なんか、久しぶりにKよぽんからメールが来たので、思わず
「サシ呑みしたいね」
とメールをしたら
「そうですね」
で、
「いつ?今日?」
とメールをしたら
「そうしましょう」
えらい早いな。
てことで、久しぶりのサシ呑みが突然決まりました。
まぁ、なにがなんということもないのですが、なんしか約1年ぶりなので、近況報告なんかをしながらダラダラ呑みました。
結局呑み終えたのは終電。
家に帰ったら、そのまま床で寝てしまったみたい(笑)
投稿者: ituki
「サンタさんはいるんですか?」
今日の「おべんきょ」はディスカッション。
でも、その前に、ちょいとEせんせのところに顔を出しました。なんか、パソコンをゴソゴソしておられるので
「なにやってんですか?」
とたずねると、
「スキャナがつながらない」
とのこと。ふむ…。認識してるな。メッセージを読むと、なになに「本体のモードがちがう」って書いてある。本体見たら、モード切り替えがあって、切り替えたらすぐ動きました(笑)。
人の役に立つってうれしいなぁ(^O^)
で、ディスカッション。もちもん元ネタはこれです。で、「あなたならどう答えるか?」。
わたしのグループは3人だったんですが、
「でも、サンタはいない。やはり真理を伝えないといけない」
という意見もあったり。わたしは…。
「別に正しいことを教えなくてもいいんじゃないですかぁ」
みたいな、反論というよりボヤキ。さらに
「サンタさんはいるよ。12月25日の朝、いまでもわたしの枕元にプレゼントあるもん」
と、爆弾発言。するとふたりから
「いつきさんの家、メルヘン〜」
と、喝采を浴びてしまいました。たしかにメルヘンやわ(笑)。
でも、こういう「問い」に対して、真剣にどう答えるか論議するっておもしろいですね。
で、来週はプラグマティズムの立場からこの問いを分析するとか。デューイキタ━(゚∀゚)━!
本、読も(笑)。
トランスジェンダー生徒交流会とか、在日外国人生徒交流会とか、玖伊屋とか
翌日の過ごし方
朝、目が覚めると、やっぱり漫喫のリクライニングシートです。
さて、電車の時間を検索してと。まぁ、どうやって帰っても、始発に乗れば7時よりは早く帰れますな。てことは、仕事には間にあうと…。
てことで、始発に乗って、いったんおうちへ。パートナーはあきれて笑ってました。というか、困ったのがお弁当箱と水筒ってどうよ。
で、出勤。
朝の職員打ち合わせで、あんまり眠たいから頭を振っていたら、となりにおられた教員が
「反省してるんですか?」
って聞いてこられて、ふと気づきました。ぜんぜん反省してないわ!ダメだな、こりゃ_| ̄|○。
で、授業。なんか、妙に体が元気です。当然
「今朝は京橋から出勤」
とか言って尊敬(笑)を集めます^^;
にしても、この元気さというか、妙なハイテンションはなんだろう…。
あ、あれだ!大学時代、キャンプリーダーやってて、極限まで疲れた時に出てくるテンション、「徹マン症候群」ですよ!
どうやらアドレナリンが出まくっていたみたいです。あしたの授業で、今日のぶん、ちょっと補足しておこう。たぶん、生徒、ついてこれてへんわ^^;。
アドレナリンが落ち着いた午後、ゆるやかに反省しはじめました(笑)。
やっちまったか^^;
今日は午後から出張で会議。今年の会議のメンバーは、なんとなく活発そうで、いい感じです。もとからの知りあいもいるし、けっこうフレンドリーな人もいるし。
で、夜は大阪で会議。1時間ほどで終わって、当然のことながら呑み。
この会議の人たち、よく呑むんだわ。しかも強い。で、意志の弱いわたしは、当然のことながらつられてしっかり呑んでしまうわけで。
気がつくと、今日も終電です。
まぁ、でもけっこう余裕があるし、のんびり帰りましょう。
と思って、気がついたら京橋。へ?大阪越した?てことは、終電アウト?
あちこちのシャッターが閉まっていく風景は、やはりショックです。
さて、どうするか…。
瞬間の躊躇のあと、迷わず近くの漫喫へgo!無事ねぐらを確保しました。
まぁ、しゃーないわな。時間はもどらない。
今日、卒業生が遊びに来ていて、「おべんきょ」のために帰ろうとしていたわたしに
「帰んの?」
と声をかけてくれたんで
「今から勉強しに行くねん。ほれ」
と言って学生証を見せました。すると
「すごーい!」「えらい!」
と、口々に言ってくれました。
電車に乗るべく駅に行くと、さっきまで追認補習を受けていた子とか、朝、頭髪指導でバトルしている子がいました。
「先生やん。帰るの?」
と声をかけてくれたんで
「今から勉強しに行くねん。ほれ」
と言って学生証を見せました。すると
「えー!すごー!尊敬するわー」
と言ってくれました。
実は、
「なんでそんなことしてるの」
みたいな反応が返ってくるんじゃないかと思っていたのですが、いままでそんなリアクションをした生徒は誰もいなくて、みんな
「すごい」「えらい」
と、ポジティブな反応を返してくれています。うちの子どもたちは「学んでいる人」に対して、そう考えてくれているんですね。
正直、わがまま言っておべんきょさせてもらっていて、同僚には迷惑かけているんですが、もしかしたら学校の中に「おべんきょしている教員がいる」っていうことは、それはそれで子どもたちに、なんらかのプラスのメッセージを発しているのかもしれないな。
お!久しぶりの…
朝、樹村さんから連絡。
「これ知ってますか?」
で、見に行くと
性同一性障害―撮影スタッフも“カミングアウト” 京都の公立高教師追ったドキュメンタリー映画 2012.5.13 18:00
自分の性別に違和感を持ち、本来の生き方を模索する人々を追ったドキュメンタリー映画「Coming Out Story」が19日、大阪市淀川区のシアターセブンで公開される。日本映画学校の卒業製作として作られ、メガホンをとった梅沢圭監督に、最優秀賞監督に贈られる「今村昌平賞」をもたらした作品の再編集版。映画の軸となる人物は、京都の公立高校教師。京都で8カ月間、アパートを借りて撮影した梅沢監督が大阪市内で作品について語った。(橋本奈実)
- 「Coming Out Story」 とりかかりは?
梅沢監督は卒業製作の題材を探し、図書館にこもっていた。そのとき、関東の小学生が「望み通りの性別」で学校に行くことができるようになった、という記事を見た。
「後ろ姿のどんよりとした写真に、なぜこのような表され方をしなければいけないのか、という感情を持ち、セクシャリティーと向き合いたいと思った」
自分にとって、当たり前のように思っていた自身の性別。それが根本から揺らいだら、どのような感情を持つのか。「そんな人に会ってみたいと思って探し、京都まで来てしまいました」と話す。
《京都の公立高校教師、土肥いつきさんは「女性の体を獲得したい」と、長年の願いでもあった性別適合手術へと向かう。軽やかな関西弁と笑顔の絶えない人柄で多くの友人に囲まれる土肥さんを追ううち、撮影隊の男性が突然、現場から姿を消す。彼は、ずっと封じ込めてきた自身の秘密に向きあってしまった…》
- 次第に心開いて
初めて会ったとき、土肥は、男勝りの女性が使うようにさりげなく「男言葉」を使った。足を怪我しており、理由を聞くと「生徒を怒ったときに机を蹴ったら指を骨折した」と笑い飛ばした。その飾らない姿に惹かれたという。
会う前に取材意図も伝えており、これまでの経験から身構えられることも覚悟していた。だが、土肥さんは飲みに行こうと提案し、その場に女性から男性になった高校生を同伴。彼の悩み相談と同時進行で、監督と話をしたという。「いい機会だから紹介するわ、と。どんな状況でもSOSを出す子供と向きあう、人としての真摯さに興味を持ちました」
梅沢監督が撮影を始めたとき、すでに土肥さんは周囲から理解され、性別を超えたトランスジェンダーとして生きていた。それゆえ、彼女は「苦しかった過去」や「弱み」について語ろうとしなかったという。「頭のいい人で、自分の中で整理できていないことは口に出さない。そこは苦労しましたね」
ともに日々を過ごしながら撮影を重ね、距離を縮めた。性別適合手術前、「不安だから立ち会ってほしい」という連絡を受けたとき、完全に心を開いてくれた気がした。以後、かつて生徒から、すれ違いざまに「おかま」と言われたことなどを語ってくれるようになった。
- スタッフも混乱 自らの性別にゆらぎが…
土肥さんと向きあううち、監督自身も変化した。彼女のように語ろうとしたら、自分のどの部分を掘り下げることになるのか。自分の性別に対する考え方への揺らぎを感じたという。
「それは他の人にもあって、スタッフの一人が混乱しちゃったんです」
もともと、性別を超えてトランスジェンダーとして生きる決意をした人だけではなく、揺らぎの過程にある人を描くべきではないか、と考えていた。土肥さんに影響を受け、自分の性別に迷ったスタッフの存在を描くことは、作品に必要と確信。「映画には関わっていきたい」という意欲を持っていた本人を説得して撮影し、本編に入れた。
「作品を作るとき、思っていなかったところに行き着きました」
今作は、トランスジェンダーという「特別な人」の話として描いたつもりはないという。「他者と出会うことで、今まで見えなかったものに気付く」という人間関係の普遍的な話と考えている。
「そんな関係の連鎖で、人は自分自身を知っていく。映画の向こう側だけではなく、スクリーンを見ている人にも、何かが連鎖すればうれしいですね」
いい記事やなぁ。
てか、まんまやな(笑)。
やっと納骨
で、交流会
交流会はケータリング。テーブルの上を見ると、○麦しかありません。迷わず自分のぶんのビールを買いに行きました。だって、呑めないんだもん。
2次会は神戸市役所の24階にあるお店。店長さんはもともと神奈川におられた方で、ずいぶん前に会ったことがあるんですけど、わたしのこと、覚えておられました。すげぇ!
お店は10時に閉まるので、あとはホテルに帰ってのんびりしますか。
母語ってなに?
今日は、某在日外国人教育関係のセミナーが三ノ宮であるので参加しました。
第1部が「日本の学校で育った若者たち」のパネルディスカッション。第2部が「その上の世代で若者たちにコミュニティをつくってきた人たち」のパネルディスカッションでした。
んー。やはり同じようなバックグランドをもつものが集まれるコミュニティをつくることがいかに大切かということは、第1部第2部通して語られました。その共通性を持ちながら、世代間の違いみたいなものが一方で如実にあらわれてる気がしました。ちなみに、ここでいう「世代」は、もちろん年齢もさることながら、「何世か?」みたいなこともからみあっています。ちょいと図式的に分類してみると…。
- 第1世代≒1世のおとな
まずは言葉や文化・習慣の違いが課題となります。言葉に着目すると、母語=日本語以外となり、日本語は当事者にとっては外国語ということになるかと思います。そして、その人の母語で生活できる環境を整えることは、その人の生きる権利を保障することにもつながると思います。
- 第1世代≒1世の子ども(1.5世〜2世)
もちろん母語=日本語以外ですが、日本の学校に通い、日本の生活をするなかで、日本語を習得していきます。そして、そのまま放っておくと、日本語の習得がすすむにつれ、母語や母文化を失っていく傾向が出てきます。学習面においては、セミリンガル問題が出てくるんでしょうが、ここではそれはおいておきます。つまり、日本語がネイティブ言語になり、母語が外国語へと位置づけを変えていく可能性があるということです。
しかし、母文化を失っていくにつれ、母文化を強く持つ親との関係が悪化したり、さらには親の日本語の習得時間の差によって、親とのコミュニケーションがとれなくなってしまうこともおこります。母語は自己肯定感のためにも、親とのコミュニケーションツールとしても、とても大切なものとなります。
しかし、親の世代とその位置づけは異なってしまうのではないかと思います。それを
- さらにその子ども(3世)
この次の世代になると、おそらくネイティブな言語は日本語で、エスニシティに属する言語は本人にとっては外国語という感じになるかなと思います。また、親とのコミュニケーションも日本語になります。ここにきて、「母語とはなにか」ということになってきます。
一方、この世代になると、アイデンティティの根拠も希薄になってきます。なぜなら、言葉は日本、文化も日本、そして同化を強いる日本社会の中で名前も日本風であることが多い。ここで、自分の民族の言葉を獲得することは、生きるための権利、あるいはコミュニケーションツールの獲得ではなく、アイデンティティの獲得のツールとしての位置づけへと変わっていきます。しかし、そのツールは言葉しかないのではなく、他にもあるいくつかのもののうちのひとつと言うこともまたできます。
なんでこんなことを書くかというと、母語・母文化・民族名みたいなのをいっしょくたに考えるのではなく、それぞれにそれぞれの位置づけがあり、それらはそれぞれの置かれた状況によって違うんじゃないかと思ったってことなんです。さらに、人によって「得手・不得手」まあるかもしれない。
もちろん、すべてが一致して獲得できて、それらが何の不利益にもならない社会がいいのはその通りなんですが、現実問題としてそうではないところで、わたしがなにをどうしたらいいのかを考えた時、まぁこんなことを感じたってことなんです。
なんか、大雑把でイマイチやな^^;