幸なのか不幸なのか

今日は3年対象の人権学習です。テーマは「結婚差別」。久しぶりの直球勝負です。
この3年、イベントをやってましたが、それができなくなったので、ここにもどってきたということです。が、講演というわけにはいきません。なので、DVDと話です。
DVDは兵庫県制作の「あなたに伝えたいこと」。かつて「ええ話やけど、化学調味料の香りがする」と書いたDVDです。まぁ、一回くらいはいいでしょう(笑)。
問題は「話」のほうです。もともとは、わたしから簡単に部落の歴史を話をして、後半はクラスに帰ってから担任さんから話をしてもらおうと思っていました。が、「わたしにやれ」と。激しく葛藤をしましたが、引き受けることにしました。たぶん、担当者はみんな葛藤するんですよね。「担任の成長のためにはやってもらうほうがいいけど、子どものためにはやったほうがいい」です。もっとも、担任が一生懸命話をしたら、子どもにはその「一生懸命さ」は伝わるんですけどね。
でもま、引き受けました。で、どうせやるならベストをつくすのは当たり前。その中で考えたストーリーがこないだの内容でした。ちなみに、動画もふたつばっか入ってます。アイテムもふたつばっか用意しました。
3時間目は学年の人権教育担当が話しをしてくれて、その後DVD視聴。みんななかなかガッツリと聞き視てます。ふと「時代も変わったな」と思ったり。でも、それだけじゃなく、DVDがいいんでしょうね。映像の力を感じます。
休憩のあとは、わたしからの話。さてさてどうなるか。こないだも緊張したけど、今日も緊張してます。やはり、ネタおろしは緊張するものなのですよ。まぁでも、一昨年はひとクラス。去年はふたクラス。今年はひとクラス持った学年ですから、3分の1くらいの子どもはわたしの芸風を知ってます。なので、なんとかなるでしょう。
てことで、なんとかかんとか話し終えて、ほっとひといきです。いや、時間オーバーするかと思いました。まぁ、予定よりは5分オーバーしましたけどね。
終わってから学年主任の人が「いい話でした。ありがとうございました」と言ってくださって、安心したのか、どっと疲れが出てきました。

ただなぁ…。
ほんとは担任さんに話をしてもらいたかった。そりゃ、やるとなったらベストは尽くすし、ダテに20年近く人権教育担当はしていません。あるいは、ダテに全同教で実践レポート4回やったわけじゃないです。こんなこと言ったらアレやけど「いい話」をして当たり前です。
でも、そのことをもって、「だから人権教育担当に話をしてもらうほうがいい」とは考えてほしくないです。話の中身じゃないんです。やはり、一番近くの担任さんが話す「力」はすごいし、それは誰にもマネができないんですよね。その空気を味わってほしいなぁ…。

伝えることの難しさ

今日は午後から出張です。ネタは某人権教育研究会の研究協議会。まぁ、議決のない総会みたいなものです。この集まりでは、小・中・高からそれぞれレポートが出ます。
で、会議の前に会長が「ちょいちょいちょい」と手招きするので行ったら「サクラになってや」と。つまり「質問せぇ」と。まぁ、毎年のことなのでわかってはいましたがね。「内職できませんやん」と言うと「んなもん、あかんわい」と笑われました。
てことで、レポート読み。ところが、レポートが頭に入ってこない。不登校の子どもが登校するようになったというレポートです。まぁ、ていねいな実践です。が、違和感がある。なんなんだろう…。なんか、その「ていねいさ」が、単なる「特別扱い」にしか読みとれない。子どもの姿も親の姿も出てこず、自分の姿しか出てこない。いや、子どもの描写はあります。「はにかんで」とか「うれしそうに」とか。でも、それは「姿」とは違います。
で「「靴べらしの同和教育に学ぶ」とか「家庭訪問にこだわった」とレポートにありますが、家庭訪問ではどんなことを意図してましたか?」と質問。というのは、家庭訪問にこだわったわたしでも、あえて家庭訪問しない選択をすることもあったからです。すると答えは「親とのつながりを大切にした。自分の思いをわかってもらおうとした。子どもにも「大切に思ってる」というメッセージを伝えたかった」とのこと。
やはりね。しゃべりたがりの教員ですね。家庭訪問は、学校ではしゃべってくれない親や子どもの思いを聞く場所なんですよね。学校では見せない子どもの姿を見る場所なんですよね。でもね、それをこの場で話すと、公開フルボッコになってしまいます。どうしたものかと思いながら、その場を終えたのですが…。あとで会長がいろいろしゃべってたからよしとしようかな。
かつての全同教では、絶対に許してもらえなかったレポートも、今は通ります。そのことで「よし」とは思ってほしくない。でも、通してもらったら気づかない。
わたしは1990年だったかの全朝教奈良大会、そして1994年だったかの全同教大阪大会でコテンパンにやられて、それからほんとにいろいろ考えながら、ひたすら子どもとかかわる日々を過ごしました。もしもあの時のレポートが通ってたら「これでええんや」と思っていたに違いません。
帰りに友だちに車で送ってもらったのですが、「えらい優しい言い方でしたね」と笑われました。
伝えるのって難しいな。

で、夜は大阪で恒例の会議です。こちらは気が楽です。ほんとにみんな、本気でやってるんだなっていうことが伝わってきます。
で、終わってからの呑み会。ここでもずっとトランスの話です。「会議が終わったら別の話」とはならないのがいいですね。
てことで、家に帰ったら1時前。明日は本番なのにね…。

今年はどうかな?

なんか、わたしが担当している講座は授業時数が多かったのか、他のクラスよりもかなり先行してしまっていて、ここらで一度足踏みしようかと。ということで、今日は今年の初の図書室学習です。
これ、ほんとに諸刃の剣です。ある机のメンバーが遊びモードに入ると、その机の数学が一番苦手な子がえらいことになります。その代わり、勉強モードになると全体が浮かびます。なので、全体がいかに楽しく数学をやる雰囲気になるかということが重要になるわけです。そのひとつの指標が「質問に来る」です。これ、数学をやってないと、そしてチャレンジしてないとありえないことですからね。だから「質問においでね」と常々言ってるのです。
さて、今年はどうかな…。
日常の授業が、わたしがトップで先導してるイメージとするなら、図書室学習はシンガリから追いたてる感じです。これはこれでおもしろい。しばらくすると、何人か質問しに来る生徒があらわれました。これはいい感じです。最後はチャイムが鳴ってからも考えている子もいたりして。
油断は禁物ですが、いいかも…。

山登り

今日は山岳部の引率で定例山行につきあうことになりました。
が、昨日の余波でフラフラです。大丈夫かな…。
でも、とりあえず集合場所の大原で合流して、山登りスタートです。今回目指すのは金比羅山です。なんでも山頂でラーメンをつくるとかで、水を担ぎ上げるとか。それは重いわ(笑)。
にしても、けっこうなスローペースです。当然のことながら、今回は後ろの方から見つめる役ですが、遅い。まぁ、1年生が多いからってのもあるかな。でも、放送部のほうが早いかも(笑)。まぁ、やつらは空荷か…。
途中二回ほどルートを間違えたけど、のんびり歩く山は楽しいです。気温も暑くもなく寒くもなく。ところどころから見える大原の里がきれいです。

来てよかったなって思えます。いや、セミナーの翌日だし、プレゼンのことで焦りもあるし、なにより「おべんきょ」のプレッシャーは半端ないのですが、でも、こういう気分転換は必要なんでしょうね。
山頂でのラーメン、うまい!
二日酔いの身体に、出前一丁のごま油が染みわたります(笑)。味噌ラーメンも、少し薄めでおいしいです。
山頂からは遠くに京都の街も見えます。

下山途中には「ロックゲレンデ」もあります。

楽しそうo(^^)o
てことで、急な坂を下山して、チンタラ歩いてバス停へ。バスの中でやることはひとつです。昼からやってる居酒屋探し(笑)。でも、残念ながらやってる店はなさそうです。
てことで、顧問の教員とコンビニでビールを買って、出町柳でぷし!
楽しかったo(^^)o!

stnセミナー

今日はセクシュアルマイノリティ教職員ネットワークのセミナーです。テーマは「多様なマイノリティ性を生きる」です。
マイノリティの世界では、ともすれば「貧乏比べ」に陥ってしまうことがあります。かつてムラの若者と貧乏比べをするハメになったことがありましたが、メッチャ不毛でした。だって、まんじゅうと餃子のおいしさく比べみたいなもんですからね。ただ、例えば、障害のあることやセクシュアルマイノリティであること、あるいは女性であることは部落や在日と両立しうるし、例えば「部落出身の障害のあるレズビアン」とかになると4つ同時に持っちゃうわけで、そうなると相乗効果が出てくるわけです。まぁ、何が言いたいかというと、ことはそう簡単ではないということです。
てことで、今回は在日でありゲイでありHIVポジティブの人に来てもらうことになりました。
とりあえず、スタッフは10時に集合。とはいえ、特にできることもないので、しばしボーとして、とりあえず天一へ。今出川店は安定のゲル具合です。とにかく天一の麺はスープを飲むためのものってことがよくわかります。

で、セミナー開始。
第1部は非公開の交流会です。前回のセミナーのときに「必要かな」と思ったのでやったのですが、なんか、昔からのメンバーが来ないのが寂しかったかな。でも、自己紹介を2周まわしたりして、なかなか深い時間が持てました。
そして、第2部。「はちさん」登場です。とてもフレンドリーな笑顔で話されるのですが、中身は重いです。でも、その重さを感じさせないのはいったいなんだろうな。本名で生きる在日なので、その部分においては「coming out」状態です。それゆえに振り切れてることもあるだろうけど、風当たりが強いこともあるだろうと思います。それに比べてゲイであることは「clothet」である。基本的には「coming out」するかどうかは何年もつきあって、人を見極めてからするとのこと。そして、HIVポジティブであることは、もっとも言いにくいこと。
これ、複雑なんですよね。HIVこそが、誰もがなりうることです。そして単なる病気です。でも、それが言いにくい。そして、在日であることは「coming out」状態。つまり、一番言いやすい。そのことをはちさんは「やはり家族や親族から話を聞いているからかな」みたいなことを言っておられました。ほんとにたぶんそうなんでしょうね。
であるなら、やはり、セクシュアルマイノリティにしてもHIVにしても、そのことを語るピアなグループが必要なんだろうなと、あらためて感じました。
そして第3部は交流会です。あまり時間がなかったので、簡単に自己紹介をするだけになりましたが、それはそれで「どんな人が来てるか」がわかるので、前回のアンケートの中にあった声をとりあげてよかった気がします。
で、懇親会はバザールカフェ。このあたりからいつものように乱れていきます(笑)。それでも1次会はまぁいいのですが、二次会ともなると、なんかもう鉄板のプロレスごっこというかなんというか。メチャクチャやな(笑)。
てことで、お酒飲めない人に家まで送ってもらう始末です。なんか、こないだも送ってもらったし、その前も送ってもらったし、もうしわけない限りでございます(;_;)。

できた

おとついからつくりはじめたプレゼン、はじめのほうは力入れてたけど、途中から脱力して、最後は文字ベースになってしまいました。
でもま、できたできた。夜に行きたいところもあったけど、こちらが優先です。

全体の構成はこんな感じ

1、現3年生の1年生入学時の意識
2、「部落差別解消推進法」ができたことと、その背景
3、さらにその背後には、「知りたいと思っている人がいる」ことを、2011年京都府民意識調査から提示
4、「排除」の構造(「同化」のためには「排除」の対象が必要とされること)
5、時代をさかのぼりながら排除の対象が次々に変わっていったことを提示
6、平安時代に排除されていた「対象」の提示
7、時代が変わる中で「被差別民」を排除する理由がさまざまに変化してったことを提示
8、つまり「排除」が目的で、「なぜ」は「理由」でしかないことを提示
9、どうすれば部落差別がなくなるのか→Mさんと友だちの作文の紹介
10、まとめ(「排除」のない社会づくりを)

明日のセミナーでいろいろ意見をもらって、もう少し練ろうかな。

それにしても、3日でつくってしまったか…。まぁ、それまでにメッチャ考えてはいましたがね…。

焦る

部落差別についての学習で使うプレゼン、ようやくまともにつくりはじめました。昨日はグラフづくりでしたが、今日はいろいろ写真をはり込んだり。
プレゼンつくるのは、もちろん子どもたちに話すにあたってわかりやすくするというのもあるけど、もうひとつは、このプレゼンを使えば誰でもできるというところにあるのです。
が、たぶん後者は無理やろな。あまりにもわたしのプレゼンは使いにくい。それはオーソドックスな説明じゃないからでしょうね。まぁ、わたしのつくるワークシートが使いにくいのと同じことです。
それにしても、水曜日に使うので、月曜日にはネタあわせで相手の人には見せなきゃなりません。そこから逆算すると…。
月曜日は授業まみれなのでなにもできない。
日曜日は山岳部の引率で山行。
土曜日はstnのセミナーで一日つぶれる。
金曜日は午後から出張。
今日は夕方からT見さんと飲みながら取材。
えーと…。ムリやな(笑)。

部落差別についての授業を考える

来週、3年生の人権学習で部落差別を題材とした話をしなくちゃなりません。もともと30分くらいで終えるつもりだったけど、いろんなやりとり…というか、ご注文で、どうもそうもいかないみたいで、もう少し話をする必要が出てきました。まぁ、どうせやるならプレゼンつくってガッツリとやればいいかなと思ったので、作業をはじめたのですが…。
まぁ、自分がこれまで30年くらい、学び、考え、実践してきたことを詰め込むことになりそうです。ちなみに、詰め込む内容が少なかったら詰め込むのは簡単なんですが、詰め込む内容がそれなりにあるので、逆に「なにを詰めたらいい?」となっちゃいます。いや、なんぼでもあるのですが、なんぼでもある状態は、却って「ない」状態なんですね。なので、とりあえず最小限度のことを考えて、それに少しずつ付け足す形で、ようやく全体の流れができたかな。
そんな中でふと思ったこと。
やはり、部落差別って、とてもおもしろい、原始的な差別なんだろなということです。
部落史を勉強する中で「パシリの差別とシカトの差別」なんてことを聞きました。その後、金明秀さんの講演でも「見下し(序列化)と遠ざけ(排除)」という話をしておられました。これ、おそらくどんなテーマに着目しても、同時に両方をしてるんだろうとは思います。が、「ウェイト」が違うかなという気がします。部落差別は、やはり「排除」が強い。ちなみに、だからと言って、「日本特有の」なんていうことは言うつもりはなくて、たぶんどこの共同体でも同じ構造を持つ差別はあるんだと思います。つまり、だからこそ「原始的」ということになる。

「共同体」が拡張し、他の共同体と支配非支配の関係になると、おそらくは「見下し」が優位になるんじゃないかなと思うのです。日本を例にとると、例えば現在で言うなら、アジアの他の諸国であるとか、第三世界への眼差しはそうかなと思います。その少し前は琉球でありアイヌに対してそうだった。ちなみに、今もそれはあるから「土人発言」が出てくる。でも、AASAが意識化されなかった頃は、より「見下し」が強かったんじゃないかな。そして、今は「同化と排除」が同居する感じかなと。
でも、「共同体」が拡張する前、まだ他の共同体と接点を持たない時に、いかなる形態の差別があるのかな。言い換えると「他者なき差別」をどうつくるのかというと、共同体内部からなんらかの理由で誰かを「差別の対象」としなくちゃならなくなる。つまり「差異化」が必要となる。その最初の「理由」が、おそらくは「ケガレ/キヨメ」だったのかなと。「原始的」とはそういう意味です。
つまり
−部落差別:遠ざけ→そのまんま(見下しは遠ざけの理由?)
−他の差別:支配→見下し→見下し+(新たな「支配→見下し」ができることによる)遠ざけ→遠ざけ?
みたいな。いや、よくわかんないですけど。

で、なんでこんなことを考えているかというと、部落差別を日本特有な差別と考えずに、他の差別とどう結びつけながら説明するかということなんです。シームレスにつながるわけじゃないけど、「原始的なもの」として、他の差別に応用するという形でつながっていると考えたら、「わたしたちが共同体をつくる時の作法」として捉えることができる。となるとそれは普遍性を持つし、単に例えば「ヘイト」という現象レベルではない「わたしのこと」になる。そしてそれは、あらゆるところに応用できるものとなる。
まぁ、そんな授業をしたいなと思ってるんですよね。
さてさて、どうなるか…。

Be the 当事者、Do the 当事者

今日は午前と午後に会議が一本ずつあります。
午前の会議は「第二の故郷」の人権教育連絡会。今日は今年度はじめての会議なので、それぞれの参加者が今年度の方向性について話をしてみたり。そんな中、ムラの子が自分がムラの子かどうか知ってるのか知らないのかみたいな話が出てきました。
これ、新しくて古い話ですね。
自分が当事者かどうかわからない当事者って、かなり珍しいんじゃないかなぁ。まぁ、日本国籍を取得した外国人の子どもとかは同じ問題があるかもしれませんが、他にはあまり思いつきません。もちろん「自分の持たされている課題が当事者性を持つことを知らない」から「気づいてない」みたいなことはあり得ることではありますが、それとは違う気がします。なぜなら「親が隠す」ことが原因だからです。
でもこれ、差別があるからそういうことがあるんですよね。つまり、差別があるから親が伝えない。そして、伝えるかどうかの決定権を親が持ってるとまわりは思うから、まわりも伝えない。そうやって伝えられない≒隠さなきゃならないから暴く人がいる。なぜ暴くかというと、差別があるからです。
このサイクルをどうすればいいのかな。かつて「解放奨学金」があるときは、それをテコに伝えてきました。でも、今はそういう形としてわかる「徴」はない。でも、「徴」はある。

そんなふうにモヤモヤしながら、午後の会議。
こちらは半分強は去年からの継続メンバーですから、まぁ気は楽です。今回はsscの方が来てくださって、新たな観点をもらえました。

で、帰りに前のおべんきょ場所に行って、センセのところに遊びに行きました。
大学生になると、向こうから「自分はムラの出身で」って言いに来てくれるケースが出てきます。これ、別にもともと知ってるわけじゃないです。でも、気づくんです。
それは「徴」があるからです。例えば、「自分の町の特産品・産業は○○なんだぁ」と思っていて、やがていろんな知識を獲得する中で「あー、その特産品・産業って、ムラのものなんだ」って気づくとか。つまり「徴」と「ムラ」をつなげるヒントがあるからつながる。そして、当事者性をみずから獲得する。そうやって獲得した当事者って、かなり肯定的な感じです。そういう肯定的な感覚を身につけるとりくみって、かつては小学校くらいからやってたけど、今だとやはり大学生くらいにならないとムリなのかな。

戦後の解放運動のいい面でもあり悪い面でもあったのは「個人的なことにしない」ことだったのかもしれません。もちろん「The personal is politics」ですから、それはそれでいいのですが、でも結果的にそれが「隠す」ことにつながり「人が不在」のとりあげられかた/あつかいにつながっていったのかな。だって、人権啓発なんかの重点課題を見ると、他はすべて「人」だけど、部落だけは「同和問題」ってなってる。もちろん一方で、いや、だからこそpoliticsとpersonalをつなぐものとして「部落民宣言」というとても大切な営みがあるわけです。
「BeからDoへ」。今こそこのことが問われてる気がします。

旧交をあたためる

今日は一日授業にまみれる日です。なので、始業前からプリントつくったり、返ってきたプリントのチェックをしたりして過ごしていたのですが、授業が終わって一息ついたところで一枚のプリントが…。えーと、来週の人権学習の特別時間割…。来週の人権学習の…?
あかん!教育委員会にDVD借りに行かなきゃ!
てことで、急遽出張届けを出して、電車に飛び乗って、教育委員会へ。途中、急ぎの郵便を出したりしてたら、ギリギリの時間になったけど、とりあえずセーフ。
その後、せっかくだからと人権教育室に表敬訪問。ここ来たの、何年ぶりだろう。ここで、昨今の人権教育のあり方なんかについて意見交換。にしても、教員の世界の「上下関係」はさっぱりわからないです。まぁいいや(笑)。
で、帰ろうかと思ったけど、友だちが同じ庁舎にいるのを思い出して、飲みに誘いに行きました。メッチャびっくりされたけど、「じゃ、一杯だけ」ということで、久しぶりに話をしたり。
で、いろんな話をしていたのですが、こうやって話をすることって、ある種の情報交換なわけです。すると、いろいろ謎だったことがわかってくることもあります。それは、ひとつの物事だったり、ひとりの個人だったり。
やはり、ひとりで「観る」のではなく、他者の「観る」と重ね合わせることで、より客観性をもった「観方」ができるんだなと。
もちろん、こんなことは当たり前のことなんですけど、「孤立を求めて連帯を恐れず」やってきたわたしとしては、とても新鮮な時間でした。
ということで、ちょっと元気をもらって家に帰りました。
来週、DVDを返しに行くから、また誘おうかな(笑)。