あしたからはじまる恒例の日教組教研。今日は前泊ということで、広島入りです。
考えてみたら、2週連続で「ヒバク」の地に行くんだなぁ。でも、長崎では「会場」「宴会場」「宿舎」しか行かなかったから、ダメダメですがorz
新幹線ホームでブラブラしていると、滋賀の友だち2人発見。一人は車いすユーザーのE川さん。もう一人のK坂さんはリュックの中にビールをたんまり用意しているそうな。隣の車両だからじゃましに行こうっと(笑)。
6時に広島到着。さっそく京都の仲間に「どこにいるの?」と連絡。さらに、広島にいるはずの人*1にも「すでに広島ですか?」と連絡。やがて、ふたりからそれぞれメールが来ました。
なんしか、京都の仲間が奈良の人と一緒に呑んでいるというお好み村へ移動。牡蠣うまい!広島焼きうまい…。けど、「おたふく」のほうがもっとうまい(笑)いや、あれはあれで味なんでしょうが、「わかば」のオモニが言っていたとおり、水っぽくなるんですよね。でも、キャベツの味を楽しむのか。
ここで、ビール&日本酒を軽くいただいて、ごちそうさまでした!
続いて、京都の仲間に連絡をとってきた滋賀の人たちと呑み*2。なんか、まぐろの店らしいです。ここはマジでおいしかったです。でも、あまり食べずに呑んでいるのはいつもの通りです。E川さんに「車いすのウィリーはできるんですか?」とたずねると、「CPだから身体が緊張してバランスが崩れるから無理」とのお答え。E川さんがCPなこと、今日はじめて知りましたよ。てな話をしていると、Eの井さんからメール。近くまで来てくださっているそうなo(^-^)o
にしても、10時閉店の店で、ちょっと暴れすぎの人がいたので、早々に退散。暴れた人をさっさと追い出して、お店の方にひたすら謝って、ごちそうさまでした!
そこへ三重の友だちのMきさんからメール。近くで三重の人々が呑んでいるそうなo(^-^)o。で、Eの井さんと合流。ここでようやくまともな話ができる人たちと会えました。Mきさんと再会を喜んび*3、新たにあった人と出会いを喜んでいるうちに、あっという間に12時過ぎ。やばいなぁということで、ごちそうさまでした!
帰りに小腹がすいたので、ラーメン・ぎょうざ・ビール*4を軽くいただいて、おやすみなさい〜!
ちなみに、本日の食費が800円なのはなぜ(笑)?
投稿者: ituki
頭隠して…
見つかりにくいものですか?
処方箋なんて、しょせん紙切れ一枚です。見つかりにくいものです。などと思っていたら…。
パートナーからメールがありました。
「下の子どもが新聞を読もうと思ってばさばさしていたら出てきたよ」
えらいなぁ…。今日帰ったら、頭をなでてやろう(笑)。
放課後の語らい
6時間目が終わったら、しばらく教室にダラダラといることがよくあります。
子どもたちの動きを見ていると、すごくおもしろいんですよね。一目散に帰っていく生徒。クラブの準備をする生徒。友だちと待ち合わせをして帰っていく生徒。バイトまでの間、しばらく時間をつぶしている生徒。
今日はたまたまプリントを持ってきて「わからへん」という子がいたので、ちょいと黒板を使って説明をしていました。どうやらその生徒、今日は急いでいなかったみたい。となると、よもやま話がはじまります。
「中学校時代、学校がいややってん」
「ふ〜ん、高校はマシなん?」
「ん〜、高校もしんどいなぁ」
そんな話をしながら、淡々と自分の「しんどい」話をしてくれます。
こういう時間を過ごしていると、自分がほんとうに教員をやっているんだなぁと思います。
そりゃぁ、受験問題を持って来る生徒に真剣勝負を挑むのもおもしろいかもしれない。でも、「人生」を持ってくる生徒とのんびり語りあう放課後の時間は、心と心がふとつながりあう気がして、生徒のことがとてもいとおしく思えるようになります。
あぁ、今日もいい一日が過ごせたなぁ…。
探し物はなんですか?
1日おいたらやっぱり呑み
ふかーつ
最悪の体調だった昨日。
9時過ぎに布団に入って、パソコンをいじりながら「ウトッ」と来るのを待って、来た瞬間に爆睡したら、見事に6時に目が覚めました。しかもすっきり!
いつものように、お弁当をつくって、さっさと出発。
自分の身体がおそろしい…。
早寝だな
もう、疲れてしまいました。
お風呂入って、ご飯食べて、ちょこっとテレビを見たら、もうおねむ…。
10時には寝ていたな。
伝えることの難しさ
ここでちょっと訂正しましたが、ずっと心の中に小骨のようにひっかかっていたことがあります。それは、昨日の学習会の最後の「〆の言葉」にかかわることです。
わたしはあくまでも「当事者には権力がある」ということだけを伝えたかったんです。
ところが、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体について援用されてしまいました。
わたしが言いたかったのは、「当事者も支援者も、そのことを心に刻む必要がある」ことだったのです。にもかかわらず、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体への批判として使われてしまいました。そのことが、ずっとずっと心にひっかかっています。
どうしてわたしはあの時「ひっかかっている」と言わなかったのだろう。いや、それよりもなによりも、そういう伝え方しかできなかったのだろう。
せめてそのことについて、ここで再度書くことにしなければ、なんか心の中のもやもやが晴れない気がします。いや、書いたとしても、「あの時・あの場で」言わなかったもやもやは決して晴れることはないだろうけど。
わたしがあそこで話したのは、なによりも、「当事者と支援者の共依存」の話でした。そして、その時のわたしのターゲットは、「支援者」に向かっていたのです。なぜなら、あそこにいた人たちは、「支援者」としてあの場にいるだろうと考えていたからです。もちろん、わたしも含めてです。
「権力」って、それを持っている人単独で存在するのでしょうか?おそらくは「違う」と思います。その権力を認める関係の中に存在をしているのではないかと、わたしは思います。つまり、権力「関係」ということでしょうか。
当事者が持つ権力性は、誰よりも支援者がよくわかっています。そして、支援者はその権力性を「当事者−支援者」という関係の外部に向かって、往々にして発信をします。まさに、「当事者の持つ権力」を、支援者は「利用」するわけです。しかし、その「権力」は、当事者の存在によって担保されています。そして、その「権力」を外部に対して保持し続けるためには、「当事者」は当事者であり続けなければなりません。となると、「支援者」こそが「当事者」を必要としていることになります。
ここに共依存の関係があらわれてくるのではないかと思うのです。
「当事者」としてのわたしは、「支援者」に「当事者の権力」を行使していないか?
「支援者」としてのわたしは、「当事者−支援者」の外部に対して「当事者の権力」を利用していないか?
そのことを、「自戒の念」を持って意識し続けなければならないのではないかということを、あの場で提起をしたかったのです。
わたしたちが過去の運動から学ぶとすると、それは特定の運動団体に対する批判としてあらわれるのでは決してないのだと思います。そうではなくて、ある「当事者」とされる人と、そこにつながる支援する人たちの「関係性」の中から学ばなくてはならないんだと思います。
例えば、部落問題について考えるならば、解放同盟のみが悪者になっている昨今の風潮には、わたしは強い違和感を感じます。部落問題を通じて、部落の当事者と支援者の間にどのような関係があったのかということを考える必要があると思うのです。その支援者とは、例えば解放同盟を支持する人たちであり、例えば全解連を支持する人たちであり、例えば同和会を支持する人たちであり*1、例えば同和行政に携わる人たちであり、その他、わたしの思いつかないところにいるであろうさまざまな人たちなわけです。
そうした「支援者たち」こそが、実は「当事者(団体)」との間に共依存の関係をつくり、「当事者の持つ権力」を利用してきたのではないだろうかという提起なんです。
トランスジェンダーの子どもたちにかかわる支援者として、あるいは部落の子どもたちにかかわる支援者として、あるいは在日外国人の子どもたちにかかわる支援者としてのわたしは、そのことを心に刻みながら「支援者」としてのわたしの立ち位置を考えていきたい。
そういうことを、あの場で言いたかったんですよね。
と書いても、すでに時遅しかなぁ…。
*1:例えば、選考採用と言われるものは、いずれの団体にもありました
奇跡だな
ネットカフェを6時にスタート。始発の新幹線は6時20分。
京都駅で降りて地下鉄に乗りかえて、いったんお家へ。小雨がぱらついています。最悪です。
でもとりあえず、バイクに乗りかえて、職場へ。
始業5分前に到着。マジ、奇跡ですわ。