今日は講演会・GID学会(1日目)

昨日帰ったのは2時。でも、なんとなく7時半には目が覚めました。今日明日と毎年恒例のGID学会ですが、今日はわたしは昼からしか用事がないです。なので、ホテルで昼前までのんびりして、そこからスタートです。
会場に着くと、すでに「検定試験」を終えたUちださんが真っ白に燃え尽きて微笑んでおられました。
「養子縁組について聞かれたよ」
そりゃたいへんだわ(笑)。

ということで、あちこちあいさつしているうちにKうさんがエキスパートセッションから出てこられたので、一緒に昼ごはんを飲みに行きました。
中華、おいしかったけど、時間がかかりすぎ…。
ということで、打ち合わせに遅れてしまいました。すみません、すみません。にしても、佐藤さんのしゃべりかた、中島さんにそっくりだな。

で、いよいよGID学会スタートです。
まずは会長講演。なんか、札幌医大GID診療のとりくみの歴史を語っておられますが、なんか、タイの食事があわなくて○痢がなんとかって笑いをとっておられました。いや、別にひとネタ笑いをとる必要なんてまったくないし。てか、下○という笑いは、少し悲しいし。「笑い」をとらなきゃならないという悪習が広まりつつあることを実感しました。

お次はレジェンドレクチャー。
まずは山内さん。「わが国」なんていう言葉を使ったり、やたら「○○という男が」っていう表現をしたり、いろいろツッコミどころは満載ですが、でもILGAの話題が出てきたり、世界の最先端の話題をとりいれたすごい内容です。そして最後に「医療モデルをとりいれたのは通すためのストラテジー」的な発言とともに「今後は社会モデル」と言っておられたのはおどろきました。
続いて原科さん。もう、マニアです。これはこれでおもしろい。もちろん「マイクロサージャリーするためには酒もタバコもセックスもダメみたいな自分向きの」とかいう、これまた悪習&悲しいネタがあったりして、そんなあたりはアカンのですが、それはそれとして、外科医の話はそれはそれでおもしろいです。

が、途中で中座して一般演題に移動しました。
教育とか児童生徒分野のセッションです。
なんかもう、モヤモヤしまくりです。
みなさん、トランスにかかわる教育は人権教育なんだという共通認識は徐々にできつつあるように思うのですが、その「人権教育とはなにか?」ということについて考えが及んでいない感じなんですね。まぁ、教員だってわかっていない人はけっこう多いから、それそのとこはある種「そんなもん」とは思わないわけではないのですが、でも、やはり学会発表するなら、先行研究として、文献は出さないまでも、そのあたりのことはある程度はふまえておかないといかんでしょう。
てことで、モヤモヤするので発言しようと思うのですが、あまりにもツッコミどころが多すぎて、焦点が定まりません。例えば「人権教育」というのはいいけど「人権教育で何を伝えたいのか」みたいな話がまったく出てきません。これ、アンケートとる上でけっこう大事だと思うんだけどなあ。まあ、研究の論点が違うんだろうけどね。でも、結局
「人権としてGIDは大事」→「でも、みなさん知識がなくて知りたがっている」→「だから専門家集団としても医療者が学校に協力しなくちゃならない」
という図式なんですよね。O山大学、いつまでこの図式で行くんだろう。
「カミングアウト」についての話も「家族へのカミングアウト」「友だちへのカミングアウト」「学校・職場へのカミングアウト」って簡単に併置していたけど、アカンと思います。それぞれにまったく意味が違う。さらに言うと「マスコミに顔出し(笑)」というカミングアウトもあるんだけど、これもまったく違います。で、こうしたものについては、すでに「部落民宣言」や「本名宣言」といったものの豊かな論議の蓄積があり、さらにセクシュアリティの文脈でも風間さん金田さん論議があって、せめてそのあたりは踏まえないとアカンと思います。
なので、発言しようと思ったんだけど、時間の都合と先着順で2回蹴られてセッション終了です(笑)。
あとは第1会場にもどって、ロビイングですね。

ウェルカム呑み会・GID学会(0日目)

今日は1年間の終業式です。でも、だからと言って、なにがどうということなく、放送部の子どもたちと放送担当です。
ちなみに、内示の日だけど、まぁ、どうせなにもないだろうからほっておきました(笑)。
で、1時から年休をとって、はるかにのって関西空港へ。今日から3泊4日の北海道の旅です。北海道、久しぶりです。この間、ずっと沖縄だったのですが、基本わたしは北海道好きなんですよね。もちろん沖縄も好きになったんですけどね。
で、関空に行く途中にメールチェックしてるとpeachからメールが…。なに?出発時刻が変更?2時間ほど遅れる?peachェー。
とはいえしかたないので、コンビニでビールを買って、あさってのプレゼンをいじって時間を潰すことにしました。
で、飛行機に乗って新千歳→札幌で、ホテルに行かずにそのまますすきのへ。昨日から来ているK野さんがはちきょう本店をとってくれているので、とりあえず行きました。
まずはふたりで乾杯です。

しばし話をしているとHがしさん・Tるたさん・M橋さん・N山さんが登場。徐々に役者がそろってきます。M橋さんのオヤジギャグを楽しみながら、わいわいしゃべっていると、出てきたのは「つっこ飯」です。

いやもう、なんといっていいのやらo(^^)o
と、そこにUち田さんとOばまさん。わざわざ来てくださいました。うれしい!と、Kうさん登場。
てことで、みんなでいくらをかきこみながら、どんどんお酒がすすみます。そしてO田さん登場。「はちきょう本店の予約がとれるなんて信じられない」と大喜びでつっこ飯を食べられます。
はちきょうが閉店になったところで、さてどうするか…。と、Hがしさんが「カラオケ行こう」と行動提起。カラオケかよ…。で、入ったカラオケチェーンで「会員の方はおられますか?」と聞かれたら、Tるたさんが「あるー」と…。やるな…。
そんなこんなで、カラオケ行ってうたいまくって、気がつくと1時半です。あれ?チェックインしてない。
あわててホテルに向かってチェックイン。ホッとしたところで、なぜかコンビニに行ってチューハイ買ってしまって、そこからまたまたプレゼンいじってたら、気がつくと3時になってました。あかん、寝なきゃ^^;;。

エアポケットのような一日

今日は昼から今年度の勝負の会議です。とはいえ、わたしにとっての勝負はすでに終わっているので、結果確認というところでしょうか。てか、こんな日にバタバタやるようではダメで、やるならもっと前にゴニョゴニョ(笑)しなきゃならんのです。
てことで、そんな会議もあっさり終わったので、1時間年休をとって、途中買い物をしてお家へ。

まずは、2月の雪で崩落した庭の屋根を修復です。プラスチックの継手が割れたのが崩落の原因なので、今回はT字の継手をチョイス。継手は接着剤で固定してあったので、カッターでパイプを切って、あとはチョイチョイと差し込めば完成です。今度の継手も接着剤で固定しようかも思ったけど、考えてみると屋根の自重でそれなりに安定してるし、逆に雪が降ったら屋根を折り畳めるから、この方がかえって便利かも。
続いて、パイプラックの組み立てです。これで少しは部屋も整理できるかな。でも、本が溢れかえってるのはいかんともしがたいです。まぁ、ここまで増えると笑いますけどね。それにしても『京都の部落史』全10巻がそろってるのは、見てるだけでうれしくなります。ほかにもいくつか『○○の部落史』があるし、いったいわたしの専門はなんなんだろうと思いますが、これもまた生きてきた軌跡というものでしょう。
最後は明日からの準備です。とは言え、持っていくものは…。下着類だけだな(笑)。

あとは「なんしか」ケンミンSHOWでも見ましょう。

身の上話

今日はstn21のミーティングでとある居酒屋へ。まぁ、決めなきゃならないことは決めたのですが、このミーディング、基本的には当事者ばかりなのでおもしろいです。で、決めなきゃならないことを決めたあとは雑談になるんですけど…。
それぞれがそれぞれのことを話しているのを聞いていると、不思議な感覚に襲われました。

わたしは、基本的には「誰もがその人の人生における当事者」って思ってます。ただ、マジョリティは「他者との違い」がなかなか感じられないので「自分にはトピックがない」って思いがち。それに対してマイノリティは「他との違い」をより強く感じさせられているから「語る言葉」を持たされる。
なんか、「語る」ということについては、その程度の違いしかないんじゃないかと思うのです。
で、例えば当事者であり非被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「身の上話」と呼ばれるんですよね。それに対して、当事者であり被差別者の人が自分の経験を語ると、それは「カミングアウト」だったり、時として「講演」だったりするわけです。
でも、当事者の被差別者の話を「身の上話」として捉えると、案外おもしろいかもしれないです。というのは、さまざまなバイアスをはずしていくと、それは他に代えがたい「個の経験」に結びつくはずで、そこに「ステレオタイプ」が紛れ込んているとすると、その語りは「ステレオタイプに取り込まれた語り」であることが明らかになってしまうからです。逆に当事者の非被差別者の話を「ステレオタイプに取り込まれない個の語り」として聞くことができたら、それはその人が自分を見つめる手法なんかも含めて、すごく学ぶことがあるんじゃないかなと。

なんてことを考えていると、酔いがまわりますわ^^;;

みんな卒業かぁ

考えてみると、わたしは2012年度に前の「おべんきょ場所」に入って、2014年度まで3年間お世話になったんですよね。その後、2015年度から今のところにいるわけですが、「おべんきょ仲間」との交流は前のところの人たちとの方が多かったりします。
てことで、去年も行ったけど、今年も「卒業お祝い宴会」に参加です。
みなさん、2年間、いろいろ七転八倒しながら「おべんきょ成果」を書かれたんですよね。その2年間を成し遂げた充実感みたいなのが伝わってきます。
ちなみに、わたしは2年前、充実感はなかったです(笑)。プレッシャーはあったけどね。それは、「冥土の旅」の先に進めないというプレッシャーだったのかな。で、次の勝負に出て「悲報は寝て待った」わけなんですがね。
で、みなさんと今後の話をしたり、「冥土の旅」に誘ってみたり(笑)。
一次会が終わったら、かつて「前に座ってた人」が「カラオケ行こ!」とか言いはじめて、なぜか「こーれからーそいつをー」って歌いまくっていたり。

さぁ。でも、わたしは「冥土の旅」を続けなきゃ(^^)。

最終日

金・月・火の3日は試験返しです。で、わたしは今日2クラス連続で返しておしまい。せっかくなので、「○年○組といつきの1年間」という意見発表を10分くらいして、みんなにも感想を書いてもらいました。
職員室にもどって読んでみると、おもしろいのがいっぱいありました。

テスト前の勉強の時も、答え教えてくださるのではなく解き方やヒントなどを教えてくださったので理解しやすかったです!

うれしいですね。
数学の問題を解くって、たぶんテレビの「片方のドアを選んだらアメリカ行きで、もう一方のドアを選んだら泥の中」みたいな感じなんじゃないかと思うのです。
で、まずはドアを探す。次にどちらのドアを選ぶか決める。そして突入する。
みんな、まずはドアがどこにあるかから悩んでます。だから、ドアの探し方、見つける時の手がかりを教える。次に、アメリカ行きと泥行きのドアの微妙な違いを教える。でも、ドアがどこにあるか、どちらのドアを選ぶかは委ねる。そして、その子が決断をする。ここで大切なのはドアの前で「こっち?」って聞いてきても「つっこめ」と見捨てること。そして、泥の中につっこんだのを笑ったあとで、なぜ見分けられなかったかを振り返ること。
そんなことをやることを「教える」と言うんだと、ずっと思ってきました。
ま、教員はみんな同じことを思ってるでしょうね。でも、「ヒントを教えてくれるから」って書いてくれた子がいたということは、それをしない教員もいるってことなんでしょう。
とにかく、わたしがやりたいと思っていることができているらしいということがわかって、そしてそれを感じとってくれた子がいて、うれしかったんですよね。

先生の雑談は、どの先生の話よりも好きでした。どの話もぶっ飛んだ話ばっかりで、政治的な話を聞いたあとは、毎回もっと興味を持って自分の意見を持たないといけないと思いました。

これもうれしいですね。
ぶっ飛んでたかなぁ。自分の感情を素直に出していただけなんですけどね。ともすれば教員って「自分の感情を抑えなきゃ」みたいなふうになりそうなんですけど、実は、子どもに対する感情は爆発させる人がいるんですよね。それ、反対だろうと思います。子どもに対する感情は抑える。でも、自分の感情、「喜怒哀楽」は出せばいいと思っています。まぁ、その結果が「ぶっ飛んで」見えたんでしょうね(笑)。
あと、なんか、数学の時間に「主権者教育」っぽいことをやってたんだなと(笑)。

先生のしている活動の話を聞いているとスケールが大きすぎて、なにかついていけない部分がありました。

まぁ、別に活動なんてしてないし、やってることもたいしたことはない地味なことなんですけど、でもこう感じてくれたのはうれしいです。
なんというか…。
そういう大人が目の前でフツーに授業をしていることが大切なんだと思うのです。大人の世界の中には「ついていけない部分」があるということは、やはり見せなきゃな。でなかったら、大人という存在へのリスペクトとかあこがれは生まれない。
大切なのは、あえて大きく見せない。「自分はすごいんだぞ!」ってやると、すぐに底が見えてしまう。じゃなくて、なにげない笑顔の雑談の端々に、底の見えない井戸みたいなものを感じてもらうことかな。それが

いつきちゃんの授業は、いつも何か、どこか、不思議で楽しかったです。

みたいな、別の子の感想につながるのかな。
まぁ、実はたかがしれていたりするんですけどね(笑)。
こんな絵を描いてくれました。

最後に

あるときはオランダ、あるときは国会、あるときは飲み屋にいる先生がおもしろかったです。

もう、なんというか、そのものズバリです(笑)。

いやぁ、いい一年を過ごさせてもらいました。ありがとう!

で、誕生日

今日はパートナーの誕生日です。わたしの誕生日は、わたし国会にいたのでなにもなし。今日はパートナーとわたしのをあわせて外食です。目指すは、サイゼリヤです(笑)。
でも、みんなでダラダラしゃべりながらバクバク食べるのもまた楽しいものです。ワインをたっぷり飲んで、満足です。
帰ったら、下の子どもがつくってくれたしっとりとしたシフォンケーキを楽しんで、テレビを見てたらこたつ寝です。

ふたつの学力があったな

「卒業生の会」の翌日は、京都の交流会です。たぶん今日も誰も来ないです。まぁ、宣伝が遅かったのもあるんだけど、なによりも連れてきてくれる人がいない。
なぜなのかな…。
もちろん、わたしがなかまをつくれない人であることは大前提としてあるわけですが、原因はそれだけではない気もします。これ、前からずっと考えていたんですけど、たぶん「受験の学力」と「解放の学力」論議にからまっているんじゃないかと思うのです。
京都の「同和」教育は、実は「学力・進路保障」を中心にすすんで来ました。もちろん、それそのものは否定するものではありません。だって、それを奪われてきたムラの子らにそれらを保障するのは当然のことですからね。でも、その一方、「自主活動」については弱いんですよね。これは、全同教大会のレポートを見れば一目瞭然のはずです。「自主活動」ってなにかというと、「つながる力」なんですよね。そして、その「つながる力」を獲得する中で「アイデンティティ」の問題とぶつかるのです。「自分とはなにか?」「つながる接点はなにか?」「なぜつながることが大切なのか?」といった問の先に「つながる力」があると思います。で、京都はこれがとても弱い。その代わりに、「教育内容」のレポートはあったりするわけです。
で、「学力・進路保障」と「教育内容」に共通しているのはなにかというと、ともに「教える」という行為であるということ、そしてそれは「教員」という仕事をする人間ととても親和性が高いということです。と考えると、例えば「体育系クラブ」もそうです。すべて「教える」です。
それに対して「自主活動」を「アイデンティティ保障」と言い換えるなら、これはどちらかというと「生徒(≒当事者)」から「教わる」行為ということができるかもしれません。なぜなら、「教員(≒非当事者)」は、そんなこと教えるなんて不可能だからです。で、これ、「教員」という仕事をする人間とは親和性が低い(笑)。ちなみに、「つながる力」「アイデンティティ保障」を、おそらくは「解放の学力」と呼んでいたんじゃないかな。
と考えると、「学力・進路保障」という「受験の学力」を軸にやってきた京都は、「教員という仕事をする人間」との親和性ゆえに、とても広範に「同和」教育にとりくんでこられたけど、それは諸刃の剣だったということです。つまり、「アイデンティティ保障」を、表面上は置き去りにしてしまった。もちろんやってた人はいるんでしょうけど、体制としてはそれをひとまず横においていた。
ちなみに、わたしは「教える」のがキライなんですよね。めんどくさい(笑)。だから、「受験の学力」にさほど魅力を感じなかった。で、どちらかというと、もがいてる子どもを見るのが好きなので「解放の学力」へと惹かれていった。でも、これは京都がひとまず横においていた内容で、そこツケがここに来てやってきた。
「もがいてる子ども」を見るのは楽しいんですよね。そこからなにが生まれてくるかをじっと見つめることはとてもドキドキします。でも、「教える」のが好きな人はそこにコミットして方向づけしようとしちゃうんです。そうすると「教員と子ども」のつながりはできるけど、子ども同士のつながりは育たなくなってしまう。ところが、教員は子どもとつながれるから、なんか自己満足しちゃうんです。だから、ますます、その「正しさ」を感じてしまう。
ちなみに、クラブも「教える」わけで、やはり教えるのが好きな人向けなんですよね。
「脱教える」を流行らせたいなぁ…。

某在日外国人教育関係の会議からの飲み会

今日は某在日外国人教育関係の会議です。
いつものことだけど、みなさんの情報量の広さと深さ、そして実践力の鋭さ、さらにフットワークの軽さはハンパないです。なので、わたしはどちらかというと聞き役と、あとは極めて事務的なことを言う役です。まぁ、それはそれでいいかな…。
で、会議が終わるとすでに17時。20時までは少し時間があるので、久しぶりに飲み会に参加。会話の傾向が変わったことがわかりました。「笑える話」になってました。でもまぁ、会話権を一部の人が独占している構図はさほど変わらんか(笑)。まぁ楽しい話題だからいいですけどね。

で、東九条に移動。今晩は「卒業生の会」です。今日は久しぶりに少したくさん来るみたいなので楽しみです。
で、いざフタを開けると、ファミリー連れの卒業生が二組。なるほどな、そういう年齢になったんだな。
たぶん、卒業してすぐはみんな集まりやすいんだけど、就職とか出産とか結婚とか、さまざまな「イベント」を通過することで環境が変わって、なかなか来られなくなる。で、そのまま切れてしまう人もいるけど、つながり続ける人もいて、そんな人が「イベント」のあとも来続けてくれるのは、とてもうれしいです。たぶん、そこまでいくとあまり切れなくなりますね。
そんなことを思いながら、みんなを見ていると、なんか「ドドスコ」やってるし、君たちいくつやねん。笑いながら寝ていたみたいです。
やがて「いつきちゃん、ほら、おふとん行くで」と、いつもの終わり方で1日が終わりました。

某研究会

先日、突然「ダムの町についての研究会やるよ」という連絡が入って、これは行かねばと。
ということで、企画委員やってるところに行って、研究会に参加してきました。そう言えば、この町、かつて行ったことがあったな。その前からずっと気になっていて、それからもずっと気になっていたのですが、やっと研究会にめぐりあえました。
途中参加だったけど、京都の中のひとつの歴史と現実に出会えたのは、ほんとによかった。次の研究会もぜったいに参加しよう。

その後、「an-chan project」のライブへ。与那国島と台湾の音をたっぷり吸わせてもらいました。
にしても、anchanさん、メッチャ楽しそうに歌わはるなぁ。こちらにもその楽しさが伝わってきます。実は、「表の世界」ではずいぶんとお世話になっていますが、今回が初対面です。しかも、ふだんは出しておられない「顔」を見せてもらえたみたいで、とてもうれしかったなぁ。またいろいろ話してみたいなぁと思いました。