ムラ巡りが一通り終わってから、再びK中学校へ。
「話がしたい人がいたらおいで」
と言ってあったので、まぁ質問受付です。最終的にはほとんど質問は出てこなかったのですが、10人ぐらいの子どもたちが、ずっとわたしのそばにいて友だちとダベっていたのが、なんとも印象的でした。たぶん話があったけど、シャイな子どもたちらしいので、話ができなかったんだろうなぁ。
夕方から、近くで総括交流会。おいしいお酒とおいしい料理で満足満足。
それでも今日は早く帰れそうです(笑)。
にしても、なんでI岡さんはお酒呑まないのにおいしいお店をいっぱい知っているんだろう…。
投稿者: ituki
ムラ巡り
K中学で対応されていた方は仕事があるので、ここからはI岡さんにお世話になります。
まずは「宇奈月」というラーメン屋さんで軽く腹ごしらえ。その後、定番のムラ巡りです。
滋賀県の村の中にも、どうやら「街道筋系」と「荘園系」があるらしいです。「街道筋系」は、どちらかというと後発のムラで、やっぱり「荘園系」が老舗みたいです。
まずは、そんな「荘園系」のうちのひとつのムラに案内してもらいました。最初に見せてもらったのが川の堤防。一般地区には石垣があり、ムラの側にはありません。高さもぜんぜん違います。なんでも伊勢湾台風の時に、ムラの側は水に浸かりそうで避難しなくちゃならなかったとか。一方一般地区の方は誰も避難しなかったとか。で、ムラの人たちが避難した公民館は畳が全部あげてあって、土間で寝なくちゃならなかったとか。そんな話を聞きながら小さなムラを案内してもらいました。
続いていったのも「荘園系」のムラです。まずはムラ墓から。なんでもやっぱり伊勢湾台風の時にお墓が流されて、ようやく集めることができた遺体を埋葬した「新墓」です。となりには一般地区のお墓があって、場所が違う。そんな墓石の中に、「◯◯改△△」というものがありました。水平社ができる前から「改姓運動」をしていたひとつの証左とか。
で、つれていってもらったムラ。もともとあったところは、今は銀杏の大木が一本あるだけの河原になっています。ふたつの川の合流するところにあるその河原。よくよく見てみると、先ほどのムラと同様、堤防の高さが明らかに違います。目を閉じるとその河川敷に所狭しと並ぶムラの営みがなんとなく見えてきます。ここも洪水の危険性からやがて移転をしたということです。
最後につれていってもらったのは、「街道筋系」のムラ。ここはムラ全体で「地区指定」を返上したとのことです。そこから移転した人々が近くに新たにムラを形成しておられて、こちらの方は改善事業が行き届いています。どちらがいいのか、なんか複雑な思いでふたつのムラを車の中から見せてもらいました。
K中学校へ
府大のあとの定番コース
で、車いすを押しながら芦原橋勤務の友だちに連絡。新今宮駅で待ちあわせです。向かうはジャンジャン横町。友だちとふたりでホルモンをつつきながらたわいもない話でギャーギャー盛りあがります。これやなぁ。
やがてもう一人の友だちも合流。もっともこちらはお腹いっぱいなので、河岸を変えて天王寺に行くことにしました。
3人でギャーギャーやってると、突然隣のお客さんから
「あの、いつきさん?」
と声をかけられました。
「へ?」
「実はT県で…」
「あぁ、あのときの」
メチャ奇遇です。というか、天王寺の飲み屋で会うか?
ここから気がついたらふたテーブル入り乱れての大宴会になってしまいました。いや、すみませんすみません。
結局家に帰ったのは午前様…。
思わぬ出会い
とりあえず1時間ほど研究室でダラダラして、外に出ると、車いすの人がたたずんでおられます。ふと
「お手伝いしましょうか」
と声をかけると、
「あ、お願いします」
と言われてしまいました(笑)。実はちょっと先を急ぐんだけどとは思ったのですが、まぁこれもなにかの「縁」ということで、車いすを押しながら最寄りの駅へ。
いやぁ、車いすって、たいへんだ!まずは一般道。一般道って、水はけのために「かまぼこ型」になっています。すると道路の左端を車いすを押していると、左へ左へととられていきます。おかげで左腕にえらい力が必要です。
「まぁ誰もいなかったら自分で行くんですけど、けっこうしんどいんですよね」
とは車いすユーザーの方の弁。なるほどなぁ。
しかも、なかもづ駅に着いたところで、一番近い出入り口は使えません。なので、いったん南海のホームまで行って線路を越して、その向こうにあるエレベーターを使わないと降りられません。メチャ遠回りです。さらに、エレベーターを降りると改札までは緩やかだけど長いスロープ。車いすユーザーの感覚になると、「これはたいへんだ」と、思わず考えてしまいます。
でも、これって経験しないとわからないですね。今まで何回もここに来たんですが、今日はじめてわかりました。うん、いい勉強だ。またネタをひとつゲットです。
大学生やなぁ…
パートナーに握っておいてもらったおにぎりを受けとって、電車に飛び乗ります。で、向かったのは大阪府立大学。今日は、毎年恒例の社会福祉関係のお座敷です。
今年はどんな感じなのかなぁと思ったのですが、やっぱりいい感じでみなさん聞いて下さいます。中には本当に食い入るような目つきで一生懸命聞いて下さる方もおられます。もう、なんか、恐縮です。惜しむらくは「笑い声」が小さい。いや、確実に笑ってもらっているのですが、どうもとまどいがあるみたいです。でも反応がいい感じだったので、枝葉が多すぎて、最後まで行くのがえらいこってした。
途中、「わけわからん」という顔をしている人がいたので、どういう人か聞いてみたら、中国からの留学生だったとか。あかん。コテコテの関西弁で偉い早口だから、わかるわけがないです。ふぅ…。まだまだ修行が足りません。
終わってから、しばし研究室で「変態であるかどうか」についてのよもやま話。「ノイズであり続ける」ということの大切さと、そのことのしんどさみたいなことについて話が出てきました。ん〜。たしかにノイズであり続けることはしんどくないと言えばそうなんですが、「キメ」てしまえば、それはそれなりな気がする。っていう感覚なのが変態なのかなぁ。
その後、講座担当者同士の会議がはじまります。にしても、来週の講座の内容を今話さなくちゃならないという、えげつない状況なんやなぁということを実感しますねぇ。
せわしない
昨日の夜は早く寝たけど、やっぱりしんどいものはしんどいです。でも、上の子どもの弁当をつくらなくちゃなりません。なんとか起き出して、弁当づくり。その後出勤。今日から試験なので、監督2発。終わったら速攻帰ります。
総括は続く
京都に着いたのは6時。まだ夕方です。
「もうちょっと呑もうか」
「呑もう」
と阿◯Zさんと相談。そこから居酒屋に行って、しばし話。にしてもなんの話だったか忘れちゃった。思い出したらまた書こう。
大会総括はバス車内で
分科会の本当の最後を急いで抜け出して*1、駅までI藤さんに送ってもらいました。
で、バスに乗ろうとしたら、滋賀のY本さんがおられます。同じバスですかorz。やがてA久◯さん登場。ビール・赤ワインを買い込んで、I藤さん・N尾さんからおみやげのもらったチューハイ*2を持って、バス車内へ。わたしたちの総括討論の時間です(笑)。
互いに対会の感想を話しながら、既存の運動をどう乗りこえていくのか、どうずらしていくのかあたりについて、真剣に話しあいました。話しあうに従って、呑むスピードが上がり、声も大きくなります。きっと目立っていたやろうなぁ。
いよいよバスが京都に着く直前、運転手さんからアナウンス。
バス車内にゴミを残さないで下さい。特に、アルコールの瓶・缶を残されますと、わたしたち運転手が飲酒をしていたのと誤解され、大変迷惑します。必ずお持ち帰りください。
運転手さん、かなり怒ってるなぁ。みんなで「こんなん言われたの、はじめてやなぁ」と言いながら、大いに反省。でも、次に同じメンバーだったら、きっと同じことをやるけどね(笑)。
ゴミをきちんと片づけて、運転手さんに「ありがとうございました」とあいさつしたけど、あいさつを返してもらえませんでしたorz
昼間の本番(全同教大会・2日目)
昨日の夜
「明日は起床7時ね」
と言われていたのですが、やっぱり無理でした。
「えらいこっちゃ!8時や!」
というI藤さんの声で目が覚めました。なんしか8時半に出れば間にあうとか。あわてて朝ご飯を食べて朝の支度です。さすがにみなさん大人です。メイクは早い!こんな時、中高校生だったらメイクを優先して遅刻をするんだろうな(笑)。
さて、今日の午前の一本目は、おそらくは全同教大会史上はじめて、レポート名に「トランスジェンダー」という言葉がつかわれた、大阪のレポートです。登場人物は、「トランスジェンダー生徒交流会」の第1期生です。
会場に到着すると、なんかもう、あちこちに見知った顔*1がいます。気がつくと、奈良の在日のお友だちも来ています。人数も昨日とは桁違い。もしかしたら、今回の大会レポートの中でも、最も注目されているレポートのうちのひとつ?
とりあえずレポーターと、本人にあいさつをして、K口くんと隣同士で座ります(笑)。
いよいよ発表開始です。レポーターのK村さんは、どうもかなり警戒をしながら話をされているみたいです。まぁ最大の懸念は「それって人権問題なの?」という、ごく初歩的なところで終始して、本当に大切なところまで論議が深まらないことですから。でも、Kさん、だんだん熱く語り出されます。いいなぁ…。この熱さがあるから、ここまで来られたんだよなぁ…。
続いて、当事者のAくん登場。ひとこと
「Aです」
と自己紹介。みんな爆笑です。いや、全同教大会では「本人を特定されない=プライバシーの尊重」ということで、イニシャルを使ってレポートをします。これ、おかしいと思うんですが…。例えば、本名を名のったレポートなんかでもイニシャルを使うんです。わたしにはさっぱりわからない。ちなみにわたしはレポート中では「Bさん」でした(笑)。
レポートへの質問も、Aくんへの質問も、おおむね「より深く理解したい」という思いが伝わってくるものでした。まぁその思いが強いあまり「ん?」と思ってしまうものもありましたが、まぁわたしら慣れてますからねぇ…。
とにかく、ものすごい量の質問が寄せられ、「討論」の時間はなしでした。てことは、わたしの出番はなしか(笑)。と思ったのですが、やっぱりAくんの「応答」の中で気になったことがあったのでそこを追及。
「イヤだったことは何?」
という質問に対して
「まわりから「レズ」とか言われたこと。でも、クラブの友だちなんかが味方をしてくれた」
という答えをしていたんです。これだけだったら「自分はレズではない、ちゃんとした異性愛者だ」ととらえられかねません。なので
「Bです(笑)」
という自己紹介だけしておいて
「なぜレズといわれたことがイヤだったのか?」
という質問を出してみました*2。すると、次のような答えが返ってきました。
「レズと言われることは、自分が「女性」として認識されていること。これがひとつ。もうひとつは、レズビアンの人の存在を知っているから、人を貶める時にそういう言葉を使うことに対してイヤだと思った」。
いい答えやなぁと思いました。
こんな感じでレポートの時間終了。参加者がドドドッと帰っていったのが印象的でした。
この後のレポート、実は集中力が切れてしまい、あまり頭に残っていません^^;;。
午後からは一本レポートがあって総括討論。
総括討論の前に司会者の方が来られて
「あの、どのタイミングで発言をされますか?」
とわざわざ聞いてくださいました。って、平場の人間になぜ聞きに来られるかなぁ。もう、恐縮しまくりです。でも、せっかくなので
「出会い、つながりと言うことを軸にして、最初に発言します」
と言ってしまいました。おそれを知らないわたし(笑)。
で、いきなり発言。
K村さんのレポートを聞きながら、涙があふれそうになりました。ようやくここまできたんだなぁと思いました。
1998年に某組合の全国教研*3でゲイの同僚との出会いについてレポートしたけど、参加者から「そんな欧米の問題なんか関係ない。日本には部落問題がある」と言われました。2002年には宮崎県同教から呼ばれて話をする機会をもらいました。県同教が県教委に後援要請をしたら「時期尚早」と言われました。あれから10年たって、この全同教の場でこういうレポートが出たこと。感無量です。
てな話からはじまって、
わたしのブログに「92年度卒業生」という名前でコメントを書いてくれた生徒がいます。こんなことを書いてくれました。
「先生は部落の子や在日の子ばかりかわいがっていた。部落や在日のことは違う悩みだけど、わたしにも悩みがあった。でも、先生は気にかけてくれなかった。わたしは嫌われていると思っていた」
本当に少数の人のことは、なかなかわからない。わからないからとりあげない。とりあげないから、少数のものはますます少数になる。でも、本当に出会いを求めているのは、最も少数の人間なんです。
てな話へつないで、トランスジェンダー生徒交流会の宣伝をしまくっておきました(笑)。
貴重な時間をいただけて、ほんとうにありがとうございました。>司会者の方*4。
その後も討論は続いています。さぁ、出発の時間まで後わずかです。まだ続いているけど帰ろうかなと思ったんですけど、やっぱりどうしても発言をしなくちゃならない気がしていました。
Aさんへの質疑応答で、「イヤだったことは何?」と聞いた人がその前置きで「いやなことを言われても笑って流すしかない状況だろうけど」と言われたことに違和感*5をもった人が、その思いをぶつけておられたことへのフォローです。
Aくんのところに行って
「笑うしかなかったよな」
と聞くと
「うん、笑うしかなかった」
という答えが返ってきました。年齢は30ぐらい違うのに、同じ思いをしていたんですよね。だからこそ、その事実をふまえてフォローをしなくちゃならないと思いました。で、またしても総括討論を締め切る間際に
何度もすみません。
先ほど「笑うしかなかった」という発言へのコメントがたくさん寄せられていますが、ほんとうにわたしたちは、笑ってやり過ごす以外の方法を持たなかったんです。そうだよね?>Aくん。
でも、今日のみなさんの発言は、「それではダメだよ。我慢しなくていいんだよ」という暖かいエールだったんだと思います。その暖かい気持ちを持って帰ろうな>Aくん
てな感じで発言。
我ながらなんとも玉虫色の発言でごまかしているよなぁとあきれましたよ…。でもまぁええか。