今日は某在日外国人教育関係の会議です。
とりあえず眠い目をこすりながら会議の場所に行くと、すでに何人かおられます。うわ、鍵あけ。すみませんすみません。
午前の会議を経て、途中ラーメンとガソリンを補給して午後の会議へ。
うーん。会議の回数減らしたから、なんか、うまくまわってるのかどうなのか。一回ごとに決めなきゃならないことがすごく多い気がします。でもま、経費節減です。
てことで、いろいろ不安を抱えながらも会議は終了。
その後、みなさんとわかれて別のところで飲み会。気がつくとワインボトルを抱えて鴨川の河原にいました。
いやぁ、いい季節です。ワインがうまい!

パートナーのストーリー

今日は、「会いたい!」ってたまに言ってくれるお友だちに誘われての呑み会です。お互い、長い時間をかけてトランスをしてきたので、互いに違う環境ではあるけどわかることもまたある。なので、「あー、わかるわかる」「へー、そんなことがあったんや」みたいな話を延々としてました。
でも、一致したのは「パートナーの位置づけ」でした。
たぶん「パートナー」って随伴的というか、メインディッシュの「トランス」がいて、そのメインディッシュがあってこそのパートナーというか、もっと言えば添え物みたいに扱われがちだけど、それさ違うってことです。
実は、パートナーは当事者なんでしょうね。パートナーにはパートナーの語りがある。
そんなことをあらためて感じたので、そのうちKんちゃんな話をしてもらおうということで一致した、とてもいい呑み会でした(笑)。

身体が思い出す

昨日のイレギュラーな呑みは、案外早く終わったので、昨日は10時過ぎに寝ちゃいました。で、今朝は5時半起床のつもりだったけど、6時まで寝させてもらうことにしました。
睡眠時間は、都合8時間弱。
眠い。とにかく眠いです。なぜに8時間も寝られたのに眠いんだろう…。
あ、もしかしたら、「寝る」ことによって、身体が「慢性的睡眠不足にある」ということを思い出したのかな。
てことは、眠気を感じないためには、ある程度寝ないほうがいい?
これは悲しすぎる(;_;)。

イレギュラー?

今日は夜、「打ち合わせ」があります。
ちなみにメールでいつもの質問「ビール?orコーヒー?」とたずねると「コーヒーか食事で」というビミョーな答えが返ってきたのでどうしたものかと考えていました。
でも、いざ合流時に「飲み屋しか知りません」と暴言を吐くと「じゃ、飲み屋で」となったので、なんとなく結果オーライかなと(笑)。
てことで、「世界一うまいすじ肉を食べに行きましょう」ということになりました。

まずはビール。うまい。今日は暑かったから、マジでうまい。
あとは延々と語り。まずはこのインタビュー記事からスタート。そこから、マイノリティとマジョリティの話とか、授業の話とか。なんか、好き放題しゃべってた気がします。が、ハイボール濃い目に移行したから、そのあたりは話半分だな^^;;

打ち合わせの相手の方は遠方から来られたので、今日はサックリとあがることにして、帰りに少し道案内をすることにしました。京都の街の「不思議さ」に、ちょっと驚いてもらえたかな。

さてと。今日は早めに寝られそう。
家に帰ったら、速攻で爆睡です。

ウトロづくし

今日は某研究会の課題別研究会。
午前はウトロのフィールドワーク。午後は場所を「第二のふるさと」にうつしてちゃんへん。さんのパフォーマンス&トークです。

まずは午前のフィールドワーク。案内してくださるのはウトロ守る会の斎藤さん。今回は新資料がプリントされてました。どんな話になるんだろ。期待がふくらみます。
斎藤さんの話は、まずは歴史からはじまりますが、これが濃い。なんというか、午前二時の天一のスープのように濃い。こってりとした歴史の話を聞いて、いよいよフィールドワークです。
ところが、これがまた濃い。ふだんはサラッとまわっていかれるのですが、今日はひとつのところで、そこに刻まれた歴史を丹念に話されます。まわったのは、南側の水路と集会所と飯場跡と会長の食堂(笑)と北側の看板くらい。距離にして数100メートルですが、これを1時間ほどかけて話されました。あと、ラッキーなことに途中キョンナムさんが登場されて、しばし思い出話を聞かせてもらえたり。
ものすごく濃いウトロの2時間を過ごして午後の部へ。

「第二のふるさと」の体育館に着くと、すでにリハーサル中です。えらいこってす。
で、しばしパタパタして、パフォーマンス開始。今回は隣にある保育園の園児さんも見に来てくれました。もう、世界一のお手玉にやんやの拍手です。
今回はトーク&ラップのあとは質疑応答があるのですが、これがまたなんというか。トークって「完成されたもの」なんですね。ところが、質疑に対する応答を聞いていると「生身やなぁ」という感じが伝わってきます。
なんというか…。
トークの最中は声も大きいし、そもそも声を張ってる。そして身体も大きく見えます。ところが、質疑応答になると声も普通になるし、そのぶん身体も小さく見えるけど、距離が近くなる。
いろんな顔のちゃんへん。さんを感じて、今日の課題別も終了。

さてと。
帰りに歯医者に寄らなくちゃ(笑)。

日常

朝起きると、頭の中で「民主主義ってなんだ!なんだ!」がこだましてます。ちなみにこれ、わたしだけじゃなさそうです(笑)。
それにしても、あまりにも週末と平日のギャップがありすぎます。
そんなギャップは、ひたすら「作業」をしてクリアするに限ります。ちょっと面倒な作業をここぞとばかりにこなして、気がつくと6時。
ま、「移行」にはちょうどいい。

泣けた

合宿所で目を覚まし、とりあえずいったん家に帰ることにしました。とにかくしんどい。
家に帰って、お風呂入って、服を着替えて、ようやくひと息。
で、再び合宿所へ。後かたづけが待っています。
子どもたちはとにかく話し込み。わたしたちはとにかく掃除。ま、それでいい。
みんなが帰ってしまった合宿所で、Tーマス、Sみずくん、わたしで
「嵐が去った感じやなぁ」
「ここだけの話、家にいるよりも「日曜の昼」って感じがするなぁ」
と、しばし休憩。
で、天一へ(笑)。

午後はSEALDs_Kansaiのデモ。
学生さんががんばるなら、それを盛り上げるのが先輩の役目でしょう。てか、わたしも学生だけどね(笑)。
円山公園に着くと、なんだか異様に人がいます。カウンターでおなじみの人たちも多数来ています。この人たちは理屈よりも先に行動する人たちなんですね。そんな人たちの仲間に入れてもらえているのは幸せです。
デモの2時間、ラップにあわせてケンガリ叩きまくりました。
それにしても、沿道の人たちがいい!手を振る人、ピース出す人。みんな笑顔です。「憲法守れ」「平和を守れ」という、当たり前のことがコールになってしまうこの国の現実があり、でも、そのコールに笑顔で応える人がたくさんいる。「まだもう少しこの国に希望を持ってみようかな」と思えた瞬間、泣きそうになりました。
デモはなんでも2000人超えだとか。すごいわ。四条→河原町→三条→川端が、ほとんど人で一周したのかな。
デモが終わってクタクタに疲れてたけど、某所で某ミーティング。これもまた仲間に入れてもらうのがうれしいです。ま、ミーティング中宴会してたけど^^;;。

てことで、家に帰ると11時。「ちょっと横に」と思った次の瞬間、寝てました。

今年もこの役まわり→またまた東九条

今日は組合の定期大会です。とは言え、人数がメッチャ少ないので、「ロの字型」でできてしまうのが悲しいです。で、わたしの役まわりは議長。うーん、寝不足なんだけどなぁ(;_;)。
でもま、会議は滞りなくすすんで、昼前に終了。

午後からは「全国在日外国人生徒交流会」の事前合宿です。
とりあえず合宿の場所に行って、みんなのエスニシティを聞いて、今日のメニューを考えます。材料を書き出したところでダウン。しばしおねんねです。
で、晩ごはんづくりから参戦。
夜のミーティングは教員は参加禁止(笑)。
てことで、夜中にやってきたTーマスを交えて、台所でダラダラと呑み。「キラッキラしたのが苦手」という話で盛り上がりながら、気がつくと4時半です。
寝なくちゃ…。

恒例か?餃子鍋パーリー

今日はO大学のイノベーションプログラムの学生さん対象のお座敷です。これ、去年もやった。というか、去年は単に餃子をつくっただけでした^^;;
でも、今年は「なんかしゃべれ」って言われたので、7月15日に話す内容の「プロトタイプ」を話すことにしました。
なんかここしばらく自分の中でぐるぐるしていることを、未消化なままリバースしちゃいました。でも、それが学生さんたちに強烈に共振したみたいです。終わってから何人かの学生さんが「しんどくなった」とか「あたってしまった」とか言ってくださいました。考えてみると、これほどまでに共振されたことはなかったな。やはり、わたしがぐるぐるしてるところでぐるぐるしてる人はいるんだな。
そんなことを感じながら、なぜか餃子鍋パーリーへと移行。みんなで餃子をつくって、火鍋に入れたり豆乳鍋に入れたり。もちろん熱い口の中を冷ますのはビールです。
いやぁ、楽しい(^^)。

ニーズ

この1年、ある授業で「ともに考える」ことへのチャレンジをしています。
「考える」ことは、うちの子らの課題だと、わたしは考えています。ヤツは「感覚」は、たぶんあります。なので「思う」ことはできる。共感する力もある。でも、「なぜ?」と問われたら、そこからは前へ進めない。なぜなら「感覚」で判断しているからです。
日常生活を送る上で、ほとんどの場合それでことたります。なので、たぶんヤツらはそれで「よし」としているんでしょうね。
でも、わたしは、できることならもうひとつ踏み込んだ生き方をしてほしいと、おせっかいながら思っています。なぜなら、そのほうがめんどくさい人生を送れるからです。そのめんどくささを経験したうえで、「なぜ?」を考えない人生と「なぜ?」を考える人生のどちらをとるかを考えてもいいんじゃないかと思っています。なぜなら、選択肢が多いほうがいいということです。
ただ、「なぜ?」を考えずにすむ人生をそれなりに送ってきた子らに「なぜ?」を考えることを要求するのは、とてもハードルが高いということが、少しずつわかってきました。
ヤツらは、ある意味とてもマジメです。単純に数学をしたくて選択した「数学」という名前のついた中身のない授業で「ヤツらが数学とは関係ないと考える」中身でとまどっている。そして、どうやら、その中身はとてもめんどくさい。なぜなら、考えることとそれを言葉にして表現することを要求される。さらに、考えるためには他の人の話を聴かなきゃならない。常に聴き、考え、表現すること。言い換えると、常に「参加」が求められる。これは、ヤツらが今まで経験したことがない。あるいは拒否してきた。あるいは経験させてもらえなかった授業なんじゃないかと思います。
しかし、「わたし」は「これが数学だ」と考えます。「なぜ?」と考え、それの答えを探す。ひとりで/みんなで。だからこそ、「数学」という看板の「中身のない」授業の中でチャレンジしました。「なにかが与えられるのを待つ」「与えられたものへの選択肢はわかる/わからない・できる/できない」ではない、それが数学なんだと、わたしは考えます。
でも、ヤツらにはそれはわからない。そして、たぶんとてもしんどい。
それに比べたら、「与えるのは教員」「逃げたいときは邪魔さえしなければ何をしても大丈夫」な一方的な講義はいかほど楽なことか。
そして、ヤツらは「自分の本来のニーズとは違う」と感じ、「参加」から逃げはじめる。
さてと。どうするかな?