全同教(1日目)・誰のために語るのか?

朝、なんとか起きられたのが6時半過ぎ。まわりを見渡すと、遠来のお客さん達は皆さん起きておられます。
とりあえずコーヒーを飲んで、近所をひとまわり。「パッチギ!」ゆかりの地を軽く散歩です。その後、みなさんをお連れして、「オールロマンス行政闘争」ゆかりの地を軽く散歩→京都駅にお連れしました。
さて、みなさんをわかれて、再び東九条へ。軽く片づけを済ませた後、わたしも奈良に出発です。今回は、近くということもあって、バイクで行ってみることにしました。やっぱ、バイクで行くと楽ですね。すべて会場の近くにとめることができます。
で、全体会場へ。
中に入ったら、すでに開会行事がはじまっています。なにやら大会宣言を前で朗読しておられるのですが、突然冷や水を浴びせられたような気がして目が覚めました。なにせ、大会宣言の中に、何度も「国民」という言葉が出てくるんですから。まさか全同教の場所で、外国人や「非国民*1」を排除する言葉が出てくるとは…。
「やれやれ」と思っていると、あちこちからメールが入りはじめます。まぁいつものことですが…。てことで、三重*2鳥取*3・大分*4・奈良*5など各地のお友だちと久しぶりの再会を楽しみました。
で、昼食終了後、いよいよ分科会。
今回は「どこに行こう」とそうとう悩んだのですが、「やっぱりここ!」と決めたのが、この間お世話になった千葉の方がレポートをされる分科会。久しぶりにお会いしたかったこともあるし、なによりもあの時Yさんのお宅で聞かせていただいた話を、もう一度聞かせていただきたかったんですよね。

とりあえず、分科会開始。
まずは、滋賀県のレポート。すみません、ちょっと眠くて反応できませんでした(笑)。
続いて、熊本県のレポート。う〜ん。すごい実践をしてこられた教員生活全体を振り返ったレポートで、すごいなぁとは思ったのですが…。
なんというか、レポートって、どうしても「ある子」を通して全体を語ってしまうことになりガチです。すると、その子が主人公になり、まわりの子らが「脇役」になってしまう。全同教の場合、ともすればムラの子がその主人公になります。その中で語られる実践って、つい「ムラの子(ら)VSまわりの子」みたいな対立関係のように描かれてしまうように思います。なんというか…。
「◯◯のとりくみにむけて、子ども会で◯◯についてとりくんだ」
みたいな。
でも、実際にはそうじゃないんですよね。おそらくは、あるとりくみを通して、「まわりの子」も変わるけど、ムラの子自身も変化していく。そういう出会い→変化の場を、自分の学級なりなんなりの中でどうつくっていくかということが大事なんじゃないかなぁと思うのです。
ある子は立ち位置が不変で、他の子がその子に影響されて変わっていくというのは、おそらくは実践としてまだまだ不充分なんじゃないかな。
とりわけそれは、「語る」という行為にからまって顕著にあらわれるような気がします。
つい、ある子の「語り」を通してまわりの子が変わってしまうようにとらえられがちなんだけど、「語る」ということは、その行為を通して、自分を見つめ直し、そこから生まれた新しい「わたし」が「他者」とつながり直すこと何じゃないかと思うのです。ということは、「語る」ということは誰かのためにするのではなく、「自分」のために行うんじゃないかなぁ。
そんなことを、かつてわたしが出会ったムラの子Mのことを思い出しながら考えました。
いや、熊本のレポートを批判しているわけじゃなくて、そこから自分が感じたことなんですけどね。
で、お待ちかね。千葉県のレポート。
一言で言うならば、レポートじゃないですね、すでに。講演です。すごくいい意味で。自分の生きてきた「軌跡」を、さまざまな人との出会いや、自分自身との出会い直しを通してゆっくりと語られます。しかも、「自分の姿」と自分の親戚や友達の姿を重ねあわせながら、まわりの人の思いへとつながっていきます。そういうYさんの話を聞きながら、わたしもわたし自身と出会わせてもらった気がしました。ほんとうに、その場にいあわせていただいて、感謝です。
そうそう、討論の中で島根のお母ちゃんが発言された
「ムラの子を教材にするな」
っていう言葉は響きましたね。
で、分科会終了。
帰りに熊本のレポートにからまって発言されたAちゃんに「語ってよかった?」と聞くと、「実は語ってないんです」と笑っていたのがおもしろかったです。まぁ、分科会に参加していない人には何のことかわからないか。

*1:含む、わたし(笑)

*2:どうせ今度広島で会うけど(笑)

*3:どうせこの夏兵庫で会ったけど(笑)

*4:どうせ今度遊びに行くけど(笑)

*5:こちらこそは、ほんとうに久しぶりです

全同教・0日目

さぁ、あしたからいよいよ全同教の大会がはじまります。今年はどんな出会いが待っているのかな?
にしても、いつの間にか全同教の大会自体から何を得るかというよりも、そこでどんな人と会えるかなと言うのが楽しみになっているという^^;;
でも、考えてみたら、レポートもまた、レポートを通したその人やその地域との出会いなわけだから、それはそれで正しいのかもしれません。

てことで、今日は遠方からの前泊組の人と事前合宿。
なにせ、今年は奈良なので、半分以上無理矢理「京都で前泊して!」と誘致した次第です。
夕方、到着した方々を京都駅まで迎えに行って、荷物を置きに行く間も惜しんでタクシーに飛び乗って、向かうは「おたふく」です。なにせ、今回の主賓(笑)はムラの方。でも、小さいムラの出身の方で、町のムラ*1をほとんどご存じないとか。なので、ムラ・人・お好みに出会えるこの店が一番いいと判断したわけで。
昨日のうちに予約しておいたので、カウンターの一番いいところをあけておいてもらえました。とりあえずビール・マッコリで乾杯の後、「ホルモン煮」「スジしょうが」「洋食」「こごり」そして、もちろん「カスのお好み」を堪能します。やがて、7時ちょうどからカラオケ開始。
もう、なにがなんだかわからないままに、お店のお客さんが一体となって盛りあがるのはいつもの風景です。みなさんに味わってもらえたかなぁ…。

で、閉店後、東九条に移動。しばし呑みながら、いろんな話をして、気がつくと爆睡。
今回も「バクダン濃いめ」が効きました(笑)。

*1:変な書き方だけど、極めて正しいのですよ

嵐の前の静けさ…

あしたからの3連チャン。はたして身体は持つのでしょうか?
なんしか、今日はおとなしく…。
てか、今日くらいはおとなしくしてないと、パートナーに怒られます
[1]((;゚Д゚))ガクガクブルブル

footnotes

footnotes
1 ((;゚Д゚

予期せぬ出費

LOOXの電源スイッチの調子が悪くなってきました。押しても反応しないことが多々。サポートセンターに電話したら「マザーボードの交換」とか言っています。ちゃうやろ!いろいろ話をしたら、「電源ユニットかもしれない」とのこと。まぁどっちみち出さなきゃなりませんがね。にしても、それなりの金額するだろうなぁ。買い換えるにしてもそれなりだし…。

と、パートナーからメール。
「帰りにかつお節とくら昆買ってきて」
あ、油も買わなくちゃ。前に「サラダ油」を買ったら、揚げ物するのになんとなく臭かったので、やっぱりキャノーラ油かなぁ…。ついでにこんにゃくも買って、と。
家に帰ったら、呼び鈴がピンポーン。宅急便です。◯フオクで落としたタイヤが来たみたい。着払いなので、パートナーに「お金ちょうだい」と言ったら、即座に「ない」とのこと。またまたお金が出ていきます。
さらに、郵便屋さんが来て、なにやら大きな封筒が…。
上の子と下の子が先日漢字検定を受けたのですが、どうやら合格したらしいです*1。てことは、約束の回転寿司に連れて行かなきゃなりません。
あかん…。お金が足りない^^;;

*1:下の子は7級。上の子は2級

回復の過程

というほどたいしたことではありません。
単純に、この3連休で身体が疲れまくっていたというだけのことです。で、平日が来たので徐々に回復傾向にあるという(笑)。
今日の帰りは、あちこちに郵便物を配る「郵便配達婦(笑)」でした。
夕方から小雨が降るのはこの季節の定番なのかなぁ。「このままきつくなったらどうしよう…」とドキドキしたけど、なんとか持ちました。
バイクであちこちうろつきまわるのも、それはそれなりにめんどくさいけどおもしろいかな。

今日は某所には某Kさんはいないはずなので、あしただな(笑)

かっちゃん@米堕

朝起きて、朝食を食べさせてもらいながら、しばしダラダラ。
やがて昼前になったので、お友だちに近所のムラを案内してもらうことにしました。
案内してもらうにあたって、「お好み焼き屋さんがあったら連れて行って」と頼んだのですが、どうやら加古川お好み焼き屋さんではカスは扱っていないらしいんですよね。ふみゅぅ〜。
でも、とりあえずムラへGO!
一通り案内してもらったところで、「かっちゃん」へ。
お友だちはわたしに「マンボ知ってる?」と聞いてきます。そら知っているに決まってますがな。と思ったのですが、どうも様子が違うみたいです。なんしか、スジのお好みとスジのマンボを頼むことになりました。
この店は、基本的には「混ぜ系」です。ふんわりと混ぜたタネの上に、具が乗ります。スジはこんにゃくと一緒に炊いたものがたっぷり。おいしそう!

一方、マンボなんですが、まずそばとスジを鉄板の上に置いて軽く焼きはじめます。続いて、みじん切りにしたキャベツを横に置いてラードをちょこっと入れて、軽く炒めます。それを三日月形に置き直して、真ん中に油を敷いて、タネを敷きます。その上に炒めて味つけもすませたそばをおいて、上から再びタネをたらします。ほどよく火が通ったところでひっくり返して、しばらく焼いてできあがり。
写真の奥がマンボです。

てことで、マンボって、タネで焼きそばをサンドイッチした感じですね。てことは、「山本マンボ」のマンボですね。

まずは、スジのお好み。

お味の方は、まずはタネがいい!中はふんわり、まわりはサクサク。そして、スジがまたおいしい。ちょうど買い物に行って帰ってこられたおばちゃんの弁によると「スジはアキレスやねん」とのことです。わかりますわかります。
ソースの味は、ちょっとスパイシーかな。ひょいとラベルを見た感じでは、あまり見たことがない感じだったので、もしかしたらこっちのものかもしません。
マンボの方は、わたしにはちょっと重いかな。でも、食べはじめるととまりません(笑)。

やがて、お友だちがお母ちゃんに「カスはやらへんのですか?」と言うと、「こないだもろてんやけど、どないするかわからへんねん」とのこと。やがて「教えてくれへんか?」「ちょっとつくってくれへんか?」てことで、一枚試作をするハメになりました。
で、いちおうつくってみたのですが、よく見たら、カスじゃなくて、スジの炒めたものです。てことで、お好みの方はあまりうまくいかなかったのですが、鉄板で炒めてもらって試食。これは絶品でした。

お勘定の時、妙に安いです。てことは、試作品はお金取ってないんですか!
ひたすらごちそうさまです。もう、お腹いっぱいですよ。

てことで、いつもの…。
data

カス玉 580円
ビール 480円(中瓶)
スタイル 混ぜ系
その他 なんしかスジがおいしく炊けています。さすがは但馬牛をさばいている屠場のお膝元!
独断的評価 ★★★★☆(カスがないのが(;_;)でも、次に行ったらメニューに入っているかも(笑))

ついでに、詳細なリンクも更新しますか。

で、懇親会〜

その後、懇親会。
なにがなんだかわからないまま、ひたすら呑んでしゃべって食べて…。
で、せっかく加古川なので、お友だちを呼び出して、2次会に行って…。
気がついたら、10時過ぎ。終電は行ってしまいました(笑)。
てことで、そのまま加古川のお友だちの家に泊めてもらうことに。いや、ほんとうにすみませんすみません。

語る方法

今日は、加古川で高座。
その前に、ちょっと腹ごしらえ。加古川と言えばカツメシです。お友だちのYさんと合流して、旭食堂へ。ここは、寺家町商店街をずい〜っと奥へ進んで、商店街が切れてしまった先にある昔ながらの食堂です。
このカツメシ、まずは安い!だって、お皿の上のごはんがほぼ隠れるくらいのカツ*1が乗って、その上にカツメシのソース*2がかかっていて、800円です。もともとサクッとしていたカツの衣にソースが適度に染み込んだ感じが、なんとも言えません。それなりの量あるように見えて、あっさりと食べられます。ソースも、なんというか、昔ながらの洋食屋のソースですね。おもしろい味です。
で、食べ終わったら、会場へ。
今日は性教協の高座なので、あまり基礎的なところをやる必要はありません。それだけに、難しいというか、自由というか…。
で、話しはじめたのですが、ある人から鋭いツッコミがガンガンはいります。
「それ、もう少し説明して下さい!」
「しゃべったのはあなたですか?生徒ですか?」
etc,etc…。
そのうち、だんだんわかってきました。わたしのしゃべり方って、主語が欠落することが多いんだ…。そら、わかりにくい人にはメチャクチャわかりにくいはずですよ。で、そのツッコミを入れている人は、そういうことがわかりにくい人*3だったんだ。
じゃぁ、あの人にわかってもらうためには…。わかってもらえるように、わたしが話す以外、法はないですよね。
そこから、できるだけ主語と述語をはっきりと提示するようにしたのですが…。
これがまた難しい。わたしは「横道にそれる」芸風なんですが、これがたぶんその人にとってはすごく不親切なんだと思うんです。というのは、横道にそれたところは、本筋を考える時には、一部スルーして、ちょこっと本筋に応用みたいな感じなんですね。この「スルー」が、その人にとってはたいへんなようです。
まぁこのあたりについては、しゃーないので、「ゴメン」と思いながらやることにしたのですが…。

でも、自分の語りを自分自身で分析的に聞くっていうのは、すごくいい勉強になりました。きっと教室にいるであろう、その人の「仲間」のためにも、ほんとうにいい気づきをさせてもらいました。

そうそう、当日参加された方で、「あれ」が必要な方は、こちらまで。

*1:関西で「カツ」は、当然牛です。

*2:デミグラスソースみたいなもの

*3:早い話が発達障害の人

落とした!

ジムニーをドナドナして、パジェロミニを買ったのはいいのですが、スタッドレスタイヤをはじめ、必要なものが何もありません。なので、久しぶりに◯フオクに参加。
今日の午前2時頃が落札の〆切ですが、日付が変わったあたりから動きが鈍くなってきました。さてさて、このまま一件落着するのか、はたまた…。
とりあえず、30分おきにチェックをしていたのですが…。ふと目が覚めると、終わってました…。青ざめた次の瞬間、落札したのが私とわかって、そうとうホッとしましたよ。思ったよりちょい安めで、よかったよかった。

オールロマンス事件の虚構と真実

今日は、京都部落問題研究史料センターの部落史連続講座第2回目です。
前回は11月7日でして、この日は川口くんや阿久澤さんと呑んでいたので行けませんでした。
で、今回のテーマは「オールロマンス事件の虚構と真実」。話されるのはオールロマンス事件の研究者として有名な前川修さんです。
わたしは今回の案内をどこかで見た最初の時から、もう、ワクワクしていました。なんといっても、京都のあるいは日本の部落解放運動というか同和行政のあり方のひとつのターニングポイントとなった「事件」ですから。
とういことと、もうひとつ前々から気になっていたことがありました。それは、
「オールロマンス事件(1950年)から行政闘争が始まったと教えてきたけど、同対審答申の1960年までの10年間なにがあった(なにをしていた)のか?」
ということなんです。これ、部落史の資料をつくる中で、どうしても気になっていたことなんですよね。中世〜近世、あるいは戦前あたりについては、それなりに「ネタ」があるんですが、オールロマンス以降については解説書レベルではほとんどないんですよね。まぁ、『京都の部落史』あたりを読めばいろいろあるんでしょうけどね。

で、ワクワクしながら会場に行って、好位置キープ。軽くお腹に者を入れていると「いつきさん!」という声。ひょいと見ると、阿久澤さんです。ありゃぁ〜、こんなところでというか、京都在住なんだなぁ。
てことで、話がはじまります。

  • オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争はわけて考えている

「オールロマンス事件」を知っている人は多いけど『特殊部落』を読んだ人はけっこう少ないという話。たしかに差別小説としては有名だけど、これほど小説として読まれていないものは、他にはないんじゃないだろうか。
では、著者杉山清次はどういう意識で書いていたのか。
『特殊部落』に描かれている「風景」は、明らかに朝鮮人の姿*1。また、闇米のシーンなんかは部落の話。このあたりについて、前川さんは資料を用いながらていねいに解説されていきます。
質疑応答の時にも出てきたのですが、戦前から東七条への差別事件は頻発しています。こうした「世間の常識」の中で生きていた杉山清次さんの意識と、自分が職務上知り得た現実*2が一体となって、「なんかすごいところ」を暴露しようとしたんじゃないか。そして、その「すごいところ」に「特殊部落」という名前をつけた。
つまり、杉山さんにとっての「特殊部落」というのは、いわゆる「部落」をさすわけでもなく、朝鮮人の集住地域を指すわけでもなく、「世間の人々の知らない世界」みたいなものだったんじゃないかという指摘です。
ところが、これを「部落の姿」*3として、放置した行政の責任を問いながら、地区改善要求の根拠にしていった。これが、「オールロマンス行政闘争」。つまり、『特殊部落』という小説そのものや、その著者杉山清次の意識、あるいはその背後にある社会のまなざしといったものへの差別性を問うならば、それは「オールロマンス事件」といえるのかもしれないけど、それを行政闘争の契機*4にしていったという意味で、小説『特殊部落』をめぐる問題と切り離して考えるべきなのではないかというように、わたしは聞きとりました。

  • 一枚の地図はなかった

「一枚の地図」の話はあまりにも有名で、映画でも見た気がするし、わたしも教室で教えていました。でも、あれ、どこで読んだんだろう。
前川さんは、「別にあったかなかったかはどうでもいい話」と前置きしながらも、例えば『京都の部落史』の中に「地図」にかかわる資料が収録されていない理由を師岡さんの「いくらさがしても資料がなかった」という言葉をひいて「わたしはなかったと考える」と話されました。さらに、あの話の出典として東上高志さんの『差別』の一文を資料として提示しながら、「オールロマンス行政闘争」当時の京都市の部落の数と、東上さんが書かれた時の部落の数のズレを指摘したり、行政側に残された火事の件数や衛生的に問題のあるとされた地域の数と当時の部落の圧倒的な差を示されます。そこから、東上さんの文書を「あれは歴史文書ではなく啓発文書」とばっさりと切られます。
しかし、「一枚の地図」の話を否定することは、実際には解放運動側と行政側の戦前にはじまる地区改善事業への長い長いとりくみを発掘することでもあるのです。わたしたちは戦前・戦中・戦後それぞれに断絶があると感じがちですが、行政レベルで言うならば、人も計画も、すべて連続しているようです。「オールロマンス行政闘争」は、そういう息の長いとりくみの中での、とても大きいターニングポイントと捉えるべきであるという定期というふうに、わたしは理解しました。

  • オールロマンス行政闘争の功罪

わたしは「光と影」くらいにとどめているのですが、ここは「功罪」とずばりと言われました。
「功」はもちろん、同和事業の画期的な前進です。
問題は「罪」のほうです。先にも書いたように、消防局が出した危険地域の数や衛生局が出した改善を必要とする地域の数は、部落の数の10倍以上の数でした。にもかかわらず、それらの地域は放置された。その典型としてあげられたのが東九条でした。
前川さん自身、東九条の中に住み、東九条の中で働き、東九条の中で運動をしておられる方です。東九条の住宅環境を改善するための施策を京都市に要求しても、「京都市は無理である。住宅地区改良法による予算は、すべて同和対策にまわっている」という返答があったとか。実際に、東九条市営住宅が建てられたのはここ数年ですし、まだ3棟しか建っていません。そして、そういうアンバランスが、法切れ後のあまりにも強い逆風をまねていているのではないか。そういうことを「顛末」と表現されました。
なんというか、前川さんの言葉の中に、一種の「恨」を感じました。

  • どこから見るのか

前川さんの話に対していくつかの質問が出ました。
ひとつは
「オールロマンス行政闘争は、結局は、行政内部の地区改善事業をしたい人たちとしたくない人たちのヘゲモニー争いであったと考えることができるのではないか。とするならば、今もまた、逆の意味で同じことが繰り返されているのか?」
というものでした。
これ、かなり辛辣な話だなぁと思いました。でも、そう受けとることもできますよね。
で、もうひとつはムラのおばちゃんの質問というか意見です。
ひとつは、
「オールロマンス事件は、(行政側のきっかけではなく)運動側にとってのきっかけだったのだ。あそこで元気をもらって運動をやったから、さまざまな施策がなされたのだ」
というものでした。
まぁ…。なんというか…。「その時、その場所」にいる人間はこう感じるだろうし、それはそれでひとつの真実かもしれない。でも、それを歴史という形で見た時、「それだけ」がクローズアップされるとするならば、そこにはなんらかの「意図」があるんだと思うのです。その意図に対して、さまざまな方向から光をあてないと、歴史から学ぶということはできないんじゃないかなぁと思うのですが…。
さらに、話の途中で前川さんが「低位性は部落だけにあるのではない。誰かが貧困であるとするならば、その原因がどうであれ、等しく保障されるべきである」という話をされたことに対して、次のような話が出てきました。
「他の貧困はそれが解消したらそれでいいかもしれないが、部落の貧困は、解消されても差別は残る」
あぁ…。久しぶりにこのフレーズを聴いたなぁ。
これに対して、前川さんは
「そのとおりです。だからこそ、差別をなくすためにともに闘っていきましょう」
と返されたのですが、おばちゃんにその真意をわかってもらえたとは思えないですね。
部落史の見直しが提起してきたことのうちのひとつは、貧困と差別をわけて考えるということだったんじゃないかと、わたしは思っています。つまり、貧困な状態の解消は、部落であろうとなかろうとやるべきであって、どこか・誰かを特別扱いするべきではない。そして、それとは関係なく、差別と闘いましょうというラブコールを前川さんは送っているんだと思ったのですが、たぶんそのラブコールは届かなかったんだろうなぁ…。でも、それを責めることはできないんだと思うのです。だって、まさに貧困と差別の中を生き抜いてきたおばちゃんにとって、それが現実であり、そこから物事を見つめ、考え、闘うわけなんですよね。

ん〜。いろんな意味で刺激的な講座でした。
次回も楽しみ…。

*1:どぶろく工場(マッコリのこと)や砧の洗濯シーン、長キセルなど

*2:当時、九条保健所勤務

*3:糾弾要項の中に書いてあるようです。

*4:「ネタ」と言ったらいいすぎかな