スカタン・プーな厄日

仕事が早く終わったので、家の最寄りの役場に「ブツ」をとりに行こうかと。
ところがこの「ブツ」、本人にしか渡さない割に、家の近くの極めて不便なところにある「出張所」でしか渡してもらえません。しかも、それをアクティベーションしようとすると、こんどは「出張所」では無理で「役場」でしかできない。メッチャ非合理的なシステムです。
でもしかたないので出張所に行こうかと。5時を5分ほどまわりそうなので、とりあえず電話をしてみたら
「わたし個人でできることなら5分くらいかまわないが、システムが5時ちょうどに落ちるのでダメ」
とのこと。融通がきかないシステムって、マジで不便。

あきらめて買い物してから帰ることにしたのですが、駅に向かう踏切が閉まりっぱなし。駅のホームにはわたしがのりたい電車がいます。ところが踏切渡れないから乗れない。10分ほどたってようやく開いて、すぐに走りました。ちなみに、改札は橋上。階段を走って上がり駆け下りたところで電車のドアが閉まりました。
なんでも踏切はその先の踏切の安全確認でなにかあって、電車がとまっていたから閉まりっぱなしだったみたいです。いや、電車がとまってるならこっちに来る心配ないから開ければええやん。でも、システムはそうはできていない。駅員さんや保線の人があたふたしているけど、誰も手が出せない様子です。人間がつくったシステムなのに手が触れられないって変だなぁと。もちろん「微妙な時は安全側に振る」という意味では正解なんでしょうけど、あまりにも自明な時は「バックドア」みたいなものをつくっておいて、そこから抜けられるようにすればいいじゃんと思ってしまうわたしはきっと「抜け道好き」なダメ人間なんでしょうね(笑)。
まぁこれも融通の効かないシステムなんでしょうね。マジ不便。

特殊業務

今年も特殊業務の日が来ました。
わたしの役割はいつもの仕事。楽といえば楽ですが、リカバリーの効かない仕事なので、なにかトラブルが起こったらえらいことになります。たぶん「楽」は、その「リスク」の代償なのでしょう。てか、今でこそ安定しているけど、かつては不安定の極みでしたから、まぁそんなもんでしょう。
で、「楽」はそうなんですが、やはりいつまでたっても慣れない仕事もあるわけで。その瞬間は毎年プレッシャーで指が震えます。
でも、今年もつつがなく終了。ふぅ…。

不思議な風景

朝、電車に乗ると、いつものおじさまが乗り込んできて座られます。と、しばらくしたらそのおじさま、ふと立たれます。代わっておねえさまがそこに座られます。おじさまは、しばし扉の前に立った後、いずこへか立ち去っていかれます。
毎朝繰り返される不思議な風景です。

で、結末

目の前をコロボックルさんが横切りました。あっと思った瞬間、空気のような階段があって、必死で登ったのに登れない(^^)。
こけちゃいました。
久しぶりに膝をすりむいちゃいました。
子どもに返った気持ちですo(^^)o

思索はめぐる

わたしは他者との間にどのような関係を求めているのかなぁ。
いろんな関係がありますね。
「似たもの同士」「違いを豊かさに」
「ファイトをもらえる」「癒される」
「思索が深まる」「思索なんてどーでもよくなる」
うーん…。
「似てる」と思って仲よくなって、いろいろ話をしているうちに「違い」に気づいたり、「違う」と思って仲よくなったのに「あれ?一緒じゃん」と思ったり。「ファイトをもらえる!」と思って仲よくなったのに、疲れた時に「癒しあう関係」になったり、「癒される」ことで「ファイト」がもらえたり。「思索が深まるなぁ」と思っていたのに「そんなんえーしo(^^)o」ってなったり、「ドキドキッ」からはじまって、「えー!この人、こんなこと考えてたんだ!刺激的」ってなったり。
関係が変化することで関係が切れたり、関係が変化することで関係が豊かになったり。「関係が深まったo(^^)o」と思った先に突然関係が切れたり、「関係が切れた(T_T)」と思ったところから再びゆるくつながったり。
何が正しくて何が間違っているのか、何を求めているのか求められているのか。そんなことを考える必要があるのか、そもそも考える必要がないのか。
さっぱりわかりません。
わからない時は…。
考えるのをやめるのもまたひとつの方法かもしれません。井上陽水も言っています。
でも。
わたしの場合、思索はぐるくるめぐります。
とりあえず、もつれた紐を少しずつほぐしていきましょう。
ひとつずつ「カード」を出しあって、ひとつずつ確認をして、一枚一枚に笑ったり泣いたり考えたりしながら確認をする。そうすれば、やがておぼろげながらに浮かんでくるものがあります。
迷った時は、そういう作業が、実は大切なのかなと。

最後の授業とか

今日は今年度最後の授業日です。とはいえ、二年生はすでに試験に突入していたりします。
でも、わたしはプリント学習(笑)。んー、最後はちょいと締めたほうがよかったかなぁ。いや、オープンエンドも悪くないかな。
ちなみに、わたしは(たぶん^^;;)教員人生をまだ来年も続けるでしょうけど、今年度で終わる人もおられます。そういう人にとっては、今日が教員人生で最後の授業となるわけです。きっと、いろんな気持ちが湧いてくるんでしょうね。わたしがそういう時間を迎えたら…。その時間を淡々と過ごすことはきっとできないだろうなと思います。

で、午後からは出張。今年の高卒者の進路についての話とか、いろいろ聞くことができました。
ほんとに厳しいですね。
バブル崩壊の時もそうでしたが、仮に2年ほどたって、仮に雇用がマシになったとしても、今の高卒者が溯ってその「恩恵」にあずかれるわけではないです。
うーん。「マクロ」で考えている人に「ミクロ」レベルで仕事をし、人とつきあっているものの感覚が、はたして伝わるかなぁ…。

出張は、ほぼ定時に終了。このまま家に帰ったら、普段よりはるかに早い時間に帰れますo(^^)o
そんな日があってもいいなということで、そのまま地下鉄に乗りました。
家に着いてもまだ明るいなんて!
ゆっくりと夜を過ごして、さっさと寝ましょうかo(^^)o

完全オフ日

朝、目が覚めてもしばらくはグダグダ。グダグダしていると、あっという間に昼前です(笑)。
なにやらパートナーが
「お墓参りして子どもの進路の報告をしよう」
と言ったので、じゃあそうすべえかと。
と言っても、お墓の前にいたのは10分くらいですか^^;;。
家に帰って洗濯物をほしたり、ちょいと片づけをしたり。
あとは確定申告です。なにせ医療費が半端ない。わたしはほとんど使わないのですがね。まぁ、家族ってのはそういうものなんでしょう。
夜は実家から母親が来てちらし寿司をつついて。そうか。3月3日なんだな。水平社の創立記念日だ。
11時前にはおねむです(ρд-)zZ

延々と

その後、駅を変えて打ち上げ。
行く道すがら、ブラジル人の友だちといろいろ話。
「話を聞いていて、チクチク突かれる感じがしたわー」
そうやろなぁ。いろんなしんどいことがあるんなぁ。高校の時や、卒業間なしのときにはわからないことが、時間が経つに従ってわかってくるもんなぁ。でも、たぶんそれを過ぎた時に、またわかることもあるんやろなぁ。そんなことを思いながら、その友だちのいろんな話を聞いたり。
で、打ち上げ。
わたしの向かいは前会長さん。CPの当事者かな。たぶん。この人がまた熱い。聞くところによると同い年。同じ時代の空気を吸いながら、しかし、障害のあるなしで世界を分断されてきたことが伝わってきました。その思いが「共生共育」へとつながっているんでしょうね。
なんというか、障害にかかわるさまざまなことをここ2〜3年知る機会があって、わたしのものの考え方は大きく変わりました。すごく刺激的です。それをどう自分のフィールドにフィードバックしていくのか。それが課題かな…。
てなまじめな話もあったけど、滋賀の友だちは基本、酒を楽しみます。熱すぎる語りを見ても「いつものこっちゃ」と笑っています。そういうゆるさも大切ですね。
てことで、そのまま2次会へ。なんとなく味覚がギョウザを欲していたので、近くのチェーンの居酒屋へ。ここで、しばしビールと餃子を楽しんで、さらに話。だけど、もうすでにかなりの酔っぱらいです。
なんか、最後は家まで送ってもらったりして*1、とうよ^^;;。

*1:メッチャありがとうございますm(__)m

共生共育

今日は、滋賀県で活動しておられる「共生共育の会」の総会でお座敷です。この会、簡単に言うなら…。障害を持つ子・親・支援者なんかが「障害を持つ子も持たない子も同じ学校で学ぶ」というとりくみをずっと続けてこられた、そんなグループです。たぶん^^;;。
で、会長さんからオファーを持ちかけられた時、
「障害を持つ子の親は、そういう子を生んだ自分への罪悪感を持っている」「そのことが障害そのものや、さらには我が子への否定感につながることもある」
みたいなことを言われていて、そういう親御さんに元気をあげてほしいと言われていたのです。
正直プレッシャーです(T_T)。そんな力量ないです。ハードルが高すぎます。でも、それを「わたしに」と言って下さったのですから、断るわけにはいきません。さいわい、何人かの友だちがいろいろなアドバイスをくれました。ひとつひとつのアドバイスに気づきをもらって、自分ができることがなんとなくわかってきて、ようやく方向性がつかめてきました。結論は簡単なことでした。いつもの通り、わたしが「いま」を楽しく生きていること。もちろんいろんなことはあるんだけど、それを含めても楽しく生きていることを、全身で伝えればそれでいいということ。それだけのことです。
で、会場へ。
「いつきちゃん、ごめん。まだ総会はじまってへんねん(笑)」
実は、そんなアットホームな会なんです(笑)。あたりを見渡すと、知りあいがいっぱい。てか、K坂さん、何回も聞いてるんやから、もういいでしょ(笑)。
で、話はじめて、ふと気づきました。
「あの、2時間もらえるって聞いてたけど、何分までですか?」
「あ、総会が後ろに来たから一時間半で」
そういう会なんです(笑)。
「時間どおり終わる自信ないです(笑)」
「あかんねん。時間が来たら強制退去やねん」
「ほな、団結小屋つくってがんばりましょか」
こんなところでウケるなよな(笑)。
そんなスタートで、あとはいつも通り。何度か聞いてくれた人が、ちゃんと笑うべきところで笑ってくださって、無事終了。
会長さんは「完璧や!」って言ってたけど、まぁそんなことはないです。でも、たぶん、わたしが、いろんなことはあった/あるにしろ、楽しく生きていることは伝えられたんじゃないかな。
でも、パワーを使いました。疲れた。心地よい疲れです。

疎外感と一体感

夜は呑み会です。
わたし、基本的には職場の飲み会はできるだけ参加するようにしています。
まぁ、飲み会が好きというのはあるんですけど、それだけじゃなくて、飲み会ぐらいでないと仲間に入れてもらえないんじゃないかという不安があったりして^^;;。
てことで飲み会に行くわけですが、やはりなんともないアウェイ感があるんですね。なんか、場の空気が自分のまわりにフィットしていない。隙間があいてる感じなんですね。
で、その隙間を埋めるべく二次会のカラオケにも参加します。
若い衆がわたしのために曲を入れてくれたりして、「仲良くしようぜ」感がうれしいです。でも、ここでもほんの少しだけ、やはり隙間があきます。
なんだろう…。楽しいけど寂しい…。
みんなはどんな感じなんだろう…。