今年もやれた

去年から大きく変えたうちの職場の人権学習です。まぁその3年前に大きく変えて、それを少しだけ昔パターンに振っただけですけどね。でも、「少しだけ」ですね。特に1学期については1年生は大きく変わっています。かつては障害についてやってたけど、去年から「人権とは?」「多様性とは?」ってあたりをやってます。で、今日は去年に引き続き、「世界人権宣言」です。
午前に3発授業をやって、午後はセッティング。そんなことをしていたら、すぐに1年生が入ってきました。なので、約35分のお座敷開始。ちょいとネズミ関係のトラブルがあったので、いらない時間を5分ほど使ってしまい、少し焦り気味です。ま、しゃーないな。
今年の子どもたち、はじめはどうなるかと思ったけど、カウンターの話とか国連の署名の話とかをあえて入れていったら、途中からガッツリと食いついてくれたっぽくて、かなりうれしかったかな。
まぁ、教員がする話は聞いたことはあるだろうけど、「動く人」として自分のことを語る教員の話を聞いた子どもはそんなにはいないんじゃないかな。でも、動いてたら、ネタはなんぼでもあるんですよね。
ま、そんなこんなでほぼ無事に終了。「ほぼ」とういうのはネズミさんのトラブル分だけ後ろへズレこんだという(;_;)。

話のあと、ひとりの担任さんが来られて「ひとつ「ん?」と思ったことが」とのこと。
「ホームレスの人を排除するためのオブジェのことを話しておられましたが、もしも通学路にホームレスの人がたくさんおられてもいいんですか?」
と。もちろんわたしの答えは
「いいですよ。だって、犯罪をするわけじゃないから。もしも犯罪行為があったとしたら、それはその行為を罰すればいいだけのことで、ホームレスを犯罪予備軍として見ることは間違ってると思います」
です。
ま、そもそもホームレスを生むような社会そのものが問題で、そういう社会だから、ホームレスを犯罪予備軍としてとらえてしまうんですけどね。そして、その眼差しこそが、差別なんですよね。
ちなみにその担任さんは「たしかに犯罪予備軍として見たらダメですね」と帰って行かれました。ま、これからまだまだ時間はあるから、ゆっくりとやっていこうかな。

こちらもはじまった

今日は午後から出張で会議です。なので、午前に与えられた3時間くらいで、やらなきゃならない雑務をサクサクとこなします。とは言え、昨日はそんなに雑務ができなかったので、今日はなんだか山のようにあります。行きの電車でトドをつくって自分宛にメールするのがいつものパターンですが、雑務をこなしてる間に次の雑務を思い出したりして、あっという間に出なきゃならない時間になってしまいました。
途中、1件用事もしたりして、出張先に着いたらえらいことが判明しました。時間、1時間間違えてた^^;。それでも笑顔で迎えてもらって、会議の最中おべんとも食べて。
会議は今度ある総会の打ち合わせです。1年間の方向づけをする大切な会議ですが、これまでの流れもあるし、さらに法律を実質化していくためにどうしたらいいかみたいな合意もできているから、そんなに大きくはずれるわけでもなく。そんなこんなで、会議も無事終了。ちなみに、途中、爆睡してました^^;。すんませんすんません。
あとは無事に家に帰ったら、それで一日は終わります。

またまた新しい週が

一昨日昨日の激動の2日間の次の日は、当然のことながら月曜日です。昨年度は月曜日に授業が集中してたけど、今年度もけっこう集中してて、「わわわわわ」と言ってるうちに1日が終わってしまいます。
てことで、「わわわわわ」と言ってたら、ほんとに終わってしまいました。
で、定時に職場を出て、家に帰ってビールを飲んで、平和に1日が過ぎて行きました。

懐かしい音

朝、マダンセンターに行くと、四日市のおふたりは起きたところだったみたいです。
い「朝ごはん、どうしますか?」
T「なくてもいいですよー」
い「この、ちょっとだけ残った鈴鹿川、どうしますか?」
T「飲んじゃいましょう」
てことで、朝ごはんは日本酒でした(笑)。
その後、近鉄に乗って移動開始です。途中、丹波橋でやたら大きい荷物を持った人が乗ってきたなと思ったら、Aおひょんでした。長いつきあいやけど、同じ電車になったのははじめてやな。
てなことで、向かうはウトロ。今日は久しぶりの焼肉です。前の焼肉は…。この日ですね。そうか、おべんきょ成果を提出した日だわ。
最寄りの駅からウトロへ向かって歩きはじめます。明らかに下り坂。ということは、水は低きに向かって流れるので、雨水が集中するのは当たり前です。
やがて、ウトロに入ります。なんか、懐かしい風景と、新しくできた団地のコントラストがハンパないです。でも、今日の焼肉は、この団地ができたお祝いです。
考えてみると、日本の敗戦の瞬間から「ここで生きる」ための闘いがはじまったんですよね。はじめは米軍相手、次は日産車体、そして西日本殖産です。そんな中、ようやく安定して住める場所を勝ちとったんですよね。ほんとうに長い長い闘いでした。
到着したら、とりあえず集会所へ。なにせ、コンナムルつくってるメッチャいいにおいがしてます。
「アンニョンハシムニカ」
というと、当然のことながら
「コンナムル、食べ」
というお返事です。しばしモシャモシャいただいて、2階へ。サムルノリの練習しなくちゃね。
そんなこんなをしているうちにお昼を過ぎました。アカンアカン。放送セットの開始だわ。てことで、放送機材を取りに行ったりセットしたり。
そんなこんなでワチャワチャしているうちに、ボチボチと人が集まりはじめました。と、集会所の中から「ウトロの歌姫」が!当然のことながら、マイクを渡します。すると当然のことながらノレがはじまります。キョンナムさん、ほんとうに歳をとらはったなぁ。かつてはお富さんを歌いながら踊ってはったけどなぁ。てか、いつも「もう終わるで!」怒られながらも「いったれ!」とかやって遊んでたよなぁ。
やがて焼肉の開始です。でも、わたしは食べません。ひたすら待ちます。なにを?もちろんTにさんに買いに行ってもらってる○ビスです。その代わり、あちこちに行って、懐かしい人々とあいさつです。
「あんたも長いなぁ。水道の頃からか?」
「そうですね。その少しあとですね。もう30年ですね」
みたいな会話。やがてヱ○スが来たので焼肉開始。
そして、いよいよサムルノリの順番が来ました。今回は強力な助っ人がおられるので安心です。それにしても、純粋なウトロ住民はひとりだけです。そんな中、ウトロ農楽隊に数えてもらってるのがうれしいです。
サムルノリが終わると、農楽です。この雰囲気は、他では味わえません。ウトロの農楽は、踊るためにあり、歌うためにあります。だから、太鼓は目立つわけじゃなく、あくまでも気持ちよく歌い踊るための伴奏です。だから、ノレを聞きながらあうチャンダンを探して太鼓を叩きます。
一方、サムルノリは完全にチャンダンの順番が決まってて、合図にあわせてチャンダンを変えていきます。もちろんそこに「遊び」は入りますけどね。まぁ、聞かせる音楽です。ちなみに、わたしは農楽あがりなので、けっこう農楽が好きです。「お富さん」にだってあわせます(笑)。まぁ、サムルノリを叩きまくれるほどうまくもないし、そもそも練習してませんからね。
でも、今回は、わざわざ太鼓を演奏しようとして来てくださった方がおられて、ちょっとそこでパッティングしてしまいました。やはり打ち合わせしておかなきゃならなかったんだな。
てことで、ノレも出なくなったことなので、太鼓も終わり。あとは焼肉の続きです。Tにさんが買ってきてくださった赤ワインをグビグビやりながら肉をつついていたら「片づけるから続きはあっち」とか言われてそちらに行くと、ちゃんへんさんが声をかけてくださいました。ありゃ、認識されてた^^;。うれしいですね。
そうこうするうちに暗くなってきました。と、放送機材も車に積めたとか。じゃ、返しに行きますか。
いろんなことが終わったら、すっかり夜です。とりま、ウトロにもどって忘れ物をピックアップしたりして、そのまま卒業生の車で北へ北へと。
い「お腹減ったなぁ、ラーメン食べよ」
卒「いいですよー」
い「天一行こ、天一
ということで、なぜか小倉をパスして竹田まで行きました。天一でお腹をふくらませたら、そのまま京都駅をパスして、うちまで送ってくれました。
卒「京都駅でおろして、あとがどうなるか心配するより送ったほうがマシ」
とのことです。ほんとにすんません。
そんなこんなで、長い長い2日間が終わりました。

偶然だらけのおさんぽ

今日から明日にかけて、四日市の皆さんの迎撃作戦です。
そもそも決まったのは昨年末のことでした。その時は、新年度あけてあまり遅くなると暑くなるよねということで今日にしたのですが、どうやら今日は真夏並みみたいです。やれやれ。
てことで、昼前に京都駅に集合して、とりあえず昼ごはんを食べようかと。ところが、京都駅は人が多い。とにかくここを脱出しないとなにもできません。「とにかくあっち」とだけ話して、スタスタ歩きました。なんでもみなさん「これから全コースこのスピードか?」と思ったらしいですが、そんなはずもないです。
さて、昼ごはんはどこで食べようと思っていたのですが、偶然にも今日は「東九条の春祭り」です。じゃ、昼ごはんはここだな。幸い小さいクーラーバックもあるからビールも買ってこられるし。てことで、豊かな昼食をいただいて、とりまマダンセンターへ。
まずは南コースです。パッチギゆかりの地から40番地跡、エルファ前を通って「わざわざ公園」を経由してマダンセンターにいったん帰ります。が、ここで異変です。「看板」が変わってます。まぁいずれ変わるだろうとは思ってましたが、やはり変わったか。ショックですね。
マダンセンターでは昔の写真を見てもらいながら、40番地のこととか、マダンセンター近辺の歴史的な背景をつかんでもらいました。
そして北コースから延々と続くおさんぽのはじまりです。まずは北岩本公園で「マンモス団地」をめぐる話。そして八条通りの「線引き」を見てもらって、オールロマンス事件ゆかりの地の「ひかり公園」です。そこから崇仁に入ります。まずは崇仁小学校の前で崇仁教育についてひとくさり。石碑を見てもらったあと向かうのは「柳原銀行記念資料館」です。と、ここでも偶然が!事務局長の山内さんがおられました。ラッキーです。「ちょっとだけ」とお願いして、資料館にまつわる話をしてもらいました。あいかわらずぶっ飛んでおられます。おもしろい!その後、七条河原町藤田敬一さんにまつわる話など。
お次は五条です。ここでは働く女性の話です。と同時に、もともと崇仁は「六条村」だったので、移転の話もほんの少し。なんというか、町のつくりって、いろんなことがまざって町ができるんだなと、あらためて思います。
そして、松原通りです。もともとここは「物吉村」だったので、そんな話。それにしても「物吉村」でググると3番目がわたしのブログかよ(笑)。その後、幽霊アメ本舗の前でひとくさり話をして、「清圓寺跡」を遠くから見て宮川町に突入です。
四条まで北上したところで、寺町に向かいます。「四若」が「四」であることの所以がここにあります。てことで、大雲寺の跡地のあたりでまたまたひとくさり。そして向かうは最終地点のひとつ手前、「八坂女紅場」です。ちなみに、ここに来るまでに「五條會館」「東山女子学園」と来てるので、その流れというものです。そして白川の風景で京都を堪能してもらって、タイムトンネルをくぐったところが「おたふく」です。
でも、おたふくはちょっとだけおあずけ。その前に「天部」の境界を確認しに行きます。そしてようやくおたふくへ。と、予定していた時間より早かったのでオープンテラスになりました。警ら中のポリスさん3人に「いいですね」と声をかけられるなど。のどかです。
お店に入るとまたまた偶然。かっくんです。偶然じゃないか(笑)。でも、かっくんがいてくれたおかげで、みなさんに「おたふく」を感じてもらえたんじゃないかな。でも、おたふくは1時間ほどで撤収。そのままうちの組合に向かいます。今日は偶然、組合の春の集いです。ここでタダ酒とタダ飯にありつきながら組合同士の交流を行うなど。
そんなこんなで、7時過ぎに終了。日帰りの人と京都駅で別れて、泊まり組とAっちゃんとでマダンセンターにもどって宴会の続きです。今回の首謀者Tにさんが持ってこられたお酒がうまい!「作」と「鈴鹿川」です。そんなのを飲んでるうちに寝てしまいました。

しばしクールダウン

はげしい夜を過ごした3日間でしたが、今日はようやく穏やかな夜が過ごせそうです。なので、とにかく早く5時が来てほしい(笑)。思わず授業で
「君たち、グランドで一斉に走ってくれへんか?そしたら、反作用で地球が早く回転するし、早く5時が来るし」
とか口走ってあきれられました。
で、夜は定時に帰ってみんなで晩ごはん。おぉ!たけのこご飯!そうか、こないだからテーブルに生えてたやつね。
そんな感じで、食後はテレビを見て、のんびりと寝ました。よかったよかった。

「トランスジェンダーの歴史」

なにが悲しくて、火曜日に引き続き今日も大阪なんだろと思うのですが、引き受けたものは仕方ないです。てことで、SEE主催のセミナー「トランスジェンダーの歴史」のコメンテーターをしに、今日も大阪まで来てしまいました。まぁ、コメンテーターさせてくれるのはHがしさんのエールなんでしょうね。ありがたいです。
なので、さっさと仕事を終えて、早めに行って会場準備をしようと思ったら、JRが架線の確認をしたとかで快速が「ウヤ」とかで、結局準備には間に合わず。
会場に到着して、いろいろな人とごあいさつ。ほどなくセミナーがはじまりました。

今回のセミナーはヴィクトリア大学のAaron Devorさんによる「The chair in transgender studies/transgender archives」です。当然のことながら英語です。なので、通訳は東優子さん。でも、とてもわかりやすかったです。まぁ、理論的な話というよりも、Aaronがやってる活動紹介でしたからね。内容的にはそんなにむずかしくはなかったです。あと、ゆっくり話してくれるのも助かりました。
それにしても、ヴィクトリア大学のすごさというか、Aaronのすごさを認める大学の度量というか、そんなことを思いました。
やってることはふたつです。
ひとつはconferenceを開いているということ。なんでも、あいさつは学長クラス・理事長クラスがしにくるとか。参加者はactivistやresearcherやartistなど幅広くて、まあ大学関係者(含む学生・職員)とそれ以外の人が半々くらいとのことです。で、講演やってるのはほとんどが当事者みたいです。今年はアメリカ初の黒人のトランス女性の市会議員も講演したとか。あと、おもしろいのはartがあること。人がすごく集まるみたいです。2018年には映画監督を呼んで上映会したらしいです。さらに、今年のconferenceではyouthとelderのpanelがあったんですって。あと、奨学金とか賞とか出してるみたいです。
もうひとつはtransgender archivesです。資料の一端を紹介されてたけど、すごいです。日本のものもあって、『FTM日本』はありがちだけど『QUEEN』もありました。あと、大切なのは、本じゃなくてニュースレターとかチラシとか書簡なんかもあるんですね。そんなのが膨大な量所蔵されてて、しかもいつでも誰でも行けば無料で閲覧できます。キーとなる資料は電子化されていてネットからもアクセス可能です。

で、後半の最初にコメンテーターの仕事をしました。
まずは、前半部分について。
そういや、わたし、awardとったなと。でも、賞金は出なかったなと。次の年からは出るようになったみたいだけどね。あと、映画にも出たなと。それから、2017年には「トランスジェンダーの過去・現在・未来」みたいなシンポにも出たし、2016年にはstnでも同じようなシンポしたなと。なんか、ひとりconference状態だなみたいな話(笑)。
で、後半について。
まずは、自分がトランスであることを知った1997年に、はじめてアクセスしたセクシュアリティについての情報は「キリストの風」というニュースレターだったということを思い出しました。なかでも「かじよしみ」という人がアメリカの事情を連載してたんだけど、すごく新鮮でした。たぶん、本と違って、その時の空気がリアルに伝わってくるんですね。だからこそ、archivesなんですね。そんな中で、例えばarchivesの中にはTudaだったかな、有名なヌードモデルさんがおられて、その方の写真もあるらしいんですが、トランスでヌードだと、意味あいは違うけど、藤村美沙さんのセルフヌードを思い出すんですよね。特例法前夜、完全施工のセルフヌードを公開して戸籍変更を要求した人がいたということを、たぶん知ってる人は、もうほとんどいないんじゃないかと思います。そういう歴史や人が「なかったこと」にされていくことに悲しさと怒りを感じるんですよね。
あと、これもarchivesにあったんだけど、1920年頃の新聞記事がたくさんあって、それは異性装して逮捕された記事です。でも、当時のトランスの人たち、そういう記事を読んで「ひとりじゃなかったんだ」って思ったって言っておられました。そして、トランスジェンダーの人たちは、その記事を切り抜いて保管してた、それがarchivesになっている。この話を聞いた時、泣きそうになりました。でも考えてみたら、わたしもいずみちゃんの記事を見て「自分にもできるかも」って思ったしね。
で、振り返って日本を見ると、こういうarchivesをつくっているのは三橋さんだけなんですよね。かたや大学がやり、かたや個人なんです。
で、わたしなりに考えた日本の課題は、ふたつの分断があるということでした。
ひとつの分断はelderとyouthの分断です。つまりarchivesの重要性を知らないということですね。歴史に学ばないということ。そしてもうひとつがactivistとresearcherの分断です。これもまた歴史や理論から学ばないということ。たぶん、このふたつの分断をどうしていくのかが問われてるということを、Aaronの話を聞いて感じたという、ま、そんなまとめをしました。
ちなみに、そのあとの質問で大河りりぃちゃんが「日本ではarchivesは三橋さんひとりがやり、conferenceはいつきさんひとりがやってる」とかいうネタをぶっこんでくれました。
ま、その後、質疑応答もおもしろかったけど、まぁそんなこんな。

で、当然のことながらの打ち上げに行くわけですが、すでに9時半をまわってます。大阪駅近辺はラストオーダーが10時で閉店が11時。したがって、入店は9時半までらしくどこにも入れません。しかたないので、北新地の庶民的なお店に行って、ビール→ワインといったところでタイムアップ。
Sーちゃんとふたりで新快速で帰りました。まぁ、ひとりじゃないから安心ですわ(笑)。

入り口にたどりついたかな?

今日は前のおべんきょ場所の共同おべんきょです。今日もいつもの時間のいつもの部屋にいつものメンバーが集まります。ま、他のメンバーが忙しすぎて、「いつもの時間」はセンセとわたしだけでしたがね^^;。
テーマは、先月スジがむずかしかった話です。さてさてどうなるか。
このメンバーで扱ってることは、とても簡単な内容です。だって、日常の学校教育にかかわることですからね。日常を掘り起こし、分析して理論化すればすむだけのことです。問題は、掘り起こすスジなんですよね。前回は、そのスジがむずかしかったんです。
センセのこだわりはよくわかります。前も書いたように「従来の授業観をくつがえす」です。いや、もう少し広いな。「従来の教育観」というか「従来の学校観」というか、そういうものに疑問を投げかけくつがえすことですね。でもそれは新しいことにとりくむんじゃなくて、これまで「ダメ」と言われたり「無視」されたり「ないこと」にされてきたことを、再評価したり光をあてたりする作業なんです。だから、わたしにとっては専門外ではあるけど(笑)、とても魅力的な内容なんです。
ちなみに、今回の内容も、わたしにとってはこの日解けた疑問を追求しているし、そもそもわたしが教員やってる意味である人権教育、とりわけ学力進路保障とも大きくかかわる内容なので、メッチャ興味があります。
なので、しばしセンセとふたりでブレーンストーミング。なんとなくなにがしたいのかぼんやり輪郭が出てきました。そうこうするうちに、他のメンバーも来られて、みんなで論議と言いたいところですが、一番弟子さんが首をひねっておられます。一方、わたしにとっては馴染み深い世界と直結しているのでイメージしやすくなってきました。なんか、いろいろインスピレーションがわいてきます。
そんなこんなで、従来尊重されてきた概念と「ないこと」にされてきた概念をどう図示するかなんてことをしながら、なんとか入り口にたどり着いた感が出てきました。
にしても、こんなことしてるヒマあるのかなぁ(;_;)。

「男ですか?女ですか?」

今日は出張のない出張日です。でも、出張に行きましょう。ということで、「地域との連携」をしに行きました。今回は、はじめて「副担当」にも来てもらいました。なにせ、この間ずっと副担当がわたしと同年代で「若手をつけろ」と言ってたんですよね。でないと「同和教育の継承」なんてできないです。
教員の仕事って「徒弟制度」的なところがけっこうあると思います。もちろん、そうじゃないところもあるんだけど、「そうじゃないところ」だけではないということです。「地域との連携」みたいな話は、徒弟制度なんです。だから、「地域との連携は大切です」なんて話を研修で聞くんじゃなくて、一緒に行って、どんな空気感でどんな話をしてるのかを実際に見ないとわからないんです。だから「若手をつけろ」「若手と一緒に仕事をさせろ」と言ってきたんです。もちろん、その若手が後を継ぐなんて考えてません。でも、若手がそれを知ったうえで取捨選択する、その選択肢を与えろとずっと言ってきたんです。
で、今回は、やっとつけてくれた「若手の副担当」と一緒に行ってきました。ちなみに、「地域」の人はほとんど知りあいです。中には教え子もいっぱいいます。それだけじゃなくて、地域の人たちは子どもたちのことをよく見てよく知ってます。そんな地域の人たちの姿を見て、いろいろ考えてくれたみたいです。よかった、よかった。

で、夜は恒例の会議です。その会議の中で、小学校教員が、子どもから
「先生、男ですか?女ですか?」
と聞かれたというエピソードが出てきました。それを聞いた会議参加者のT田さん
「子どもたちはそんなことを聞くんですか?」
と、えらい剣幕です。
「なぜ聞くんですか?」
と。なので
「そりゃ聞きますよ。子どもだからこそ聞くんです」
と答えました。
当然のことながら、終わったあとの飲み会でもその話です。
たぶん子どもたちは子どもたちだからこそ聞くんです。年齢が低くなればなるほど聞くんです。そしてそれは、決して「率直」とか「素直」とか「遠慮がない」とか、そういう話とは違うのです。
子どもたちは、自分がどのジェンダーに属するのかを確認したいんです。なぜなら、「幼児教育段階ではカテゴライズによる性別分離の基礎が築かれ、小学校では幼児教育段階での性別カテゴリーを引き継ぎつつも、男女均質化の原則が強く支配する」からです。
子どもたちは自分がどの性別カテゴリーに属するかを幼児教育段階で教わります。その性別カテゴリーは、単独で存在しているのではなく、「もうひとつの性別カテゴリーとの「差」」として存在しています。だからこそ、「らしさ」が強く提示されるわけです。ちなみに、これは別に保育園や幼稚園がやってるだけじゃなく、社会が総掛かりでやっています。
そうして「自分がどの性別カテゴリーに属するか」を知った子どもたちは、「その性別カテゴリーに属する人はどんな人か」ということを学びはじめます。そのことによって、自分が属する性別カテゴリーのロールモデルの選択肢を増やしていくわけです。
たいていの場合、まわりの大人がどの性別カテゴリーに属するかはわかります。一番わかりやすいのは親です(ごく一部の親を除く(笑))。教員もわかりやすい(ごく一部の教員を除く(笑))。でも、どちらの性別カテゴリーに属するかがわかるらない人には聞かなきゃならない。なぜなら「自分と同じかそうでないか」を確認して、ロールモデルとなるかならないかを決めなきゃならないからです。
だから子どもたちは聞くんです。
「先生、男ですか?女ですか?」
ついでに言うなら、そう聞かなきゃならない人は、どちらの性別カテゴリーの人からもロールモデルとはならない人になります。そこで「おかま」という言葉で排除されることになります(笑)。

ここで何が言いたいか。
それは、子どもの行動だけをとらえて、それを禁止することで解決できるかということなんです。あるいは、「学校で性別を教えるから」というひとことで解決できるかということです。
実はT田さんはズバリと言われます。そのT田さんが言われることを、わたしなりに翻訳してひとことで言うなら
「性別二元制を解体せよ」
です。
T田さん、極めてリベラルというかラディカルというか、ムチャクチャです(笑)。でも、たぶんそういうことなんですよね。
ちなみに、「なぜ性別二元性なのか?」という問いをT田さんは発せられるのですが、まぁそれはそういうものとしかいいようがないです。カテゴリーは「AかBか」ではなく「AかAではないものか」でつくられるからです。なので、カテゴリーは他にもあります。「whiteかcolored(not white)か」みたいな。
それにしても、こんな話ができる飲み会は楽しいです。
ちなみに、そのあとはKうさんがいろいろ話してくださっていたみたいですけど、わたしは帰らなきゃ、帰れなくなります。
Kうさん、あとはよろしく(笑)。

『障害のある先生たち』

やっと「読みたい」と思ってた『障害のある先生たち』を読み終えました。なんでこんなに時間がかかったかというと、その前に読んでたのが『知への意志』で、やたら時間がかかったのと、そのあと急遽『18歳のビックバン』を読むことになって、つい後まわしになっていたという。
Kちゅかるさんから感想聞かれてて、それに応えたいなと思ってたし、「第3章とコラムだけでもいいよ」とも言われてて、実はパラパラとはめくってたけど、とてもじゃないけど感想言えるところまでは読めてなかったので「いや、読んでないんです」と答えてはいたのですが、やっと順番がまわってきました。
読みはじめた、最初の印象は「簡単な本だ」でした(笑)。
まぁ、フーコーみたいな訳書に比べて簡単なのはあたりまえなんですが、でも、とてもとっつきやすい。じゃ、あえてレベルを落としてるかというと、そういうわけでもないです。ここ数年おべんきょの関係でペーパーをよく読みますが、まったく手加減してるようには思えない。なぜだろうと思ったけど、きっと「こなれてる」んですね。だからこそ、ややこしいことをややこしいままに、それでもわかりやすく書ける。そこに読者、あるいは「障害のある先生たち」への愛を感じます。
で、中身ですね。ひとことでいうと、「とっ散らかったおもちゃ箱みたい」という印象でした。でもそれは当たり前です。なぜなら、そもそも例えば「視覚障害のある先生たち」を扱っているのではなく「「さまざまな」障害のある先生たち」を扱っているので、それぞれが与えられているdisabilityはまったくちがうということです。さらに、そもそも「障害とはなにか」という根源的な話が最初から出てきます。つまり、あるdisabilityを障害ととらえるのかとらえないのかということです。そしてこの本は、あえてそれを著者たちは定義せずに、相手に委ねる(笑)。となると、identityとしてのdisabilityです。で、なぜこんなことが可能になるのかというと、inparementとして障害を捉えてないからです。まさに「social model」です。まぁだから、文中のHさん(シンポの中のIさんは同一人物(笑))はこの本に「参加」したんだと思います。でもそこには、安心してidentityと言える関係がないと不可能です。つまり、はじめにインタビューイーと著者たちの関係があって、さらにsnowball samplingをすることで広げていった。その人脈がベースにあるということでしょうか。
さらにもうひとつ「とっ散らかったおもちゃ箱」になった原因は「先生(本書のタイトルなので、あえて「先生」とします)」という職業に着目しているところではないかと思います。例えばこれが「日常生活」だったら、こうはならない。第4章にあるように、教員の仕事はひとことでくくれません。「いや、それは他の仕事も同じ」と言われる方もおられるかと思いますが、わたしが言いたいのは「数学の教員」と「美術の教員」では求められる技能や資質が違うということでもあり、小学校教員と高校教員でも求められる技能や資質が違うということでもあり、そもそも免許が違うということでもあり、さらにそこに支援学校も含めると「教員」というくくりはほとんど意味をなさないほど、それぞれに期待される仕事内容が違うということです。それをあえてひとつの「箱」に放り込んだら「とっ散らかる」のは当たり前です。でもそれをあえてひとつの「箱」に放り込んだ。するとそこから浮かび上がってきたのは「教員ってなに?」という問いだったという(笑)。
これは第4章で真正面からとりあげられてますが、読みはじめてすぐ「これ、障害の本でもあるけど、教員について、あるいは教育についての本でもあるんだ」ってわかりました。
さらにもうひとつ。「整理されたおもちゃ箱」ではなく「とっ散らかったおもちゃ箱」なのは、みなさん整理しようとしてない(笑)。いや、整理が苦手な人が著者の中にいるのは知ってますが(爆)、そういうことではない。それは最後にもあるけど、「提言をしようとはしてない」ってことです。でもそれはとても正直でありていねいなことなんですよね。だって、提言なんてできないし、提言した瞬間に、そこにはまらない人をつくってしまうとわかっておられるからです。それを実証したのが第3章になるのかなと思いました。
第3章でとりあげられた3人のインタビューイーは、障害のあることと教員であることの相関関係がまったく違います。つまり、障害のあることをdisabilityと感じることがある人もいれば、障害のあることを自らの「ウリ」としちゃう人もいる。そして、教員という経験を通して「障害」の中からidentityを立ち上げる人もいる。つまり、「障害」と「教員」を掛けあわせたら、わけがわからんことになったということです。第3章では3人しかとりあげておられませんが、実際に話を聞かれたのは16人もおられるわけで、たぶん著者の3人の方々は、もっとわけわからんことになっておられたんだろうなと。それが少しうらやましい。
そんな中で、少し整理されてるのが第6章から第8章になるかと思いました。それは「視覚障害」に特化した話が主流を占めることと、特に第8章の楠さんの話がそれを特徴づける気がしました。そこでの気持ちをあえていうなら、本書の「親しみやすさ」が遠のいた感じもありました。まぁでも、それが「歴史」というものなのかなぁ。そういう意味では、第5章を読むことで、第6章から第8章の背景になることがわかります。
わたしは個人的には「マイノリティだからできることがある」という考えはイヤです。もちろん、そう考えないとやっていけなかったり、そう考えることでできることがあったり、さらには自分のinparementをdisabilityととらえ直すきっかけになったり、まぁさまざまなことはあるだろうとは思います。でも「それって資格じゃん」と思ってしまう。「だったらマジョリティは永遠にできないじゃん」と。さらには「だったら社会は変わらないじゃん」と。そして、それへの「反証」がわたしの実践の原動力です。つまり「マジョリティだってできることがある」です。そういうわたしにとっては、やはり「遠のいた」という感覚がどうしても出てくるんですね。
そうそう、この本を可能にした「チームエスノグラフィ」についての第2章はおもしろかったですね。わたしにとっての「おべんきょ」って、チームでやるものとは思えない。というか、たぶんやりたいんだろうけど、端的に言って「ぎょーせき」をつくらなきゃならない状況で、そうなると「チーム」なんて組めないです。でも、それがチームを組むことで多様になるって、これもまたうらやましいなと思いました。でも、その出会いがニューカマーをめぐる問題意識からでた研究会だったというのが、これまたおもしろいです。そうやって、なぜかわたしのフィールドとどこか重なるんですよね。たぶん、わたしが横断的にものを考えられるようになったのは、多少なりともこういう「世界」と触れあっているからなんだろうな。
そうそう、コラムがおもしろかった!特に、stnセミナー参加記ですね。もちろん、stnは「障害のある教員のグループ」ではないから、例えば全聴教(≠全朝教)とは違うのは当たり前なんですけど、そういえば、stnの人たちは発言する時に自分のセクシュアリティから入りますよね。これは、「当事者なんです」というだけじゃなくて、「どういう当事者であるか」とか「自分の問題意識はどこにあるか」あるいは、「どういう経験をしてきたか」ということのなかのものすごく大雑把なことを、とりあえずバクッと言うためのリソースなんですよね。でも、そこで「ストレートです」という時のとまどいがあるというのが、あらためて「だよねー」と思ったし、それは在日外国人の社会で「日本人です」と言ったり、あるいは部落の中で「部落出身じゃない」と言ってきたわたしの姿と重なるわけで、だからこそ「だよねー」と思ったんですよね。

などと、いろいろ書きながら、ふと気がついたこと。
わたし、基本的にはsocial modelと親和性が高いと思っています。でも、なぜそうなったのかなということに、この本を読むことで気づいた気がします。
わたし、教員としては能力が低いです。それは、数学の教員としても学力が低いし、教員としての、いわゆる指導力があるとも思えません。でも、そういうわたしだからこそsocial modelなんだろうなと思うのです。
例えば、数学の学力をあげたり教員としての指導力をあげるために研修に励む方がおられます。これを、障害の世界に持っていくと、rehabilitationですよね。つまり、個人の学力やスキルを高めることで、自分の中にあるinparementを克服するモデルです。いわゆるindividual modelですね。
それに対して、わたしは基本的には努力が嫌いだし勉強も嫌いなので「しゃーないやん」と思ってる。てか、努力や勉強なんてどこまでやっても限界なんてないし、逆に言うなら「できないこと」「わからないこと」「間違うこと」は当たり前で、そんな時は「ごめん」と言えばいいと思ってるんですよね。自分のabilityの低さを肯定しているというか、開き直っている(笑)。例えば、解けない問題があれば、他のリソースを使えばいい。それは他の人に聞いたり、問題集の解答を見たり、「他の人に教えてもらえ」というかたちで解決すればいいだけの話だと思っています。で、大切なのは、他のリソースをどれくらいたくさん持っているかということなんだと思っています。これを、熊谷晋一郎さんは「自立は依存先を増やすこと」と言っておられるわけです。知らんけど(笑)。
となると、わたしがsocial modelをとっているのは、自分のabilityの低さに原因があって、そういうdisabilityを持つがゆえに「できること」があるとしたら、これはさっき書いたことと矛盾するなと(笑)。