5月を満喫

今日は、「第2のふるさと」で、宴会というかなんというか…。ある意味わたしの恩人の家にお呼ばれです。
朝早くに到着。その後、まずはタケノコ堀り。はじめは「しんどいなぁ」とか思うのですが、気がつくとムキになってしまうのが、このたぐいのことですね。「ひとり5本掘れよ」とか言われていて、「そんなん無理」とか思っていましたが、気がついたら余裕で5本は掘っていました。
堀ったタケノコを車に積んで家に帰ると、続いて待っていたのが「ちまきづくり」。ちまきを芦の葉っぱで包むのですが、これがけっこうむずかしい。でも、やっているうちに、だんだんとコツを覚えてきます。30本ほど巻くと「いけるやん」という感じ。でも、来年は忘れてるやろうなぁ。
てなことをやっていると、お昼です。宴会です。さっさとビールを呑んで、あとは赤ワインにはしります。さてさて、今日はいつまで宴会が続くんだろう。
「第2のふるさと」の人たちと、あーでもない、こーでもないと、しょーもない話をしながらワイワイと時が過ぎていきます。気がつくと、夕方。でも終わりません。さらに気がつくと、とっぷりと日が暮れています。てか、夜やし。
結局は、みんなで掘ったタケノコを湯がいてもらって、みんなで巻いたちまきと一緒に*1おみやげに持たせてもらって帰ることになりました。う〜ん、いいんだろうか…。

家に帰って、子どもたちに「ほれ」とちまきを見せたら、あっという間になくなりました。やっぱ、子どもたちにとっても「ふるさと」なんだよなぁ。

*1:てか、そのへんにあったものをいっぱいもらったよ

今日も早起き→雑事

昨日はつい「替え歌」が思い浮かんで起きてしまったけど、今日は朝からひと遊び。
なんだかんだで夕方家に帰ってきたら、誰もいません。瞬間「逃げられたか?」とか思ってしまうのは、やっぱり心当たりがあるからなんでしょうね(笑)。
とりあえず、懸案だった「水くみ」に行って、晩ご飯用のお米を仕掛けて、お風呂を入れて、モトGPの録画をスタートして、犬の散歩に行って、玄関の電気を直して…。
さぁ、のんびりお風呂に入りましょう。
お風呂につかっていたら家族が帰ってきました。どうやら捨てられたわけじゃなかったらしい(笑)。

実家の手伝い

亡くなった父親は、けっこうまめな人で、庭の木の手入れなんかもやっていたみたいです。時としては、けっこう太いのも切っていたみたいで、それが去年の3月から放置されていました。
実は去年のGWにそれを処理しようと思っていたんだけど、そのまま延び延びになっていたので、今日は半日かけてそいつの処理をしようと家族総出で実家へ。
にしても、えらい大量の枝です。よーこれだけ切ったものだと…。さすがにそうとう疲れました。

排除の言葉

やっぱり気になります。
この間、新型インフルエンザにかかわってさまざまなニュースが飛び交っています。その中にちりばめられる「国民のみなさん」という言葉。
「国民」という言葉が、同時に「外国人」を排除する言葉であるという意識が、今ほんとうに希薄なんだなぁと思います。そして、そのことに強い危機感を持っています。
ちなみに、パートナーから「どう言えばいいと思うの?」って聞かれたんで「「みなさん」だけでええやん」と答えたのですが…。

メーデーかぁ

うちのポータブルCDMDカセット、毎日スイッチを入れると「今日は◯◯の日」って出てきます。もちろん、今日は「メーデー*1
にしても、いま日本国内で5月1日にメーデーの集会をしているところって、どこにあるんだろう。というか、「万国の労働者、団結せよ」という言葉が空虚になるほどに分断されてしまっていますね。いや、分断「され」というよりも、労働者自らが分断「し」ているのか。
「結集軸」なんていう言葉も、すでにないですからねぇ。

でも、それはもしかしたらしかたがないことかもしれない。
というか、かつてとは違う形で、さまざまなコミュニティをつくろうという動きは確実にあります。それらは、今はさまざまに異なる「要求」の中で集まっていますから、相互のつながりは希薄です。
かつてならば、それらを「一本化」というかたちで結集させていたんだしょうね。でも、いまはありえない。とするならばどうするか。
たぶん「思いを重ねる」ところからスタートするんじゃないかなぁ。もうちょっと下手な言い方をするならば「お互いさま」の精神?
「あの時助けてもらったし、今度は助けるわ」
というのはもちろん、
「ごめん、どうしても今日あかんねん」
もまたありという、ゆるやかな「お互いさま」。無理をしない「お互いさま」。でも、そういう相互乗り入れが拡がっていけば、あるいは今までとは違うなにかがうまれるかもしれない。

などと思いながら、淡々と日常の授業をしているんですけどね(笑)。

*1:ちなみに、4月4日は「トランスジェンダーの日」ではなかったなぁ…

わたしは信じない、でも信じる

ここ数日髪の毛がうるさいので、右側でくくってます。
それを見た子どもたちの反応。

  • 3年生

S「先生!最近メガネかけてんの!」
い「うん、メガネッ子でいこうかなと思ってな」
S「へー、今日はドジッ子のイメージなんやな(笑)」

  • 2年生

S「今日はキュートやわぁ。めっちゃかわいい〜(笑)」
い「両方でくくったらこんなんやで、ほれ」
S「笑」

  • 1年生

S[クスクスクス」
S「ヒソヒソヒソ」

ふとある一節が頭をよぎります。

そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。

わたしは子どもたちの「差別なんてせーへんもん」という言葉は信じません。「人の世がどんなに冷たいものか」ということを、肌身にしみて感じますから。
でも、わたしは子どもたちが「変わる」ということは信じています。なぜなら2年生も3年生も、1年生の時は今の1年生と同じでしたから。その子どもたちが、いまわたしを支えてくれていることを知っていますから。
子どもたちが「変わる」ことを願い求めます。でも、それはわたしと子どもたちとの共同作業でしかあり得ない。だからこそ、変わった子どもたちをほめ讃える。そして、そういう関係をつくれた自分自身をほめ讃える。「変わりえた自分たち」に自信ができる。「必ず変わる」という自信ができる。
そこに「人生の熱と光」があるんだろうなぁ。

たまにはちょっと凹みそうになるけど、あしたからもがんばろう(笑)

まだまだやけど、やっぱうれしいかも

最近、休日の朝は早起きしてなんだかんだと遊ぶことが多いですね。
かつては「とにかく寝る」だったのが、最近は休みの方が早く目が覚めて、「このままじゃもったいない→遊ぼう」となってしまうみたいです。にしても、なんで早く目が覚めるのか(;_;)

で、家に帰ってきたら、下の子どもは友だちを連れてきていて、上の子どもとパートナーは外出。
食卓の上にはホットプレート。中には焼きそば。
なんでもこの間、上の子どもが学校で焼肉の後焼きそばをつくったら、友だちから好評だったらしいんですね。で、がぜんやる気が出ているみたいです。このあたり、なんかわたしと性格が似ている気がしますが…。なので、せっかくですから、きのう「明日の昼は◯◯*1のつくった焼きそばがいいなぁ」と言っていたんです。そしたらつくったみたいです。
電子レンジであっためて食べると…。
ふむ。まぁまぁかな。豚肉が少々固くなっているのは、つくり置きになったからしかたないけど、なんとなく屋台の焼きそばふうで、それはそれでいい感じです。ときどきあたるショウガのピリリ感がいいですね。
味つけは…。わたしには少々濃い感じです。でも、これは人それぞれだからね。

帰ってきた子どもに「味つけは自分でしたの?」と聞くと「うん」と答えています。付属の粉末ソースは使わなかったわけね。

人に食べてもらう喜びを知ったら、つくるのが楽しくなるし、もっともっとおいしくつくろうと思いはじめます。そうやって、だんだんとご飯をつくれるようになるんですよね。
なんしかいいことだ。

*1:子どもの名前→今さら伏せ字もない気もするけど(笑)

境界はどこか?

昨日の夜、とても大切な友だちから、「自分はDVをしていたことに突然気がついた。恐怖で体が震える」というメールが入りました。
そういうことにとても敏感な人だからこそ、もしかしたら他の人なら気づかないような自分の内側のことに気づいてしまわれたのかなぁと思います。
なんと返したらいいんだろうと思いながら、簡単に返せるはずもなく、ダラダラと考えていました。

「愛」と「DV」の境界ってどこにあるんだろう。あるいは「愛」と「依存」の境界ってどこにあるんだろう。
「愛」が「DV」に変わる瞬間ってあるんだろうか。その逆はあるんだろうか?「愛」が「依存」に変わる瞬間ってあるんだろうか。その逆はあるんだろうか?
他者が見た時「愛」であっても、当事者にとっては「DV」なことってあるんだろうか。その逆は…。

考えれば考えるほど、どんどんわからなくなっていきます。
ただひとつ。わたしが考えたことは、「愛」「DV」「依存」にセンシティブになること。そのブラックホールから脱出し続けること。
「安定した「ない」状態」をつくることではなく、つねに「なくし続ける」姿勢を保ち続けることが大切なんじゃないかな。

いい勉強だ

今日の7時間目は、英語がとても苦手な子どもたちの学習会。もう、基礎の基礎の基礎の勉強です。
わたしは担当なんで、とりあえず出なくちゃならないんだけど、「どーせえいごなんてわからないもんね!」と、かなり斜に構えてました。
で、授業が開始。
ほう、なるほど、そういうことなのね。ふむふむ。
わかるやん!英語がわかるやん!
高校3年生の時に英語で赤点を取ったわたしが、なんとなくわかるというのがおそろしいところ。

やっぱ、まじめに授業を受けてみるもんだなぁ(笑)。