呑んだくれ達の週明け・その11・聖地「鳥忠」

もちろんお座敷の後は徳島の仲間たちと呑みです。台風の雨の中、向かったのは「聖地・鳥忠」。

いや、「何が聖地やねん!」という話はあるかと思いますが、このビデオに出てくる、まさに「知る人ぞ知る」焼鳥屋なんですね。
ここに徳島の濃いぃメンバーが続々と集まってきます。さわかやな青年(笑)も「来る」とか言ってくださっていたみたいですが、島根から来るのは無理でしょう(笑)。なんでも前日は三重にいたとか。大雨の中をどれだけ走ってるのやら…。
いつものように、M口さんは暑く語ります。みんなでそれにツッコミを入れながら、それでもその暑さに負けない熱さで返していきます。
徳島の夜は暑く熱くふけていきます。

にしても、10時頃にダウン。
やはりスダチの焼酎はおいしいけど効くわ…。

距離かな…

で、肝心のお座敷は…。
みなさんまじめな感じです。はたして笑っていただけるのか。
かなり不安だったのですが、
「かなり捨て身のネタなんですが…」
とか笑いを促しているうちに^^;;、だんだんと笑いが出てくるようになりました。とりわけ局所的には体をよじって笑っておられます。助かりました。にしても、最前列におられる教育委員会の方、複雑な表情をしておられたのは、わたしの気のせいかなぁ*1
終わってからK野さんといろいろ話をしていたのですが、どうも「距離」じゃないかという分析です。たしかに教室が長細くて、しかも当然のことながら後ろから座られる。となると、どうしても笑いのオーラがこちらまで届かなくて、それで空回りをしてしまいがちになる。
やっぱり「はこ」って大事なんですねぇ。いや、もっとわたしに「力」があれば関係ないんでしょうけど…。

*1:たぶん気のせいじゃないと思う

はやし@徳島・番外編

松茂で今回コーディネートをしてくださっているK野さんと合流。
まずはお昼ご飯を食べに「はやし」へ。ここ、メチャクチャはやっている店みたいです。店の横の駐車場は狭いのですが、まわりのあちこちの100円パークに「契約駐車場」とあります。K野さんに
「ここって「知る人ぞ知る」なのか「だれでも知っている」なのかどっちですか?」
と聞くと、しばらく考えて
「「だれでも知っている」かな」
と答えられました。
店にはいると長〜い鉄板に大量のお好みが焼かれています。

どうやら客側から向かって右側から焼きはじめ、ベルトコンベアーよろしく左へ左へと送られ、左端で完成するという要領のようです。
わたしはK野さんの推薦で「豆天」を注文。
焼き方を見ていると、ここはベタ焼き系みたいですね。

ただ、おもしろいのはひっくり返した後、ひび割れしたらしいところに、さらに生地をかけているところです。これはかなりヘビーかもしれません。
やがて左端に到達して出てきたのがこれです。

二つ折りにして出てきます。おられた真ん中にはあらかじめソースが塗ってあるのですが、さらにソースがほしい人は表面にも塗ることができるということでしょうか。
一口食べると、けっこうもっちりしていることに気がつきます。これは強力粉が少しはいっているのかな?味に少し塩味が感じられます。K野さんは「そう?」と言っておられるので、もしかしたら天ぷらに入っているエビの味なのかもしれません。そしてなんと言っても金時豆!なんとも言えない甘みがあります。
たしかに「ムラ中のお好み」にはありえない味なんですが、これ、やみつきになるとやみつきなんでしょうね。
のんびり食べているとひっきりなしに電話がかかってきます。どうやら持ち帰りの注文がすごく多いみたいです。ここからもはやっていることがわかります。
一枚食べるとお腹いっぱいです。再度メニューが「ところてん」というのに納得。
「ご当地お好み」というのもひとつのジャンルになるのかもしれませんね。

番外編なので、dataはなしといことで…。

ふだんのおこないが悪いのか?

7月の最後に大分に行った時は、前日九州北部に大雨が降っていました。
昨日は徳島に大雨洪水警報が出ていました。
で、今日、徳島に行くのですが…。台風も来ているみたいだし、明石海峡大橋、渡れるんだろうか…。
バスに乗ってしばらく、京都市内は小雨も降っていません。ところが名神〜中国を走りはじめたら雨。しかも渋滞。どうなることやら…。

呑んだくれ達のブランチ・その10

目が覚めたら7時。あまりにもしんどいのでのたうち回っていたのですが、そのうち卒業生達ものろのろ起き出します。やがて「お腹が減った」とか言い出します。すごい胃袋です。結局きのうの残りの肉を焼きはじめます。
わたしはあまり食欲がないけど、やることがないので、仕方なしに冷蔵庫の中からチューハイを出します。京都のUっじぃも発泡酒を出します。まぁ、やることが似ているんだな。
チューハイを飲みながら朝から焼肉をつつくのは、かなりハードです。
けっきょく12時までかけてすべての食材を食べつくして、あとは片づけです。

家に帰ったら1時半。長かったなぁ…。

呑んだくれ達の夜・その9

京橋を後にして向かったのが東九条
今日〜明日、いつもの文庫センターで、在日外国人生徒交流会の卒業生達が集まります。
卒業生から
「早く来てね」
と言われていたのですが、すでに集合時間を3時間オーバーしています。で、到着したのが4時間オーバーの時間。まぁしゃーないわな(笑)。
外が雨なので、部屋の中で焼肉をつつきながらあーでもない、こーでもないとしょーもない話。にしても、そろそろ限界だぞ…。
しばらくして倒れていたら、Uっじぃという京都の卒業生が布団を掛けてくれました。ありがとうな…。

呑んだくれ達の昼下がり・その8

朝、セミナーのみなさんとお別れして新幹線に飛び乗ります。京都を通り越して大阪は京橋へ(笑)。
実は今日はミルトン・ダイヤモンドの講演会だったのですが、急遽中止になった関係で、午後があいてしまい、そこにH下さん@西成高校との呑み会が入ったという。いや、入ったと言うよりは入れたのか(笑)。
今回紹介してくださったC原さんから
「電車に乗り遅れた」
というメール。続いて
「メガネをかけていて、リュックを斜めがけしている人いませんか?」
というメール。いや、メガネの人たくさんいるし、リュックの人たくさんいるし、わかるかい!とメールを返そうと思いながらまわりを見ていると、いた!そのまんまの人がいました。
思わず
「H下さんですか?」
「いつきさんですか?」
会えるものですねぇ。
さっそく呑みに行きます。ビールを呑みながら自己紹介をしていると、C原さんも来られました。
それにしても、3人で話をしていると、共通の知人の多いこと多いこと。なかでも一番驚いたのは、この青年が共通の知人だったことです。世間が狭いのか、わたしの行動範囲が狭いのか(笑)。
あとはどんどん話が進みます。当然お酒も進みます。結局気がつくと12時から7時まで呑み続けていましたよ。
もうH下さんは絶好調ですが、あれは単なる酔っぱらいになっていたな(笑)。
なんぼなんでもこれ以上はやばいので、ここでお開き。でも、ほんとうに価値のある出会いでした。また呑みたいなぁ…。

呑んだくれ達の夜・その7

三橋さんと濃いぃ話をした後は、ふたたび人権セミナーの会場にもどって懇親会です。ここの懇親会は、1次会はノンアルコールなんです。まぁ、わたしはすでにちょびっと呑んでるからいいですけどね。
たくさんの人が三橋さんのところに「サイン」と言いながら行かれます。一人一人にていねいにサインをされる姿を見ながら、わたしはわたしで「早くビールの時間にならないかなぁ」などと思っていたりして…。
やがて、1次会が終わってビールが解禁の時間。
あとは呑むだけです。10時頃には会場を追い出され、あとは会場の表(道ばた)で宴会が続きます。けっきょく、2時頃にお開きです。
あしたも早いんだけどなぁ…。

考察・御苑通りと関西の話

フィールドワークが終わってから水道橋へもどり、三橋さんと居酒屋で軽くビールを呑みながらよもやま話をします。
なかでも、強烈だったことがふたつありました。

  • 御苑通り

ひとつは「境界線の移動」の話です。
そもそも新宿がなぜ「つくられた街」になり得たかというと、4丁目と2丁目の歴史に起因するように思いました。
4丁目はもともとは天竜寺の寺社町として発展しますが、その後「木賃宿」の指定地として貧民窟へと変化していきます。また、2丁目はもともとは赤線地帯です。こうした街は、ともに行政による強制的な介入がしやすい街になります。
で、御苑通りですが、これはもともとの2丁目の中に後からつくられた通りです。この道ができたために、本来末広亭のあたりにあった2丁目の境界が御苑通りに移動してしまったようです。
では、なぜ新たに境界を引き直したのか。
そこに、なんとなく「2丁目を分断しようとする意図」を感じてしまったのですが…。実は、三橋さんがつくられたコース図には商業ビルを色わけがしてあります。これが御苑通りを境目にしてはっきりと密度が違います。「土地価格に差はありそうですか?」という質問をしてみたのですが、「はっきりとはわからないけど、おそらくは違うだろう」という答えでした。
それ以上の結論があるかというと、実はないのですが、新宿駅から続く3丁目の雰囲気と御苑通りの向こう側のそれとは、単にゲイタウンであるというだけではない、「違い」を感じてしまいます。あたかも御苑通りの「向こう側」へと「性の街」を追いやったかのような気がしたのですが…

  • 関西の話

もうひとつ驚いたのは、男娼の組織化の時期の話でした。
三橋さんの言われるところによると、男娼の組織化は「明らかに関西の方が早い」ということです。組織化された場所は釜ヶ崎。当時は、美輪明宏さんもカルーセル麻紀さんも、釜ヶ崎の「元締め」のところにあいさつに行かなければ興業ができなかったとか。で、それを証拠づけるのが「記念撮影」とのことです。
たしかに記念撮影ができるということは、それだけのグループがあり、それが一定の秩序の元に動いていたということです。それは水平社運動にかかわる史料で記念撮影の写真がよく使われることにもあらわれます。
釜ヶ崎と言えば、その隣には飛田新地があり、反対側には西成〜浪速と続く部落があります。まさに、大阪における最大のアジールです。
ところで、三橋さんの「公式の人権」のとらえ方への批判点は、こうしたアジールへの評価のあり方にあらわれます。
具体的には、例えばリバティ大阪の展示では、釜ヶ崎は「労働者の街」としてはとらえられていますが、男娼の街としてはとらえられていない。あるいは「女性の人権」の中で飛田新地はあらわれてこない。これらの街は浪速のほんの目と鼻の先にあるにもかかわらずです。
こうした方針は、たとえば女性やセクシュアルマイノリティの展示内容が、80年あるいは90年以降のみであるところにもあらわれるとされます。まさに「公的に認められた*1運動史」としてしかとらえられていない。
そこに「性」を直視できない「人権」のありようがあるのかなとふと思いました。

*1:あるいはその直前からの