今日は午前はヤクゲトすべく産婦人科へ(笑)。いつもの通りセンセから「がんばろうね!」と励まされました。ほぼ同年代のセンセとわたし。センセは「80までがんばる」って言われたので、わたしも負けてられないなと。でも、センセは手に職あるけど、教員はつぶしきかんしなぁ。
そんな感じで午前を終えて、少し時間があったので原稿を少し書き足して。締め切りが目前だけど、出口が見えてきた気がします。
で、午後は某人権教育関係の会議です。今日の会場は支援学校ということで、会議の前半は施設見学です。
支援学校、複雑です。たしかに「個に応じた」なんでしょうね。でもそれでいいのかな。例えば「仕事検定」とかあって、ビルメンテナンスの練習とかしてはります。それそのものはいいんだろうけど、でも、ビルメンテナンスという仕事が障害のある人の仕事ってなるのはどうなんだろ。普通科高校卒業生とビルメンテナンスという仕事に距離ができることは、ビルメンテナンスという仕事へのまなざしと関係があって、それは普通科高校卒業生にとって決していいこととは思えないんですよね。だって、生まれによって社会のすみ分けが進んでいくってことですからね。
でもこれ、障害のあるなしだけじゃないですよね。高校入学段階からコース分けする普通科高校も同じですよね。もっと言えば、高校そのものがコース分けされてます。そういうのが支援学校を下支えしてるんだろな。まぁ、これを言ってもたぶんその場では同意は得られないどころか、「こいつ、何言ってるねん」状態になるのは目に見えてるので言わないんですけどね。だって、みんな「支援学校すこい」「子どもたち、障害があるのにすごい」って思ってるだろうなって思うから。もちろん、今ある枠組みの中ではすごいんです。でも、その枠組みそのものに疑問を持つと、「枠組みがそもそもアカンやん」と思ってしまう。つくづくめんどくさい人間になってしまったなと思うわけです。とにかく個人的にはビミョーな気持ちで見学しました。
その後、会議が進んで、途中ひどい差別文書の存在を教えてもらうなど。なんでもその文書、とある駅のトイレの中に置いてあったとか。そこに書かれてる住所や電話番号を調べたら、まったく関係なさそうな企業でした。これ、落書きよりひどいな。だって、置きビラは持って行かれたら証拠が残らない。よくぞこのビラを撤去してここに持ってきてくれたなと。そういう人が集まる場にもなってるんですね。
てことで、会議が終わったら解放同盟にそのビラを持って行きました。
で、夜はstnのミーティング。いつものようにミーティングなんだか飲み会なんだかわからない感じのミーティングですが、少しずつ案件が決まっていくんですよね。不思議だわ。
てことで、10時過ぎに本日の日程終了。
アカン、いろんなことがありすぎた。しかも明日はリビングライブラリ。今週末は東九条マダン。もうダメ(;_;)。
投稿者: ituki
淡々の方がいいのか?
とにかくしんどいです。まぁ当たり前です。でも、否応なしに授業は降りかかってきます。ちなみに、内容は「指数関数」の導入部の「指数の拡張」と「指数法則」です。なんというか、ほとんど計算もないし、「こうやるんだよ」しかないところです。簡単に言うならおもしろくない。
てことで、メンタル的にもローなので、もうええかと、教科書通りにやることにしました。やはり、工夫しようとすると、それなりにメンタルが健康じゃないとアカンのですが、とてもじゃないけどそんな状況じゃないです。メンタルの原因はわかっています。忙しすぎと、抱えている原稿と、「おべんきょ成果」です。
なので、淡々と授業を進めたのですが、なんか教室は静か。
なにをやればいいのか、わからんなぁ。
ま、しかたないです。もうすぐ11月ですからね。
そんな1日。
今年もタレはうまそうだ
朝、Aっちゃんは用事があるとかでいったん離脱。わたしはひとり東九条に残って、残飯整理をしたりして過ごします。実は走りたいなと思っていましたが、いろいろミスがあってジャージがありません。なので断念。そうこうするうちに、10時半ぐらいになったので「作業を開始しようかな」と。
てことで、ニンニクの皮むき開始です。
まぁ、いろいろ交流会をやってて、まわりからは「えらそうにしてるんだろうな」と思われているかもしれませんが、交流会をやるっていうのは、
みたいなのが基本なんですよね。なので、卒業生の会も新幹線を使って参加するし、1人でもニンニクの皮むきをするわけです(笑)。
と、足音が。H園さんが来てくれました。うれしいなぁ。てことでふたりでニンニクの皮むきです。と、Iチローが再び参加です。うれしいなぁ。3人でニンニクの皮むきです。と、外で声がします。おぉ!うちの生徒が来た!てことで、わたしはニンニクの皮むきから離脱です。そうこうするうちに、F村さんとかAっちゃんとかが来て、さらにKヮンスも来てくれて、にぎやかな交流会です。
みんなで野菜や果物を切って、ヤンニョムつくったりタレをつくったり。やがてメインイベントのキムチづくりです。
てことで、できたキムチがこれです。
さらにタレも煮詰まってきます。
ついでに即席カクテギもつくりましょう。
いちおうすべてができたところで、タレは煮詰めを続行しながら、タレの試食のための焼肉&チヂミの昼ごはん。ごはんを食べながら、恒例の「深い自己紹介」です。実は、すべてのプログラムは、この自己紹介のためにあるんですよね。まずは卒業生たちが自己紹介のお手本をしてくれます。その上で、現役生も自己紹介。そして、バンバン飛んでくる質問。こういうのがいいんですよね。例によって例の如く、3時間ぐらい自己紹介をしたので、そろそろ終了です。
てことで、5時半ぐらいに解散です。あー疲れた。でも、いい交流会でした。
合宿を終えて、倉吉日帰りからの卒業生の会
朝、6時起床です。子どもたちは学校へ。てか、なにが悲しくてみんな休みの土曜日に学校に行かなきゃならないんでしょうかねぇ。学校から解き放たれた方がいいと思うんですけどねぇ。いや「なにするかわからん」みたいな論もあるかもしれませんが、毎週土日がきちんと休みなら「いらんこと」をやることに飽きますよ。たまにしか休みがないから「いらんことでもしようか」となるんです。
てのはおいといて。
わたしはそのまま京都駅へ。そして乗ったのは、おそらく今まで乗った列車の中でも一番好きな「スーパーはくと」です。ちなみに車内販売がない&到着してから時間がないので、朝ごはんはガッツリ目です。
ごはん食べたら眠くなったので、寝ちゃいました。目が覚めるとすでに鳥取です。原稿書かなかったなぁ。
で、到着したのは倉吉。今日は組合の学習会です。開始前にちょっと小腹が減ったので、おにぎりなんぞぱくつきました。
たしかにおいしいけど、このアイデア、実はすでにおさいさんがやってたんだけどなぁ。
で、お座敷開始。今回は30人弱の集まりです。が、なぜか知りあいがいたりします。「いつ山に登に来るんだ」とハッパかけられてしまいました。そうでしたそうでした。去年の夏にお世話になって「登ってからのビール」って話をしていました。行きたいなぁ。
今日の中身はミッション3です。なんか、ものすごく久しぶり感があります。8月以来だから久しぶりですね。ところどころつっかえながらも、つい力が入ってしまいます。たぶんこのネタも好きなんだろうなぁ。はじめのうちは早口の関西弁にとまどっておられたみなさんも、徐々に慣れてこられたのかネタに入ってこられる感じが伝わってきました。と同時に、笑いも起こるというものです。てことで、100分と言われてたけど、105分ぐらいで終了。ほんとうは90分で終わりたかったんだけどなぁ。
その後の質疑応答がよかったです。一生懸命とりくみをしようとしておられる若い教員の方ですが、まわりの教員の同意が得られずどうしてもできない。そんな話をしてくださいました。ほんとうにしんどい状況なんだろうな。でも、したたかにやっていくしかないです。大丈夫ですよ。仲間はいっぱいいます。
そんな感じでお座敷終了。
で、帰りの「スーパーはくと」です。やっぱり車内販売がないので、仕入れたりして。
でも、こんなもん呑んだら、原稿書けないよね。でもまぁしかたないです。で、なぜか姫路で降りて新幹線でワープです。そしてたどりついたのは、相も変わらずな東九条マダンセンター。今日は卒業生の会です。誰か来てるかなと思いながらセンターに近づくと、電気がついています。ホッとしますね。中に入るとKきぴがいました。
で、一緒に鍋の材料を買い出しです。昨日も鍋だったけど、まあいいでしょう。鍋は毎日でも大丈夫です。
買い物から帰ってくると、Iチローが来てました。そうこうするうちにAっちゃん登場。まぁ今日はこれくらいかな。さびしいな。やはり、新しい人を迎え入れるためには、とりあえず今いる人が来ないとアカンのだけどな。まぁそんな話をみんなでしゃべったり。でも、IチローとKきぴは帰らなくちゃならないらしく、最後はAっちゃんとふたりでダラダラしゃべって、1時半ぐらいに就寝です。夜更かししたな。
今年もややこしい合宿
なんか、ほんとにすべてにおいてヤル気が出ません。ヤバいです。授業もなんだかヤル気が出ないので、教科書を教える感じです。でも、もしかしたら、そっちのほうが子どもたちにとってはよかったりして(笑)。なんか、いろいろ工夫してもかえってそのほうがわかりにくいこともあるみたいで、淡々とやるほうがいいのかなぁ。
で、少しゲンコをすすめて、電車に乗って、卒業生と合流です。今年もややこしい合宿の日がきました。いちおう鍋をするんだけど、なんか、材料が足りないとか連絡が入って、いろいろ買い出しをしてたら7時頃になってしまいました。
そこから恒例の儀式です。1年生から「危険ですか?」「死人は出ますか?」と香ばしい質問が来るのです「まぁね」「何年かにひとり」とか、適当に答えておきました。それにしても、雨の中の儀式ははじめてです。なのに、みんなしっかりこなしてくれて、よかったよかった。
そのあとは鍋。今回は諸事情があってうちの子どもたちも参加したけど「家族みたい」って言ってました。たしかにね。そうこうするうちに、3年生が集まったので、参加。来年度の人事についてみんなで論議です。
そんなこんなをしているうちに、いつの間にか布団が敷かれてて、横になったら爆睡です。
忘れてた!
月曜日は病院→お座敷、火曜日は出張→買い出し、水曜日は母親の晩ごはんの相手と、毎日スッキリと帰れなくて、今日は帰れるなと。ということで、パートナーから「プリンタのインクがない」とかいう指令が出たのでヨドバシに寄るくらいで帰りましょう。
と、ある駅に着いたところでメールが。「共同おべんきょ成果」のメンバーです。
「事務の人が帰ったから、そのままあがってください」
あ!忘れてた!今日か!
あわてて降りた駅が、たまたま最寄り駅。助かりました。が、気分はイマイチです。だって、まっすぐ帰ってビールと思ってましたからね。
でもしかたないです。
会場へ向かいながら、プレッシャーがかかってきます。なんと言っても、ゲンコが多すぎです。10月末が1本。11月末が2本。12月末が1本。そして、本来のおべんきょ成果。もうダメです。
それでも、みんなで話し合ったら、なんとかなる気がしてくるのが不思議です。研究会が終わったら、少し気持ちが軽くなった。
さて、帰ってビールだ!
「準備は8割方できた」とか「出身大学」のこととか
今日は午前は授業にまみれて、午後は会議にまみれる日です。そんな間をへつって、来週水曜日の「リビングライブラリ」の準備です。
約300人がそれぞれの希望を書いて、それを2セッションに振りわけます。各「本」のセッションごとの人数が同数になるように振りわけますが、一方である子がふたつとも第1セッションになったみたいなのは避けなきゃなりません。かつ、「入れ替え」の時の打ち間違えがあるとたいへんです。そんなこんなをやりくりしながら、調整するのですが、3回もやるとノウハウができるので、案外サックリいけたりします。で、割り振ったところで、セッション別「本」別の出席表をつくったり座席表をつくったり。
とにかくたかだか1時間程度の空き時間では満足にものも考えられません。そんな時は単純な作業をするに限ります。
そんなこんなで、準備完了。
さてと、授業です。でもま、受験を前にしてるから、質問受付です。のんびり2時間過ごしての終了時、なぜか出身大学のことになりまして。
い「わたしな、○○大学出たんやわ」
生「へー、○○女子大?○○大?」
い「…あ、○○大学」
生「そうなんや」
瞬間不意打ちを喰らいました。完全に素やったからなぁ…。
「東九条『40番地』に生きた在日コリアンオモニたちの歴史といま」
今日は午後から出張です。が、午後からということは、午前は出勤ということです。まぁ、カントク1発、それも担当している講座なので楽勝です。が、そのご突発的な仕事が入って、スタートが30分遅れました。きついな。しかも、午後の出張はフィールドワークなのに、雨降ってきたし。やはり昨日がアカンかったんやな。
てことで、東九条に到着。とりまマダンセンターに行って、おべんとを温めました。だって、お米がベータ化してるから、食べにくいです。で、東松本団地へ。
とりま、準備です。準備しながらお昼ごはんです。機器をセットしてごはんを食べて、また機器のセットってやって、ようやく間に合いました。ふぅ。
で、今日の講師は村木美都子さん。実は、メッチャ前から知ってますが、あまり話をしたことがなかったんですよね。なにせ、村木さんは東九条の活動家で、わたしはいわばビジターですからね。ただ、6年前にお会いして再認識してもらってからは、ウトロなんかで会った時とかに、なんとなくチョコチョコ話をするようになりました。そんなつながりから去年の12月にフィールドワークをお願いしたんですが、わたしはもうひとつのコースのお世話をしなくちゃならなかったので聞くことができませんでした。でも、参加した人から聞いたところによると、ものすごくよかったとか。なので、ぜったいに話を聞きたいと思ってました。
まずはお話です。村木さんのライフストーリーからはじまります。そして東九条との出会いへ。このあたり、個人的にはなつかしいです。
わたしがはじめて東九条に足を踏み入れたのはいつ頃だろう。意識的に入ったのは1990年代になりますか。でも、やはり本格的にマダン文庫センターに出入りしはじめたのは1993年あたりかなと思います。この時が東九条マダンがはじまった年で、たぶんプンムル隊に参加してたはずです。でも、ウトロにも出入りしはじめたのが1992年かな。この頃、ガッツリと入っていった頃なんだなぁ。生徒交流会をはじめてからは、よく交流会が終わったら
「40番地行く?」
とか言って、散歩させてもらったなぁ。
村木さんの話を聞きながら「あー、だよなー」という感じで当時のことを思い出していました。
そんなあたりから、「堤防の町」や東九条の形成史へと話は移っていきます。このあたりは勉強になりますね。自分の聞きかじりの知識の検証にもなるし、新たな知識も得られるし。
そんなあたりから、さらに話は1世2世のオモニのことへとうつっていきます。ここからが村木さんのほんとうのフィールドです。個人的な出会いを個人のものとせずに歴史的な背景を加えながら話されます。基本はエピソードの連続ですが、だからこそリアリティがあります。そして、歴史的な背景はあるんだけど、やはりそこでの話は個人的な話なんですね。なんというか…。社会学ですね(笑)。いや、各個教会史みたいなものか。なんしか「個別」と「普遍性」の間を行きつ戻りつする話がおもしろい。
あと、なんと言っても、美化しない。よく「ほめられないこと」を「たくましさ」ってごまかすことがあるんだけど、ほめられないことはほめられないこととしておいておきながら、でもたくましさをたくましさとして語られます。そんなあたりがいいですね。でもそれができるのは、たぶん村木さんとオモニたちとの膨大なやりとりと、それに裏打ちされた信頼関係があるからなんでしょうね。
そして、1世と2世の対比がおもしろい。たしかに、1世は本国での「当たり前の自分」をどこかで経験してから渡日してきてるけど、2世は自己否定の中を生きてきた。なるほどなぁ。それって、在日だけじゃないですよね。新渡日の子らにも、あるいはダブルの子らにも共通することですよね。
その後、フィールドワーク。わたしはずっと村木さんと雑談しながら歩いたので、みなさんに悪いなと。まぁでも打ち合わせしてるフリです。それにしても、村木さん、地元に根ざしておられるのがよくわかります。例えば南部教会に行ったらモクサニムが説明して下さいます。エルファに行ったら理事長が説明して下さいます。そして、交流センターに行ったら「使うよ」のひとことでOK。その時に「あぁ、自分はしょせん風の人だな」と痛感しました。言い換えるなら、表面をなでてるだけです。地元に根ざして活動するって、こういうことなんだな。
と、質疑応答の録画中に電話がかかってきました。録画中なので出るわけにいきません。しかたないのでそのままやりすごして、あとで電話番号を検索。エルファ?なんで?なんかしたっけ?そういや、こないだお世話になったけど、あの時になにかしたっけ?いろいろ頭の中をかけめぐります。この時のビビリを思い出します。
てことで、帰り道にエルファに寄りました。すると出迎えてくれたのは鄭明愛さん。
「電話したの、わたしです。わざわざ来てくれはったんですかー」
お、向こうにおられるのは(笑)
「あ、さとうさんだぁ」
そういや、さとうさんの職場はここでした。職場では完全に気配を消しておられます。
てことで、電話の御用はエルファの研修依頼でした(笑)。なんか、1月には希望の家保育園からも頼まれてるし、わけわかりません。
帰り道でも知り合いにあったりして、まぁわたしも地域に根ざしてるわけじゃないけど、それなりに地域の人に顔は知られてるらしいですね^^;。
決意
今日は午後からお座敷です。でも、夕方からなので、午前はガッコに行けるかなと。まぁカントクとか採点とかできるからいいやと思ってたのですが…。
でも、どうしても病院に行かなくちゃならなくなってしまい、しかもそれが月曜日の午前とのこと。えーと、月曜日は…。いつもきついんですよね。月曜日って、この人とかこの人から声のかかる曜日なんですけど、ほとんどあかないんです。結局、月曜日の午前の病院は今日しか行けなくて、結局1日休みになってしまったんですよね。
てか、病院行くための休みがとりにくいってどうよとは思います。だって、病院に行くことでビョーキが治って、そのことで働きやすくなるわけで、それができなかったら働きにくいままですからね。なのに、働きやすくなるための行為がしにくい。とにかく、「誰も休まない」ことを前提にしてるから、そうなりますわな。高校ですらそうなんだから、小中はたいへんだと思いますよ。
てのはおいといて。
紹介状を持って、とある病院へ。そういやここ、父親が死んだ時に搬送された病院じゃん(笑)。
で、診察室に入って患部を見せるなり
「あぁ、めずらしい。これ、女性がかかるのはめずらしいんですよ」
えーと…。
「生まれた時は男でしたが、今は女やってます」
とカムアウト。てか、ディスプレイの電子カルテに性別書いてあるやん(笑)。
医「で、どうされますか?手術されますか?」
うーん。やはり手術はイヤですね。
い「いや、やはり注射で」
医「わかりました」
い「でも、注射の時、麻酔しないんですよね」
医「あぁ、麻酔の方が痛いですからね。しません」
い「じゃ、翌日の処置の時は?」
医「それはかなり痛いですから麻酔します」
えーと、てことは、痛さは
注射<麻酔<処置
ってことですか。それだけで、すでにイヤ気がさしてます。でもしかたありません。
とりあえず、12月の中頃にやることにしました。
だって、この指
では不便ですからね。
父親の故郷の近くにて
で、午後はお座敷です。
ちなみに、夕方からなので、別に試験中でなくてもいいかと思っていたのですが、移動時間がガッツリ営業時間内なので、これはいかんなと。てことで、今日になったお座敷でした。
てことで、阪急に乗って、十三で新開地行きに乗って終点まで行きます。考えてみたら、新開地まで乗ったの、はじめてです。さらに神戸電鉄に乗って鈴蘭台を通過して、降りたのは「志染」という駅。これ、時刻表アプリでの入力たいへんでした。「ししょく?」「しせん?」最後は漢字を入れるという。
で、お迎えの車に乗せていただいて、お座敷会場へ。場所は総合隣保館です。入っていきなり読書コーナー。なんでも「子どもたち用」らしいですが、「兵庫部落解放史」とか子どもは読まんでしょう(笑)。
で、ボチボチ人も集まってこられてお座敷開始。今日のつかみは決めてました。
「家の玄関を出てから3時間近くかかりましたが、うちの父親の実家からは30分くらいのところなんですよね」
みなさん「おーo(^^)o」って感じでした。ちなみに父親の実家はお隣の加東市です。とはいえ、わたしは3回くらいしか行ったことないですけど(笑)。
てことで、本題に入ります。今日のご要望はミッション2。これ、ほんとのほんとに久しぶりです。最近ほとんどニーズがないからなぁ。でも、トランスに特化したこのバージョンは、それはそれなりに大切かなとも思います。なぜなら、トランスに特化するからこそトランスに特化できないことがわかるからです。
てことで、ところどころ
「おわ!こんなスライドがあった!」
とか思いながら、話を進めます。予習はしたんだけどなぁ。
それでも、けっこう笑いがとれたのでよかったっす。いや、すんごいマジメな顔で聞いておられた方もおられましたが、そんな真剣な話とちゃうし。
てことで、今日は与えられた1時間半ちょうどで終了です。明日は雨やな。
で、帰りは、たぶん「谷上」だと思うけど、そこまでまたまた送っていただいて、バスに乗って六甲山の地下を走って三ノ宮へ。と、バスの運転手さん「新神戸を飛ばしたので、再度新神戸に向かいます」とのこと。珍しいな。ここで、ふと気が変わって新神戸で降りようかと。でも、タッチの差で降りられず。いや、運転手さんに聞いてみよう。
「新神戸で降りたかったんですけど」
「じゃ、そこのバス停でとめます」
マジか(笑)。
で、新神戸からワープ。おかげさまでビールを飲めました。
新幹線、早い!新快速より1時間早く帰れて、ほっと一息です。