薫り華やぐ…。

2月が駈け抜けていこうとしているので、「薫り華やぐヱビス」を買ってみました。
うーん。たしかにその通りです。「軽っ」と思いながらも「ほんとに薫りがあるな」と。もちろん、香料の感じじゃなくてね。
まぁ、いろんな考えがあるでしょうが、わたしとしては「あのヱビス」が対局にあるこういうものをつくるというのは、ひとつのチャレンジかなと思っています。
「こんなのもつくれるよ」
と。だからこそ、ヱビスはあえてあの味を選択しているってことを示せるのかなと。
まぁ、そんなことを思いました。

忙しいのかヒマなのか

2月も最終日。当然のことながら、すでに試験範囲は終わっているので、プリント学習です。ちなみに、プリント学習は楽だけど、根本的にはキライです(笑)。
で、基本は教えあいなので、授業時間はけっこうヒマです。せっかくなので「14歳からの哲学」を持っていって、質問の合間にペラペラめくっていました。
と、前の方の子が、関心を示してきたので
「この本、すごくいいよ」
と宣伝。すると
「哲学ってなにするの?」
という高尚な質問^^;;。
「うーん。わたしってなんだろうとか、わたしが存在するってなんだろうとか、存在するって考えているけど、その考えるってなんだろうとかを考える学問かな」
と答えておきました。ちなみに、正解は知らないです(笑)。
「ふーん。むずかしそう」
「うん。でも楽しいよ(^^)」
「ふーん…(^^)」
みたいな会話。
教員やっていて、ほんの少し心が暖まる瞬間です。

さて、あしたは卒業式です。なので、今日の後半は卒業式準備関連の仕事。
放送担当は、基本的には「いる」ことが仕事です。用意が周到であればあるほどなにもない。なにもないということは、ヒマです(笑)。でも、その時がヒマになるように事前に用意*1をしているわけで。てか、わたしが忙しくしたら、式はメチャクチャになりますね(笑)。
てことで、今日も秘密の待機場所でグダグダしながらヒマな時間を過ごしました。
さてと。あしたはスーツコスプレかぁ(T_T)。

*1:含む、生徒を鍛える

どうなることやら…

昨晩、一通のメールが来まして、急遽大阪に招集されてしまいました。にしても、8時半スタートって、どないやねん(T_T)。
ちなみにパートナーに打ち合わせのメンバーを伝えたら
「あんた、その人らとやったら、いつもトコトンやしなぁ」
と言われてしまいました。たしかに^^;;。
招集かけた人も今日は気合が入っています。
「今日は車を置いてきました!」
正しいあり方です(笑)。
てことで、話は二年後まで飛びながら、えらい大きなところへと吹っ飛んで行って、最後はカムアウトについての深〜い話まで転がって行きました。もう、わけわかりません。
とてもスリリングで楽しかったけど、終電は逃してしまいました(T_T)。

手放すな!

今日の授業のはじめ、宿題をあてました。すると
「わからない」
と。いや、わからないのはまったくokです。それをわかるようにするのが仕事ですから…。なので、
「昨日言ったように、○○しようか」
というと
「へ?」
という顔。なので
「「テキストの余白に○○って書いてね」って言ったけど、書いてある?」
というと
「書いてない」
と。
「じゃぁ、きのう「○○だよ」って言ったけど、覚えてる?」
「覚えてない」
書くこともせず、覚えることもしない。あぁ、わたしはこの一年間、この子たちになにを伝えてきたのかなと思いました。
わたしは基本的に事細かにメモの指示をします。なべなら、わたしの勤務校の子どもたちはなにをメモすべきで、なにはメモしなくていいということを身に着けずに、いままでの学校時代を過ごしてきたからです。
それをしなかったということは…。てことで、お説教(笑)です。

君たちは、結局わたしのことを無視し続けてきたということなんだ。
無視するとはどういうことか。
例えば、駅で寝ているホームレスの人を見た時、君たちは無視をするのか。
わたしはなにもできないけど、せめてその人が生きているかどうかだけは気にする。ケガをしているかどうかだけは気にする。もしも大丈夫であれば、なにもできない自分を情けなく思いながらそこを立ち去る。でも、もしもケガをしていたら、きっと声をかける。
無視をするということは、その人の存在を自分の中で抹殺することなんだ。そして、わたしはどうしてもそれはできない。でも、君たちはそれをしてきた。そしてそういう行為は、実はとても人を傷つけることなんだ。
わたしは、君たちがわたしのことを無視していたということに気づいて、とても傷ついた。

続けて…。

君たちが無視をする時、きっとその前に「わからない」と思って、あきらめるんだと思う。でも、わからないからといってあきらめるのはやめよう。わからないことを手から離すことはやめよう。
残念ながら、君たちの「わからない」と、わたしの「わからない」には違いがある。わたしの「わからない」には引っかかりがある。もしも引っかかりがなくても、必死で爪を立ててひっかかりをつくる。
でも、君たちはその引っかかりをつくる力が弱い。引っかかりがない状態では、「わからない」ことをいくら考えてもわかるはずがない。それはわからないんだ。引っかかりがあるから、「わかる」へと変わっていく。その引っかかりをつくる手助けをするのが私たち教員なんだ。でも、「わからない」を手放した瞬間、その引っかかりはなくなる。
だから、絶対に手放さないこと。

おそらく、これがこの子どもたちに伝える、わたしの最後のメッセージになるのかな。
まぁ、来年また教えるかもしれませんけどね^^;;。

コピーの注文とか

午後の出張が中途半端に早く終わったので、久しぶりにおべんきょ場所へ。さすがに季節外れだからか、誰もいません。
とりあえず、パソコンを立ち上げて、あれやこれやと調べもの。そうそう。少しペーパーを読まなきゃ…。でも、
「こんなの手に入らないよ(T_T)」
と思いながら画面を見ていると「複写依頼」という文字が!すばらしい!思わず6本も複写依頼をしてしまいました。あとの支払いが怖いな(T_T)。

その後、センセのところにごあいさつ。
すると、おべんきょ仲間の近況を聞かせてもらいました。
「あの人、恋人とわかれたんだって。いつきさんに背中を押してもらったおかげだって。「すっきりした」って言ってたよ(笑)」
えーと、人助けをしたのか、それともしなかったのか?てか、あん時ヨッパーだったしなぁ…。
まぁ、本人がいいなら正解だったんでしょう(笑)。

忘れてた(T_T)

出勤途中、いつも「あれやって、これやって」と一日の段取りを考えながら、スマホで遊んでいます。まぁ、考えていることはともかく、やっていることは高校生レベルです(笑)。
で、今日は「あのことについてメールを返して」「あのプリントつくって」「午後から出張」などと考えながら「アンケートの分析もしなくちゃ」と思った瞬間、
「あ!」
と気づきました。そのアンケートの分析、朝に出張があって、そこで発表しなくちゃならなかったんですよ!
えーと。まだ見てない(T_T)。残された時間は…。授業があって、駅まで走って、電車に乗っている時間は7分。あとは歩きだし…。てことは、分析に使える時間は7分しかないじゃん(T_T)。
まいったな^^;;。

で、メールチェックしながら過去ログ読んでいたら
「あ!」
と気づきました。
校正、まだやってない^^;;。しかも、〆切明日。さらに「明日出す」の返事もしてない。えーと、残された時間は…。午前は出張で、午後も出張で、夜は…。やるわけないと。ダメじゃん(T_T)。

でけた!と思ったら(T_T)。

それにしても、わたしのスマホ「きのう」と打つと「機能」が出てきて、「はんにち」と打つと「反日」が出てくる(笑)。
そんな使いやすいスマホで朝の通勤時間帯に原稿を打つわけです。で、完成したらdropboxに放り込んで、パソコン起動して一太郎に食わせて字数調整。
今日が締め切りの文章、なんとか完成して送ったら、夜に返事。
「2行あふれています」
あれ?先月も2行あふれてたな…。
もしかしたら、行数数え間違えてた?
てことで、数えなおしたら、一段あたり1行多く設定をしていました。
しかし、いままで2年間、なぜ書けていたんだろう。謎は深まるばかりです^^;;。

で、語った

「あの人たち」のこと。「あのできごと」のこと。
なぜ自分はそのことで傷つくのか。なぜ自分はそのことにとまどうのか。
数学も大切だけど、ほんとはもっと大切なことがある。でなければ、「わたし」が生徒の前に立つ意味がない。
教員という権力性を持ちながら、そのことに自覚的でありながら、やはり語らざるを得ない。
ふだんは「数学」に乗せて語る。しかし、本当に必要なときは、「言葉」に乗せて語る。語ること。あきらめないこと。
そのために教員になったんだ。

透明性と不透明性とか

この時期になると「評価」がガチの課題になってきます。
「いや、そんなもん、年度当初に決まってるやろ!」
という向きもありましょうが、で、確かにそうなんですが、そうはなかなかいかないところがありまして。やはり、「妥当性」というか「現状追認性」というか、そんなものを考えながら、毎年修正していくものなんです。
ただ、年度当初は忙しいんですね。で、みんなが納得する必殺の言葉が出てきます。
「まぁ、歩きながら考えましょか」
ただ、いつも歩きすぎてゴール直前に
「どうしよう(T_T)」
となる。
で、今年はそれを避けるべく、普段よりも半月早く提案をしてみたわけです。
で、なんとなくわかったことは…。

全体の総枠は、おそらくは透明性と客観性をもっていないといけないのかな。まぁ、「その客観性の中身を客観的にあらわせ」と言われたら「ごめんなさい」なんですが(笑)。
でも、最後の最後に、ほんの少しだけ主観性というか不透明性というかグレーゾーンというか、そういうものがあってもいいんじゃないかと思うのです。
今日の論議でも
「ここの基準はどうします?」
みたいな話が出た時、わたしともうひとりか
「そこはグレーゾーンでいきましょ」
と発言したわけで。
グレーゾーンがあるってことは、そこの責任は担当者がとるということです。担当者が担当する生徒から逃げないために、やはりこの感覚は大切だと思うんですよね。