院に行くのになぜバイクじゃダメなんだ(笑)?>自分
病院に着くと、意外と待合室が空いています。これは早そうです。とりあえず、学校の図書室で借りた『鹿男あをによし』をパラパラめくります。いや、おもしろい!『鴨川ホルモー』もおもしろいけど、これもおもしろい。なんかひさしぶりに小説を読むなぁ…。
にしても、作者は「万城目」なんですが、ずっと「まんじょうめ」と読むんだと思っていたら、「まきめ」だったんですね。しかも、「まんじょうめ」も「BANJOME」だったんだ…。まぁそれはいいです。
さて、女性診療科のIちゃんさんの診察。
まずは、昨日の検査結果を見せます。
Iちゃんさん「ふーん、下がりましたね」
わたし「はい、下がりました」
Iちゃんさん「どうですか?」
わたし「う〜ん、ちょっと少なすぎかなぁという気がします」
Iちゃんさん「どうして?」
わたし「コストパフォーマンスが低いんです」
Iちゃんさん「え?」
わたし「いや、ビールとプレマリンではプレマリンの方が安いから」
Iちゃんさん「あぁ!」
ということで、1日1〜2錠を好きに呑むという処方箋がでました(笑)*1

*1:でも、処方箋には「1日2錠」です。なので、日数計算をしなくちゃならないんですよね

血液検査の結果

近所のお医者さんが「血液検査、してあげるよ」と言ってくださったので、先週血を抜いてきました。で、今日がその結果を聞く日です。
お医者さん、結果を見ながら「ふぅむ…。健康ですねぇ。この数値が少し高いですが、これは善玉コレステロールで…」みたいな。相も変わらず、見事に矢印がない表です。
で、問題のエストラジオールは…。65。見事に下がっています。
てことで、これまでの推移をまとめてみました。ついでに、他のデータも補足ね(笑)

測定日 E2(pg/ml) プレマリン(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/8/10 67.3 4 1本弱
2007/2/8 1430.0 5 1本弱
2007/4/10 1386.0 4 1本弱
2007/6/14 587.2 3 1本
2007/8/16 104.1 2 1本
2008/2/14 681.1 2 1本
2008/4/10 418.0 1.5 1本+α
2008/6/4 65.0 1 1本では足りない

ふむ。QOLが一番高いところはあそこだな(笑)。

基準を「否定」におくのか、「肯定」におくのか

どうやら今日、特例法が「改正」されたらしいですね。結局、「現に子がいないこと」→「現に未成年の子がいないこと」になりました。
ふぅむ…。
とりあえず、まずは確認ね。
わたし個人は別に戸籍上の性別を変えようとは思っていません。また、特例法そのものに対して「悪法である」という意見を持っています。と同時に、特例法の適用を受けようとする人を否定するつもりはまったくありません。なぜなら、特例法の適用を受けなきゃ生きていけないほど行きにくい世の中であるというふうに思っているからです。
おそらく、特例法の適用を受けることを希望する人とわたしとの違いは、そんなに大きくはないと思います。かたや、特例法の適用を受けて、とりあえずもう少しマシな人生にしていきたいと思う人。かたや、特例法の適用を受けなくても生きやすい世の中にしていきたいと思う人。いずれにしろ「もう少し生きやすくしたいなぁ」と思っているわけです。

で、今回の「改正」ですね。
根本的には何も変わっていないなぁということが第1印象。
どこかにある「理想の家族像/家庭像」を持ってきて、それに合致しないから「未成年の子がいたら認めない」。単にそれだけのことです。で、変わったのは「子どもが成人したら家庭から離れていくのでまぁええか」という、その程度のことだと思います。
続いての印象は、「子の福祉に反するなぁ」ということ。
子なし要件廃止を訴えた人々の中の少なくない人は、「子どもが成人していないからこそ、戸籍の性別を変更可能にしてほしい」という主張をしていたはずです。
もちろん、子どもたちを扶養していくためにお金を稼ぐには、「外見の性別」にあわせた書類上の性別の方がはるかにやりやすい。これは当然あるわけで。あともうひとつ。
この間父親のことでいろいろなところに電話するのですが、「息子さんですね」と応対されます(笑)。「いえ、子どもです」というのですがね。同様のことが、例えば子どもの学校から電話がかかってきた時も起こるわけで「お父さんですね」とくるわけです(笑)。いえ「親です」と答えるわけで。世間の中の親子関係には、常にそこに「父/息子」「母/娘」というのが付随するように思えるのです。なぜか「親御さん/お子さん」という性別を抜きにした呼称を使うことがほとんどない。
つまり、子どもが成人していないからこそ、親として存在しているからこそ、性別を常に問われ続けるからこそ、戸籍の性別を変更することが「混乱を回避する」ことにつながると、わたしは思うのです。
でも、それは「どこかにある理想の家族像/家庭像」に反するらしいですね。わたしには、その理由がよくわからないです。
さらに続いての印象は、「長いやろうなぁ」ということ。例えば、20歳で子どもができても40歳ですよ。まぁ「やりなおし」がきかない年齢に近づきますよね。「再チャレンジ」ってどこにいったんだろう…。

ところで、子なし要件が必要であるという論の中に必ず出てくるのが「こんなひどいヤツがいる」という話。
なんだかなぁ…。
例えば、ある人への評価を「あいつ、いろいろアカンところもあるけど、こんなエエところがあるよ」とするのか「あいつ、いろいろエエところはあるけど、ここがアカン」とするのか。わたしは前者でいたいと思います。なぜなら、わたし自身が「エエところ」と「アカンところ」を併せ持つ人間だからです。だからこそ、他者への評価も「エエところ」を基準にしたいなぁと思います。
「ひどいヤツがいる」からすべてのそこに属する人を認めないのは、少なくともわたし個人の考えとは違います。「ひどいヤツ」がいるかもしれないけど、「しんどい人」がいるからその人を救うことを優先していこうよという考えのほうが、よっぽど人に優しい世の中じゃないかと思うのですが…。

基準を「否定」におくのか「肯定」におくのか。そのことで、社会のありかたはずいぶんと変わると思うんだけどなぁ。

トランスの諸相

淡々と仕事をこなして、定時に終了。それにしても、メチャ眠いです。
その後、某所にて待ちあわせ。
前に、ウチの学校の生徒から「A高校の子が先生に話しあるって言ってたで」というA高校の子と会いました。で、いろいろ話をしながら考えたこと。
よくトランスの子にとって「いやなこと」の筆頭に、よく制服があげられます。でも、友だちの埋没系完パスFTMとか「学生時代、女の制服来てたよ」って平気な顔で言います。そりゃそうだわ。制服を変えることそのものがカムアウトだし、埋没しようとしたら、そこから考えないといけないものね。もっと言えば、「男性/女性」という確信があれば、「服なんてどうでもいい」ということもあるかもしれない。
昔はよかったというつもりはないけど、なんか、変に理解のある今ってどうよという気がしないわけでもない。
てことで、がんばれ!*1

*1:って、なにがや(笑)?

目の覚めるような出来事

朝、いつもの通りバイクで走っていると…。
「ん?歩道に座っている人がいる」
「ん?なんか無線でしゃべってる」

「お、ふたり飛び出し!」
って、ねずみかい!そこを走っているのは、わたしと車もう一台。どっちだ!
車の方でした。
心臓がバクバクしました。

午後の用事

世話人のうちの1人と東三条に行ってお好みを食べて昼食終了。それにしても、運動関係の知りあいが2人もいるのもなんだかなぁ…(笑)。
その後、実家に行って「光」の開通式&ネットのセット。
んなことをやっていたら、昨日の寝不足がどんどん募ってきて、フラフラです。
晩ご飯のあと、しばらく「スーパーバイク選手権」を見ていたけど、目が開かなくなってきたので寝ることにしました。まぁ当たり前ですわ。

「当事者外」の存在

「交流会」をやる時に、ピアで固めるのか、そうしないのか。
わたしのギョーカイの伝統的には、ピアで固めるという作風がつよいんじゃないかな。
例えば、朝鮮人の子どもたちのみを集めて、そこで話をする。それ、すごく大切だと思います。そして、かつてわたしもそのことを強く主張をしてきました。
でも最近、「そうではない方法」へと、わたし自身は移行しています。
ひとつは、「当事者外」の存在は邪魔ではないということ。逆に、「当事者外」の存在にはピアサポートでは得られないメリットがあるということ。だって、「世間」は「当事者外」によって構成をされているんだから。理解ある「当事者外」と一緒に生きられなくて、どうやって理解ない「当事者外」に囲まれて生きていくのかという認識かな。
もうひとつは、「当事者性はひとつに限定されない」ということ。このことは、「当事者外」という存在そのものを否定すると思います。まぁ言ってみれば、誰もが「当事者」であるということになるでしょうか。大切なのは、それぞれがもつ「当事者性」をどう重ねていくかということが大切なんじゃないかなぁと思うのです。その中で、「この場ではこれをメインに据えて話をしていこう」という合意をつくっていく。それはある時は部落問題であり、ある時は在日外国人問題であり、ある時はセクシュアリティの問題である。

などと書いていたら、だんだんゴチャゴチャしてきたな…。

合宿の続き

昨日寝たのは午前3時過ぎ。今日起きたのは午前6時。
昨日の夜仕掛けておいたご飯をたきます。問題はおかずです。なにせ、昨日レシピを考えた時、今日の朝食までは気がまわっていなかった…。というか、気はまわっていたけど、「まぁええわ」で終わっていたんです。でも、いざ午前1時ごろになると、食材が何もない…。とりあえず、昨日の夜のうちに乾燥ワカメだけは買っておいてもらったので、残っていた玉ねぎと一緒にワカメスープでもつくりましょう。ご飯が炊けたところで、早めに起きた子らと一緒におにぎりづくり。
朝ご飯を食べたら、子どもたちは話しあい。わたしはというと、台所の片づけ。この交流会に限らず、この手の世話人グループ、率先して洗ってくれたり掃除機をかけてくれたりする人がいるので、すごく助かります。まぁ、そういう人しか世話人にならないという話もありますが。
で、子どもたちの話しあいに入ったのは、午前10時ぐらい。でも、この夏の交流会の概要の確認だったので、それはそれで大切かな。
なんだかんだで合宿終了は12時。みんな記念写真とかとっているのはいつもの光景。ほんとうに1泊2日でこれほどまでに関係が深まっていくんだなぁ…。

合宿やしなぁ…

この交流会、当然雑魚寝です。で、わたしはいつのころからか女性部屋で寝るようになりました。5〜6年前まではいろいろあったけど、最近では女性教員が「いつきさんはここね」と言ってくれるようになったんですよね。
で、生徒に「わたしがこっちの部屋で寝ることについて、最初どう思った?今はどう思う?」みたいな話をちょこっと聞いてみたのですが、みんなあっけらかんと「あ、そうなんやと思った」みたいな返事ばかりでした。
まぁそんなもんなんでしょうね。

で、合宿

午前の会議が終わったら速攻お家へ。支度を整えて、京都駅へ。ちょっと早めに行って、ユニクロでお買い物。「ボーナスが出たら買おう」とパートナーには言っていたんだけど、いろんなものがダメになっていて、これ以上はもたないと判断です。
で、合宿の集合場所へ。
今日は全国から各地の在日外国人生徒交流会の実行委員が集まって合宿がある日です。いろんな経緯があって、場所は玖伊屋をやっている場所になりました。てことは、各種裏方はわたしにケテーイです(笑)。
まずは、遅れてきた人や迷子になった人の回収業務。
続いて、手配してあった貸し布団業者との折衝。
さらに、晩ご飯のメニューづくり→材料とレシピの確定→買い出し→下準備。
今回は、交流会らしく「ホーシュールー*1」「チキンアドボ*2」「粟米湯*3」「ナムル」で攻めることにしました。また玖伊屋でつくろう。
そこからあとは、延々と話しあい。それぞれが自分の話をはじめるのですが、10人ぐらいいるのに、ひとりあたり1時間とか話をしています。いつまで続くねん(笑)。途中から時間調整をしたはものの、終了したのが午前2時半頃。それからちょこっとお酒を飲んだら爆睡ですよ。

*1:モンゴル餃子

*2:フィリピンの鳥料理

*3:中国のコーンスープ