花見

その後、まんまるの会。
今日は4月恒例の花見です。
まんまるに行ってみると、すでにみなさん会場へ移動されたとか。待合室で遊んでいた(笑)メンバーも会場に移動します。
会場に着くと、すでに炭をいこして準備が整っています。さすがに宴会になると、みんな動作が機敏になります(笑)。やがて、誰からともなく「飲もうか」「焼こうか」ということになって、ボチボチと宴会開始。ちなみに、本日のメインの肉は、100g700円の逸品*1。こいつは1kgしかないから要注意です。
わいわい言いながら食べていると、三々五々残りの人々も集まりはじめます。
それにしても、桜の木の下で、毎年こうやってみんなが和気藹々と集まることのできる「まんまるの会」って、やっぱりすごいなぁ…。

*1:じつは、高すぎて牛肉を買ったことのないM木ちゃんが、牛肉の相場を知らずに買ってしまったらしい

滝井参り

今日は午前中はなにやらテストがあって、午後からは新入生はクラス写真だとか。わたしは1年生の副担任になったので*1クラス写真に一応参加しなくちゃなりません。でも、今日は受診日。さいわい、学年でいろいろ配慮してもらって、一番最初に写真撮影をすることにしてもらって、なんとか両立させることができました。

さて、滝井に着くと…。
いつもの通り、のんびりした感じです。「交流会」に参加している子が、お母さんとお姉さんとその子どもの4人で待合室で和んでいます。実際には和めるような状態じゃないんですけど、きっとここでなら和めるんでしょうね。
そうこうしているうちに、徐々に知りあいが来ます。みんな受診が終わっているのに、なんで待合室に遊びに来るねん(笑)。
中の待合室をのぞくと、M木ちゃんがいたので外に呼び出し。
気がつくとマッサージ大会がはじまっていました。のどかです。

で、診察の方は…。
「最近どうですか?」
「なにもないですねぇ」
あとは、いろいろ世間話をして終了。のどかです。

*1:これがまた香ばしいんですよね。

で、今年の抱負

新しい年度を迎えるにあたって、新たなチャレンジをしようという方もおられるかと。
で、わたしも新たなチャレンジをしてみることにしました。
今年はネックレスをつけるぞ!
まぁ、そんなもんですわ(笑)。

いよいよスタート

今日は午前中が始業式。午後から入学式。
かつては、始業式と入学式は日が違ったんですけど、最近はこんな感じで、せわしないせわしない。
放送部の連中ともちょっとピリピリした感じでやりあったりして、ほんとうに「はじまったなぁ」という感じです。

急遽入った

突然携帯に「粟田口の刑場跡ってどこかわかる?」というメールが来たので答えているうちに、気がついたら呑みに行くことになってしまいました(笑)。
てことで、A久◯さんとA部さんと3人で呑み。気がついたらカラオケタイムがはじまって、さらに気がついたら「あずさ2号」を熱唱するハメ*1になってしまっていました(笑)。
しかし飲み過ぎですわ…。

*1:でも、わたしが歌えたのは「8時ちょうどの〜」からだけだったんですがね(笑)

なんか不安だ

いや、単にあしたが始業式というだけのことなんですが…。
なんか後手後手にまわってしまっているような気がして、うまく新年度が迎えられるのか、妙に不安なんですよね。
もっとも、はじまってしまったらなんとかなるものですが…。

リビングライブラリーat京都へ向けて?

先日、「リビングライブラリーをしたいと思っているんです」という学生さんからメールが来ました。なんでも、リビングライブラリーjapanに問い合わせをしたら、「京都にいつきさんという人がいるよ」という紹介を受けたそうな。ちなみに、「あの人飲んだくれだからそのつもりで」という補足もあったそうな。でも、飲んだくれなのはわたしだけじゃなくて、わたしを紹介してくれたH井さんもだと思うのは、わたしだけじゃないと思います(笑)。
ということで、その学生さんと呑み。
久しぶりに行った学生時代からのなじみの店は、やっぱり相変わらず居心地がよかったです。
そんな居心地のいい店で、とりとめもなくいろんな話をしたんだけど…。はたしてあれでよかったんだろうか…。
〆にラーメンまで食べてしまったし(笑)。

素直にうれしかった!

朝、事務室に行くと、事務の方が「はい」と言って、一枚の紙を渡してくれました。
そこには、「丸秘」というハンコとともに、「女性休養室カギBOX 暗証番号◯◯です」というタイトルが入っていました。
素直にうれしかった!

言葉の使い方

学校に勤めていると、それなりに転勤があったりします。わたしはないけど(笑)。
で、「転勤を機にトランス」というのは、まぁ当然のように思いつくわけです。わたしはちがうけど(笑)。

ちなみに、わたしはどう考えているかというと、現在の勤務校で可能な限りトランスをして、その事実を持って次の学校で引き続きトランスをしていきたいと考えるタイプなんですよね。やっぱり、トランスをするには人間関係がきちんとできているところの方がやりやすいと思っているんです。
まぁそれはいいとして…。

在職トランスをしようとした時、やっぱり頭を打つことが圧倒的に多いんじゃないかなぁと思います。そういう時に、「理解してくれなかった人」に対して、わたし(たち)はどう考える必要があるんだろうと思うのです。
こういう時に便利な言葉がありまして、それは「人権」というヤツなんですね。
いまや「性同一性障害」は「人権教育・啓発」にその文言が出てくる時代です。京都府教育委員会が出している「人権教育を推進するために(pdf)*1」にも出てきています。なので、「理解しないのは相手の人権意識の問題」と持っていくことは可能なんですね。
でも、そこにわたしは「怖さ」を感じます。
「人権」という言葉が、まがりなりにも全体のコンセンサスとして認知されるようになったのは、自らの人権を求める人々とそれに連帯する人々による、長い長い闘いの成果であることは、まぎれもない事実であるとわたしは思っています。そして、いまや「人権」は、とりあえずは「守らなくちゃならないもの」というふうな合意ができています。現実はどうかということはおいといて…。
さて、仮に自分自身が自らを「人権によって擁護される存在である」と規定してしまうとどういうことがおこるか。下手をすると、そこに無限の絶対性がうまれてしまう可能性があると、わたしは思うのです。なんというか、「正しさ」で自分を守ることがそれをつくりだすというか。だから、わたしはわたしを擁護するために「人権」という言葉は使いたくないのです。

じゃぁ、「人権」という言葉は誰のために使うのか。それは、例えばトランスの子どもたち・在日外国人の子どもたち・部落の子どもたちetcのために使いたい。わたしのためではなく、他者のために使いたい。わたしはあくまでも「連帯する一員」としての立場で、その言葉を使いたいと思います。
でも、そうやって子どもたちとつながるならば、きっと子どもたちがわたしのために「人権」という言葉を使って守ってくれる。そういう人間関係を子どもたちとつくっていきたいなぁと思っています。

*1:このpdfファイル、一太郎で作成したファイルをリッチテキストpdfで変換しているんだな、たぶん