呑んだくれ達の交流会・その18

交流会の会場に着くと、ビールが出たとたんにあちこちで乾杯がはじまっています。なんでも黒潮町方式らしいです。そういえば同じようなことを神戸のGID研究会の時にやっていた人がいたなぁ…(笑)。
ちなみに今回わたしに声をかけて下さったのはM越という人なのですが、わたしの向かいに座っておられる方もM越さんで、その隣におられるのもM越さんです(笑)。最後のM越さん曰く
「話を聞くのは3回目です。ネタの途中に笑いそうになって、こらえるのが大変でした」
す、すみません。いつも同じネタで…(笑)。
そうこうするうちに座の方は大盛りあがりです。なんだかいろんな人とワイワイ語りあっていました。
で、2次会はわたしの部屋。いつものように「カフェいつき どなたでもどーぞ」と張り紙をしておいたら、いろんな方が遊びに来られました。わたしの話を聞くのが2回目という人もおられて、
「いつきさんが来た時に声をかけようと思ったけど、ネタバレを恐れているのがわかっているので、ちょっとあいさつするだけにしておきました」
とのこと。ご協力ありがとうございます。
呑むほどに酔うほどに、深い話になっていきます。左腕がない人がいたので
「どうされんたんですか?」
と聞くと、事故でなくしてしまったとのこと。で、どういう人か聞いたら、鬼守家のお母ちゃんでした。
「一昨年言った時はおられなかったので、わかりませんでした」
と言うと
「最近お店に出るようになったんよ。この腕で「ハイッ」って料理出してるよ」
とのこと。それぞれが自分の持つしんどさと向き合いながら、でもそれをさらけ出して生きておられるんだなぁと実感しました。
で、12時過ぎに解散。そのままベッドに倒れ込みました。

で、宿毛へ

今日は黒潮町が主催する「女性泊まりあい合宿」にお座敷がかかりました。高知から汽車に乗って宿毛へ向かいます。途中、横浜のムラが見えます。まだ2度ほどしか来たことがないにもかかわらず
「帰ってきたなぁ」
という気になります。こんな気持ちになれるムラで他に思いつくのは…。京町か…(笑)。
わたしのお座敷は「ネタ」が命です。なので、一番恐れるのは「ネタバレ」です。お座敷は午後から。でも、どうしても午前中の体験発表が聞きたかったので、ふだんとはまったく違う「寡黙ないつき」でごまかすことにします。
この合宿の「体験発表」はすごくおもしろいです。通常ならば部落の当事者の体験が語られるんでしょうが、ここでは結婚して部落に来た人がよく発表されるとか。たしかに、部落外の人が部落にはいることによって、さまざまな「気づき」や「変革」があるだろうし、そういう話を聞くことによって、「わたしはどう生きるか」ということを考える手がかりが出てくるように思います。
で、午後から話。
高知の人はとっても好きです。だって、みなさんよく笑って下さいますし(笑)。てことで、いっぱい笑ってもらって、いっぱい話をして、無事お座敷終了。
と、終了後、話をしに来られた方がおられます。
「わたし、ウーマンズダイアリーの初代編集長です」
でぇ〜!まさかこんなところでそんな人と出会うとは思いませんでした。とても高知にいるとは思えない、きわめて関西圏のセクシュアリティ関係の話で、しばし盛りあがりました。にしても、いやぁ、驚いた…。
さて、この後は待ちに待った「交流会」です(笑)。

死のロード・4日目・歴史を拓くよみがえりの家とか…

起床は6時。今日の午後のことを考えて、なんしかシャワーを浴びます。ロビーに降りるとT橋さん・M本さんはお待ちかね。3人で長浜へと向かいます。
去年長浜を案内してもらった時は、どちらかというと「教科書無償化の闘い」の足跡をたどる感じでしたが、今回は「歴史を拓くよみがえりの家」を見せていただくことにしました。
「よみがえりの家」は女性史研究者のもろさわようこさんが、長野の「はじめの家」、沖縄の「はじめの家うちなぁ」に続いて長浜につくられたものです。

「歴史を拓くはじめの家」は「愛に満ちて歴史を拓き、心華やぐ自立を生きる」をテーマに、「自然と出会い、歴史と出会い、自分自身と出会い、そして人びととの出会う場」としてもろさわようこがよびかけ、全国の人びとの自ずからなる拠金によって長野県に建設され、1982年8月1日「家開き」をしました。
無組織・無会費・無規則、かかわりたい人がそのかかわり方・参加のしかたを、自分で考え、自分の責任で物事を行い、営むことを原則として、歳月を重ねてきました。

と『あけもどろ』の扉にあります。
「よみがえりの家」の扉を開けます。正面には教科書無償化をエプロン姿で闘った田村智子さんの写真が、来る人を迎えてくれます。一歩中にはいると、ここがほんとうに人々に愛され、大切にされ、「場」として使われていることを実感します。
ここを訪れた人が記帳をするノートがあります。T橋さんに
「書いたら」
と言われ、名前を書きました。すると、その横にT橋さんが自分たちの名前を書かれ「仲間が一人増えました」と書かれます。「ええ?いいの?」と思うと同時に、なんか背筋が伸びる気がしました。

「よみがえりの家」を出て、近くのお墓へ。朝早くから地元のムラのおばさんたちがお墓の掃除をしておられます。そんな中のひとつに差別戒名が書かれた墓石がありました。生まれてはじめてみる「生の」差別戒名が刻まれた墓石です。そのお墓を、ムラのおばさんはていねいに掃除をしておられます。
差別戒名をつけられてもなお、その先祖のお墓を大切に扱われるおばさんの姿に、さまざまな思いが去来します。

呑んだくれ達の夜・その17

さて、移動開始です。
新幹線に乗ったはいいけど、京都には行かず、岡山で下車。海を渡ります。山を越えます。到着したのはなぜか高知(笑)。
高知駅に着くと、なぜか徳島のお友だち・T橋さんとM本さんがおられます。なんで高知なのに徳島の友だちなんだ?
とりあえずホテルに荷物をおいてひろめ市場へ向かいます。もちろん途中でヘパを買うのは忘れません(笑)。
ひろめ市場でおいしいたたきを食べていると、高知のK村さんとO崎さんが到着。徳島の濃いぃ人々と高知の濃いぃ人々のコラボが実現です。はじめのうちは、軽いジャブの応酬でしたが、そのうちストレートやアッパーやフックが飛び交うすごい飲み会になりました。なんだかんだで話をしていると、あっという間に11時。ひろめ市場閉店の時間です。と、電気が消えはじめました。そうか、放送が入ったら、その後いきなり電気を消すんだ(笑)。
ここで高知の方々とはお別れ。T橋さん・M本さんと3人でフラフラとホテルに向かい、フラフラと部屋に入り、フラフラともう一杯飲んだあたりでダウンです。あしたは大丈夫かなぁ。

死のロード(3日目)・闘いすんで…

全外教の大会も2日目。
分科会が始まる前、子どもたちが交流会でつくった班ごとの寄せ書きを壁に貼ります。参加者は寄せ書きを真剣な面持ちで読んでいます。中には写真をとっている人もいます。
寄せ書きの中には、子どもたちの生の声があり、2日間の成長の跡があります。その成長の場に自分も居あわせたことに、ちょっと誇らしい気がします。
さぁ、今日で今年の大会も終了だ。来年は三重。来年への準備がそのうちはじまるけど、それまでちょっとひと休み…。

「ためにする」でいいんじゃないの?

なぜ自分は交流会にかかわるんだろう?なぜ自分はこどもたちにかかわるんだろう?
もちろん答えは「おもろいから」です。
でも、そのスタートは「〜のためにする」です。
昨日のルーツ別討論で、それぞれの討論班の報告をしている時に、いじめにあっている子どもの話が出てきました。子どもたちは
「とめない先生が悪い」
みたいな話に流れていきます。まぁそれはそうなんですが、そんな話をいくら繰り返しても明るい明日(笑)はこないので、
「先生の悪口言ってもしゃーないし、自分がその子のために何ができるか考えへんか?」
とアドバイスをしてみました。
それに対して、ある教員が
「「誰かためにする」んじゃない。自分は外国人の子どもとかかわることで、自分自身が豊かになっている気がする」
という話をしました。
いや、それはそうなんですが…。
はたしてはじめから「自分が豊かになることをめざして」って、できるのかなぁと思います。というか、はじめからそういうのをめざしたり、あるいはそういう発言が出てくるとしたら、それは「ウソ」が混じっているような気がしてならないんです。
正直、交流会なんてやらなかったら楽です。夜更かしもしないし、飲み過ぎにもならないし(笑)(→違)。
じゃぁなぜやるのかというと、ひとつは、やめてしまうことは、いままでかかわった子どもたちへの裏切り行為になると思うからです。そしてもうひとつは、未だ出会っていない子どもたちと出会うためです。
なんのために?それは、子どもたちのためです。
でも、子どもたちのためにやっていると、いつのまにか、わたしが子どもたちと出会わされていることに気づきます。その時、実は誰よりも自分が豊かになっていることに気づきます。
たぶん、「自分のために」って、そういう「結果として」のことなんじゃないかなぁと思います。
まぁ結果は一緒なんですけどね…。

呑んだくれ達の夜・その16

でも、夜はこれからだったりします。
夜は大人達の交流会です。このころにはダメダメだった体もある程度復活します。これがよくない。ビールがおいしいことを確認して、飲み会開始です。また出てくる料理がおいしい!
考えてみると、昨日からろくなものを食べていません。

  • 19日朝→食べるのを忘れていた
  • 19日昼→バスの車内でコンビニのカツ卵丼
  • 19日夜→交流会会場(少年自然の家)の夕食・冷凍ハンバーグ
  • 20日朝→ 〃 ・冷凍オムレツ
  • 20日昼→ 〃 ・冷凍コロッケ

広島のオモニ達の手づくりの料理を食べて、ようやく人間の食べ物にありついた気がしました。

全外教大会開始!

生徒達の交流会の終わりは、自動的に全国在日外国人教育研究集会のはじまりへと結びつきます。
今日は全体会。その最初は交流会の報告です。30分に渡って子どもたちが話しあった内容を報告します。その内容は、毎年、全体会に参加する教員・保護者達を圧倒します。わたしも報告を聞きながら、2日間の内容を思い出します。「ダメダメ」だった班も、自分たちの討論内容を、無事発表できました。ちょっと涙が出そうになります。
でも、実はダメダメなのはわたしです。
報告の後、子どもたちは解散して、それぞれの場所へともどっていきます。それを見送ったところでパワーが尽きました。

死のロード(2日目)・出会いは可能性へと続く

強烈な寝不足と二日酔い(笑)で交流会2日目がはじまりました。このダメージは、これからの日程を考えるとかなり残りそうです(;_;)
今日は午前に2時間の班別討論の時間があります。昨日の生徒実行委員会のミーティングで、班別討論の状態を聞いていたのですが、
「ぜんぜんダメ」
という班がひとつありました。どうやら話が出ないみたいです。
話が出ない時、その理由はおそらく3つぐらい考えられるんじゃないかと思います。

  1. ほんとうに話がない。
  2. 話はあるんだけど、それを「話」として認識できていない。
  3. 「話」として認識できているけど、それを表現できない。

交流会に来る生徒達は、基本的には2または3です。こうなると、子どもたちの生活実態を知っている引率にしか「掘り起こし」はできません。基本的には班討論の運営は生徒達に委ねていますが、どうしようもない時は当然介入をしていくわけです。「ぜんぜんダメ」と言っていた班のメンバーに、昨日の夜から今朝にかけて、引率教員達がそうとうアプローチをしています。
班別討論が終わった後、リーダーの生徒に
「どうやった?」
と聞くと、昨日の夜の落ち込んだ顔とはうってかわった顔で
「話ができた」
と返事をしてくれました。
どうやら「泣き」が入るほどの話し込みができたようです。
「自分の社会的立場」を認識しないと話ができない。でも、それを認識し、話ができるようになった時、互いの話を出会わせることができるようになります。その出会いは、さらに自分の社会的立場を深く認識することにつながります。そしてその認識の深化は、時として、自分の社会的立場の変革へとつながっていきます。この出会いこそが、交流会の持つ力なんだと思います。
さぁ、今年の交流会も、いよいよ大詰めだ。

疑問の提出だけね

「難しい内容」は、次の話。

なぜ、女性はさまざまな違いを軽々と飛び越えて「おんな」というだけでつながれるのか?

その現実を目の当たりにした時、「わたしは永遠に一人だなぁ」という気がするのです。
そうそう、こんなのもあったなぁ。

たとえ100人がOKと言っても、101人目がNGという可能性を考えて生きる。

これが、わたしにとって安全側に振るということなんですよね。