最後はこれか?

今日はヤクゲトの日です。なので、朝はゆっくりできます。金曜日の夜から続く絶不調を、このあたりで断ち切りたいものです。
で、無事ヤクをゲットして、午後からは出張。小学校・中学校・高校の3本のレポートを聞きました。
小学校のレポートは…。それ、人権のレポートちゃう。授業実践のレポートや。てか、授業がわからない子にわかるように教えるのはレポートちゃう。それ、普通のことや。そんなことを思いながら、ボーと聞いていたのですが、レポートのあとの休憩で研究会の会長がやってきて、「いつきちゃん、質問してーや」とのお言葉。「質問してくれな、育たへん」。へいへい。
で、中学校のレポートは…。それ、人権のレポートちゃう。保健のレポートや。なんしか、子どもの思いがまったく伝わってきません。まぁ、担任じゃない人がレポートしてる時点で、そこを指摘するのはあれやなぁと思いながらも、会長のお言葉があったので、いろいろツッコミ。
最後の高校のレポートは…。疲れたから休憩(笑)。まぁ、仲間のレポートなので、ツッコむところもないわけです。

で、知り合いに京都駅まで送ってもらって、大阪へ。
まずはKうさんと梅三小路のとあるビールの店で合流。少し気になっていることを打ち合わせ。で、ふたりそろって5分遅刻で会議場所へ。まぁ、ふたりそろって遅刻したら、なんで遅くなったかは明白ですが、みなさん笑って迎えて下さいます。
会議の方は、特に荒れることもなく(笑)。まぁ、荒れる要素がどんどんなくなってきてますね。
にしても、なぜにトランス女性が表面化しないのかなぁと考えていたのですが、結局医療のお世話になる必要がないんですね。
ホルモン→自己輸入
SRS→タイ(会議の必要なし)
戸籍変更→会議の必要なし
です。それに対して、トランス男性は
ホルモン→要会議
胸オペ→要会議
SRS→国内(要会議)
戸籍変更→会議の必要なし
です。
もちろん、それを割り引いてもアンバランスであることは否めませんが、そんなことも要因のうちのひとつなのかなぁ。

で、会議のあとはいつものお店へ。
いつも通り、おいしいお酒とおいしい料理とおいしい会話なのですが、なーんとなく限界が近づいているのがわかります。日本酒を2杯飲んだところで、思案に入りました。「次に飲むべきはなにか?」。
お店のS井さんに質問。
い「あの…。水かお茶か、どっちがおいしいと思いますか?」
S「それはお茶でしょう」
い「うーん、炭酸ありますか?」
S「ありますよ」
い「じゃ、炭酸で」
みなさん「それ、アルコール入ってんの?」。んなもん、入ってますかいな(笑)。
てことで、最後に炭酸を2杯クイッとやって、お店を出ました。
家に帰ると、フラフラじゃない。これはいいかも…。

「「軽く一杯」という人は軽くならない」の法則

朝、ダメダメです。ものすごくしんどい。そりゃそうです。それでも、なんとか起き出して、どうにかこうにか出勤。さいわい、試験範囲は終わってますから、3時間連続の「教えあい学習会」です。楽勝です。
午後からは原稿考えたり、ペーパー読んだり、試験問題考えたり。

で、夕方職場を脱出して、T瀬さん@毎日新聞と合流です。なんでも、大島さんを送る会にかかわって話を聞きたいとのことです。
んー、ま、いいか(笑)。
合流して
T「どこ行きましょ?」
い「なに飲みましょ」
T「うーん、ビールでいいんじゃないですかねぇ」
い「そうですね」
T「軽くにしましょうね。こないだKうさんと呑んでたいへんなことになったんです」
てことで、近くの居酒屋へ。
はじめのうちは、おべんきょのこととか仕事のこととか。そのうちT田さん@神戸新聞の話が出てきたり、I田さん@朝日新聞の話が出てきたり。でもこのあたりはまだ穏やかでしたが、そのうち当然のことながら時事ネタが出てくるわけです。そうすると、ヒートアップします。話がヒートアップすると、メートルもあがる(笑)。
軽く一杯のつもりが、重く三杯になって、今日もフラフラになって家に帰りましたとさ(笑)。

禁を侵した感がある

今日は「郵便ポストを赤くした原因」をつくったとある組織の学習会です。場所は…。これが、こないだのGID学会の会場と同じ建物だったりするわけです(笑)。
てことで、朝6時に起きて、8時前の新幹線に飛び乗って、一路東京へ。
今日のお題は「LGBTの生徒と教職員の現状と課題」みたいな話です。
さて、困った。わたしの専門は「トランスジェンダー生徒」でして、「LGBと教職員」は専門外です。どうしたものか…。でもまぁ、知っている範囲のことを話すしかないです。幸か不幸か、聞いてくださるのは各ブロックの人権担当者*1や学識経験者*2、さらには全同教や解放同盟の人なんで、まぁ、「共通の言語」をあやつる人々です(笑)。
で、プレゼンスタート。まずは、自己紹介。「わたし、限界集落とも言うべきKと教組から来ました。なぜか今年から女性部長やってます」。ウケました。よし〜し。
途中から、頭の中にはこの映像が流れはじめます。身振り手振りに途中データをツッコんで、さらに映像を流して、ところどころで笑わせる。
てのはおいといて…。
やはり専門外のことは「ここは専門外です」と仁義を切るのは大切なんでしょうね。そして「この部分は専門なんで、少しくどくなりますが」ってことも伝える。
まぁそんな感じで、少し「禁を侵した感」を持ちながらも、無事終了。
にしても、またひとつレートを上げてしまったかもしれない…。

で、終わってから呑み開始。
初対面なのに、あんな話やこんな話をしはじめると、話が尽きません。
が、体調が悪い。昨日よりもいくぶんマシになったとはいえ、やはり体調が悪い。これは、呑んで治すか呑まずに治すか。でも、選択の余地はないです。だって、目の前にワインボトルが一本あるわけですからね。
で、昼呑みが終って、いったん休憩。その後、K原さん池田さんと夕呑み開始。さらに、新幹線の中でK原さんと呑み。結局、1時間ほどの休憩をはさんだものの、1時すぎから8時すぎまで呑んでました。
やばいわ(笑)。

*1:含む、K原さんとかS村さん

*2:桂さんと池田さん

絶不調

楽しい夜の翌日は…。
なんだこれわ!
頭はボー。鼻はグスグス。ノドはイガイガ。
風邪?
やばいです。明日はそんなことを言ってられない状態ですからね。
とにかく、朝のうちに買い出しをすませて、昼からは明日の準備。遅々として進まないけど、それでも進んでいることを信じて…。
で、夕方には完成。が、たぶん、これ、50分でおさまらんな(笑)。

やはりここにもどってくる

今日は前のおべんきょ仲間の新歓です。もっとも、「仲間」と言っても、総入れ替えです。だって、わたしが「仲間」にいれてもらったのが5年前。一緒に仲間になった人は、わたしより1年早く巣立っていって、わたしは後輩たちと巣立ったわけです。で、その後輩たちの後輩もこないだの春巣立ったので、今の「おべんきょ仲間」とは一緒におべんきょしたことはないんです。でも、仲間に入れてもらってる。
なんというか…。
今のおべんきょ仲間との会話も楽しいんですけど、それは「より高みを目指す」感じかな。すでに迷いはない。いや、わたしも含めて、迷ってないわけではないです。でも、すでにある程度態度は決まっていて、そのうえでの迷いです。
でも、「前の」おべんきょ仲間は違います。ほんとうに五里霧中。態度すら決まってない。まさに
「わからないということだけはわかっていて、でも、なにがわからないかはわからない」
って感じです。
で、この空気を吸いたいんですよね。
職場の人たちは、もう「わからない」とは思ってない。
そんなところに身をおいていると、窒息しそうになります。
それに比べると、もちろん、おべんきょ仲間のほうがはるかに話をしていて楽しい。だって、今のおべんきょ仲間も「わからない」です。でも、「なにがわからないかはわかっている」んですよね。まぁ、そこまでこないと、「今」にはなれないんでしょうけどね。

てことで、久しぶりにおべんきょ部屋に乱入。もちろん、ワインを2本持っていきました。で、近所の中華料理屋の出前とか、中国から来たおべんきょ仲間の手料理なんかをつつきながら、みんなでワイワイガヤガヤ。
おべんきょの話とか、生き方の話とか、はたまた「聞こえ方」の話とか。楽しい。新たな発見があります。
やはり、この仲間たちとは、これからもつながらせてもらおう。

なんでこうなるんだろ

ヘイトスピーチ対策法案」が、全会一致で参院法務委員会を通りました。ほんの少しだけではあるけどカウンターに参加したりしてきたわたしとしては、やはりうれしい気持ちはあります。が、やはり釈然としない。それは、あまりにも「小出しにしてる感」があるからです。
特例法もそうだけど、とにかく、できるだけハードルをあげることで、その法律の適用範囲を極端に狭めるようにしているとしか考えられない。
今回の対策法案への問題点はすでにあちこちで論議されているけど、ものすごく簡単に言えば、在特会が勢いづいた最初のきっかけとなった、蕨での「カルデロンさん一家」へのヘイトスピーチは対象外です。あるいは、水平社博物館へのヘイトスピーチも対象外です。まぁ、附帯決議をつけることで、そこを少しは回避しようとしてるみたいですけどね。
でも、なぜこうやって、極力適用範囲を狭めようとするのか。
与党は「表現の自由」とか言ってるけど、「「放送」や「教員」への表現の自由は規制している/しようとしているお前らがどの口でそない言うてるねん」と思うのは、きっとわたしだけではないと思うのです。
にもかかわらず、適用範囲を狭める。
たぶん、ほんとうはこんな法律つくりたくないんです。でも、外圧(人種差別撤廃条約)と事実(ヘイトスピーチ)の前でつくらざるを得ない。単にそれだけのことのように思います。
今回の「ヘイトスピーチ対策法案」に、果たしてどれだけの当事者が呼ばれて参考意見を言ったのか。そんな機会をつくったのか。そもそも聞く気があったのか。
ここでも「Nothing About Us Without Us」の精神が無視されている。

で…。
このことで、またまた当事者が悩まなくちゃならなくなる。
その悩みは、法案をつくった与党の悩み、イコール「どのように骨抜きにするか」とは質の異なる、身を切るような、痛みを伴う悩みです。
かつて、その痛みは、わたしたちトランスが味わってきた。そんな痛みに無頓着な「マジョリティ」のありようは、なにも変わっていない。

予想通り→よくぞここまで

案の定、今朝はメッチャしんどいです。なので、少し遅い電車で行くことにしました。でも、やはり眠い。授業中も眠い。会議中も眠い。そんな一日でした。

でも、印象的なことがひとつ。
昨日の飲み会で、「いつきさんの勤務校、ほんとうによくなったね」と言ってもらったのですが、そしてそれはとてもうれしいわけですが、なんとも言えない釈然としないところもあったりするのです。それは、「どこを見て/なにをもって「よくなった」と評価するか」なんです。
通学マナーがよくなった?人の話を聞けるようになった?クラブ加入率があがった?たしかにいずれも評価軸ではあるし、もちろんこれらをもって「よくなった」はありだと思います。でも、わたしの評価軸は違います。わたしの評価軸は「正当な主張ができるようになりつつある」です。
ここにはふたつのハードルがあります。ひとつは「主張ができるかどうか」です。ヘタレの子どもには多いのは、群衆のひとりとしての声は大きいけど、みんなの前ではしゃべれない。つまり「主張ができない」。そしてもうひとつは「文句」や「わがまま」ではなく「正当な主張」であることです。
今日は生徒会選挙の立会演説会だったのですが…。去年の前期までは放送でやってました。でも、後期は体育館でやってみた。すると、できた。数年前では考えられなかったことです。
じゃ、なぜ変わったか。
その遠因は「考える」ことと「決める」こと、そして「実現すること」を生徒会に要求し続けたからだと思っています。そうした態度が先輩から後輩へと伝えられる中で、世代をまたがって成長していった中に、今の姿がある。
そんな生徒会の子どもたちの姿を見るのは、ほんとうにうれしかったです。
たしかに「よくなった」です。
さて。わたしたちは、子どもたちがつきつけてくる「正当な主張」に応えることができるだろうか。これが「よくなった学校」の教員に突きつけられる課題です。

どこまで行くねん

で、呑み。でも、呑みまで時間があるので、事務局長の車であちこち散策。もちろん、散策と言っても、名所めぐりじゃないです。「竹田の子守唄」発祥の地とか「オールロマンス行政闘争」発祥の地とかをまわるわけです。
で、ちょうど時間もいいところで、呑み開始。なんか、今日のお酒は楽しいですね。おかげさまで、ワインがどんどんあいていきます。
で、思わず二次会。
つい、焼酎のボトルを入れてしまったり。
あしたがたいへんだ…。

今なぜシティズンシップ教育か

今日は謀人権教育研究会の総会です。午前は会議。午後からは講演会。今日の講師は関西大学の若槻健さんです。
若槻さんの話は前から聞きたいと思っていました。ただ、内容は「格差の連鎖」だったんですね。ここ数年はやりの「排除と包摂」とか「効果のある学校」ってやつです。ところが、どうしても連絡先がわからず、そんな時に西田芳正さんって存在を知って、これがまたちょうど『排除する社会・排除に抗する学校』という、もうぜひ話を聞きたいと思ってることそのまんまのタイトルの本を書かれた時だったので、これ幸いと西田さんに講演を依頼したんですよね。でも、若槻さんの名前はずっと引っかかってました。
で、選挙年齢の引き下げに伴って「主権者教育」なんてことが突然言われるようになって、高校にそれが降りてくる。でも、その内容を見ると寒い。だって、やってることって、それぞれの地方自治体の選挙担当の人を呼んできて模擬投票をするくらい?いや、それは「主権者教育」じゃなくて「選挙権教育」やろと。というか、選挙権がない外国籍・無国籍の子どもが学校にはいる(可能性がある)わけで、そんな子らにとって「選挙権教育」がどんな思いをもたらすかなんてことを考えると、怒りすらわいてきます。更に言うなら、「主権者」とは誰か「主権」とはなにかを考えた時、「選挙権の行使」は、とても大切ではあるけど、でもそのごく一部でしかない。と考えた時、「シティズンシップ教育」に行き着いたのです。
で、講師探しです。「シティズンシップ教育」で検索かけるとK都K育大学やD志社大学にも有名な方がおられるようです。が、今ひとつピンときません。それは、カンでしかないのですけどね。まぁ、根拠をひとつだけあげるなら「大阪がいいな」なんですけどね^^;;。
てことで、引っかかってきたのが若槻さんでした。

今日のわたしの担当は「講師の送迎」と「機材担当」です。てことで、駅まで迎えに行って、会場までの道すがらいろいろ話。
い「あの、お会いするのははじめてですけど」
わ「あの、教社に書かれてましたよね」
みたいな。そこからあとは、共通の知人の話をしたり、今回の依頼の意図について話たり。
で、講演開始。
なんというか…。
話の内容はメッチャおもしろいのに、ドラマティックではない語り口なので、みんな大丈夫かなと。いや、けっこう語り口にだまされたりしますよね。有名なところではこんなのがありますか。
でも、みなさんを見ていると、スライドが変わるたびにプリントがガサガサ言ってるから、これは聞いてるなと。そりゃそうです。中身はすごくわかりやすいし、おもしろい。
結局、「シティズンシップ教育」「市民性教育」って、別に新しいことをやっているわけじゃない。ものすごくバクっと言うなら、道徳教育と人権教育を足して1.5で割った感じでしょうか。この「1.5」ってのがミソでして。その中のどこを切り取って「1」にするかなんですね。若槻さんは、その例として、いくつかの自治体でのとりくみをあげておられました。中でも「和歌山」と「品川」が両極端なのかな。和歌山は「個人型」とでも言うべきかな。善悪の判断は個人に委ねられる。そのために、「思い」や「つながり」はバッサリと切り捨てて「情報収集と処理能力」をあげる。とにかく脳みそを使う。に対して、品川は「道徳型」かな。子どもには善悪の判断は無理だからそこは教員が教えて、ボランティアとかやりながら道徳心を身につけるみたいな。まぁ肉体派ですね。
で、それぞれに一長一短があるというのが、若槻さんのおもしろいところです。つまり「人々の思いにそわないのはあかんやろ」とか「道徳心はあかんやろ」とかいう切り捨て方をするのではなく、「ここは大事だけど、これはこわいですよね」みたいな形で、それぞれに評価をつける。で、シティズンシップ教育はそれらの「せめぎあい」だと。この「せめぎあい」という感覚が、プラグマティックなわたしにはピッタリとフィットします(笑)。で、そのバランスのいい場所に「人権教育」がある。
と考えると、「人権教育はこう!」みたいな硬直したものの考え方ではなく、よりよいバランスの中に「人権教育を見つける」ことが可能になるのかな。
そんなことを考えました。
しかし、脳みそ使って疲れました(笑)。

おかしいな…。

とにかく、午後から出なきゃならないことがよくあるので、毎年「授業はできるだけ午前中に」ってお願いしてますが、今年は見事に希望通りにしてもらえた関係で、午前中は授業。午後から雑務ってできるので、ものすごく楽になりました。
が、おかしい…。なんか、午後から雑務がはかどりません。なんでだろ…。
今日もいろいろやってるんだけど「これができた!」って感じじゃなくて、「これ、できてるのかなぁ…」という感じで勤務時間が終わっていきました。
ま、そんな日もある。てか、そんな日のほうが圧倒的かな。

さてと。
TLやウォールでは、パレードについていっぱい流れています。みんな楽しそうです。「よかったよかった」と思いながら、なんともいえない思いもあります。
もちろんそれは、「24時間ひとりパレード」をやりつづけている/やらざるを得ないわたしの思いです。
そう言えば、かつて「ブブさん」から「いつきさんがホッとする時って、どんな時間」と質問されて絶句したことがありましたって(笑)。
まぁ、そんなもんです。
関西の片田舎の、誰も知らないところで、今日も明日もひとりパレードをやり続ける。まぁ、だからできることもある。
と、信じること。