何も考えないと物事は進む

夏休みに入りました。もちろん、「生徒たちは」です。わたしたちは通常勤務です。とは言え、学期中とはぜんぜん違います。なにせ、生徒がいない(笑)。
これ、「授業がない」ってこととは違うんですね。
授業だけであれば、まぁ、ある意味なんていうことありません。プロやしね(笑)。でも、「生徒がいる」ってことは、それだけでいろんなことがあるわけです。だって、あの狭い校舎に1000人近い16才~18才の若いのがいるんですよ(笑)。毎日なにかが起こらないわけがない。それが一気に人口密度が減るわけで、それだけでとても静かです。ついでに言いますと、「なにかがある」ときは別のことができなくなったりします。するとそれがたまる。そのことがストレスの原因になったりします。
ちなみにこの夏のストレスの原因は「引っ越し」です。
いま、あちこちの学校で耐震工事が進んでいます。うちの職場も建物ひとつずつやっていて、今回が最後の耐震工事です。
で、わたしは個人的には10年くらい前に2階にあるAという部屋から4階にあるBという部屋に引っ越しして、5年くらい前に耐震工事の関係でB→Aの引っ越しをして、3年前に同じ階のCという部屋に引っ越しました。で、今回またまた耐震工事の関係で4階にあるBに引っ越しをしなくちゃなりません。ちなみに夏休みの最後に再びCにもどります。もうイヤです(;_;)。
で、これ、学期中にボチボチ準備をしようと思ってたけど、できませんでした。だって、メインの引っ越しはパソコンと本で、それ日常的に使ってますからねぇ。
てことで、やっと今日引っ越し開始です。ちなみに、これ、みんな一緒です。違うのは、荷物の多さ(笑)。そりゃ、いる年数が長いと荷物も増えます。しかも、人権関係の荷物もあるわけで、半端ないです。
なんしか、ひたすら何も考えず、段ボールにものを詰めて運ぶ。ひたすら何も考えず捨てる。何も考えずにやったら、午前いっぱいでとりあえず荷物の移動が終了。びっくりしました。
あとは、いかに荷物をほどかずに仕事をするかやな(笑)

「日常」ってなんだろう

起床5時半。やかんふたつとフライヤーに点火。トイレに行ってからコーヒー豆を挽きつつ、お茶っ葉をお茶パックにつめる。揚げ物はコロッケと春巻。もう一品を電子レンジに放り込む。コーヒーを淹れて、だし巻きをつくりおえたころには、FMは天気予報をはじめる。パートナーを起こしに行って、ついでに今日着る服を持って降りる。朝のコーヒーとパンを食べながら、パートナーと少し話。
6時25分に家を出る。いつものバス停にはいつもの人がいる。いつも横断する道にはいつも通りすぎるバスが通る。いつもの場所に自転車を置いて、いつもの電車に乗る。
乗り換えのホームでは、いつもの場所の先頭に並ぶ。滑り込んできた電車のいつもの座席に座る。まわりをみると、名も知らぬいつもの人たちがいる。
職場まではいつもの道を歩く。
いつもの時間に職場に着いて、同僚といつものように挨拶を交わし、パソコンに火をいれる。職員朝礼があり、校門の立ち番があり、授業がある。
仕事が終わったら、駅に向かい、家に帰る。
お風呂にはいって、ビールを呑んで、晩ごはんを食べて、ちょっとテレビを見て、食器のかたづけを手伝って、歯を磨いて寝る。

これが日常です。
朝が来て、昼が来て、夜が来る。そして陽は昇り、陽は落ち、そして陽はまた昇る。季節はめぐり、再び季節がめぐって来たとき、ひとつ歳をとる。
ただその繰り返し。
わたしの意思のおよばないところに日常がある。

登下校中に知らない生徒とあいさつをする。授業中にうれしいことがある。小さなひとつひとつのできごとを、日常の中から見つけ、そこに感情の変化を探す。日常の中に非日常を見つける。
イレギュラーを起こしてみる。いつも立って電車を待っていたところを、しゃがんで待ってみる。風景が変わる。非日常になる。
イレギュラーがやってくる。飲み会がある。人と会う。会議がある。交流会がある。おべんきょがある。お座敷がある。原稿がある。非日常がやってくる。
しかし、それらも繰り返されるなかで、次第に馴染みのある風景になり、日常へと組み込まれていく。日常が次第にふくれあがる。ふくれあがった日常に「差違」をつけるために、日常のひとつひとつに「エントリ」をつける。でも、それら「エントリ」は非日常のふりをした日常でしかない。
「エントリ」はふくれあがり、時としてはじける。あるときは「エントリ」を消し、あるときは消えていく。その瞬間は非日常になる。しかしやがて、そこにあらわれる日々も、やはり日常でしかなくなる。

バランスがとれていることが日常ではない。バランスが崩れることが日常であり、バランスを保ち続けることが日常となる。

おそらく、だれもが考え、すでに解決してしまっているであろう「日常」について、いまごろ考えているわたし。

耐久レース終了

ホテルで目が覚めると7時半。てか、アラームか鳴ってるよ!せっかく寝坊ができる日に(;_;)
それでもふだんより2時間寝坊できたからいいか…。
さぁ、今日一日をどうすごそう。というか、午前の過ごし方やな…。チェックアウトは10時。ビミョーな時間です。いや、ホテルとしては当たり前の時間なんですがね。
選択肢はいくつかあります。
1、サックリ帰る
2、一時間ほど時間をつぶして、生しらす丼を食べて帰る
3、東京に行って、だれかと遊んで帰る
もちろん順番は「常識順」です。ということは「いつきらしさ順」としては逆順ですね(笑)。
んー、どうしよう…。
9時30分の時点で、選択肢1に決めました。常識的な選択です。
なにせ、先週の日曜日から昨日まで、木曜日以外毎日宴会。なんぼなんでも、自分のアホさ加減はわかっています。でも、歯をくいしばって(笑)一週間走り続けてきました。ここらでいったん休憩することにしようかなと。

てことで、昼過ぎには家に帰って、家族で昼食。午後はみんなは友だちと遊びに行ったり、犬の法要に行ったり。で、わたしはお留守番。なにをするわけでもなく、ただひたすらゴロゴロ。やらなきゃならないことはあるのはあるけど、今日は絶対しないと決めて、ゴロゴロ。
そのまま夜までゴロゴロ。

さて、せっかく買ったホームベーカリーもあることだし、あしたのパンをしかけて寝ることにしましょう。

かなりディープやわ

夜は主催者の方々と飲み会。
どうやら行きつけらしい隠れ家的なお店につれていってもらいました。
はじめは静岡名物の話なんかをしていたのですが、しばらくするうちに、なぜわたしに声をかけてくださったかというあたりから、ディープなところに話は突入していきました。
静岡における部落の話も出てるし、実家が関西の方の生い立ちの中の部落や在日との出会いの話も出てくるし、たぶん日常の中では忘れてしまっていたり、覚えていても話さないでいたりしたことが、あふれでてきた時間だった気がします。
お店を出てからも、ブラブラ歩きながら話をして、ホテルの前でまたまた話をして、いっぱいいっぱいいろんな話を聞かせてもらったひとときでした。

にしても、生しらすはうまい!あの目のざらざら感がたまらない。ほかにもおいしいものがいっぱい。静岡、いいなぁ…。

久しぶりの静岡

今日は午後から静岡でお座敷です。
なんでも、前にフェミカンの研修会に来られた方が
「地元の人たちに」
と考えてくださり、機会をつくってくださったとのことです。
静岡かぁ…。いろいろ頭を駆けめぐりますねぇ…。
というのはおいといて…。
朝、久しぶりにのんびりして、昼前に到着。まずは燃料補給です。しばし悩んだあげく、せっかくなので、静岡らしいものをたべさせてくれそうなお店に入りました。で、頼んだのは「桜えびのかき揚げ丼」。出てきたのを見て、ビビりました。全部食べられるのか?しまった、しらす丼にすればよかったと思ったものの、とにかく、パリパリワシワシ食べて、なんとか食べきりました。おいしかったですけどね。

で、会場へ。みなさん、コースの研修会をすでに三年受けておられるとか。そのせいか、なんとなく和気あいあいとした雰囲気です。
しゃべりはじめると、すぐに空気がほぐれました。いい感じです。
今日は本編2時間、質疑応答30分と、たっぷり時間をもらっているので、しょうもない話もたくさん入れられます(笑)。
ただ、不安がないわけではありません。なにせ、2時間しゃべったのは、もうずいぶんと前のことです。はたしてネタを覚えているだろうかと^^;;
途中、緊張のためか、足がつりかけましたが(笑)、それでもなんとかしゃべりおえて、ホッと一息です。
質疑応答では、けっこう活発に質問が出て、わたしも楽しませてもらいました。
終わってからも、数人の方が、たぶんモヤモヤ感がただよって言葉にできなくて質問しきれなかったことなんかをしゃべりにこられて、またまた考えさせられるひとときを持てました。
やっぱり、話終えたあとも、ゆっくりそこにいることって意味があるんやなぁ。

今日は6年ばっかお世話になったT中さんが仕事をやめられたので、その「お世話になりました&ありがとうございました&これからもよろしく会」です。
T中さんって、なんだろう…。すごくいい感じの人なんですよね。観察眼が鋭いし、それをアサーティブに表現できる。すごい人なのに「すごい人オーラ」がない。だから、自然と人が集まるし、みんなが和む。
今日も、わたしたちのグループの中の、とりわけ元気な女性たちが集まって、ワイワイと呑みました。
ほどよく呑んだところで、一緒に帰ります。なにせ、家がすぐ近くなんですよね。で、なぜか地元でもう一杯。
ここの会話で、T中さんのすごさをあらためて感じさせてもらって、同時にグループ内でわたしがしなくちゃならないことをあらためて教えてもらいました。
T中さん、また帰ってきてほしいな…。

居場所

今日でようやく一学期が終了。午前の仕事をかたづけて、午後から出張。こちらの方も無事終えて、さて、どうしよう。
このまま京都に帰ったら、飲み会の時間まで二時間くらいあまってしまう。
二時間って微妙です。本屋にはいるには少し時間が長い。ヨドバシ行くにはもっと長い。飲み屋で軽く一杯入れておくにも長すぎる*1。家に帰ってしまうには短すぎる。てか、出るのが嫌になります。
いろいろ考えて、
「そうだ!おべんきょ部屋に行こう」
と決めました。
あそこなら誰かいる可能性が大だし、いなくても図書館があります。
で、行ったら、先輩がいて、とりとめもなくいろんな話。それが終わったら、センセがちょうど帰ってこられました。
「飲み会行くまであと20分くらい暇なんです」
と正直に事情を話すと、つきあってくださいました(笑)。
「あたしって、優しいやろ(笑)」
「はい、優しいです(笑)」
和やかな会話です(笑)。
さて、9月以降のための作戦会議もできたし、呑みに行きますか。

*1:ガチで呑んでしまいます^^;;

「問い」への「対応」

きょうのおべんきょタイムはグループ討論です。お題は「高校生から「こんなことやって役に立つのか?社会的に意味があるのか?」と聞かれたときの対応」でした。ちなみにこれ、4年ほど前の京都市の教員採用試験の問題だとか(笑)。
で、討論しながらの感想。
各グループにふたりずつ「年上」がいて、四人の「おべんきょ仲間」がいるんですが、「おべんきょ仲間」の人たちは、「問い」そのものに「答え」ようとされるんですね。「いかに役に立つか」ということを一生懸命答えようとされている。でも、お題には「どう答えるか」ではなく「どう対応するか」と書いてある。そこがミソだと思うんですよね。
つまり「役に立つのか?」という問いそのものがどういう意味を持っているのかということ、あるいは「役に立つとはなにか?」という、問いそのものの意味を問い直すことに意味があると、わたしは思ったんですよね。そのことを、問題作成者は「対応」という言葉であらわしたんじゃないかと。
で、少し論議を深めたいと思ったので、
「この質問をする生徒は、どんな気持ちでこの質問をすると思いますか?」
と「おべんきょ仲間」に聞いてみました。すると、みなさん
「勉強がわからなくて…」
とか言われます。と、もうひとりの「年上」の方は
「いままでやらなきゃならないと思い込んできたことに対して、疑問をもったんじゃないかなぁ。勉強との距離感を測ろうとしているんじゃないかなぁ」
と言われました。一同、深くうなづきました。
おそらく、「問い(what)」に「答える」ためであれば、その文章に対する答えに集中すればいい。
しかし「問い(how)」に「対応」するためには、「「問い」そのものを」問い、「「問う」主体を」問い、それらを通して「対応する自分自身を」問い、それを追求することは無限の「入れ子」をあけつづけること、あるいは無限の螺旋のドミノを倒しつづけることへとつながるのかもしれないと、ふと思いました。

しかし、たいりょくが続かんやろなぁ…。でも、それでいいのかも…。

授業最終日

なにが悲しくて、授業最終日に同一講座が二回もあるねんと。
でも、この講座の子ら、ええ子らです。昨日の授業では、全員が寝たふりをしてわたしを迎えてくれました。そんなこととは露知らず、あまりにも静まり返ったクラスを邪魔したくなくて、思わず15分お昼寝タイムをとってしまいました。
でも、こんなことができるクラスって、いいクラスだと思います。
今日も、適度な授業と適度な雑談で一学期の終わりのひとときを過ごしました。

「愛」は届いたのか…

インタビューが終わったら、三人で「わかば」に移動。実は社納さんから
「おたふく希望!」
というリクエストがあったんですが、定休日ですから…。でも、
「すじ肉は絶品です!」
と言ってあるので、たぶん満足していただけるでしょう。
実は、社納さんとはこの「試合」にかかわってはじめて出会ったんですよね。で、実はあの「試合」の総括を、わたしはまだきちんとできていませんでした。なんとも言えないモヤモヤとしたものが、いまもずっと残っています。おそらく社納さんもできていなかったんじゃないかなぁ。知らず知らず、あの「試合」をめぐる話へと移行していきました。で、わかったことは、おそらくは社納さんもわたしと同じ思いを持っておられるであろうということでした。まぁ、そうでなければ、あの「試合」に参加しようとは思いませんよね。
なんか、とりとめもなく、でもたぶんとても大切なことを話していると、知らぬ間にビールはハイボール濃い目へと変わっていきます。とてもいい夜です。
でも、いかんいかん、そろそろ出なくちゃ帰れない。