終日呑み(笑)

今日は午後から呑みです。
メンバーは、一緒にトランスジェンダー生徒交流会をやっているC原さんとか、「格差を越える学校」でがんばっている人とか、某呑み友達(笑)とか。で、会場はもちろん「おたふく」です。
まずは1時に一発目の合流。さっそくビールで乾杯。お好みをつつきながら話をしていると、H下さん登場。いきなりシャプラニールの話なんかが飛びかいはじめます。なかなか勉強になります。
と、そこへA久◯さん登場。かな〜り久しぶりです。
阿◯ZさんはH下さんとはかなり古いお友だちらしく、なんか盛りあがっています。わたしはわたしでC原さんとうだうだ話。
気がつくと、いつのまにかお店ではカラオケがはじまっています。そんな時間?と外を見ると、暗い…。いったい何時間呑んでいたんだろう…。思わず
「あした1時間目に授業がある人、手あげて」
というと、夜間定時制勤務のC原さん以外は
「は〜い」
と元気よく手をあげてました。大丈夫かいな…。

と、えらい見えにくい。コンタクトを落としたみたいです。
「あった!」
という声もむなしく、割れていました。
なんだかんだで、店を出たのは8時頃(推定)。
そこから出町までフラフラと◯K澤さんと歩いて、ラーメン屋さんへ。かなり濃いぃスープですが、酔った身体においしいです。
もちろんラーメンのおともには餃子とビール(笑)。2本頼んだけど、さすがにもう入らない。ちょびっと残してしまったのが悔やまれます。
ここでA久◯さんとお別れ。なんか家まで歩いて帰るとか言っていたけど大丈夫かなぁ。

てか、自分のこと心配しろよ…。

ホームパーティー?

今日は昼からひたすら食事つくり。
メニューは「ぜんまいの炒め煮」「切り干し大根の酢の物」「切り干し大根の炊いたん」「こんにゃくの炒め煮」「なすびの炒め煮」「冷製パスタしば漬け風味」「小松菜の炊いたん」あたりかな。2時間ほどウワーッとやったらできました。でも疲れましたよ。
で、実家に行って炭をいこして「地鶏焼きふう焼き鳥」もつくってと。
それにしても、子どもたち(小1〜高3)の売れ行きが一番よかったのが「切り干しの酢の物」と「パスタ」だったというのが、ちょっと不思議です。

フラットなのか?

考えてみると、最近1年生の生徒が脇腹をつついて遊ぶんですわ。今日なんか、背筋を上から下までさわって遊びますねん。
掃除監督で廊下に座り込んでいたら、生徒がスリッパを飛ばしてきました。危うくあたりそうになったので「これはあかんで!」と言ったのですが、それはミスだったみたい。生徒もあわてて「ごめん」と言ってくれたから、まぁそれはそれでいいんだけど、まぁこれも遊びの一環みたいです。
よく考えたら、みんなよぅわたしで遊んでますな。まぁそういう距離感なんだろうけど。いいのか悪いのか*1

*1:とか書きながら「いいんだよ」と思っていたりしますがね

こだわりを受けとめるということ

今日〜明日、徳島からお友だちが来られています。てことで、もちろん今晩は「呑み」です。しかも、Pクシルさんというスペシャルゲストもおられます。
で、楽しく呑んではいたのですが…。
途中で、ある人が
帰化をした方が権利の獲得は楽なんじゃないのか?」
ということを、強く主張をしはじめました。
もちろんそれはそうなんですが、そうしない「こだわり」が、その道を選択しない在日の側にあるということが、どうしても理解できないようなんですね。
そうそう、わたしは「オールロマンス事件とオールロマンス行政闘争」あたりの話をしたのですが、これまたうまくかみあわない。「なぜ解放同盟は訂正をしないんですか?」って、そりゃぁ^^;;。
大切なのは、そういうこだわりが自分の思いもよらないところにあり、そのことを学ぶことなんだと思うのですが、そうはならないみたいです。ふぅ…。
あ、「10年後・100年後、こんな世界になってほしいというの、ありますか?」という質問もありました。これもなんか…。
わたしは「求め続けること・変化し続けること」の中に人権というものを見ていて、「これこれこういう世界が到来すればOK」とは思っていないんですよね。そういうのがわかってもらえなかったなぁ。

2次会〜3次会をお友だちのW田さんと過ごして、しばし昔話なんかをしながらクールダウンです。
にしても、けっこうスリリングな夜でしたね。

マイナスのスパイラル

もう担任をしなくなって何年だろう。
かつて担任をしていた頃は、人権学習*1なんて、言いたいことがあふれていて、ひたすらアジテーションをしていた気がします。
そこから人権学習を「つくる側」になって、あまりの温度差に愕然としたんですね。まぁ「暑すぎる*2」側も悪いんだけど(笑)。
はじめのうちは「なんでやらへんねん」と思っていたんだけど、だんだんめんどくさくなってくるんですね。そのうち、「何を話すればいいかわからない」とか言われはじめて、そこで思いついたのが「穴埋めプリント」だったんですね。
「自分だったらこう語るだろう」というのをプリントにして、ところどころに穴をあけておけばすぐに完成します。で、自分の意図と大きくはずれることもない。やる側にしても、一緒に読みあわせをすればOK。まぁ安全です。
でも、こうなるとますます「熱」が奪われていく。すると、聞く側の生徒はおもしろくない。おもしろくないと、教員はますます語るのがしんどくなる。となると、ますます「安全側(楽な側)」へと行く。
こんなスパイラルがあったんじゃないかと、ふと思ったのです。
でも、このスパイラルから脱出するためには、自分自身が「熱」をとりもどさないと、なかなかむずかしいんです。

で、今年、外的な要因から、どうしても真剣に考え直さなくちゃならなくなって、そこからだんだんと自分自身の考えを組みかえていこうという気になってきているんです。
「あきらめる」のはやめよう、と。マイナスのスパイラルは「あきらめ」からはじまるんですね。じゃなくて、きちんと向きあおう。そこから出てくる「熱」は、きっと子どもたちに伝わるはずなんですよね。

*1:当時は同和学習

*2:熱いを通り越すと暑くなる

やっぱり避けて通れない

2学期の人権学習の中で、ある学年は部落問題を扱います。
まぁビデオを見せて、生徒に考えさせたり教員から話をしてもらったりという感じで2時間を過ごすのですが…。
実は、わたしの職場の同和部は、「部落史の見直し」でけっこうその筋(笑)では知られていたりするわけです。もちろん、わたしがやったわけじゃなくて、うちのボスがやったわけなんですけどね。
でも、子どもたちに専門外*1のものが話をできるかというと、けっこうしんどいわけで。なので、5年ほど前までは1年かけて部落史の学習をしていましたが、ここ数年は避けて通っていたんですね。
でも、今年、いろいろいろいろ考えて、やっぱり避けて通れないなぁと。で、どこからアプローチするかと考えて、やっぱり教科書の記述かなぁと。
てことで、家に帰って下の子ども(6年生)の社会科の教科書を貸してもらって読んでみました。

検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や漁村、山村で農業や漁業、林業などに専念するようになりました。こうして、このころ、武士が支配する社会のしくみが整えられていったのです。
注)百姓 もともとは、一般の人々という意味でした。武士が登場すると、しだいに農業や漁業などを営み、年貢などを納める人々を指すようになりました。そして秀吉の時代に、農民や漁民など、村に住む人々の身分を指す言葉になりました。

人々の暮らしと身分
江戸時代の社会は、支配者である武士をはじめ、百姓や町人など、さまざまな身分の人々によって構成されていました。
武士や町人は、豊臣秀吉の時代から、政治や経済の中心である城下町に集められました。江戸をはじめ、全国につくられた城下町では大名やその家来たちが住む武家地、寺や神社の地域、町人地など、身分ごとに住む場所が決められました。町人地では、町人たちが町という小さな社会にまとまり、商業や手工業、流通、文化など、さまざまな仕事を営みました。都市には、城下町のほか、門前町や港町、宿場町、鉱山町などがありました。
いっぽう、人口の80%以上は、百姓によってしめられました。百姓は、農村や山村、漁村に住み、農業や山仕事、漁業などを営んで、米をはじめとする農産物をつくり、山は海から自然の恵みを得てくらしていました。百姓は、名主(庄屋)とよばれる有力者を中心に、時部tなちで村を運営しました。幕府や藩は、こうした村のまとまりを利用し、また五人組という仕組みをつくらせて、収穫の半分にもなる重い年貢(税)をおさめさせたり、いろいろな力仕事(役)をさせたりしました。
このほか、皇族や公家(貴族)、僧侶や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする役者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々もいました。
注)差別されてきた人々 百姓や町人とは別にきびしく差別されてきた身分の人々は、住む場所や身なりを百姓や町人から区別され、村や町の祭への参加をこばまれるなど、きびしい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。
これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業、芸能を営み、また治安などをになって、社会を支え、伝統的な文化を伝えました。

いやぁ、おどろきました。今さらながらだけど。
ほんとうに細かいところまでていねいに書いてあるんですね。
ただ問題は、これを子どもたちが覚えているかどうかなんだけど…。

*1:例えば、わたしは社会の教員ではない、という程度の意味

原点に返ること

帰りのバイクの上でもずっと考えています。
と、なんとなくわかってきました。
結局、「テーマ」がはっきりして、「教材」がはっきりすると、かえって「なんのためにやるのか」ということを忘れてしまうんですね。テクニックに走ってしまうというか…。
そうだ、なんのためにこのテーマをするのか、なんのためにこの教材を使うのか。なんのために人権学習をするのか。そこに立ち返って考えれば、おのずとなにをしなくちゃならないかがわかってくるはずんですね。
少し光が見えた。

仕事が溜まる

午前中は所用で、ちょいとお休みをいただいて…。
午後から出勤をしたら、やっぱり仕事が溜まっていました。てことで、定時まで仕事に追われて、人権学習の教材づくりはできませんでしたorz。もっとも、頭の片隅でずっと考え続けているんですけどね。

方向がわからん

もういい加減人権学習の教材を提示しなくちゃならないのですが、なんか方向が定まらないんですね。
見せようと思っているビデオはある。ビデオのテーマもわかっている。補足しなくちゃならないことが何かもわかっている。でも、翌週の講演につながらない。
隙間を埋めるために、何をしたらいいんだろう…。