ふと思いだした

昨日の日記に「若者の残酷さ」みたいなことを書いていて、ふと思い出しました。

子供達を責めないで
私は子どもが嫌いです
子どもは幼稚で礼儀知らずで気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり 心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと はっきり□に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって絶壁です

努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種 いつも一家の問題児
そんなお荷物みたいな そんな宅急便みたいな そんな子ども達が嫌いだ

私は思うのです この世の中から子どもがひとりもいなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子どもに生まれないでよかったと胸をなで下ろしています

私は子どもが嫌いだ ウン!
子どもが世の中のために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ 子どもは常に私達おとなの足を引っぱるだけです
身勝手で 足が臭い
ハンバーグ エビフライ カニしゅまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス スパゲティナポリタン
好きなものしか食べたがらない 嫌いな物にはフタをする
泣けばすむと思っている所がズルイ 何でも食う子どもも嫌いだ

スクスクと背ばかり高くなり  定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が速く いつも強いものにつく
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 何が星目がちな つぶらな瞳だ

そんな子どものために 私達おとなは 何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで ひとりでもお礼を言う子どもがいますか
これだけ子どもがいながらひとりとして 感謝する子どもなんていないでしょう
だったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう ネ 私達おとなだけで 刹那的に生きましょう ネ

子どもはきらいだ 子どもは大嫌いだ 離せ 俺は大人だぞ
誰が何といおうと私は子どもが嫌いだ 私は本当に子どもが嫌いだ〜

名作や…。

主役は誰?

下の子どものバレエの発表会とやらで、某教育研究団体の会議を午後ブッチして滋賀県へ行ってきました。
演目は「コッペリア」です。
まぁ物語の詳細はwikiに譲るとして…。

なんか、見ていて切なくなりましたね。
「若者」とりわけ「少女」の残酷さをひしひしと感じました。わたしはどうしてもコッペリウスを中心に見てしまったのですがねぇ…。

「場所」はどこにある?

http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20090911-OYT1T00603.htm

女子800優勝の南ア選手は両性具有…豪紙

シドニー=岡崎哲】8月にベルリンで行われた陸上の世界選手権女子800メートルで優勝した南アフリカキャスター・セメンヤ選手(18)について国際陸連が性別を調査している問題で、オーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルド(電子版)は11日、セメンヤ選手が医学検査の結果、男女両方の生殖器を持つ両性具有だと判明したと伝えた。

同紙によると、血液や染色体、婦人科の検査を行った結果判明したもので、セメンヤ選手には卵巣がなく、男性ホルモンのテストステロンを大量分泌する精巣が体内にあることが分かったという。セメンヤ選手は出生証明書では女性ながら、幼少時から男性的な身体能力があると指摘されてきた。

国際陸連は医学検査結果をもとに対応を検討するが、同紙は、セメンヤ選手の金メダルは剥奪(はくだつ)せず、2位だったケニアのジェネス・ジェプコスゲイ選手にも金メダルを与える可能性を指摘している。
(2009年9月11日13時39分 読売新聞)

疑問が一つ。「男女両方の生殖器を持つ両性具有」ですか。ほんまに?
というのはおいといて…。
う〜ん。2位の選手にも金メダルを与える可能性?じゃぁ、セメンヤ選手の金メダルの意味はいったいなに?

http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/athletics/2640101/4565236

過去に事例のある両性具有の4選手に対しては「キャリアを終えるよう要請した」と発表している。

スポーツ、あるいはもっと言うならば「競技スポーツ」っていったいなんなんだろうと思います。スポーツにおいて大切なことは、もっと他にあるんじゃないかなぁ…。

あれから8年か

あの日、ニュースを驚きとともに見ました。あの映像とともに、その瞬間「キター」と思ったことは忘れられないし、忘れてはならないと思います。そして、あの時を境に「世界」は確かに変容しました。

君たちが自分のまわりの細かなことのみに気をとられている間にも、君たちはまるでベルトコンベアーに乗せられたかのように、流され続けている。
将来、「こんなはずじゃなかった」と思わないために、自分のまわりだけじゃなく、世界を見つづけることが必要なんだ。

これが今日の授業の最初の言葉でした。
たとえ数が少なくても、それでも聞いてくれる子に伝えよう。くじけそうになるけど、あきらめないと、あの日に決めたんですよ。

どーでもいいことで秋を実感する

季節はほんの少しずつ少しずつ、秋へと移行していることがわかります。
通勤の時の服装が、薄手のパーカー→ジージャンというのは、まぁ当たり前です。それよりも実感するのは、パチンくん。
イスに座って仕事をして、立ちあがって金属をさわると、いちいち「パチン!」「痛!」となります。きわめてうっとうしいです。
引き戸を開けようと思うと「パチン」。弁当箱を洗おうと思うと「パチン」。机の角にある金属に触れたら「パチン」。
てことで、対策として、金属にさわる前にカギで放電することにしました。
いやぁ、見事に火花が飛んでいます。もう、カギが手放せません。

季節は秋へと移っていますねぇ。

で、呑み

知りあいの小学校教員の方が聞きに来て下さっていたので、駅前で軽く呑み。うちおひとり曰く
「わたし、今日で話し聞くの3回目です」
は?思わず
「そないに何回も聞かんでも…」
するともう一人の方が
「何回も聞きたいなぁと思うのは、W田さんといつきさんのふたりやねん」
とのこと。なんでも「安心する」らしいです。
つまり、定番のネタが続いて、
「そろそろ来るぞ。来るぞ。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」
という安心感があるらしい。
そうやったんや…。
てか、やっぱりレベルが高いです。もっと修行に励まねば…。

もうひとり、地元で太鼓をやっておられる大御所も来られて*1、音楽談義もはじまるへんちくりんな楽しい呑み会でした。

*1:チェーン店に入ったんですが、お客さんから店員さんから、店中知りあいだらけ

上方漫才発祥の地にて

今日は夜に大阪府東部にあるムラでお座敷です。
集まってこられた方は全部で25人ぐらい。まぁそれはいいのですが…。
このムラを校区に持つ小学校に勤務していた友だちと
「お座敷の後呑みに行かへん?」
みたいなメールをしていたら

ちなみにこのムラは芸能のムラで、しゃべくり漫才の前身である上方漫才の発祥の地です。小学校のクラスのお楽しみ会では必ず漫才をするグループがあるほど笑いのレベルは高いですよ。今日は修行のつもりで。

という、身の引き締まる返事が返ってきました。
で、反応はというと…。
まだまだ修行が足りませんでしたm(_ _)m
それでも時折大笑いをして下さる方がおられたのは、きっと「やさしさ」なんやろなぁ^^;;

通勤風景

今日は夜に用事があるので電車で通勤です。
うちの職場は、もよりの電車の駅から約1km。神社の参道を登っていきます。
で、歩いている風景を見ていると、なんとも変。8時頃にその道を登っていくのは、まぁ95%が生徒か教職員です。ところが、ほとんど会話がない。特に先頭付近の教職員の会話がありません。みなさん、黙々と登って行かれます。別に仲が悪いわけじゃないんですがね(笑)。
で、途中追いついた人に聞いてみました。すると
「みんな自分のペースがあるのでバラバラになるんですよ」
とのことでした。
なるほど、そう言えば後ろの方のダラダラな連中は、たしかにペチャクチャしゃべりながら歩いてるな。そういうことか…。

イモの蔓の皮をむきながら

今日は予想外に早く家に帰れました。
「さて、なにをするか…」
「そうだ!このあいだ買ってきたイモの蔓の皮をむこう!」
台所でひとりイモの蔓の皮をむいていると、いろんなことを思い出します。

パートナーと二人の生活をはじめた前の家のこと。
ムラ中のあの家に住んでいたからこそ、カスもスジもイモの蔓も味を覚えることができたんだよなぁ…。なんだかんだ言って、やっぱりあの家がスタートだったんだよなぁ。

いつぞや野菜の直売所でイモの蔓を見つけた時のこと。
「あ、イモの蔓!」
「へー、イモの蔓の味知ってんの?」
「大好きです」
「お姉ちゃん、若いのにすごいなぁ」
といっぱいネタをもらったんだよなぁ…。

いろんなことを考えることもできます。
そろそろ「月に一回のもの(笑)」が来るので、ネタを考えなくちゃ。文化祭にしようか、夏休みのことにしようか、それとも…。

やがて他の用事を終えたパートナーが皮むきに参戦。
い「えらい早いなぁ」
パ「皮をむかずに食べる人もいるから、これくらいでちょうどええねん」
あっという間に終了。

でも、それはそれで、静かで充実したひとときでした。

興味深いやりとり

最近、ポツリポツリとやってくる/送り出すやりとりをこの人とやっています。
発端は、突然来たメール(笑)。

「反貧困」と野宿問題との間には、「男と女と間」にある「深くて暗い川 誰も渡れぬ川」があるんですね。
その川は、野宿者が「残飯に手をつっこむときの人間としての尊厳」を渡るときの川なのかと思います。

なるほどなぁ。
でも、その「川」っていったいなんなんだろう。
いや、もう少し言うならば、「残飯に手をつっこむときの人間としての尊厳を渡る川」っていったいなんなんだろう。
「川」の前ではものすごい躊躇があるんだろうな。でも、もしかしたら渡ってしまうと「あっけない」ものかもしれない*1。そもそも「人間としての尊厳」っていったいなんなんだろう。そして、その躊躇をつくるものって、いったいなんなんだろう。
いろんなことを考えさせられながら、わたしもポツリポツリと返します。
さて、これからどう展開するんだろう。

*1:ふと『失踪日記』を思い出したりして…