巷で噂になっている「K西医科大学」にかかわる話ですが…。
まぁ、考えようによっては大学病院なんていうのはそういうものなんだということでしょうね。「なにを診療するか」については、ある程度は勤務している医者の裁量に任されるところはあるのでしょうが、その医者の人事権は医者自身にはない。さらに、その医者もなにかひとつに限定して診察をしているわけじゃないので、他のビョーキにかかわる諸矛盾が起こるとやめることは充分に可能性としてはある。
そう考えると、大学病院に限らず、大きな病院で診察している内容は「永遠に続く」と考えない方が無難なんだと思います。特にそれが一般的でなければないほどです。
てことで、「関S医科大学」の今回の方向転換は、当然起こるべくして起こっていると思いました。というか、いままでがうまくいきすぎていたんでしょうね。だからこそ、「病院として後を引き受ける」ことができなくなってしまったのかな。
でも、考えようによっては、まさにガイドライン第2版で提示された「いくつかの病院がチームになって診察を行う」という状況になりつつあるわけで、それを「与えられる」のを待つだけじゃなくて、自ら開拓していくということも含めて実現していけばいいのではないかと、ちょっと攻めの姿勢で受けとめたいなぁと思う今日この頃です。たしかにSRSは厳しいですけどねぇ。
そんな話をIちゃんさんととりとめもなく話をしました。
にしても問題なのは、新しい医者とウマがあうかどうかなんですよね。まぁIちゃんさんが「わたしとウマがあう」と思ってくださっていたかどうかは不明ですが(笑)。
投稿者: ituki
「先のことを考えようよ」とは思うけど
朝、職員朝礼が終わったら、授業を担当している1年生が職員室の前にいました。
S*1「先生、休校にならへんの?」
I「ならへん。そんなんなるかいな」
S「え〜、なんで〜」
I「あのな、インフルエンザのウィルスな、うちの学校の前で引き返しよんねん」
S「なんでやねん!」
兵庫→大阪ときて滋賀に飛んだ*2のは、どう考えてもおかしいなぁと思いながらも、ちょっとホッとしていたりします。やっぱり休校は困る。
なぜ休校をいやがるかというと、その分の授業を回復しなくちゃならなくなるからです。たいていは夏休みの開始日時を1日後ろへやる。
これがこれで終わればまだいいんですが、夏休みの初日から合宿を入れていたりするとことはややこしくなります。今頃日程変更をしようとしても、合宿崎のスケジュールは満タンだったりする。
あるいは、普段の平日はできないこと*3なんかを入れていたら、これまたたいへんなことになる。生徒もわたしたちも学校行事を基準に動いているので、それが変更になると、すべての予定が変更になります。そのことのリスクを考えると、「休校」の大小はあまりにも大きいわけです。
ただ、やむを得ない時は休校は避けられません。ところが、これが台風か何かで1日ぐらいならまだいいです。今回の兵庫・大阪のように1週間となると、おそらく行事予定は最初から組み直しになるんじゃないかと思います。
かつてのように7月20日あたりから夏休みがはじまって8月31日まであるなら*4、まぁそれでも夏休みでかなり回復できるでしょうが、今のように7月25日あたりまで授業をやって8月25日あたりから授業をスタートするような昨今の状況だとたいへんです。1学期の終了を1週間後ろにやると8月まで授業をしなくちゃなりません。2学期の開始を1週間前へやると、お盆から授業をすることになります。
ちなみに、最近は教室にクーラーがついていますが、あれ、学校としては使いたくないんです。なぜなら、電気代がかかる。当然予算の組み直しが起こります。あと、クーラーがついているのは普通教室だけで、特別教室にはない。となると、芸術なんかはクーラーがないところでやらないといけないわけです。さらに、絶対にクーラーがきかない「体育」なんかもあります。
机の上の計算であれば、「ここの一週間を、こことここへこうやって」ということは可能かもしれませんが、現場はそうはいかないことが多々あります。
てことで、そのあたりがわかって人は休校を避けたくなるんです。
今回に限らず、インフルエンザなんてものが出てきたら、ウィルスの温床の最大の場所はおそらく学校です。でも、休校は避けたい。結局感染予防のための休校はまずありません。ある程度感染が広まってからしか休校はできない。予防という意味では最悪だとは思いますがねぇ。その原因は、「回復措置が必要」ということなんだと、わたしは思っています。
あ、そうそう。休校になっても教員は当然休みじゃありません*5。
まぁなんとか間にあった
明日が原稿の締切。にもかかわらず、一字も書いていません。まぁよくあることですが(笑)。
〆切から〆切まで1ヶ月。そのうちの半月は「ネタ」が降ってくるのを待つ期間です。残りの半月の大半は、「ネタ」に対する「小ネタの神様」が降臨してくるのを待つ期間です。で、実際書くのは1日、と。
実は、ネタは2〜3あったのですが、鮮度の問題や「ネタかぶり」のことがあったりして、どうもしっくりきていませんでした。こういう時は迷いがあるから書けませんね。で、〆切前日になると、迷いが吹っ切れるわけで、そうするとなんとか書けるようになるわけです。
というのは、基本的には言い訳ですけどね(笑)。
問題は、現在本職の方がテンパリ気味ということです。潜在的にやらなきゃならないことがたくさんある&出張が目白押し。どうなるかと思ったのですが、さいわい出張が早く終わった&今日は晩ご飯が遅くなる日。つまり、ビールを呑むまで時間があったということで、一気に書けてしまいました。
にしても、3回目にしてすでにこんなことやっていたら、あとが思いやられるなぁ…。
あ、もう一本原稿があった!
再会
朝、メールチェックをすると見慣れないメールが…。なんだろうと思って開けると、卒業生からのメールでした。それも、今から17年前の卒業生。
さすがに「えーと、えーと」だったので、さっそく昔の名簿をチェック。5冊ばっかめくると、ありましたありました。続いて、図書館に行って該当年度の卒業アルバムをチェック。と、「あぁ!この子かぁ!」と納得。
わたしが担任をしたひとつ下の学年の子ですね。
担任をしていると、自分の学年の子どもたちとのかかわりは深くなるのですが、逆に他の学年の子どもたちとのかかわりはどうしても薄くなりがちです。にもかかわらず覚えているんですから、まぁ仲良くしてもらえたんですよねぇ。きっといろんな話をお互いにしていたんでしょうね。というか、そのころに「自分には秘密がある」っていうことを、どうやらその子には言っていたみたいです。いやぁ、おどろきです。そんなことを言っていたなんてねぇ。最終的には中身は言わなかったみたいですけどね。
でも、そういう子がいたということ。そして、メールではあるけど再会できたのは、やっぱりうれしいですね!
朝から吹いた
平日は朝はバタバタしているし、夜はダラダラしています。休日は、朝から遊んでいるし、昼からは飲んだくれています。
なので、郵便物をのんびり読む時間がありません(←変)。
今日は朝から遊ぶわけにもいかない天気だし、昼から呑む予定だから朝は飲まないということで(笑)、たまった郵便物をチラチラと読んでいました。と、いきなり吹いた…。
読んでいたのは、京都部落問題研究資料センターのセンター通信(pdfです)。2ページ目をペラリとめくると伊藤悦子さん@京都教育大学が『太郎が恋をするまでには』の書評を書いておられます。「これはおもしろい!」と興味津々で読みはじめました。
しばらく読んでいると「他者がどんな感想を持ったかが気になったので、事務局から紹介文もお借りした」とあります。どんな紹介文かなぁと思いながら読み進めていくと、
全国地域人権運動総連合の機関紙に掲載された、愛知人権連・甚目寺支部長丹波真理さんの「歴史の歯車は止められない―『太郎』とかかわって―(上)・(下)」(「地域と人権」一〇七一号・一〇七二号、二〇〇八年一二月一五日・二〇〇九年一月一五日)の記事、土肥いつきさんのブログのコメント、それと「アエラ」(二〇〇八年一一月三日号)の記事「歴史とたたかう結婚」などである。
おーい^^;;
あ、伊藤さんの書評はおもしろい!「カミングアウト・アイデンティティ」という見出しのついた「肝」の部分は「あぁ、それそれそれ…」という感じ。さらにアイデンティティの問題から続く「当事者性」の話は、「うん!」という感じでしょうか。この部分の「オチ」も「それ!」という感じ。
伊藤さんならではの辛口な結論もいいですねぇ。
予定変更
今日は午前中お友だちが遊びに来てくれるということになっていました。昨日からワクワクしていたのですが、突然のメール「体調が悪くて行けそうにありません」。
てことで、突然あいた土曜日の午前中。
とりあえず、ポテトサラダをつくって、カーテンレールをなおして、玄関の電気を直して、犬の散歩をして…。
ヒマや。
昼ご飯を食べていると、友だちからメール。
「くびくびカフェでチヂミ焼いてるし、ヒマやったら来て」
行ってきました。
くすの木の下に単管でつくられたオープンカフェ(笑)。けっこうおいしいコーヒーを飲みながら、脈絡不明の音楽をならしまくって、はじめて会ったお客さんとボーッとした会話をします。ええなぁ…。こんなに時間がゆっくりと流れることもあるんだなぁ…。
パートナーは今日はお出かけ。
さぁ、リフレッシュしたし、家に帰って子どもの世話をしましょうか。
予定変更
脱稿
ある家族の会話
「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」
今日は府立高校の人権教育研究会の総会です。
午後からは記念講演。上杉聰さんの講演「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」です。
いやぁ、おもしろかった!とりあえずレジュメを紹介します。
1 部落差別はたいへんに古くから存在してきたものだから
「穢れた血筋」(異民族)「着座飲食拒否」「部落は残忍」等偏見の古さと継続性2 明治4年の賤民制度廃止の際、適切な処置がとられなかったから
賤民廃止令(≠「解放令」)が実現したもの
賤民制度の廃止、法の下の平等
職業の自由(≠「一片の布告」)
欠けていたもの
「過去の差別は誤りだった+今後差別してはならない」の宣言
経済的な補償(華族・士族は国家予算の3割分の秩禄を長期に)
身分制再編成と差別緩和(「四民平等」の語は不在)→部落差別の制度的容認へ
伊藤博文が留意した3点「天皇」「華族」「郷党」 近代の身分図式3 賤民廃止令の不充分さにより解決が遅れ、近代の差別と結合したから
壬申戸籍 肩書きは「平民」「農」などとし、続柄(血縁)に差別を記載
戦前の差別判決 判決の背後にある近代的身分(血縁・家」)精度の強化と天皇制
就職差別 大企業は日露戦争後から身元調査→部落地名総鑑4 戦後に生まれた解放のための新しい条件
1946年 日本国憲法の制定と第14条
「すべて国民は、補の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に置いて、差別されない」(後略)
1については、簡単に言えば、去年の10月にあった話の復習です。部落の起源は室町・平安にまでさかのぼるという話を、資料にあたりながら話されました。
2以降が今回のテーマ。特に、賤民廃止令についてこってりと話されました。なにより重要だったのが「欠けていたもの」というところ。
賤民廃止令は
穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官
というやつです(ここからいただきました)。
上杉さんが話された最大の問題点は「今日からは平民と同様ですよ」としただけで、「今までの差別制度は間違いでした」としなかったことである指摘されました。また、「同じですよ」としただけで、「差別しちゃいけない」とも言っていない。では、政府はもしも差別事件が起こったらどのような態度をとるのか。このあたりについても、資料にあたって解説をされました。で、簡単に言えば「まぁ、しゃーないからほうっておく」という態度だったとのことです。
昨日まで「アウトカースト」だった人々が、いきなり「カースト」内に入ってくる。当然混乱が起こるわけです。その混乱に対して、「混乱するのはしかたないし、まぁその人らにまかせておきましょう」となったようです。こういう姿勢が、やがては町村合併時の部落の排除や、部落学校の設立を余儀なくされるというところにつながっていくわけです。
さらに、「過去は間違いではない」→「元穢多というのは間違いではない」という論法から壬申戸籍がつくられていきます。このことが高松結婚差別事件*1での論法「かつての身分を偽るのはよくない」「かつての身分を話さないのはよくない」というのにつながっていく。こういう形で部落差別が維持されてきたということです。
で、法制度上、はっきりと差別を否定したのが日本国憲法であったと。当時の議会の速記録から、「社会的身分」が部落を指すことを明らかにしながら*2、ここをスタートにするべきではないかという提言があって、話は終了しました。
わたし個人としては、明治期以降に部落差別は新たな形で強化されたのではないかと漠然と考えていたのですが、わたしの予期しない形でそれを実証的に話されたという意味で、かなり勉強になりました。