結局熱く語ってしまった

とにかく東へ東へと移動。あれ?と思ったのは品川あたり。まだ4時半なのにすでに暗いです。「東に来たなぁ」と、あらためて思いました。
で、電車を乗り継いで、降りたのは野田市東葛同研のT田さんが来てくださっています。で、一緒に交流会の会場に向かいます。
三々五々集まってこられるのですが、とりあえず乾杯は何回してもいいです。てことで、幾度か乾杯しながら、話話話。先日の全同教で互いに伝えきれなかったところをつないでいく作業を、やっぱりしなくちゃならないと思います。自分のクラス担任としての実践や、交流会のことなんかを、とりあえずできるだけていねいに話をしました。ところが、そうこうするうちに、気がつくと数学の話。まぁこれはこれでいいのですが。というのは、数学の授業を通して、今はいろんなとりくみをしているわけで、まぁこれも実践を伝えることになるのかもしれません。
それにしてもあかんなぁと自分で思ったのは、やっぱり熱く語ってしまうと語りすぎてしまうことかな。自分のことは伝えたけど、みなさんのことをもっともっと聞かなくちゃならなかったなぁ。まぁ酔っ払っていたのはあるんですけどね。でも、また全同教でお会いするだろうし、それまでにもまたどこかで会えるでしょう。その時はよろしくお願いします(って、こんなところ読んでないよな(笑))。
ということで、11時頃に解散。
さて、あしたが本番です。

平井@崇仁

今日は午後から休みをとって東葛同研の方々と交流会です。てことで、昼には京都駅にいたのですが、さて、昼ご飯をどこで食べよう。
まず思いついたのは「天一」です。いや、あの店がうまいとかまずいとかはともかく、天一が食べたくなると、とりあえず天一に突撃してしまいたくなるってものなんです。でも、そこはそれ、かろうじて踏みとどまって、八条口のラーメン屋さんへ行こうかな…。と思った瞬間、
「あ!お好みや!」
と思いつきました。
てことで、てくてく歩いてたどり着いたのが平井@崇仁です。
この店、前々から気になっていました。というか、崇仁ってお好み焼き屋さんが多すぎ!いままで行ったことがある店だけでも4軒*1あります。でも、まだまだあります。平井はそんなうちの一軒です。さて、どんな店だろう。
店の中は、カウンターに使い込んだ鉄板とお座敷がふたつ。そこには近所のおばちゃんがおられるという、まぁあまりにもありがちなたたずまいです。
「すんません、お好み。カスで」
とこれまた当然のオーダーです。もちろん
「あ、ビール一本」
と,こいつも忘れるわけがありません。
ひょいと見ると、キャベツの切りが大きい。ふぅむ…。さらに、キャベツの量が多い。「わかば」のおばちゃんが
「ちゃう!」
と言いそうな感じです。キャベツの上にはネギがパラリ。天かすが軽く乗っていて、さらにたくわんも乗っかっています。

やがてひっくり返します。けっこうこんもりしています。

それにしても、焼き色があまりにも美しい。しかも、焼いた面のひび割れの奥が、なにやらあやしげです。これはかなり期待ができるかも。店のおじちゃん、そんなわたしの視線は関係なく、近所のおばちゃんとよもやま話をしながら、お好みをギュウギュウ押しています。お?と思ったのは、押したテコにお好みの生地がくっつくんですが、くっついたもののはがれかたです。妙に柔らかい。しんなりと離れていきます。う〜ん。
で、完成。
当然ソースは「ツバメ」です。もう、一口食べたら「あ!ツバメ」とわかります。
さて、一口…。熱っっっっ!
予想通り、生地の部分がトロトロです。

感じとしては、かどや@飛鳥と似ています。ただし、あれほどトロトロの部分が多いわけではありません。キャベツはけっこう食感がゴリゴリしています。まぁ切りが大きくて量が多いから、しかたがないといえばしかたがありません。でも、その分ボリュームがあります。
さて、問題のカスの焼き加減は…。やっぱり固いです。ダシはたっぷり出てくるのですが、やはり固いですね。やっぱり、カスの扱いは難しいですね。
それにしても、生地のトロトロ感は絶品です。このトロトロのところに刻みショウガの酸味と香りがふんわりと混ざります。まぁ
「それ、たこ焼きやんけ」
と言われたらそれまでなんですけど、味が違います。不思議です。お店のおじさんに
「不思議ですね。どうやったらあんなにトロトロになるんですか?」
と聞くと
「さぁなぁ。粉が違うのか、混ぜ方が違うのか」
と、これまた深い答えが返ってきました。

店の中の会話がまたおもしろい。
「あのおっちゃん、なにしてる?」
「やくざやめて、やることないからパチンコ違うか?」
「やくざやめたらどうしようもないなぁ」
とか
「あのおっちゃん、原発に働きに行ったけど、待機ばっかりや言うて帰ってきやったわ」
「なんか、4時間ほどで1万2000円らしいで。どうせピンハネされてるやろうけど」
とか、もう、誰それが別れただの誰それがくっついただの、すざまじい情報量です。お好み焼きをつつきながらも、当然耳はダンボになっています。
てことて、おばちゃんがお勘定をされたので、わたしもお勘定にしましょうか。

さて、恒例のdata

カスお好み焼 600円
ビール スーパードライ中瓶450円
スタイル ベタ焼き系
その他 なんしか特徴は生地のトロトロ感です。これは京都の他の店ではまだ経験していません。それを経験するために、一度行ってみるというのは「あり」なんじゃないでしょうか。あと、おばちゃんが食べておられた具がいったいなんだったのか。具だけを残して鉄板に押しつけて焼いて、生地をひっくり返してさらにお好みにしておられました。まぁなんとなくもんじゃ的な食べ方ですね。
独断的評価 ★★★★★(個人的には、キャベツの食感が邪魔しているのがおしい。でも、それも「平井」の流儀なんでしょうね)

さらに詳細なリンクも更新しましょう。

*1:あいこちゃん、山本マンボ、よりみち、あいこちゃんの紹介で行った店

エディさんから

はたしてわたしのところで告知しても意味があるのやらないのやら^^;;
でも、とりあえず宣伝させていただきます。

お世話になってます。レインボープライド愛媛のエディです。
第1回愛媛LGBT映画祭2011まで後3日ほどになりました。

2011年12月3日(土)〜9日(金)
愛媛では初めてとなるLGBT映画祭を、地元のミニシアターを1週間借りきりでやります。

いろいろ慣れない初めての取り組みのなかで宣伝してまいりましたが、皆さんの今一歩の応援をいただけないかと必死のメールでございまず!!

■第1回 愛媛LGBT映画祭(2011年12月3日〜9日)
http://rainbowpride-ehime.org/Site/ehimeLGBTmoviefes.html

映画祭には愛媛県の助成が受けられました
松山市長からはメッセージも届いてます!
http://blogs.yahoo.co.jp/deep8822/63026689.html

12月3日にはLGBT限定のパーティも企画してまして、3,4日の土日にはぜひ松山を泊りがけで楽しんでいただいて、映画も2日にかけてゆったり観て頂きたいなと思ってます。

12月6日には「日本のLGBTの現状」なんて題名のシンポジウムもやりますhttp://blogs.yahoo.co.jp/deep8822/63060548.html
関西のりょうさん、レインボープライド愛媛のエディさんたちと、一般の応援者の4人が登壇、ドキュメンタリー映画「しみじみと歩いてる」を観てもらった上でトークします。

基本、期間中は上映の5作品を時間を変えて毎日上映。
平日は夕方以降はレインボープライド愛媛のスタッフがいます。
愛媛の取り組みをぜひ見に来て下さい。

以上のことをぜひネットを通じてなど拡散していただけると本当にありがたいです(泣)
さあ、いったいいくらの赤字で収まるのでしょうのでしょーか!!という大実験!?
地元愛媛ではなるたけ多くの一般の皆さんが来場いただけるようにと宣伝しています。
映画祭を通じてLGBTへの理解が進むことを期待しています。

ということで、奮闘しております!
なにとぞ応援よろしくお願いします。

エディ

レインボープライド愛媛
http://rainbowpride-ehime.org

ゲイリーマンのカミングアウト的思考(個人プログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/deep8822

どこにいるんだろう

今日は午後から特別支援学校で会議。会議に先立って、校内の見学をさせてもらいました。
この学校、通学ができる子どもたちのコースと、入院中の子どもたちが通うコースと、重度の子どもたちのコースの3つがあります。まぁそれぞれ特徴はあるのですが、やっぱり重度の子どもたちのコースは「ほぇ〜…」という感じです。いや、何がどうというわけじゃなくて、ふだんつきあっている子らとぜんぜん様子が違うわけで…。でも、あとで聞いたら知的障害を持っている子と交通事故かなにかで身体がマヒしている子を同じコースに入れているとか。う〜ん…。
それにしても、わたしが知っている「骨形成不全」の子とか「脳性マヒ」の子とか「小児マヒ」の子とかはいったいどこにいるんだろう。まぁ、ごく少数この学校にも在籍しているみたいですが、そんな数ではとうていあわない気がします。
別の支援学校なんだろうか…。あるいは一般校に行っているんだろうか。それにしてはあまり見ないしなぁ。
わからん…。

「誰かのせい」史観

なんか、最近「悪者探し」みたいなのが横行しているなぁと。あ、最近でもないですね。かなり前からですよね。
そんなことを考えながら出勤していたのですが…。
そういえば、生徒たちと人権について話をしていると
「結局誰が悪いねん」
「政府が悪いんか?」
「政治を変えたらええんや」
「大人が悪い」
といった意見が出てくることがよくあります。そのたびに
「う〜ん、そういうわけではないんだけどね…」
と言うのですが、なかなかわかりにくいみたい。
でも、考えてみたら、わたしたちもかつて
江戸幕府は厳しい身分制度をつくり、その最底辺に被差別身分を置いた」
みたいな話をしてきたので、「誰かのせい」にしていたなぁと。いや、部落差別だけじゃなくて、なんとなく歴史を「原因と結果」みたいなとらえ方をしてきた気もします。でも、こういう「因果関係」だけでとらえてしまうと、結果には原因があって、「悪者がいる」というふうになってしまう。でも、たぶんそんな簡単なものではないんでしょうね。で、言われるわけです。
「わかりにくい!」
「もっとわかりやすく!」
でも、わかりにくいものはわかりにくいものなんです。それをわかりやすく説明した時、どこかに「ズレ*1が混じってしまう。それが、実はすごくこわいところ。
やっぱり、「わかりやすさ」を求めず、わかりにくいことをわかりにくいまま、それでもていねいに話をする以外、方法はないんだろうなぁ。

*1:というよりも「ウソ」

イライラ

と思ったけど…。
大阪なぁ…。
みんなイライラしているんやろうなぁ。でも、その選択があれか…。自分の首を絞めるだけだというのに…。でも、もしかしたら、「選択」をした人は自分の首が絞まっても、それは自分の選択のせいとは考えず、だれかのせいにするのかな。

初鹿児島の感想〜帰宅

上を向くと目に火山灰が入る→コンタクトが痛い
なんとなく口の中がじゃりじゃり
そのわりに、桜島を見たのは5秒
お酒を頼んだら焼酎のお湯割りが出てきた

なんていう感想を残しながら、お土産を買って、新幹線に乗ってお家に帰りましょう。
家に帰ったら、みんなで「イニシャルD」を見てました。
わたしはちょいといっぱいひっかけて寝ることに…。

流儀の違い・全同教2日目

朝起きると軽く頭痛。これはきっと風邪の影響がまだ残っているのでしょう。とりあえず朝食を食べたら、それでもけっこう体調は回復。
てことで、分科会へ。
今日も思わず発言しまくりです。もっとも、わたしよりもっと発言している人はおられましたが…。

ところで、それぞれの地域の置かれた状況で、子どもへのかかわり方の「手法*1」はそれぞれ違うと思います。すごくシステマチックにやるところもあれば、ベタベタのかかわり*2をするところもあります。また、高校なんかだと、校内のポジションによっても全然違います。たとえば担任だとクラス運営をしながら子どもたちにかかわるだろうし、それ以外の分掌だと、ピンポイントで課題のある子にかかわることになります。そんなことを考えながらも、やはり「流儀の違い」みたいなものが気になったりします。
ちなみにわたしは…。
おそらくいくつかの「時代」があったように思います。
まずは「ベタベタのかかわり」をしていた頃。あの頃は、担任を持たせてもらえず、教科でしか子どもとかかわれなくて、それでも一生懸命子どもと「話」をしていたなぁ。
続いて担任をはじめた頃。あの頃は、おそらくすごく熱いかかわりをしていたんじゃないかなぁ。「非行は宝」と心に刻んで、「謹慎上等!」みたいな感じでした。家庭訪問の件数は学校の中でずば抜けて多かった頃ですねぇ。
そして担任末期。この時が大きな転換点でした。「子どもを変えるのは子ども」ということがわかった。それを教えてくれたのはMという生徒をはじめとするクラスの子どもたちでした。わたしがやったことは、子どもたちのネットワークをどうつなぐかということ。子どもたちがどう動くか。その動きをじゃましないようにしながら、その動きを側面からサポートする。どのことどの子をつないだらどうなるかということを意識していたし、どのことどの子がつながっているか、その関係が変化しているかを、常に見ていました。そうして、子どもたち同士がつながっていった。
現在は…。とてもではないけどシステマチックにできるような状況ではありません。そこへ持ってきて、担任をしていないから、自分の「実験場」も持っていません。とりあえず、それでも自分が「実験」できる場としての授業から、子どもたちのネットワークづくりをどうしていくかということかなぁ。そんな中で、しんどい生活をかかえている子や、ともすれば脱落しそうな自分を叱咤激励しながら疲れてしまった子や、学力をつけてこられなかった子や、あんな子やこんな子が、それでも自分なりに学べる空間をどうつくるかということ。そこに、「学び」をコーディネートする人間として存在したいなぁと思っています。そうとう難しいですけどね。
そしてもうひとつは、学校の外に「場」をつくること。「場」と「場」の出会いをコーディネートすること。子どもたち同士が話せればいいんですよね。わたしはそこにいるだけで、たぶんいいんです。「わたし」はいるけど、「わたし」はいない。そんな感じ。
どんどん存在は引いていっているけど、仕掛けは前より増えたんじゃないかなぁ。

*1:作法?

*2:これはもちろんほめ言葉