若手教員に何を伝えるのか

いま、学校現場で深刻なことはいっぱいあるのですが、やはり教員の年齢層のアンバランスはかなり深刻かなと。なんしか、中堅層がまったくと言っていいほどいない。なので、わたしは常にペーペーなわけですo(^^)o
で、いまあちらこちらで「若手への継承」みたいなことを言われています。
が…。
なんか、やっぱりそれって「上から目線」的でイヤではあるんですよね。いや、若手教員、一生懸命やってるし、なにより「でき」がいい。わたしなんかよりよっぽど仕事します。ただ、じゃ、わたしの代わりができるかというと、それはたぶんムリなんですけどね(笑)。
で、伝えるべきところは「そこ」かなと。なぜ代わりができないのか。何が違うのか。
たぶん、とてもよく仕事をするんだけど、とても生徒となかよくなるんだけど、その方向性が少し違う。その「違い」をどう説明したらいいんだろうか。あるいは、説明ではなく伝えるにはどうしたらいいんだろうか。
そんなことを、ずっと考えています。

ま、今日もそんなことを意図した研修会でした。「人権研修」だけど、「人権」も「差別」も一回も出てこない講演。でも、伝わったと思います。少なくとも何人かには。それでいいんです。その何人かがヒントをもらい、試してみる。それが少しずつ広がっていけば、それは「自分で考えてやったこと」だから、きっと自然なものとして、身の丈にあったものとして、そこにあるはずです。

料理の腕

とりあえず、今日の午前中にペーパーを出さなきゃならないので、ひたすらキーボードをパチパチ。なんとか10時過ぎに出し終えてひと息。さて、雑務だ…。
午後から出張なので、そろそろ出ようかも思ったら、メールが一通。
「素材はもらったけど、料理するのはいつきさんでしょう」
い、いや、その通りです。実は、素材をとりあえずお皿の上に並べただけなんです。ちゃんと包丁入れてないし、盛りつけもしてません(;_;)。
バレバレです。てか、わかるわな…。
てことで、料理をやり直しです。
しかし、わたし、そっちの料理のしかた、あまり知らないんですよね。それを教えてほしかったんだけど…。
でも、たぶん
「自分なりに料理してみて」
ってことなんでしょうね。
よし、やろう!

てことで、こもりん

今日はいい天気です。
こんな日は、焼肉…。もとい、ふとんを干して、家にこもります。
とりあえず朝ごはんを食べて、10時過ぎにパソコンに点火。そこから、考え考えひたすら文章を打ちます。
昼ごはんはなんとなく「もんじゃもどき」。いや、昨日の夜、たまたまスルメを見つけたもので…^^;;。キャベツのみじん切りをつくりながら気持ちをリフレッシュ。
で、食べ終わったら、またまたパソコンの前へ。途中、上の子どもにおべんとのネタづくりの司令を出してリフレッシュしながら、ひたすらパソコンと向き合います。行き詰まると、ついfacebookとかtwitterを見てしまい、「いかんいかん」と…。
おふろに入って、晩ごはんを食べたら、またまたパソコンの前へ。
そんなふうに、13時間ばっかパソコンの前に座り続けて、とうとう煮詰まりました。
えい!もうやめ!
ふとんの中に潜り込んだら、またまた「ヒント」が浮かんでくる悲しさです。寝られないじゃん(;_;)。

こういう思いを「忸怩たる思い」と言うと誤用らしい

個人的な事情で、9月以来、しばらく地元以外での直接的な動きは抑制しようと決めました。なにせ、土日をそれに使うと、そうでなくてもいろいろ入っている土日にさらに入ってきて、ほんとに見動きがとれなくなります。
にもかかわらず、いま、「直接的な動き」が、あたかもピークであるかのように、情報はいっぱい入ってきます。突き動かされそうな身体を、とにかくとどめる。
でも、そう決めた。だから、今はそうする。
ちなみに、仲間たちはみんな「そりゃ、そっちが大切だわ」と、口を揃えて言ってくれてます。みんな優しいなぁ。その優しさに応える意味でも、がんばらなきゃな…。

35年の重み

今日は某在日外国人教育関係の会議のあと、多文化共生フォーラム奈良の35周年のパーティーに参加しました。で、いろんな人のスピーチを聞きながら、あらためて35年という重みを感じました。
35年前…。1979年。わたしが大学に入る前ですね。そんなころから在日外国人の子どもたちの教育にまっこうからとりくんでおられたわけです。それは単に「教室の中で在日外国人理解の教育をする」などという話ではありません。ひとりの在日外国人の子どもにかかわるということは、その子の進路保障をするということです。で、その進路保障とは、単にその子の進路を保障するということではなく、社会の有り様を変えていくなかですべての在日外国人の子どもの進路を保障するということです。実は第一世代の方のうち何人かはすでに亡くなっておられます。あるいは定年退職を迎えた方もおられます。それでも、今もフォーラムは続いています。
この35年の間、いろんなグループができています。きっと「新しい活動」をされているんでしょう。それはそれで大切だとは思います。ただ、「新しい活動」が見ている課題はあるんだろうけど、フォーラムあるいは全外教が見ている課題が解決しているかというと、何も解決していない。いや、「なにも」ではないか…。解決の方向へ動かしてきてはいる。でも、逆行している部分もある。
35年もやってきた活動って、重いです。それはいろんな意味で重いのです。たぶん、新しく「自分がやりやすい活動」をつくったほうが楽かもしれない。でも、やっぱり、この歩みはとめたらあかんなぁ。そんなことを、焼酎を飲みながらぼんやりと考えていました。

効果のある学校

教育の階層間格差をどう埋めていくかという論議の先に、いま「効果のある学校」とか「力のある学校」ってのが、いろいろ論じられてます。今日のおべんきょのテーマはそのあたりの話でした。まぁ、「流れ」としては当然のこととして…。
これ、絶望的とも言える「コールマン報告」のあと、「ちょっと待ったぁ!」という感じで出てきたエドモンズらによる「エフェクティブ・スクール」からスタートしてます。しかし、エドモンズさんたち、よくぞやったなぁと思いますよね。たぶん、コールマン報告って、えげつないサンプル数なんじゃないかと。で、それを整理しなおして、「少数ながらも低い階層に置かれた子どもたちであっても高い学力を保障している学校がある」って見つけ出すんですから。そのモチベーションはどこから来たのかってのが知りたいです。んー。もしかしたら「アメリカンドリームの証明」いや、「パンドラの箱の中をのぞきこもうとした?」。ま、わかりません。
で、同じことは日本でもいえて、それを大阪で調査研究しているのが「力のある学校」ってやつですね。
これ、ある意味、同和教育の正当性であるとか妥当性であるとかを証明しようとしているとも言えるんじゃないかと思います。それだけに、貴重な論考なんだと思います。
ちなみに、このあたりの話は個人的には10年位前から注目をしていた、というか注目せざるを得なかった話でして。いまもすごく興味を持っているところです。
で、センセがバクっと言われたことを、さらにバクっと言うと「これまで学級経営であるとか授業力であるとかによって学力の向上を考えていたのを、学校経営の観点から考えようとするもの」ってことのようです。ところがこれ、教育社会学のギョーカイではいろいろな論議があるようです。
というのは、同和教育の流れで言うと「おぉー!」というパラダイムの変換なんですが、学校経営学をずっとやっていた人から見ると「プッ、今ごろ」みたいな話だそうです。ま、そりゃ、その道のプロですからね。ただ、これはこれで問題でして、学校経営学でされている論議には、「力のある学校」で論じられている「背景」がない。つまり、「こうすればうまくいく」というだけのことであって、そこにある学校間格差なんかは論じられていない。極論すれば、どこぞの文教区でも生活保護世帯が山のようにある学区でも同じ論じ方になる。とすると、「学校経営学」で論じられているリソースを持たない校区の場合、実現が困難になる。となると、学校間格差が拡大する。
つまり、両方の観点が必要ってことです。でも、その両者の架け橋となるものが、いまのところない。
ま、そんなあたりでしょうか。

で、ま、それはそれなんですが…。
たぶん、同和教育畑の人間は、あの「力のある学校」についての文章を読むと、これまた別の観点で「プッ」となってしまうところがあるんですね。もう少し言うなら、「みかんの汁で書かれているところ」がある。ほんとうはそれをオープンにしないといけない。
それは「「力のある学校」をつくるためには、そうとうなリソースの投入が必要である」ということです。もう少しはっきり言うなら、学校間格差を埋めようとするなら、人とモノと金をつぎ込むことが必要で、それを担保したうえでの学校経営であるということです。で、それ抜きには、単なる精神論と労働強化の問題にとどまってしまう。

おそらくは、「力のある学校」の論議をしている人たちの頭の中にはそれはあるはずです。でも、出してない。それはなぜか。
まぁ、たぶん「大人の事情」なんですかね(笑)。

なんもない…。けど

朝、仕事に行って、仕事して、昼のおべんと食べて、午後は少しおべんきょもして。6時くらいに力尽きて、家に帰ってビール呑んで寝る。
ま、そんな日常です。
そんなに毎日毎日なにかがあったらたいへんだわ(笑)。

けど…。
この追い詰められ感はなんだろ…。
俵に足がかかって反り返ってる感じです。
このままなら寄り切られて負け。勝ってもしのいだだけ。かなり不利だよなぁ…。
てか、なんで単に生活するのに勝ち負けが必要なんだ?

取り残され感?

ここ数年、おそろしいペースで社会というか世間というか、そんなのが動いているような気がします。で、去年の今頃は、その動きにのって、いろんなことをしてました。そのおかげで、今も動きに呼応した情報がいっぱい入ってきます。それはそれでいいのですが…。
9月以降、1月終わりまでは「あえて動かない」と決めました。なので、情報が入ってくるけど動かないという選択をしています。
うーん。取り残され感はハンパないです。
でも、一方で「これもまた大切なんじゃないかな」と思うこともあります。それは「流れの中にいたのではわからないことや、とりこぼすことがあるのかも」ってことです。

例えば、次から次から「新たな問題」が起こる。それにひとつひとつ敏感に反応をしてしまう自分はいます。でも、そうやって反応すると、次第に自分が継続的に考えていることが「古いこと」のように思えてしまう。すると、相対的な「魅力」が減っていく。
でも、「新たな問題」にシフトしたら、「古いこと」は解決するのか。たぶん棚ざらしというか塩漬けになるだけで、解決しない。なので、例え取り残されたとしても、「古いこと」を考え続けなきゃならない。
まぁ、言い方を変えるなら、新幹線の中からは見えない風景が、歩きの中からは見えてくるってことでしょうか。必ずしも新幹線に乗って遠くに行くことが「いいこと」ではない。新幹線で通り過ぎたところに大切なものがあるかもしれない。

まぁ、わたしはアクティビストじゃないからな(笑)。

あっちこっち

朝、とりあえず地元の行きつけの内科医に行って先週の血液検査の結果を受け取りました。
てことで、こんな感じでした。

測定日 E2(pg/ml) T(ng/dl) 薬(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/08/10 67.3 0.05(ng/ml)     4 1本弱
2007/02/08 1430.0    5 1本弱
2007/04/10 1386.0     4 1本弱
2007/06/14 587.2   3 1本
2007/08/16 104.1   2 1本
2008/02/14 681.1   2 1本
2008/04/10 418.0   1.5 1本+α
2008/06/04 65.0   1 1本では足りない
2009/01/27 69.0   1.5 1本
2009/09/17 88.8 603.9   1.5 1本
2009/12/8 174.9 33.6   2 1本
2010/04/26 97.5   5/3 1本
2010/08/09 10以下 0.4 12.9 43.3 0 1本
2011/02/16 43 0.3 13.7 35.3 0.5 1本(無敵)
2011/09/21 24 0.2 14.3 36.3 0.5 1本
2012/07/24 10以下 0.1以下 17.8 63.0 0.5 1本
2012/11/17 30 0.2 9.9 25.1 1 1本
2013/11/11 42 0.1 4.7 19.2 1 1本
2014/03/04 50 0.1 10.2 22.1 1/2 1本

!2014/11/06|20|0.1|8.2|17.3|1/2|1本|◎|
※2013/11/27よりエストラーナを1/2

E2の値が少し低いですね。50くらいがいいらしいです。まぁ、エストラーナを貼り忘れることがちょこちょこあるので、それが原因かもしれません。やはりマジメにやらないといけないのかな。

ちなみに、基準値は以下の通り。

ホルモン 男性 女性
E2(pg/ml) 19〜51 19〜226(卵胞期)・49〜487(排卵期)・78〜252(黄体期)・39以下(閉経後)
テストステロン血清(ng/dl) 225〜1039 3〜67
望ましいT値(ng/dl) 100

で、ホルモンよりも問題なのはγGTP関係です(笑)。

測定日 γGTP ALT
基準値 1-80 5-45
2010/08/24 107 36
2011/08/23 223 82
2011/09/21 184 57
2012/07/24 100 29
2012/11/17 72 26
2013/11/11 118 34
2014/03/04 100 22
2014/11/06 118 23

実は夏の終わりに測定した時は、γGTPが300越してたので、今回は少し気合を入れて下げようと思ってたのですが、10月〜11月が予想外にハード(笑)で、思ったよりも下げられませんでした。でもま、これくらいならマシはマシですね^^;;。

そんなこんなで、そのまま行きつけの産婦人科でヤクをゲット。ふだんは「はいはーい」みたいな感じですが、今日は少しだけ相談。
「ホルモン、いつまでやりますか?」
「さぁ…」
みたいな。つまり、レセプターの問題があって、ネーチブ女性のホルモン補充療法とは違うと。となると、メリットよりも血栓のリスクを考えたほうがいいと。てことは、参考にすべきは前立腺治療あたりなんじゃないかなと。いずれにしろ、症例がないのでわからないと。
ま、そんな感じだったので、とりあえず「わたし」は症例になるべく各種データをとっているので、「後世の人々のために参考にしてね」とは言っておきました(笑)。

で、そのまま京都府中部まで出張。
出張のあとは大阪で定例の会議。
定例の会議のあとは定例の呑み会。
で、定例の終電に乗って、家に帰ると、そのまま爆睡(笑)。

打ち合わせのあとは呑むんだけど

今日は2月にある某研究会の総会の講師さんと打ち合わせ。てか、この時点では「講師を依頼している人」ですね。まだOKもらってませんから^^;;。
とにかく、依頼するわたしたちの側の意図と、お願いしている松永さんの考えておられることのすりあわせというか、そういうものをしなくちゃなりません。
で…。
かなりなかなかおもしろいひとときでした。
例えば「身体障害は受け入れられるけど、知的障害は…」みたいな話は、おそらくはどこにでもあるんじゃないかと。それに対して「ほんまに受け入れてるのか?」という問いかけが必要である。というのは、「健常者ペース」にあわせることのできる人だから受け入れられるだけのことで、それは「健常者ペース」という枠組みそのものを問うていないじゃないかという話。
そういう「健常者ペース」にあわせることがなまじできてしまう自分をずっと問うてきたという話。
あるいは「障害」の「害」にこだわる健常者に対して、そこにこだわる以前に、じぶんの「健常」という言葉にこだわる必要があるんじゃないかという話。
ひとつひとつの言葉をゆっくりと選びながら、出される話題は、わたし自身に返ってきます。

なんか、でも、ふと思ったのが…。
「枠組みそのものを問わない」という人って、小学生にも高校生にも教員にもいる。で、例え教員に対して話をするとしても、「枠組みそのものを問わない人」に対する話は小学生に対する話と同じになってしまうんじゃないかな。で、そのことを「失礼」ともしも言うなら、それはそのことのほうが「失礼」なのかもしれない。

てことで、あとは呑み。
天王寺はいい街です(笑)。