目指すはこの間教えてもらったK芝です。
にしても、I田からM面って、かなりの坂ですね。そこを着替えを背中に背負って走るのは、かなりきついです。まぁ「長く体を動かす」のが目的なんで、ゆっくり走ることにしましょう。
で、ちょうどいいくらい走ったところで「らいとぴあ21」の看板が見えます。着きました。で、コンテナを探します。が、ない。ない。ない。どこだどこだとさんざん探し回ったら、なにやら子どもたちの元気な声が聞こえてくるところがあります。と、ありました。
なるほど、なんかすごいいい感じです。
まだ「営業時間」にはなっていなかったので、適当にそのあたりで遊んでいる子どもしかいなかったのですが、ここでいろんなイベントをしたら、確かにおもしろそうです。近くにはなぜか山羊もいたし。
ついでにあちこちまわっていると、お寺があります。中にはいると太鼓があります。近寄ると、おぉ!
はっきりと「太鼓正」の文字があります。さすがや…。
なんか、いろんな意味で「納得」と思いながらK芝の町をあとにしました。また来たいな…。
投稿者: ituki
すみませんねぇ…
今日の午前中はI田市でお座敷。
なんか半月ほど前に行った気もするのですが、今回は職員の方々が対象ということで、まぁそれはそれです。
にしても、なにが悲しゅうてクリスマスイブの午前に研修会って日程にみなさんを巻き込んだかってことですけど、あいているのがここしかなかった&午後にやったらもっと最悪ということで、この日にしていただいたわけで。
しかしやっぱり午前の2時間はキツイみたいです、お互いに。わたしもところどころ話を飛ばしてしまうし、聞いておられる方々もところどころで意識を失っておられるみたいだし。いや、単に「寝た」という感じじゃなくて、完全に失神しておられるので、やっぱり疲れておられるんだなぁと。
もう、サバイバルのような2時間でした。
でも「おもしろかった」という感想をいただけたりして、ありがとうございます。
で、忘年会
で、やってきたのはA久◯亭。
今回は、「少人数で」ということで、ほとんど誰にも声をかけずって感じみたいです。
わたしは少し早めに行って、お酒の買い出しの手伝いもすることにしました。Y科の街をのんびりと歩きながら、ダラダラとよもやま話。
その後、とりあえず二人で乾杯していると、K本さんとかE井さんとかが来られます。そうそう、Sっさんは今回は「どうしても仕事を休めない」とのことで、今回は欠席とのこと。
E井さんは、今年は本当に激動の1年でした。まずはそのあたりをねぎらいたいところですが、実は来年も激動だとか。もう、いったいどうなっているんだか…。
そんな話をしているとRさんが登場。こちらもまたいろいろたいへんな数年を送っておられるみたいで、徐々に話がヒートアップしていきます。もう、いったいどうなってんだか…。
でもまぁ、こうやって毒を吐きあって、また新しい一年に突入していくんですよね。
そうそう、わたしが持って行ったのはローストチキン。K本さんとE井さんはサラダ。Rさんはデザートのケーキ。なんの打ち合わせもないのに、見事なコンビネーションですね。
亭主のA久◯さんはおでんで迎撃してくれました。
あ!E井さんの「食べるラー油」は最高!あまりをいただいてしまいましたm(_ _)m
夜に備えて
まずは今日と明日のお買い物。続いて、今日と明日の食事のネタづくり。
さらに、今晩に備えてランニング。ちなみに、その間に料理が進行するように仕込んでおきます。帰ってきて料理の進行具合を確認して、風呂に入ってひと休み。
よーわからんけど
で、京都駅で降りて、「おんぼろ部屋」へ。
い「昼ご飯一緒に食べようか」
U「いいですよ」
い「やっぱり餃子?」
U「そうですね」
ってことで、鴨川を40分ほど走った先にある王将に行くことにしました。
ジャージに着替えて、Uさんに荷物を持ってもらって、のんびりランニング。ちょっと北風が吹いているけど、それはそれでいい気持ちです。途中、なぜかN村一成さん@毎日新聞に会ったのは笑った。
40分ほど走ると、そこは出町柳。で、出町の王将に入って餃子・野菜炒め・ビールです。もちろん服はジャージのまま。いよいよ終わってます^^;;
しばししゃべって、さらに出町の三角州に座り込んで「コンビニ寿司+チューハイストロング」です。でも、こういうのって、京都を満喫できますね。
さて、日が傾いてきたからそろそろ帰りましょう。
てか、今日はパートナーの忘年会の日。早く帰らなくっちゃね。
ほんの少し続き
朝起きて、ふたりで喫茶店へ。
ここで茶をしばきながら、今度は家族の話です。もちろん、「互いの近況報告」というわけではなく、それぞれがそれぞれの家族を基盤としながら、
「家族ってなんだろうね」
みたいな話。でも、今日はあまり時間がないのよね。
最寄りの駅まで送っていただいて、再会を約束して、Y父をあとにしました。
旧交を温める
てことで、Y田さんの車に乗せてもらってO屋教会へ。今日はY田さんのサシ呑み&教会泊です。
ふたりでビールを呑みながら、ワインを飲みながら、ひたすら話をします。
「語るということはどういうことなのか」
「そこで語られる物語はどのようにつくられるのか」
「物語は変わっていくのか」
「なぜその物語を選択するのか」
「なぜその語り方を選択するのか」
「なんのために語るのか」
「語ることが自分になにを生み出すのか」
「語ることを通してどういう関係が生まれるのか」
「語る」ということを通して、これほど広く深く考えたのは久しぶりです。
それは「叙述的自己表現」という、ひとつの「運動」をつくってきたY田さんだからこそ、そしてそこに疑問や不安や挫折を感じながらも、かつてそれを実践してきたY田さんだからこそ問える話なんだと思います。
そして、わたしもまた「Pラムの会」の影響を強く受けながら、おそらくはそこから新しい「語り」の方法を模索して今の「お座敷」があるわけで、やはりY田さんのひとつひとつの問いかけに真摯に向きあいたいと思います。
おそらく今は、「表現方法」はずいぶんと違うけど、でも、やはり考え方や「表現方法」へいたるルートは同じ/近いものを感じます。
なんだか時間は20年ほどタイムスリップをしながら、それでも「今」を見据えた、とてもディープなひとときでした*1。
*1:忘れないうちに書いておかないと、確実に忘れてしまいそうなほどね
爆心地へ
今日はY父でお座敷です。ちなみにY父市は4つの町が合併してできている街で、そのうちのひとつは「Y鹿高校」のあるY鹿です。さてさて、この街で、わたしの話は受けいれられるのか?もしかしたらタブーに触れるんじゃないかと、かなりビビります。
ちなみに別の町であるO屋町にはO屋教会というのがありまして、ここで古い友だちが牧会をしています。なんでも今回来て下さるとか。すごく楽しみです。そう言えば、わたしがはじめてカムアウトしたの、このY田さんがやっておられた「Pラムの会」でだったんですよね〜*1。
今日は雨ということもあって、はたして何人くらい来られるかと思ったのですが、会場にはいると50人ほどおられます。用意されている椅子がほぼ満杯。けっこう若い人もチラホラおられます。ただ、けっこうなお年寄りもおられるわけで、はたして楽しんでもらえるか?というのがかなり問題です。
で、話しはじめたのですが、もう、反応は完全に2分されています。特に男性のお年寄りは
「わけわからん」
という感じで、ほとんど反応がありません。ところが女性のお年寄りはさすがです。ところどころで話に入ってこられて、反応を示してこられます。この差っていったいなんなんだろう…。まぁ、責任はほとんどわたしにあるのですがね(;_;)。もっとも、その数人の方以外は、きっちりウケてくださっています。いや、うれしいです。
なんでも今回動員はしていないとか。でも、新聞でも宣伝はしているし、地域のCATVでも毎日宣伝されていたとか。恐るべしY父市。そのおかげで、ほんとうに「聞きたい」という方が来られたんでしょうね。ありがとうございます。おかげさまで、今日もおいしいビールが呑めそうです。
*1:伏せ字だらけだけど、バレバレやな
突然くると、それはそれで厳しい
今日から冬休み。と言っても、いろいろやらなきゃならないわけで。当面急ぎの仕事が2つばっかあるので、それを片づけに職場に行きます。
と、職場に行こうと思ったら、ボスからメール。
「作業しようと思うけど、予定は?」
んなもん、予定はあるよなないよな。
で、職場に着いたら
「親方から電話がありましたよ」
とのこと。親方に電話したら
「あの書類、できてるか?」
でぇ〜、年明けって聞いていたからつくってませんよ。とりあえずやっつけましょう。
んなことやっていたら、あっという間に予定の時間が来ます。あとひとつ、できなかったな。まぁなんとかしよう…。
また〜りと
飲みで合流する人から
「さっさと切りあげて早く来い」
という、あまりにもどっちがメインかわかるメッセージが来てはいたのですが、まさかそれは無理。てことで、ちょっと遅れ気味に「呑み」がはじまります。
今日のメンバーは、以前すごく世話になった人たちと、N教組がらみでなぜかお友だちになったN田さん。N田さんは昨年度まで東京勤務だったんだけど、現在は現場復帰とか。
「どっちが楽しいですか?」
なんて、簡単に答えが出る質問は、もちろんしません。
「あんな、最近このあたりに土地買ってん」
「へ〜、で、なにをしはるんですか?」
「果樹園しようと思ってな」
「なにつくりますの?」
「柿やなぁ」
みたいな、メチャクチャのんびりした会話がほわわんと続きます。こんなまた〜りとした呑み会、終電の時間を気にするわけにはいきません。てことで、京都行きの終電すらパス。
その後、なぜかN田さんに家まで送ってもらったりして。
なんか、滋賀の人たちにはお世話になりっぱなしですわ。