急ぐとろくなコトがないよ

今日はパートナーは大忙しの日。なにしろ、午前は書道を習いに行っていて、夕方は学童のバイト、夜は子どもの迎え。その間をぬっての犬の散歩と家事一般。よくそれだけやりますわ。
なので、晩ご飯はわたしが担当です。
今日は簡単にやろうということで、冷蔵庫の残りもの+1品程度でいいでしょう。冷蔵庫の整理もあるし。てことで、簡単な鍋の用意をして、さてお風呂に入って最後のしあげ…。
と、お風呂から出てきたら、パートナーが頭を抱えてうずくまっています。
「なにしたん?」
「ドアで指をはさんだ(;_;)」
「…」
結局、病院に連れて行って指の先を縫うけっこう深刻なケガ。
人間、45を過ぎると、1秒は争わなくなるんだよ(笑)。

いい子らだ!

1年生のクラスに行って、いつも通り授業をしていると…。
友達とおしゃべりしている子が
「先生、そのバッチなに?」
と聞いてくれました。てことで、一通り説明。
あまりにももくろみ通りの子らです。ほんと、いい子らですよ。

子どもの誕生日

あしたが子どもの誕生日です。でも、あしたは平日。てことで、今日簡単なパーティーをしました。
といっても、晩ご飯を少し豪華に見せて、手づくりのケーキでお祝いをするということなんですけどね。
晩ご飯の担当は、もちろんわたし。
さて、何をつくろうかと思ったのですが、鶏の挽肉を使ったミートローフ風のものでもつくろうか、と。
玉ねぎ・ニンジン・セロリ・パセリをみじん切りとパン粉を鳥に挽肉とあわせて味つけしてこねこね。だけだったらおもしろくないので、レンコンのみじん切りも入れてみました。これ、歯ごたえ用です。
これをダッチオーブンにドカンと入れて、ちょっと平らにのばして、真ん中に窪みをつけて、上にローリエを数枚置いて、ドカンとフタをして、弱火で40分ほど焼きます。できあがりの直前に窪みのところに生卵をひとつ。
これを見た子どものひとこと。
「ジャンボつくねやな」
その通りです(笑)。
にしても、食べ切れませんでしたよ。明日の晩ご飯もできたということで、よかったよかった。

わたしにできること・その2

amlへのおかさんからの投稿で

そこで・・・
色のついた厚紙でパレスチナの旗のミニチュアを作って、胸などにつけましょう。
色紙とはさみと糊(テープ)さえあれば、誰でも作れます。

というのがあったので、これもやってみました。

これつけて、明日職場に行きましょう。
にしても、アイテム好きだなぁ>自分

わたしにできること

昨日のニュースでは、ヨーロッパでイスラエル政府のガザ虐殺に対する大規模なデモがあったという報道がされていました。でも、日本国内での集会・デモについてはほとんど報道されていないように思います。
aml経由でパレスチナに関する情報がいろいろ入ってきています。なかでも、おかまりさんが出される情報や行動提起はとても貴重です。
そんなこんなを読みながら、自分に何ができるだろうと考えてみました。
で、そのうちのひとつかなと思って、当分このブログの先頭にバナーを貼ることにしました。
http://browse.deviantart.com/?qh=&section=&q=gaza
↑ここからいただきました。
「たったそれだけかい!」
と自分でも情けなくなります。でも、なにもしないよりも、簡単なことであっても、できることをひとつでもする方がいいということを、ここ数年学んできました。
てことで…。

穴掘り

朝、パートナーに
「今日、某グループの新年会やねん」
と言うと
「またおめかししていくんか」
と怒られました。いや、そういうのじゃないんですけど^^;;。なので
「そーゆのとちゃう。男性は◯◯さんだけで、あとはMTFと女性やねん」
と言うと
「ふ〜ん、そういえばあんた、好きになるのは女性って言ってたな」
と怒られました。いや、そういうのじゃないんですけど^^;;。
笑ってごまかしていたら
「あんた、今日は朝から墓穴掘りまくってるで」
と笑われてしまいました。

さぁ、今日も新年会だ…。

でもバレていました(笑)

今日は、某在日外国人教育関係の会議。
いつもの通り、新年会をしながらの会議です(笑)。コンビニで買ったK霧島が、会議が終わったらあいていました。
その後、宴会ですが、わたしはちょっと失礼して別コースへ。こちらのほうは、わたしがノンカムでおつきあいさせていただいている数少ないグループです。
会場に着くと、お一人来ておられます。しばらく話をしているともう一人。「中に入って先に呑もう」という言葉に甘えて、先に乾杯をしています。やがて「なんで先に呑んでるねん」みたいな感じで続々と来られます。まぁなんしか、ここはノンカム。おしとやかにしておきましょう。
と、突然わたしに質問が来ました。
「ところで、いっちゃん、男か女かどっちや?」
「へ、お、女ですよ」
「ふ〜ん…」
「ばれてました?」*1
「わかってたよ」
「いつから?」
「初めて会った時から」
ばれてるって、ぜんぜんわかりませんでした。なんでかというと、きちんとわたしを女性扱いしておられていたねす。
「わかってたけど、いっちゃんが自分のことを「女や」って言ってるんだからそうなんだろうと思ってたんや」「ふだんはどうしてるんや」
「いや、このままですよ。生徒たちは普通につきあってくれてますけど」
「それ聞けてよかったわ」
メッチャ驚きました。でも、すごく楽になった。だって、過去や現在をどう伝えるか、ウソをつく必要がなくなりましたから。
2次会のカラオケ。「みなさん男性ですか?」という店員さんの質問に「一人女性です」と答えて下さっていました(笑)。

*1:ここで、「そういう言い方があかんのや!」という指摘あり。これがまた、いいですね。

感想文もいろいろ

今、2学期の人権学習の感想文をまとめているのですが…。なんか疲れてくる。
1年生も2年生も、すごい強烈な体験をした人が講演者なんです*1
こういう人の講演って、感想文が3通りにわかれます。

  1. あまりの強烈さに「自分の悩みなんてちっぽけだ」というふうに書くパターン。
  2. 強烈さに触発されて「自分にもこんなのがある」というふうに書くパターン。
  3. 単に「感動した。がんばって下さい」というふうに書くパターン。

う〜ん。
1のパターンは、それはそれでいいんだけど、忘れてしまわないかなぁと思うんですよね。
2のパターンも、それはそれでいいんだけど、「ない」という子にとっては書きようがない。まぁ、人を選ぶという感じですか。
で、3のパターン。自分の中にある「しんどさ」に気づいていなかったり、あるけど出せなかったり、あるいはほんとうに別に何もなかったりする子かな。でも、こういう子が、実は一番多いんじゃないかなぁと思うのです。でも、こういう子どもたちの「気づき」や「変革」を促すことが一番大切なんじゃないかなぁと思うのです。そういうことができる話ができるようになりたいなぁ。

などと思いながら、感想文を打つんですよね。あーしんどい…。

*1:1年生は、日系ブラジル人の人。2年生は部落のおっちゃん。3年生の感想文は2学期のうちにまとめました。

さてさて、テンパってきた

昨年末に、京都部落問題研究史料センターから、一冊の本が送られてきました。ちょうど読みたかった本なので「ラッキー!」と思ったのですが…。
同封されていた一枚の紙に書かれていました。
「この本の紹介文・感想文を書いて下さい。800字詰め原稿用紙20枚程度」
そ、そういうことですか_| ̄|◯
でもまぁ、「やってみるか」と引き受けたのですが…。
きついです。かなりきついです。「〆切際の魔術師」と自称する私ですが、かなりきついです。
〆切は15日。はたして書けるか?

トランスってなんだ?

最近「トランスって何だろう?」と考えることがよくあります。
わたしはトランスをしているのかしていないのか。
確かに、ヒゲは脱毛しました。パーマをあてるのもやめました。髪を伸ばしました。服もレディスを着るようになりました。ホルモンもはじめました。でもそれがトランスか?少なくともわたしは違うと、いつも感じています。
じゃぁ、トランスっていったいなんだろう。
それはもしかしたら友達関係というか人間関係の中にあるのかもしれないと、最近思うのです。わたしの友達や家族が、わたしをわたしの望む性別で受け入れてくれているかどうか。そこにトランスの本質があるんじゃないかなぁと思ったりもするのです。
極論すれば、ヒゲ面のくちゃくちゃ頭の「わたし」を、わたしの望む性別で受け入れてくれる人間関係があれば、そこにトランスはあるんじゃないだろうか。
じゃぁ、なんのために脱毛をし、髪を伸ばし、レディスを着るのか。
簡単に言えば、「自己満足」なんだと思うのです。だって、自分にとって楽な姿になるというだけのことですから、それは「自己満足」と言えるのではないかと思うのです。で、その内容はというと、極めてジェンダライズされた「自己認識」に、自分をあわせているだけのことです。もちろん、「できること」「できないこと」はある程度は考えていますし、「あわせる」のは「受け入れてもらいやすくする」というところも含みこんではいるのですが…。

ということは、もしかしたら、「フルタイムのトランス」って、「いつも自分の望む姿でいる」ということじゃなくて、自分の望む性別で受け入れてくれる人間関係を、日常の場においてつくること、ということなんじゃないのかな。
でもね、そういう人間関係をつくっていくと、中には、自分自身のありようを問い直してくれる人が出てくるんだよね。いや、こういう言い方はよくないですね。おそらくは、もともと自分自身のありようを問い続けている人が、「トランス」という事象と触れることによって、ひとつのきっかけを手に入れるという方がいいのかもしれない。そういう「既得権益としての性別」を問い直す人は、おそらくは「トランスの仲間」なんじゃないかなぁ。