定常運転

今日は「千鳥足倶楽部」の例会です。
この倶楽部の結成、もともとはこの日に遡ります。で、今回の例会はこないだの火曜日に決まりました。ちなみに、ピンポイントで「今度の金曜日」とか指定したら、見事にその日に決まるあたりが不思議です。
でも今日は大雨です。家の前は水たまりになり、その先の道は川になってます。てか、大雨特別警報出てるし。しかも避難指示も出てるし。でも、誰も「中止」とか「延期」とかいう連絡をしてきません。となると、受けて立たねばなりませんね。
問題は交通手段です。完全にずたずたです。JR・阪急はダメですね。と「京阪…」と思いついて見てみたら、遅れなし。おそるべしおけいはん。まぁ、京阪は
大きな鉄橋が鴨川と木津川くらいしかないからかな。
てことで、約束の時間に天王寺。向かうは「オッソ」というタイ料理屋さんです。ここ、マイケルさんのお気に入りだとか。
到着したら、まずはビール。ハートランドがうれしいです。そのあとは「ぱくちゅー」です。パクチー酎ハイです。そして速やかに久米仙ストレートダブル。なにせ今日は千鳥足倶楽部です。みなさん、半端ない飲み方される人ですからね。
そんなふうに呑みながらも、あんな話やこんな話。近況報告や昔話。
が、気がつくと半分くらい寝てたみたいです。弱くなったなぁ。でも、次の倶楽部ではがんばるぞ!

動きはじめる

今日は朝からすごい雨です。すでに北陸線とか加古川線とか動いていない路線があります。とうぜん、我らがN良線も最低でも遅延だろうと思っていたら、安定の遅延でした。もっとも信号機トラブルだとかで、ちょっとびっくりしました。それでも、電車の車内で緊急アラームが鳴ったりして、ちょっと緊迫感が走るなど。
で、今日から試験だけど、特に遅れもなく淡々とすすみます。ちなみに、「3人講座」の試験は今日です。ずいぶん問題を減らしたつもりだったけど、「多い」って言われてしまいました。まぁ、確かに不馴れな計算をしなきゃならないから、そのぶん多いかもしれないけどね。
で、午後は採点。30分ほどで終わるわけですが、わずか3人に30分かかるわけで、そういう答案は、やはりおもしろいです。
その後、自分の雑務にとりかかります。ちょこっと資料を調べたり、過去の新聞をあさってみたり。そんな時に役に立つのはネットです。キーワードを入れて検索したら「あぁ、これあったな」。キリスト教右派からのすごいヘイトです。でも、当時「ヘイト」とは思わなかった。それは「ヘイト」という概念がなかったからですね。で、そんなページを手がかりに、ほしい資料を見つけました。
で、最後にpdfにして送って、いちおう終了。
続いてもうひとつの雑務です。これ、8月1日〆ですが、そんな時までやってたら話になりません。なので、さっくりと仕上げてしまおうかと。と、一本のメール。うわ、残念。ひとつ楽しみにしていた仕事がキャンセルになりました。が、それに伴う負担がかなりプレッシャーだったので、そちらのプレッシャーがなくなった気持ちを優先させましょう。
で、合間合間に別のちまちま仕事をしたり、筋トレしたりといった気分転換をしながら、雑務を遂行。
帰りはナンミックスを買ってみました。こんな時は電車通勤が便利です。
家に帰ると家の前が水たまりになっています。えーと、排水が機能してない。というか、機能をオーバーしている。近くを見ると、なにやら排水口をブロックでふさいであります。これはアウトでしょう。そのブロックをはずしたら水たまりが消えました(笑)。
さてと、あとはお風呂に入ってビールだな。

切り換え

昨日、ずいぶんと脳みそが刺激を受けたみたいで、なんだか活性化してます。やはりサビ落としは大切なようです。
でも、先に考えなきゃならないことがふたつあります。なので、そっちを先に片づけなきゃなりません。
29日の研修会が先ですね。にしても、あまりにもおかしいです。なんでこのメンバーの中のわたしなんだと。てか、昨日、東さんが「すごいメンバーでワクワクする」って言ってて「そうですね、講師陣が」って言ったら「いや、受講者」って言われました。たしかに。てか、「あんた、講師ちゃうのん」って人がズラリと並んでます。おかしいし…。
そんな中で自分が何ができるか考えたら、高校の教員として人権教育に携わってきたことくらいしか思いあたらないので、そこを押すしかないなと。ま、そんなことを考えながらレジュメをつくったり、資料を作成してみたり。で、ほぼできあがったかな。
でも、まだ最後の〆が決まらない。
寝る直前まで考えて、「そうか、あれか」と気づいたのでそいつにしようかな。
とりあえず、久しぶりにプレゼン使わずしゃべくり勝負です。その代わり、資料はがっつりつけようかなと。

公開フルボッコ大会

とうとう来ました。公開フルボッコ大会の日です。久しぶりです。
でも、わたしの公開フルボッコ大会の前に、もうひとりあって、その切込隊長(コメンテーター)をしなきゃなりません。もっとも、するのはいいんだけど、この大会に出たことないので、どんなことをするのか、つまり、まさに「コメントを入れる」のか「質問をする」のか両方なのか、別なのか、なんしか作法がさっぱりわからないんですが^^;。でもいずれにしろ、そのペーパーを読まなきゃなりません。
ちなみにさらにその前に、「おべんきょタイム」があるので、それのペーパーも読まなきゃなりません。なにげにキツイ。
なので、おべんきょ場所までの2時間、とりあえずひたすら読み読みです。
午前の「おべんきょタイム」は、まぁ楽しい。センセは「役に立たないかも」って言ってたけど、そんなことはありません。仕事面で役に立ちそうです。
昼ごはんは食堂で。安いなぁ…。
で、とうとう公開フルボッコ大会です。
えーと、なんか人が多いんですけど。てか、今までやった中で一番多いんですけど。てか、前回はセンセも副センセもいない中でやったんですけど。まぁいいや。
とりま、コメンテーター。まずは「貴重なおべんきょと思いました」とひとこと「新規性」について話をするというか、仁義を切るというか、そんなのをしてから質問ですね。その後、いろいろ質門の嵐が吹いたけど、まぁそれはそれで終了。
続いてわたし。とりま、ひと通りレジュメを説明&読んで、フルボッコタイムを待ちます。と、来ました!
質「このペーパーを通して何がしたいんですか?」
それか(笑)。
い「書いてあるとおりですけど」
質「つまり、○○を批判したいわけですか?」
あり?
い「いや、批判するつもりはないです」
質「だって○○でしょ」
い「いや、批判じゃなくて、そこに「ある」ということを明らかにしたいだけです。もちろんそれを使って批判したければ、それはそれでいいですけど、わたしら「ある」ことを明らかにするだけのことです」
なんか、しゃべりながら、どっかでこの話があったなと思ったら、これ、エスノメソドロジーに対する批判ですよね(笑)。
でも、そんなことを考えるまでもなく、わたしは「そこにある」ものを「ある」と言いたいだけのことなんです。
たぶん、そうじゃなかったんだよな。もっと意味づけをしようとしたから「ある」ことの意味まで踏み込んでしまった。でもそうじゃないんですよね。「ある」ことを示すだけでいい。というか、「ある」ということへの意味づけは、「ある」と言ったあとのことです。
でも、「ある」って言うのはたいへんです。だって、目撃証言をもとに「ある」って言うんだけど、その目撃者もまた「そこにいる人」、つまり「ある」ことを支える人で、しかも「ある」ことに支えられてる人ですからね。その目撃証言のバイアスをバイアスとして受けとめて「ある」ってことを明らかにしなきゃならない。
質「今の子どもたちは、もっとフリーなんですよ」
い「いや、わたしがやりたいのは、「その場」にあったできごとを明らかにすることなんです」
とうとうセンセが出てこられました。うーん、助かるけど、出させてしまったな。自分で解決しなきゃならなかったのにな。
でも、終わったあとにセンセから「もしかしたらいけるかもという気が少しした」って言われたので、少し前に進んだのかな。てか、なんとしてでも、このネタを形にしたいな。

帰りに大阪駅近くのいつもの店でひとりクールダウン。
疲れた。でも、いろいろ決意し、方向性を確認した日でした。

今日は許して(笑)

明日は「公開フルボッコ」の日です。それにあわせて「フルボッコネタ」を土曜日につくったのですが、土曜日の夕方に「これではダメ」とのダメ出しをセンセからくらって、日曜日のおべんきょから帰ってきて「どうしたものか」とうなってました。それでも日曜日少しは書いたのですが、まったくたりてません。さてどうしたものか。あしただぞと。
てことで、今日やるしかありません。でも、今日は魔の月曜日。どうなる?
幸い今日は「教え合い学習」です。なので、質問にさえ来なければ、少しは余裕があるかな。
で、フタを開けてみると…。まぁ、ちょいちょい質問には来るものの、そんなに頻繁にはきません。まぁ、わたしの雰囲気を見たらわかるんやろな。
職員室でも、少し切羽詰まった感を出してみたり。そしたら、みなさん、あまり触れないでおいて下さいます。優しい職場です。あまりに優しいので、煮詰まって気分転換しなきゃならないタイミングでは、こちらから仕事の打ち合わせをしにいったり。
そんなこんなで、いちおう「フルボッコネタ」をいったんfix。でも、どうせ「fixって言った尻からfix解除」です。とにかくひと晩寝かせて、明日の朝考えましょう。
と思っての帰り道、だんだん「うわ恥ずかし」と思いはじめて、明日の言い訳を考えてみたりする夕方です^^;。

関西インクルーシブ教育研究会

今日は「関西インクルーシブ教育研究会」なる研究会です。
事の発端は、ひとりでおべんきょがしんどくなって、かと言って今のおべんきょ場所はあまりにも遠いので、どうしたものかと倉石さんにメールしたら「こんなのあるよ」と紹介してもらったという。でもそれは去年のことです。それから約1年たったのですが、先日このペーパーと出会って痛く感動して著者名を見ると、なんと「関西インクルーシブ教育研究会」の中の人だったことが判明して、それなら教えを請いに行かねばと決意したのが先週のことでした。
ということで、お昼すぎに指定された場所に行くと、なんとわたしをご存知の学生さんが!なんでも阪大でお座敷したところにおられたとか。悪いことはできひんな…。
そんなことで、なんとなく研究会開始です。まずは文献講読。たんと著者の方がいらっしゃってびっくりです。と、続々と人が来られるのですが、みなさん大学教員かよ!しかも名古屋からも来られてるのかよ!すごいな…。みなさん、ガチで「インクルーシブ教育」の専門家です。が、まさに今日の本はサブタイトルが「専門性の権力をめぐって」です。なので、論議が研究者の立ち位置とかに飛んでいっておもしろいのなんのって。特に「発達障害は構築的か?」みたいな論議トランスジェンダーをめぐる論議と似てるところもあるので、メッチャおもしろかったです。
で、後半は研究報告。スコットランドのインクルーシブ教育の話から、世界各国のインクルーシブ教育についての話を互いにされます。世界の話はついていけないので、現場の話を少しして参加してみたり。でもこうやってお互いの問題意識を出しあうことで、次の課題が見つかるんだなぁ。いいなぁ。
てことで、5時ピッタリに終了。そして飲み会はなし!すばらしい。
帰りの電車である人と一緒になって年齢の話をしたら「今日の一番の驚きです」と驚かれてしまったのはまぁそれはそれ。
さてと、帰って少しだけペーパーいじろうかな。

ほんとにこの人たちは強力な味方だな

今日は岡山の青年司法書士のみなさんに呼んでいただいてのお座敷です。
たぶん、みなさんとの出会いは去年の5月になるかな。シンポが終わったら話しに来られた方がおられて、間もなくメールが来て台風に負けずに呑むハメになったということです。でも、まぎれもなくこの時のお座敷が青年司法書士のみなさんとの正式な出会いですね。その後、インフルエンザの中のお座敷やったりワインでマーブル模様になったパーカー着てのお座敷やったりと、いろんなところでお世話になりました。
で、今日です。
とりま、起床は7時半。コーヒーを淹れて精神統一です。そして、静かな心で朝のおべんきょです。なにせ、急遽今度の火曜日に「公開フルボッコ大会」にエントリーすることになったので、そのためのネタをつくらなきゃなりません。2時間半ほどパソコンに向き合って、とりあえず完成。速攻関係諸方面に送って、少し走りましょう。まぁ、出発までの時間を考えたら20分というところですか。ということは4キロ弱。どこ走ればいいんだ?ま、ええかと走ったら4キロちょい走ってしまって、タイムオーバーです。やばい。
急いでシャワーを浴びてギリギリの時間で地下鉄に間に合いました。
で、会場到着。みなさん「We are one」Tシャツを着ておられます。気合入ってます。わたしはというと「Anti Fscist」Tシャツなので、まぁ似たようなものです(笑)。
で、お座敷開始。今回は「思う存分2時間話を」ということだったので、調子に乗って話してたのですが、笑いの代わりに深い頷きがあったりして、これはどうしたものかと。いや、それはそれで実はうれしいのですが、芸風がそうじゃないので、とまどったりもして。でもさすがに鉄板のスライドは笑ってもらえました。
てことで、調子に乗って話してたらあっという間の2時間でした。で、司会の方が動こうとした瞬間「すんません、まだあるんです」と、エピローグ部分を話したら、結局15分オーバー(;_;)。やはり「思う存分」はあきません。
その後シンポです。「マイノリティの方は日常どう過ごしておられますか?」という質問には笑いました。「朝目が覚めて、出勤して、仕事して、帰ってお風呂に入ってビール飲んでます(笑)」という答え。もちろん、そういう答えを求めておられるわけではないんでしょうけど、そういう「生活」を前提にして、そこに+αで考えなきゃね。まぁ、そんなあたりはネタですが、「法律の専門家としてなにができるか?」はすごかったです。
実は、法律の専門家としてできることは、どちらかというと同性パートナーの問題なんですね。つまり同性パートナー契約書みたいなものの作成とか、遺言状の作成とか、いろんなことができるみたいです。たしかに同性が法的にパートナーと認められないために「優遇措置」はないのですが、パートナーとして認めさせるための手続きはいろいろ可能なんですね。つまり「結婚」というやつは、こういう諸手続きがワンパックになっていて、さらに優遇措置があるということで、それをいちいちしなきゃならんというところが問題なわけですが。
でも、こういうことを話しながら「たまにとってもうれしいことになるんですが(笑)」とネタを振られるのがおもしろい。
でもそうなんですよね。つまり、同性パートナーの法的な問題にかかわるということは、顧客が増えることにつながるわけです。「お金に換算は汚い」という向きもあるかもしれませんが、大切なことですよね。そして、同性婚が可能になったら、またそれはそれでニーズが増えるわけで、社会はうまくまわるようになると思うんだけどなぁ。

そんなことをやってると、あっという間の6時前。
ここからはお店に行って懇親会。途中からずっと会場のめんどうをみておられた方ととなりになって、気がついたらOS談義です(笑)。
「NEXT知ってますか?」
「知ってますとも!わたし、けっこうOS/2が好きだったんです」
「やはり理想は堅牢なOSに使いやすいx-windowが載ってる感じですよね」
「結局それがいまはmacなんですよね」
みたいな。
ここでそれをやるかと思うけど、楽しかったです。
二次会はおしゃれなバーです。ビールの種類が多いので、思わずランビックを頼んだり。酸っぱ!
てことで、楽しい岡山の夜です。

補習の極意→ひたすら外部との連絡

今日から「教えあい学習」です。でも、今回は「ほんまもん」の相手をしないとやばそうです。とにかく「点を取るテクニック」と「できるかも感」をつけること。前者はなんと言っても「捨てる問題」を見分けることです。高望みをしない。そのためには、問題集にバツをつける練習かな。そしてもうひとつは解答欄の面積を考えることです。簡単に言うと、解答欄の面積が広いものが配点が高く、狭いものは低い。言い換えると、解答欄の面積が狭いものは簡単で、広いものは難しい。わかる人にとっては当たり前のことが、わからかい人にとっては「目から塗り壁」なわけです。なので「解ける問の数」でものを考えるのではなくて、「狭い面積の問の解き方のパターンを覚えて、その面積を少しずつ増やす」ことで取れる点数を考え自信をつける。
まぁそんなことをやってみたりして午前は終了。午後は、おべんきょ後輩から「発表原稿見てアドバイス!」とかいう藁にすがるメールが来たので、藁は藁なりに読んでアドバイス。そんな合間に、若手の同僚と「文系理系の野球カントクの違い」について暑く語ってみたり、経験豊富な新採の公開授業を見に行ってみたり。そんなことをやってると、ひっきりなしにメールが来るわ電話がかかってくるわ。
てんやわんやであっという間に定時です。
でも、なんとなく思ったのが、これだけで終わるなら、それはそれで充実した一日なんだよなってことです。問題は、それで終わらないことです。火曜日のレジュメとか金曜日の課題とか、はたまたルビうちとか、わけわからんことがいっぱいあるのがツラッティ(;_;)。

名前とかカミングアウトをめぐるあれこれ

まぁ、ここを読んでる人はほとんどいないだろうから、個人的な考えをテキトーに書きましょう。

たぶん、自分にとっての事の発端は、ガイドラインにまで遡ると思うんです。ガイドラインには「カミングアウトの検討」というのがあります。たぶんあれです。つまり「カミングアウト」がガイドラインの中に組み込まれることで、みんなカミングアウトしなくちゃならなくなった。で、適応があるかどうかの判定は「周囲の理解」で見ちゃいます。なので、「カミングアウト」が「理解を求めること」を前提になってしまった。そして、例えば「某会議」なんかで話を聞いていると「親にカミングアウトしたら受けとめてくれた」「友だちも受けとめてくれた」「せんせいも受けとめてくれた」みたいな話が頻発するわけです。もはや「カミングアウトの検討」とかいらんやろうと。カミングアウトはダダ通しやないかいと。なので、「某会議」では「カミングアウトってなんなんですかねぇ」とかいう意見を言ってしまうわけです。
まぁ、ある種しかたないといえばしかたない側面があることは否めないです。だって、2000年の日記見たら「あるクラスでカミングアウトしました」とか書いてるし、そんなもんではあると思います。
で、こういうカミングアウトだと、そりゃ「ノンカム」=「クローゼット」なんでしょうね。
でも、わたしは「カミングアウトしました」とか書いていた頃の後、少しずつスカートはいたり化粧したりしてパーティーなんかに行くようになって、「あなた、源氏名どうするの?」とか言われて、そこから「いつき」という人生がスタートしたわけです。それはそれでよかったんです。というのも、当時のわたしは「K」というわたしと「いつき」というわたしを切り離して生きてましたからね。だから、それぞれのシチュエーションにあわせた「名前」で生きることにさほどの矛盾もありませんでした。
でも、フルタイムで生きていくことを選択した時から「引き裂かれる自分」がいることに気がついたんですよね。つまり「いつき」という自分で新たにつくりつつあることと「K」という名前で今までやってきたことが引き裂かれる。
もちろんそんなことはよくあることです。だからこそ、女性たちが「姓の選択を!」と主張するわけです。そしてもちろん逆のパターンもあると思います。つまり「ペンネームでやってきたこと」が自分をつくりあげてるなら、それを選択することもあるでしょう。ただ、わたしの場合は「K」でやってきたことの上に「いつき」があるにもかかわらず、ふたつの名前があるという状態だった。それが「引き裂かれる自分」でした。
だから、2002年に「土肥/いつき」という名前で『部落解放』に出ることにしたんです。『部落解放』は、教育委員会はもちろん読んでるし、わたしが住んでいる地域の人も当然読んでいる、あるいは読む可能性があります。てか、地域の公民館に置いてあったし(笑)。そしてなにより、いままで「K」という名前でつきあって来た人や、その人に連なる人々も読んでいる。そういう雑誌に実名で出ることにしたんです。ちなみに、その時にコーディネーターをされた方は、諸般の事情で仮名で出られました。それを批判する気は毛頭ありません。それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で選択するだけのことですからね。
そして「/」をとるために2004年に改名しました。もちろん「K」のままで生きることも考えたし、政治的正しさはそちらの選択にあることはわかっていました。そしてなにより、「本名(民族名)を呼び名のる」と言ってきたわたしが、そして生徒が本名を名のる瞬間に立ち会ってきたわたしが、「名前を変える」という選択をすることはどうなのか。そこでずいぶん悩みました。
けど、すでにフルタイムで4年ほど生きていて、すでに「K」はしんどかった。なので、「いつき」を実名にすることに決めた。なので、その選択を「同化」あるいは「クローゼット」と言うなら、まぁ、それはそうやなと思うわけです(笑)。実際そう思ってますから。
でも、「いつき」という名前ですべての時間を過ごすことを通して、ようやく「統合された自分」になりました。それが「いつき」という名前の選択の過程です。
で、実名で生きるってことです。
それは例えばわたしのクラスにいた在日の生徒が本名を名のる時に、最初の反対は家族から来たということとつながります。つまり、その子が本名を名のるということは、同時に家族も在日だということがわかるということです。部落の子が立場を語った時は家族の反対はなかったけど、やはり自分に連なるルーツについて話さざるを得ない。だから、その子の立場宣言は親が部落出身であることからスタートしました。そして部落の場合、家族だけではなく、その地域全体のカミングアウトにもつながります。
つまり、在日にしろ部落にしろ、カミングアウトは自分ひとりではおさまらない。でも、あの子たちはそれをしたんです。
あるいは、あるアメラジアンの友だちは、祖父のfamily nameを自分の「名」の前につけてミドルネーム風の名前にしました。別のダブルの友だちは、通名と民族名の両方を名のっています。そうやって「名のる」ことにこだわりぬいた人たちがいる。
そんな人たちとつながり、そんな子どもたちが語る場に立ち会ってきたわたしはどうするのか。
もちろん、部落や在日とトランスは違うという選択肢もあります。でも、わたしは「違う」という選択をしなかった。それは、あくまでも「わたし」の選択です。
だから、実名で生きることを選びました。それは同時に、わたしに連なる人々、すなわち家族にとってのアウティングでもあり、家族がおこなうカミングアウトでもあります。そういう生き方を選んだ。それがわたしの選択であり、家族の選択でもある。だからその総括として、朝日新聞の特集「家族」に出ることにしたんです。あのあと、家族についての取材はすべて拒否しました。
なので、実名にこだわっています。そして、実名で生きることをもって「わたしはトランスジェンダー」(笑)という言葉に依拠しないカミングアウトをしているつもりです。それが「24時間ひとりパレード」ということの意味です。
わたしが「カミングアウトしていない」というのは、最初に述べたカミングアウトをしていないということです。そう言えば、ふと思い出しましたが、かつてH間さんに「わたしって、Real Life Experienceしてますか?」って聞いたことがあったけど「微妙」と答えられました。たぶん「カミングアウトしてますか?」って聞いたら、やっぱり「微妙」なんでしょうね。でも、こういう生き方が可能であるということは、わたしがやっていることがその証明なわけです。

もちろんこれは「わたし」の「こだわり」なわけであって、そのことをもって他の人の生き方や選択と優劣や正誤をつける気はまったくありません。が、わたしがわたしのこだわりとして「実名主義」をとる限り、わたしの話すこと書くことにそれが価値あるものとして描かれてしまうのはしかたがないことでもあります。でなければ「こだわり」でなくなってしまいますからね。
まぁ、そんな話。

落ち込みからの

昨日の夜の帰り道、なんか、「自分は何をやってきたんだろう、自分は何をやってるんだろう」という気持ちになって、少々落ち込みながら帰りました。なので、今日もローテンション。
それでも、3・4時間目の授業では久しぶりに「三省堂」の『高等学校の代数・幾何』を使ってみたりして、少しテンションがもどりました。ちなみに、かつてのこの本、まだ職員室においてあるんですよね。宝物です。
問題は山のようにある原稿です。それでも昨日は御着までの道中で原稿書きが進みました。その続きをやらなきゃなりません。それでも、昨日「ヒント」になる足跡をいっぱい残しておいたので、もしかしたらなんとかなるかも。
そんな感じでノツコツやるうちに、あり?できた?
とりあえず一晩寝かせましょう。
なんしか、よかったよかった。