うまくいかんなぁ…。

昨日は昼間に呑んで、夜は飲まずに寝たおかげで、体調はかなりマシです。よかったよかった。
てことで、職場に行って、雑事スタート。ひとつ調べたいことがあって、そいつの表をつくってみたりして。ま、大学進学率の経年変化なんですけどね。それがなかなかいい線をついている感じなので、密かに楽しんでいたりしたんですが…。でも、その「線」を表現する言葉を探しはじめたら、とたんに行き詰まったりして。ま、それもしゃーないですね。
で、うんうん考えていたら、ボスから電話。
「ちょっと忘れてたんやけど、○○しといて」
そっか、そう言えば、そんな時期か…。ま、そいつが優先事項ですな。てことで、あちこち調べにいって、書類作成。
ま、そんなことをしていると、あっという間に6時になるわけで、そろそろ脳みその限界です。
うーん。
にしても、結局、やりたかったことの3分の1しかできてない。
うまくいかんなぁ…。

「やらんでくれ」との願いもむなしく

玖伊屋明けの朝は、いつもの通りグダグダです。
なんしか朝ごはんをつくらなきゃ。
とりあえずごはんを炊いて、雑炊づくり。あとは、おみやげにいただいたおそばを茹でて。そんなこんなをしてから、わたしはちょいと早めに会場を脱出。向かうはマルイ前です。
なんか、いらんことしぃの人が「いらんこと」をやるとか言うので、カウンターです。いや、マジでやらんでほしい。
「来るなよ、来るなよ」という願いもむなしく来ちゃったので、1時間ほどカウンター。もうヤです。気分が悪くなります。なにやってるんだろうという気分です。
で、カウンターを終えて、おたふくへ。
なんでもIずみちゃん、体調が悪いらしく、2時すぎに出なきゃならないとか。たしかに、ぜんぜん食欲もなさそうだし、心配です。でも、ちゃんと笑顔でいてくれるのがうれしいです。
2時すぎにみんな帰って、それと入れ違いでK淵さん登場。この人は、相変わらずの絶好調です(笑)。結局、焼酎お湯割り濃い目梅干し入りを何杯呑んだかわからん状態で、さらに長浜ラーメンをすすりに行って、なんか、フラフラになりながら家に帰りました。
まぁいいです。そのまま爆睡ですね。

鍋2発・玖伊屋の夜

今日は玖伊屋です。さてと、メニューをどうするか…。ま、白菜のおいしい季節ですから、ピエンローでしょうかねぇ。
てことで、朝のうちに安い店に行って肉を仕入れておきます。
で、家に帰ると、来てました!

グールドのバッハ全集です。うれしいなぁ(^^)。
さてと。じゃ、バッハを聞きながらちょいと本を読もうかなと思ったのですが、音楽聞きながらは本は読めないですね^^;;。結局本は頭に入りませんでした(笑)。

で、時間が来たので東九条へ。
今日の調理は楽です。ひたすら白菜を切りまくって、鶏肉を切りまくって、グダグダ煮るだけです。
でも、できあがったピエンローは、やっぱりおいしい!みなさんが持参してくれたお酒が、これまたおいしい!
そうこうするうちに、身の上相談のためにわざわざ来てくれた人とか、就職が決まったことを伝えにわざわざ来てくれた人とかがいて、ほんとにうれしかったです。
なんか、幸せになりながら2時くらいまで話をしてたのですが、眠くなったのでおふとん敷いて寝ることにしました。
んー
ここ、出入り口の前だなぁ…。
ま、いっか(笑)。

メゾとミクロ

去年だったかに、マクロ・メゾ・ミクロについて考えたわけですが、そんなことをふと思い出す、今日のおべんきょの前半です。
内容的には新渡日の子どもたちへのとりくみの話なんですが、京都市教育委員会レベルではそれなりにマニュアルもつくっているし、制度も保障している。にもかかわらず、現場の教員、特に新渡日の子どもを担任している教員がそのことを知らないという話です。
まぁ、これ、もったいない話です。せっかくさまざまなリソースを用意してくれているのに、知らなければアプローチすらできません。ただ、なぜ知らないんだろうとは思います。それを教員個人のせいにするのでもなく、教育委員会の怠慢とか広報のまずさにするのでもなく、もう少し構造的に捉えてみたいなぁとか、ふと考えてみたりするわけです。
そこで、メゾとしての教育委員会とミクロとしての学校・教員の「ズレ」が出てくるのかな。そのズレの内容は、実はわからないのでなんとも言えないのですが、もしかすると「よかれ」と思って制度をつくるけど、その制度がミクロレベルでは「負担」となるので、自然とそこから逃げてしまうみたいなことはないのかなぁとか。ちなみに、この「負担」というのも意識的ではない気がするのです。
教員って、平等性をすごく重んじる気がします。実際に平等かどうかは別としてですが。そうすると「制度」は「特別扱い」になる。それは平等性とは反対に思えてしまう。でも、実は「平等性」って楽なんです。「なにもしないこと」ですから。
なんか、そんなあたりにカギがある気はするのですが…。

久しぶりに来た

今日はおべんきょ仲間と飲もうという話もあったのですが、そのすぐあとにメールが来て
「ウトロの会議があるから、来られるなら来てほしい」
とのことだったので、そちらを優先することにしました。
わたしは1992年にウトロに行くようになって、それから10年くらいはしょっちゅう行ってましたかねぇ。その後、なんだかんだで忙しくなって、しかも引っ越してしまった関係で、最近はぜんぜん行けてないのですが、やはりいつも心の片隅にウトロがあり続けています。
久しぶりにウトロの会議に行くと、いつもの変わらない人々が論議をしています。かつては「裁判をどう闘うか」という話だったけど、今は「街づくりをどうするか」という話になりました。決して「ベスト」の状態ではないですが、「ワースト」であればウトロの街はなくなっていたわけで、それはとにかくくいとめられた。そして、やっと「ベター」な「ここ」まで来たんだなぁという気がしました。
わたしがウトロに出入りするようになったのは裁判闘争になってからですが、それより数年前は「水道管敷設闘争」があったわけで、そのころからかかわりつづけている人たちにとっては、ほんとうに「やっとここまできた」「あと少し」という思いでしょうね。
でも、わたしですら、この20年の間に亡くなられた方がおられることを知っています。その人たちの無念さは、おそらくは「恨」ということなのかなぁ。わたしにははかりかねる深さや重さがあるような気がします。
しかし、10年以上不義理をしているわたしを、変わらないあたたかさで迎えてくださるウトロの人々に、なんとも言えない感謝の気持ちがわいてきました。
わたしなりに、できる形でウトロにかかわり続けていきたいし、街づくりを見届けていきたいし、なによりウトロのハルモニたちオモニたちの笑顔が見たいなぁ…。

ここをもっともっと詰める

なんか、「考え」のエントリと「おべんきょ」のエントリがほとんど同じになりつつあるわけですが(笑)。ま、しゃーないといえばしゃーないですね。
ま、それはおいといて…。
帰りの電車の中で本を読んでいて、突然ひらめいたことがありました。さっそくevernoteにメモ。あ、メモするときはwritenoteってアプリが便利です。
あー、でも。
今までだったら、この時点で「わかった!」「できた!」ってなったんだろうな。でも、「ここからはじまる」って考えなきゃならないんでしょうね。
「ひらめき」を出発点にして、詰めていく。詰めていくためには調べなきゃならないことが山のようにある。瞬発力と持続力。でも、それこそが「ひらめき」を形にすることなのかな…。
にしても、詰めるための方法は考えついてるんだけど、メッチャめんどくさい(;_;)。そんなことする時間、あるのか?

モードの切り替え

ここ半月、とにかく「おべんきょモード」でした。でも、とりあえず今日で一段落です。朝のうちはさっくり仕事。昼から出張。出張に行く電車の中では本を読んでと。
あー、「ために」読む読み方とは違う発見がありますねぇ。自分の読み方の浅さがよくわかります。
午後の会議を終えて、夜は夜で会議です。うーん、よくわからん。なんでこの会議に出さなきゃならない事例なのかわからん。
かつては「Aを実現するためにBという「口実」を使う」というロジックだったはずなのに「BだったらAをやるのがあたりまえ」みたいになっているのかなぁ。
てな感想を持ちながら、会議の後の呑み会へ。
てことで、今日も終電決定です(笑)。

あー、楽だわ(笑)

いま考えたり、やったり、やろうとしていることに比べたら、「日常」はほんとに楽。
もちろん、それなりの蓄積があるからだろうけど、「わかりやすく」のためのアイデアがいろいろ浮かんできます。それをその場で試してみる。ある意味行き当たりばったりなんだけど、どうせ綿密な予習をしていっても子どもたちの反応で無意味になるし、逆に予習にとらわれると子どもたちの反応に対応できなくなる。それなら、今日の内容のエッセンスだけを考えて、あとはその場で反応できる反射神経を養うことのほうが大切なんじゃないかな。
そんなふうしてやってきたのですが…。
それにしても今年は…。そう言えば、かつてこの分野で「ほい」とあてて、すぐに黒板に書きに来る子いたかなぁ…。たぶんよほど得意な子ぐらいだった気がする。
ま、みんなが勉強してるのは確かだし、それがメインの原因ではあるけど、そこにほんの少しではあれ、なんらかの「お手伝い」はしてるんだと思う。というか、思いたい。
なので、今日も予習なんかせずに、他のことをやっていましたよ(笑)。
あー、楽だわ(笑)。

片づけ

今日は一日オフです。でも、ほんとはやらなきゃならないことが山積みなんですよね。
さて、どうしたものか…。
でも、とりあえず片づけをしましょうか。なんしか、「山登り(笑)」の最中は片づけはできないし、おかげさまで、本や紙が散乱しています。
必要ないものはズバッと捨てて。ついでにいままで溜め込んでいたペーパーもちょこっと捨てて。だって、うまく行けば、たぶんこれから何年もそんなの読む時間はないでしょうからねぇ。
てことで、夕方あたりには部屋の中がかなりスッキリしました。まぁ、まだまだやけどね。
さてと、気持ちを新たに「先」を向こうかな。

切実さ・再び

今日は久しぶりに「4人」の呑み会です。やはり、せめて1年に1回くらいはこの呑み会をしたいです。
で、みんなで集まってお店に移動。
まずはこの1年、あるいはこの7年の変化について話をしたり。
でもそのうち、いろいろ最新の話題になるのは当然です。で、出てきた話題が…。
「学生アンケートで「あなたが出会ったマイノリティは?」というのをやったとき、「出会った」という回答が一番少ないのは部落の人」
これをどう考えるかでした。
昨日に引き続き、今日も「切実さ」です。
いや、まっとうというか、まっすぐというか、そういう答えは「部落差別はやっぱりきついから話せない→出会わない」なんですよね。
でも、昨日の考えでいくと、「リスクやめんどくささと切実さのバランス」が「カムアウトしない」に傾いている可能性がある。じゃそれってなんなんだろう…。

例えば、「説明のしにくさ」みたいな可能性はないかなぁ。
つまり
「わたし、部落やねん」
「部落って何?」
「いや、部落っていうところに生まれたらな」
「なんで?それがあなたとどう関係あるの?」
「…」
みたいな。
なんというか、カミングアウトって、実は「共通理解」が成り立っている上で成立するんじゃないか。あるいは、共通理解を得るところまでカミングアウトする側が説明しなくちゃならんのじゃないかと。それをしないと成り立たない。
となると、部落問題学習がどんどん減っている今「共通理解」がとても得にくい状況がある。で、その共通理解を得るための努力を「カミングアウトする側」が担わなきゃならない。カミングアウトする側はそこに「(結局理解を得られない)リスクや(理解を求めるために自分も努力しなくちゃならない)めんどくささ」がある。そして、その「リスクやめんどくささ」の質や量とカムアウトによって得られるもののバランスです。その「リスクやめんどくささ」を引き受けて、なおカミングアウトする切実さがあるかどうか。
それは、部落、レズビアン、ゲイ、あるいはトランス、外国人、ダブル、その他さまざま、それぞれの課題やその人の状況で異なるんでしょうね。
なんか、そんなことを考えたり話したりしてたら、おっと、閉店の時間です。