なんしか鬱陶しい

とにもかくにも、最近ものものしいですね。
通勤途中、しょっちゅう会います。しかも、ふつうのじゃない。網がついてるヤツ。
そうそう、うちの近くに至っては、トゲつきのがおいてある。
なんでも、来週末に「えらいさん」が来るそうな。その関係らしい。
もちろん「トゲつき」は検問のゲートです。国際会館の前の道は、夜になると両車線とも検問開始です。しかも、国際会館の敷地のまわりを延々とPさんが歩きまわっています。
なんしか鬱陶しい…。

でも、当日は花火が見られるか(笑)。

父の日のプレゼント

子どもたちからは冊子形式のカード。「お父さんへ」と書いた封筒の中に入っています。
にしても…。
あちこちに黒塗りで「ピー」と書いてあります。どうやらすべて「男性」とか「男」というところのようです。パートナーがネタで選んだようですが、子どもたちは「これ、アカンやん!」とか言ったようで、そのフォローのために下の子どもが「ピー」にしたそうです。
で、パートナーからのプレゼントは「ザクロのリキュール」。なんか、本人もほしいそうですわ(笑)。

在日外国人生徒交流会

コンクールと並行して京都の在日外国人生徒交流会が行われていました。わたしも昼休み時にちょいと顔を出してきました。
今回はちょっと人数が少なかったものの、卒業生がパートナー・子連れで来てくれたり、高校生が兄弟を連れてきてくれたり、中学生の参加があった、現在ご懐妊中の方も夫婦連れで来てくれたりと、すごくアットホームな感じで過ごすことができました。
にしても、「はしご」はしんどいよ。

結果

今年はラジオ番組部門は全滅。まぁ、編集で失敗があったらしいからしゃーないです。来年リベンジといきましょう。
一方、朗読部門では久々に一人予選通過。こちらの方は、わたしは一切ノータッチなので、純粋に子どもたち自身の力で突破したわけです。決勝では9位までに入らなかったものの、たいしたものです。けっこう大きなホールの壇上で一人、朗読をするわけですから、他では得られない経験ができたわけです。きっとこの経験は来年に生きます。
さて、コンクール終了後、ホールの前でミーティング。
「この中で悔しいと思った人」
何人かが手をあげました。ホッとしました。

京都の交通機関

にしても、今日はいろいろあったので、帰りに三条で一杯引っかけることにしました。まぁ時間も時間なので、ほんの1時間。カウンターの向かいの席に座っているおじちゃんがちらちらこちらを見ながら、向かい数人でいろんな話をいいながら笑いあっています。きっと、わたしも楽しませてくれているんだろうなぁ。すなおに暖かい人たちだと思います。この店の客さんは。1時間たって帰ろうと思い席を立ったら、案の定「なんやもう帰るんか」と声がかかりました。今日はアカンねんけど、また来ますよ。
さて、帰り道。京阪に乗ろうかと思い、気が変わりました。「そうだ、バスに乗ろう」。
かつて地下鉄なんてなかった頃、京都の交通機関はすべてバスでした。おそらくそれは今も続いていて、バスの本数はすごく多いです。試しにバスに乗ってみると、座ったままでうちの近くまでつれていってくれました。しかも安い。時間差も+10分。これはいいわ\(^o^)/。

今年はどうかな?

2年連続で全国に行くことができましたが、今年はどうかなぁ…。
なにせ、番組部門はまったく放ったらかしです。たったひとつのアドバイスは「ドキュメントをつくれ」でした。
放送部に来る子って、いくつかのパターンに分類できます。
ひとつは、機械いじりが好きな子。
もうひとつは、声優関係に進みたい子。この子らは、さらにアニメ系とか萌え系とかいろんなパターンにさらに分類されます。
さらにあるのは、文章が好きな子。このパターンの子らは、やはり「ドラマ」をつくりたいんですね。
ところが、ドラマをつくるのって、相当大変です。一昨年全国に行って本当にそう思いました。おそらくドキュメントをつくろうにも、素材がないとか、それをストレートに表現したのでは伝わりきらないとか、そういう「伝えたいこと」を載せる方法として「ドラマ」があるように感じました。なので「ドラマをつくりたい」からスタートしたのではドラマ部門では勝てない。「ドキュメントをつくりたいけどその手法を使わない」くらいからスタートしないとおそらくダメなんだと思います。
さて、過去のクラブの「ドラマ」を見てきたら、これが見事に「ドラマをつくりたいから」なんですね。これでは勝てないな、と。なので、「ドキュメントをつくれ」がアドバイスということにあなるわけで。
ところで、わたしが放送部の顧問として決定的に不足しているのは「読み*1」がわからないということです。なので、ぜんぜん指導なんかもしたことがありませんでした。その甲斐あって(笑)、うちが朗読・アナウンスで全国に行ったのは、、わたしが放送部の顧問になる前。つまり、30年近く前になります。てか、京都府予選すら通過しなかったし。まぁ、練習方法もわからないから放ったらかしですしね。
ところが、今年はいつになく朗読にかける熱意が例年と違います。どうやらわたしのようなええ加減な顧問には頼らないと決めたのか、研修講座に行って勉強して、毎日発声や朗読の練習をしているみたいです。もしかしたらもしかするかも。というか、これで予選通過や全国となると大きな自信になるし、そうでなくても「悔しさ」をバネにするスパイスをふりかけてやったら、今年の総合文化祭や来年のコンテストにつながります。
結果は、明日の午前8時40分ですわ。

*1:「読み」というのは朗読とかアナウンスのことです

今週もおしまい

  • 月曜日

他校生としばし話。トランスをめぐる話をいろいろ考えさせられました。

  • 火曜日

Mりこさんと話。てか、Hさしくんとずっと話してたかも。結局ワインをふたりであけてしまいました。ん〜。自分はどうやって「この世界」で生きていくのか。他者との関係をどうつくっていくのか。むずかしいなぁ。

  • 水曜日

血液検査の結果で夕方外出。

  • 木曜日

「まんまるの会」で終電帰り。

で、今日は金曜日。
髪を切ってきました。あぁさっぱりした!

てことで、一週間連続外出達成だぁ\(^o^)/
さすがに疲れたよ…。

coccoからの送りもの

あまりにも職場の机の上がひどいので、ちょっと片づけ。
すると、山の下からコピーが出てきました。2005.5.24の日付がつけられたその手紙の最後には「こっこ」と書いてあります。coccoさんからの手紙でした。あらためて読み返して、「すごい手紙だったんだなぁ」と思いました。
そうやなぁ、いろんな人の思いをつむいであの番組ができたんやなぁ。そんな中に自分も少しだけではあれ参加させてもらったんだなぁ。waveさんに感謝*1
手紙を返したいと思ったまま、もう3年もたってしまいました。いまからでも遅くないかな…*2

*1:あ、久しぶりにwaveさんに会いたい気がする。どうしているんだろう…

*2:つっても、筆無精やしorz

診察のあとは・まんまるの会

今回から「まんまるの会」は2部構成になりました。第1部は「話しあい」、第2部が「食事会*1」。
はじめは10人ぐらいからスタートしてまたーりと話しあっていたんですが、あとからあとから人が来られます。気がつくと、20人を越していたんじゃないかなぁ。
それぞれがそれぞれの「しんどさ」を抱え、そして、それぞれのスキルでそれをこなしておられます。そういう「生き方」を交流させることで、わたしたちには多様な生き方の可能性があることを、互いが見つけあいます。そんなことを感じさせられました。
だからこそ、第2部が楽しい。と同時に、第2部があるからこそ第1部がある。この場を大切にしたいなぁとつくづく感じました。
気がつくと、あっという間に10時を過ぎています。終電の時間が間もなく来ます。まだまだみんな騒いでいるけど、ボチボチ帰らなくちゃ。

*1:宴会

病院巡り・T井

今日はずいぶんとペースが速いです。
4時ごろにT井に到着。待合室に行くと…。
なんやねん、このメンバー!知ってる人ばっかりやん。しかも、病室から出てきたのも知ってる人。後から来た2人も知ってる人。みんな「まんまるの会」のメンバーですがな。ひどい話や…(笑)。
でも、3年前には考えられなかったよなぁ。待合室でダラダラ話をしているなんて…。つくづく「まんまるの会」をやってよかったと思いましたよ。本の続きは読めなかったけど(笑)。
で、O田さんとご対面。
O田さん「あの、お願いなんですが」
わたし「はい、どうぞ」
O田さん「MMPI、やっていただけませんでしょうか」
わたし「いいですよ」
O田さん「実はですね、ホルモン投与前と投与後の比較をしたいんです」
わたし「いいですけど、変化あるかなぁ…」
まぁ、2004年2月のことですから4年も前です。いろいろあったから、変化はあるでしょうが…。
たぶんそれって、ホルモンによるものじゃないですね。それ以上に、家族との関係や職場でのこと、さらにはいろいろな人との出会いなど、社会的な要因の方がはるかに大きいです。もちろん、そうした関係がつくれるようになった中に、あるいはホルモンの影響はあるかもしれません。でも、あくまでも直接の関係というよりも、間接的な関係だと思います。
まぁ考えてみれば、SRSもそういうもんだと思うんですよね。あるFTMの友だちが言ってました。
「SRSなんて趣味だと思わないとやっていけない」
たぶんそうなんでしょうね。SRSをしてもしなくても十分に社会生活ができる。でも、自分の身体との折りあいはそういう問題ではない。だからこそ、やる必要がある。その友だちが言っていたのは、そういうことなのかな。
そういえば、昨今タイへのルートをアクセスしやすくしようとする動きがあるみたいですけど、そこへの懸念みたいなものもありますね。
かつてだったら、いろんな人をたどり、つてをたどってようやく到達をした。逆に言えば、SRSをするためには、そういう「人をたどる」「つてをたどる」スキルを必要としたわけです。これは、和田さんも言っておられたことのようです。必ず紹介状を必要としたのは、「そういうスキルを持つ人じゃないとできない」ということだったようです。
ところが、そういうスキルなしでできるとしたら…。
なんか自分の中でそうとう矛盾しているのはわかるのですが…。まぁ、おいておくことにします。